257話 合同軍事演習
「第一回、モルテールン家主催合同軍事演習ぅ~」
パチパチ、と少年の拍手のみが鳴る。
「ではこれから三日間、モルテールン家としては初めてとなる、大規模な軍事演習を行います」
ペイスの突然の思い付きにより、急遽行われることになった軍事演習。参加するのは、若手の従士十二名と、暁の始まりに所属する戦闘員。
「おうおう、若大将よ、盛り上げてくれっのは分かんだけどよ。軍事演習ってなあ一体何やらすつもりなんだ?」
「そうですね、ではまず説明から始めましょう」
教官としてのキャリアも持つという摩訶不思議な少年が、堂にいった説明を始める。
「当家は目下急成長を重ね、軍事的にもはっきり規模が拡大しています。しかし、残念ながら質に関して、低下していると言わざるを得ない。数年前までは、一騎当千と謳われた父様を筆頭に、多くの戦いを潜り抜けてきた歴戦の猛者が揃っていた。量を質で補うのが当家の流儀です。今、こうして三百に達しようとする勢力となったとしても、一人一人が精鋭であり、世界中のどこに出しても一流と呼ばれる存在でなければならない。如何なる困難であっても立ち向かう戦士たらねばならない。これは、当家の基本方針です」
モルテールン家は、万夫不当を地で行く極端な精鋭主義である。
当主カセロールに始まり、後継者のペイス、従士長シイツ、私兵副団長コアントローなどなど、主要な幹部が皆、そんじょそこらの兵士ぐらいは束で相手取れるだけの武芸者なのだ。特に、魔法使いとして名高いカセロールやシイツは、他国にまで名を知られる猛者。型にはまった時の凄さは言うまでもない。
そして、モルテールン家の人間は精強無比であるという評判は貴族社会でも定着しており、これが結構な外交的メリットになっている。
例えば、何かのパーティーに参加したとしよう。主催者としては、当然ながら参加者の身の安全を守る責務があるわけだが、ここにモルテールン家が参加するとなると、どれほど影響力があるか。一人で百人分ぐらいは換算できる人間が、数人居る。仮に敵対勢力が襲撃を企てていたとして、このモルテールンを無力化するために、どれほどの労力や戦力を必要とするか、考えただけでも膨大であろう。どこの世界に、わざわざ獰猛な猛獣がうろついていると分かっている場所に出かける人間が居るのか。賢い人間なら、猛獣の居ない瞬間を狙う。その方が明らかに楽だし、成功率も上がる。逆に言えば、猛獣がうろついている間は疚しい人間が大人しくなる。
つまり、パーティーにモルテールン家の人間が参加する、と公になった時点で、パーティーにおける安全性は極めて高くなるというわけだ。
是非うちのパーティーにお越しください、という招待が増えることは当たり前。特に、来賓客が重要な人物であればあるほど、主催者はモルテールン家を招待したくなるのだ。
これが実に美味しい。労せずして、重要な人物と面識を得る機会が訪れる。外交的なアドバンテージとなることは間違いない。
だからこそ、ペイスとしてもモルテールン家が精鋭主義の看板を下ろすことに否定的なのだ。
最近急に増えた若手たち。或いは、今後モルテールンの看板を背負うことになるであろう暁の人間。どちらにしたところで、一般的な水準からみれば強者だろう。士官教育で扱かれた若手にしても、戦場で鍛えられた暁にしても、決して精鋭と呼べないわけでは無い。十分に強者足りえる。
しかし、足りない。
普通の兵士でも、喧嘩自慢が上手くやれば勝てるかもしれない、と思わせる程度の強さ。強いには強いが、絶対に勝てないと思えるほどでもない。腕自慢が十人二十人と囲んでしまえば何とかなるんじゃないかと思わせてしまう程度の実力。
これは、モルテールン家が求める精鋭の水準ではないのだ。
経験が不足している若手、意識が欠けている傭兵。
この両者に、足りないものを手っ取り早く教え込むにはどうすれば良いか。
答えが、今回の合同軍事演習の名を借りた、実践である。グダグダと何度も話をするぐらいなら、実際にやらせてみて無理やりにでも叩き込む方が早い。
百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かずという。言って聞かせてやらせてみる。スパルタ教育と現場主義は、モルテールン家の家風である。
