256話 喧嘩
怒号が轟く。
幾多の戦場で鍛えられた、耳の奥までずしんと残る胴張り声だ。聞こえてくる内容は、これまた戦場で嫌というほど鍛えられた罵声と脅し文句の数々。
「テメエ!! もう一遍言ってみろや!!」
どこの反社かと思うような荒っぽい声を出しているのは、暁の始まりに所属する団員のようだった。
それも、一人二人でなく何人も。おまけに、その集団の先頭に立っているのが暁の始まりの団長であるパイロン。
対し、そんなヤンチャな強面にたじろぐこともなく対峙しているのはモルテールン家の従士。それも、今日訓練していたはずの新人たちだ。
「一体何事です?」
「お、坊」
報せを聞いて駆けつけてきたペイス。
何だ、ようやく来たのか、と言わんばかりの抜けた声で応えたのがシイツ従士長。
ペイスの目には、シイツに対する非難の色が浮かんでいる。こんな大声で怒鳴りあうような状況を、何故止めないのかという非難だ。
勿論、面白がって喧嘩を煽るような愉快犯でもあるまいし、従士長たる人間なりに深い考えあってのことだろうと、直接口にして非難したりはしない。
「シイツ、説明を」
ペイスの言葉に若干棘が含まれていたのは仕方がない。余計な仕事を増やしやがった連中に対し、平常心で接するほど出来た人間ではないのだ。それが出来るのは悟りを開いた聖人か、でなければ超絶にご機嫌な状態の菓子職人ぐらいである。
「暁の始まりの連中が訓練場に来た時、うちの若手連中も訓練中だったんで。で、丁度いいってんでお互いに挨拶させたんでさあ。そしたら、ああなったんで」
やれやれ、と両手をあげて肩をすくめるシイツ。
彼の説明の内容を端的に言うなら、挨拶したらああなった、と言っている。どこがどう間違って怒鳴りあうほどに険悪な関係になるのか。お互い良識と常識を持った成人であるはず。
片や精神鍛錬も受けているエリート教育で育った新人。片や、戦場で鍛え上げてきた屈強な精神を持つ傭兵。
どちらも精神的には成熟しているはずなので、早々喧嘩など起こりそうには無いのだが、たかが挨拶程度でここまでこじれるものなのか。
「挨拶の内容は?」
挨拶を交わしてトラブったというのなら、原因は挨拶の内容にしかない。どちらかが喧嘩を吹っかけて煽ったのだろうかと、ペイスは尋ねた。
「『お互いに頑張ろう』『何かあったら助けてやるぜ』と」
最初から現場にいたシイツは、挨拶内容を要約してみせる。
若手従士達は、新しくモルテールン家に雇われ、恐らくは自分たちの部下となって働いてくれるであろう兵士候補者に対して、激励の言葉とともに挨拶をした。
そして傭兵の方は、これから新しく上役になるかもしれない若者に対して、傭兵流にごく普通の常套句を述べたのだ。
ペイスは、その内容を聞いて、少しだけ事情が見えてきた気がした。
「助けてやると言ったのは暁の方ですね?」
「ええ。その通りでさあ」
「そしたら、助けてやるとは何事かと若手が言い出した……って感じですか」
「ご名答」
「……双方の言い分、怒り方も分からなくもないですね。何となくですが」
そもそも、傭兵という意識の強い暁の始まりメンバーからしてみれば、お貴族様が自分たちを便利に使おうとしているのが当たり前。だからこそ、自分たちは足りないところを補ってやっているんだという意識を持つ。また、そうでなければ便利に使いつぶされてしまう。
あくまで補助の役割であることに徹するというのが傭兵の、分を弁えた意見でもあり、自分たちの身を守る建前でもあるのだ。
逆に言えば、最初から全て丸投げして、お任せしますなどとやられるのが一番に質が悪い。成功すれば手柄は持っていかれ、失敗すれば責任を押し付けられる。こんな事例は腐るほどあるわけで、予防線という意味でも、あくまで自分たちは助けてやっているんだ、主体はそちらにあるのだと、最初の挨拶でアピールしておくのは当然といえば当然である。