これが、軍事演習の意義だ。
「そしてここ最近、魔の森から野生生物の出現が多数報告されています。ハード面で対策を進めてはいますが、強行偵察と早期進出によって被害を減らせるのなら、訓練ついでに出来て一石二鳥」
また、軍事演習の目的として、実利も求める。
モルテールン領内の土木工事全般はグラサージュが担当しているのだが、ここ最近野生の動物や生き物が現れる為に作業が滞ることが増えているという。水路を作ろうと穴を掘っている場所に、ウサギや狐が横穴を掘ってしまって水が漏れるという事案や、イノシシが泥遊びの為に整備用の土山を壊してしまう事案、或いは単純に労働者が野獣に襲われる事件も起きている。
畜産を始めとする農業全般を担当するスラヴォミールからも、苦情が上がっていた。野生の鹿類が大量に湧いたことで、家畜の餌が食われてしまう事案が発生。鶏やヒヨコが、小型肉食獣に襲われて食われるという事件も起きている。
森林管理長のガラガンなどは、もっと直接的に被害を訴えていた。今のモルテールン領は水に困ることが無くなったため、多くの植樹を試そうと色々とテストしている段階。かなり金を使い、苦労して手に入れた果樹の苗であったり、広葉樹の苗木が、根こそぎ食われる事件が勃発。自分の仕事を台無しにされたガラガンは、ペイスの元まで駆け込んできて、山狩りをやろうと主張した。
かくの如き状況である。出来るだけ速やかに魔の森に対して対策を取らねばならないと、家中の意見は一致をみた。
そこでペイスは、これを利用しようと考えたのだ。
「今回の作戦目標は、魔の森の正確な地図を作成すること。理想は全域ですが、流石にそこまでは難しいので、ひとまず森の外周部から一キロ圏内を第一目標、二キロ圏内を第二目標と定め、正確な地図を作ってもらいます」
「はっ」
魔の森からの害獣対策を行うにあたり、まず最初に為すべきは何か。
それは当然、正確な情報を集めることである。
どんな生き物が居るのか、どんな地形なのか、どんな植生なのか、どんな環境なのか。調べねばならないことは多岐にわたる。
そしてこの“調べる”という作業。軍人にとっては斥候の仕事の初歩でもあるのだ。
「従士諸君には改めて言うまでもありませんが、確実性のある軍事行動における地図の重要性は、極めて高い。地図のない軍事作戦など、目隠しをして戦うようなもの。当家の領地が魔の森と繋がった現状、最低でもモルテールン領近縁のことは調べておくべきです。この演習は訓練です。しかし同時に、当家の今後を左右する重要な情報戦でもある。心してことに当たってください」
「はっ」
若手たちは、学校で地図の読み方を習った。どの教官に教わろうと、最低限のこととして地図を見ながら行動出来るようには教え込まれる。
ペイスの教え子たるプローホルなどは、更に洗練された等高線地図をペイスから教わっている。
彼らに共通することといえば、地形を把握することの重要性と、地図の価値を知っていることだ。
対し傭兵は学が無いので、地図の読み方など団長のパイロンを始めとするごく一部の人間しか知らない。しかし、地形把握の重要性については、若手従士以上に骨身にしみていると言える。特に負け戦の時、身一つで逃げた時などは、水場や通行可能な場所を知らねば、死ぬ。それはもうあっけなく死ぬ。そもそも簡単に生き延びられるような場所ならば、森は人の住処になっている。人が簡単に住める場所で無いから、手つかずの場所なのだ。
生存困難な場所で、地形や地理の知識が命をつなぐ。これは、傭兵たちも我が身で覚えてきたことであり、ペイスの言うことは深く理解と共感を覚えるものだった。
「それでは班分けです。一班、中隊長兼 班長プローホル。副班長パイロン……」
さしあたって、合同演習の意義と重要性を皆が理解したところで、今回は小分けに班分けされる。
原生林が生い茂る未開の森で、大人数がまとまって行動できるはずも無し。少人数で分散するのが基本である。
そして何より、班長役の若手従士と、その手足となる兵士役の傭兵たちという組み合わせ。将来のモルテールン領軍の体系化を見越した、予行演習のようにも思える。今の内から訓練として試してみて、問題点を洗い出そうという意図が透けて見える組み合わせだ。
若手の多くはエリート意識を持ち、モルテールン家の家中で出世し、あわよくば将来的には独自の爵位をとまで目論む、野心家と呼べるほどで無いにしても上昇志向の強い人間。従士となって、小さな班とは言え一隊を預けられるというのは、飛躍の大きな足掛かりになり得る。
また、暁の面々についても同じこと。将来、本当にこのままモルテールン家にずっと雇われるとするならば、今回の班というのは試金石足り得る。もしも若手従士連中以上に活躍して見せれば、或いは大きな手柄を立てれば、取り立てられて従士となることもあり得ると考え始めた。実際、モルテールン家には傭兵から取り立てられて大出世し、下手な貴族よりも影響力のあるシイツという実例もある。自分が第二第三のシイツとなる可能性は、目の前に転がっているのだ。
それぞれがそれぞれに、今回の演習について本気になり始める。
「七名づつの三十班となりますが、それぞれ手分けして作業を行います。一班のみは僕の傍にあって護衛兼任で本陣役。他は中立地域での偵察任務中という想定とします。与える任務は、正確な情報を集めること。二刻ごとに必ず連絡を取ることとし、本陣の指示には絶対に従ってください。他は通常訓練通りとします」
若手たちにとっては、斥候を模した演習は慣れたもの。通常訓練と言われても、細かい部分はばっちりと頭の中にある。
補給は本陣が責任をもって管理するであるとか、連絡役は二名を基本とすることなど。通常の訓練で基礎となる部分は言われずとも理解しており、それこそ今まで培ってきた訓練の効果でもある。何かあった時の思考の余地を極力減らし、通常作業で出来ることを増やし、より高等な判断を要する部分に思考と士気を集中できるようにするのは訓練の本義である。
日頃の訓練の成果を試す場が演習。実戦を想定して行う、実践訓練だ。
気合も十分に担当エリアに進行する二十九班。
それぞれが分担して地図を埋めれば、さほど苦労せずともモルテールン近縁の森の地図が出来上がる計算だ。
「順調ですね」
こっそりと魔法で監視しつつ、ペイスは各班からの逐次の報告を聞き、状況を把握する。傍に居るプローホルやパイロンは、ペイスの補佐役兼参謀役だ。
特に、プローホルの果たす役割は大きい。冷静な判断力を持つと評価されている彼は、将来の幹部候補生として現在色々と教え込まれている最中であり、今回の演習においても指揮を任されている。一班の班長を兼任しつつ、全体の指揮だ。上がって来る報告を聞きながら、現場の状況を推察しつつ、指示を考え、下していく。
勿論、プローホルでは危うい事態だと判断すればペイスが指揮権を持ってフォローすることもあり得るが、基本的にはペイスは秘密裡の情報収集に徹していた。
「思っていたほどではないな」
パイロンは、恐ろしいほどに順調な演習に拍子抜けしていた。
ペイスがあれほど脅していたのだから、魔物の一体や二体は覚悟していたのだ。何せ入る場所が魔の森だ。怪物の一体や二体襲ってきても、不思議はないと気を張っていた。しかしふたを開けてみれば、平穏そのもの。地図は順調に埋まっていっている様子だった。
「隊長、五班です。南方に移動中のガエンの群れと遭遇。距離は約220です。班員は監視態勢で待機中」
「群れの数は?」
「百以上」
「伝令、近隣に居ると思われる三、四、六、七班に援護に向かうように指示を。五班には他と連携しつつ後退せよと命令を」
最初に状況に突発事態が有ったのは、一番東側を探索していた班。放射状に広がって探索する以上、ここを放置しては全体の陣形が歪になりかねないと、プローホルは早速指示を飛ばした。的確な指示だ。ここで戦力を小出しにするようならお小言ものだが、出来る限りで最大限の対応をしている。
ペイスも満足げに頷く。
「ガエンの群れですか。領内に入られると駆除が面倒ですね。農地や緑地も荒らされる」
ガエンとは、鹿の仲間で南大陸には広く分布する草食獣。山地に多い種ではあるが、森の中にも普通に生息している。
定期的に大量発生するものでもある為、農家からはとにかく嫌われる害獣の一つ。