そっちが主役で俺たちは脇役に徹するという宣言。傭兵の常套句とはそういうことだろう。
対し、若手たちは新しい兵士として迎え入れた。だからこそ一緒にやっていこうじゃないかと手を差し伸べた形になる。これから共に戦う同胞として迎え入れる最初の儀式が挨拶なのだ。戦場においては同じ旗の下、生死と背中を預ける間柄になろうという関係。自分たちの実力に誇りを持ち、モルテールン家の精鋭であるという自負を持つものとして、新たな同士に対しても、出来得るならば自分たちと同じような誇らしさを感じて欲しいと願う。これもまた至極当然の発想だろう。
一緒にやろう。君たちも主役なんだよという挨拶。従士にとっては善意の塊だ。
しかし、互いに互いの立場に立ってみれば、これはもうお互いに喧嘩を売っているようにしか聞こえない。
傭兵としての意識から、自分たちは補助戦力でなくてはならないと戒める人間にとって、従士と同じものを求められるのは不満しかない。臨時の派遣社員やアルバイトに対して、正社員と同じ意識の高さや責任感を求めるようなもの。何を言ってるんだと馬鹿にしたくもなるだろう。
しかし一方、将来は自分たちと同じように正社員になって欲しいと思っている人間にしてみれば、より高い意識を持って、責任感を持ってほしいと考えるのは当たり前。そんな責任なんて御免被ると言わんばかりの態度をされれば、何だこいつらはと憤りも覚えるだろう。
暁の連中からしてみれば若手の連中は世間知らずの意見に聞こえ、若手の連中からしてみれば暁メンバーの意見は当事者意識のない無責任な意見に聞こえる。
売り言葉に買い言葉があるが如く、初っ端の挨拶がこじれた結果、いつの間にか罵声の応酬になってしまったという。
「貴方が居て、止められなかったのですか?」
ペイスは、やれやれとばかりに溜息をついた。
こんなボタンの掛け違いは、仲裁する人間が居ればそもそも起きなかったはずのことだ。そんなことぐらいは、シイツであれば分かりそうなものだという溜息である。
「俺が? いやいや、俺が出しゃばると余計に拗れるってもんで。俺は元暁ですぜ? 若手かりゃすりゃあ、暁の肩を持つように見えるし、暁の連中からすりゃ若手をかばってるように見えるってもんで」
しかし、シイツとしてもつらい立場だ。
なまじ、どちらにも近しい立場であるがゆえに、下手に仲裁をしてしまえば、どちらの陣営から見ても、相手方の仲間に見えてしまう。
そんな人間が仲裁すればどうなるか。
それこそ、若手からすれば従士長が傭兵に狎れていると感じるだろうし、暁の面々からすればシイツも所詮は貴族の手下だったかと失望を覚える。
シイツは仲裁に入らなかったのではなく、立場故に入れなかったのだ。ここには大きな違いがあると当人は主張する。
「立場的にそうなりますか……」
シイツの主張に対して、分からなくもないと理解を示すペイス。
モルテールン家のことも、暁のことも、両方詳しいシイツを案内役にしたこと。それが裏目に出てしまった形。ある意味では、ペイスの失敗ともとれる。
これは起こるべくして起きた、不幸な事故かもしれない。
「ここはやっぱり、坊の出番って話で」
シイツが言うように、この場を収められるのに最適なのはペイスだろう。どちらからも中立を保ち、今後の関係性を良好たらしめるよう仲裁するには、ある程度の話術とカリスマ性が必要。どちらも持ち合わせていて、仲裁に足る権威を持つ人物といえば、この場にはペイスしかいない。
「仕方ありませんね」
やるかたないとばかりに、再びの溜息をかみ殺したペイス。