何より、駆除をするべき猛獣の一種でもある。角が大きく鋭利で、気性の荒いガエンに遭遇して人が刺殺される事例がちょくちょくみられるのだ。国全体で見れば毎年一人や二人はガエンに殺されている。
そんな危ない奴らを見つけたというのなら、見て見ぬふりだけは出来まい。
「討伐はしないので?」
「プローホルの判断は正しいでしょう。今回は偵察が任務。戦闘行為は極力避けるべきで、追い払う程度であしらえればそれがベストです」
今回の演習は斥候による偵察という想定である。正確な情報を、どれだけ素早く上級指揮官に届けられるかが肝。敵対的な勢力を発見した場合、即座に後退ないしは撤退し、情報を伝えるのが正しい。
ペイスはプローホルの指示を肯定する。そして、パイロンと喋っている風を装い、あえて周りに聞こえる声で褒めた。露骨であっても、悪い気のするものではないだろう。部隊の士気を上げることに一役買うペイスの行動。これは、兵の将ではなく将の将たる資質を垣間見せるものだ。
パイロンは、感心していた。若いながらもしっかりと一軍を統率するペイス。そして、その手足となってしっかりと考えて動けるプローホルたち若手従士の実力に。そしてなるほどと頷く。これだけ実力がしっかりしているなら、さぞや自分たちの培ってきたものに誇りを持っていることだろう。怠け者ではこうはいかない。だからこそ、同僚となる人間に怠け心を感じれば、憤りもするだろう、と感じた。
「伝令、三班。五班支援に向かう途中、南方に移動中の猿の群れと遭遇。対応の為、救援遅延」
傭兵団長が頻りに感心する中、イレギュラーは続く。
今度は、後退中の班を支援する為に移動中だった連中が、新たな敵に遭遇したという。
「猿? 数は?」
「最低三十。樹上の為詳細不明」
「……全班に通達。足並みをそろえるために、一旦本陣に戻れ」
ここに来て、プローホルは嫌なものを感じた。このままバラバラと広がるより、態勢を整えるべきだと判断する。任務が偵察である以上、想定以上の数の敵性勢力が確認された時点で、改めて確実性を高めるのは正解だ。
斥候にとって一番まずいのは、情報を持ち帰れないこと。五班が敵と遭遇、後退中に三班が新たな敵と遭遇。二度あることが三度無いと言い切れる人間は居まい。このままあちこちで戦闘になってしまい、怪我人が出てしまうようなことになれば、偵察任務は遅延する。偵察が遅延すれば、全体が遅延するのが道理。
戦闘には勝てても戦術としては失敗、戦略としては落第である。撤退の判断は正しいと、ペイスも太鼓判を押す。
プローホルの判断が正しいと確信できたのは、それ以降も野生生物との遭遇の報告が幾つも舞い込んできた時だ。ことここに至って、森で何か異変が起きているとペイスは感じ始めた。
バラバラとそれぞれの班が戻ってきたところで、ペイスは全員を見回す。
「全員、戻りましたね。報告は都度聞きましたが、現状を改めて周知します」
偵察任務中で、他の班の状況を知らずに戻ってきたものも多い。情報共有の為、ペイスが事情を説明する。
「これまで森からの害獣発生の報告は多々ありましたが、どうやら今、森の中が相当騒がしいことになっているようです。気づけたのは偵察の賜物ではありますが、明らかに異常とも思える数の動物が、恐らく森の奥から南方に、つまりはモルテールン領に向けて、じわじわ浸透している様子。情報を精査したところ、このままではひと月もしないうちに森から動物があふれ出し、モルテールン領は巨大な動物園になってしまう」
偵察範囲は最長で二キロほど。その範囲に生息していた害獣の数、そして活動するであろう範囲を計算してみれば、明らかに異常な密度となっている。早晩食糧不足になって森から出てくるであろうことは疑いようもなく、最悪の場合、氾濫と呼べる規模の害獣災害が起きかねないという現状が判明した。
「そこで、偵察から任務を変更し、掃討戦を行います。三班ごとを一小隊とし、固まって動くように。暁の皆さん、ことは戦闘任務に変わりました。獲物を狩ったなら、功として認め所定の褒賞を出しますので、班長の指揮のもと、精いっぱい頑張ってください」
おお、と歓喜の声と共に、改めてモルテールン軍が森に浸透していった。