大きく一息深呼吸の後、胸を張って腹から声を出す。
「双方!! 止め!!」
少年とは思えない大声が、訓練場に響く。
伊達に戦場を経験しているわけでは無く、空気を震わせるような衝撃と、そして誰の耳にもはっきりと聞き取れる明瞭さを持った、将としての威厳ある声だ。
戦の経験者たる傭兵はそれを聞いて即座に周囲の警戒をし、軍人教育を受けてきた若者は一斉に姿勢を正して敬礼する。
とりあえず、双方の罵声の応酬は止まった。
「話はあらかた聞きました。そのうえで、僕はこの地を預かる者として、騒乱を見過ごすわけにはいきません。お互いの言い分は喧嘩腰で話しても相手には伝わらない。一旦、この話は僕が預かります」
「はっ!!」
「けっ」
ペイスが割っていったとき、従士達ははきはきとした返事をし、傭兵たちはあからさまに不満げな態度をした。
傭兵団長のパイロンはペイスが割って入った時点で何かしら思うところがあるのか、不平を表に出すような態度ではない。
パイロンの態度には、理由がある。
本来こういった揉め事の場合、問答無用で傭兵側の過失とされる場合が多い。それは、市民権の無い人間にはそもそも裁判を受ける権利が無く、上の人間が下す判定に異を唱えることも出来ないという、弱い立場だからだ。
勿論、あからさまに不公平な判定をされ、下手をすれば仲間の生死にかかわるような場合であれば、武力をもって抵抗することも辞さないだけの覚悟はあるのだが、今回の様に双方にそれぞれ言い分があるのだとされてしまえば、弱い立場の人間を守ってくれる者はいない。
ただし、モルテールン家は違う。少なくとも、パイロンが交わした契約ではそうなっている。
ペイスと交わした約定、即ち領民や家臣と、傭兵を等しく平等に扱う約束。これがどの程度実効性があるのか、見極めようとしているのだ。
「当家では、喧嘩は両成敗が基本。しかし、双方の言い分を聞いてみないと話になりませんね。お互い、ことの起こりから、自分たちの主張をしてみてください」
傭兵の代表はパイロン。伊達に組織の長をやっているわけでは無く、理路整然と自分たちの正当性を主張してみせた。彼の意見だけを聞いていたなら、きっと第三者的には従士達が悪いと思えるような意見陳述である。
そして、従士の代表はプローホルだった。首席卒業の金看板に偽りなく、自分たちが何を考え、どういう態度が不満であったのかを滔々と語って見せた。
これもまた、プローホルの意見だけを聞いた人間がいたなら、傭兵はなんて粗雑なんだと憤るような弁舌である。
「双方の言い分は良く分かりました」
利害関係者から直接意見を聞く。真っ当な反論を述べる機会を与えられるだけでも傭兵たちにとっては驚きであった。
そして、更に驚きは続く。
「どちらも一理あり、今回はどちらにも罪なしとします」
喧嘩をしたにもかかわらず、お咎めなしの裁定。てっきり軽い罰ぐらいはあり得ると思っていた傭兵たちは、これにも驚いた。
「ただし、両方に対して僕から一言づつ。まず若手諸君。貴方方は、治安を守り、騒乱を鎮める立場にあります。如何に不満を感じたからとはいえ、法を犯したわけでもない相手と、職務中に喧嘩をするなど言語道断です。大いに反省するように」
「はい」
「そして暁の皆さん。ここはモルテールンです。今までどういった立場で雇われていたのかは知りませんが、当家に雇われた以上、当家の流儀に従ってもらいます。その点でいえば、当家は従士だからといって威張るような者を許さないと同時に、傭兵だからという理由で甘える人間を許しません。今後、貴方方の背中には、守るべき民があると重々自覚しておくように」
「うっす」
従士には傭兵の立場を慮るよう苦言を呈し、傭兵には従士達の期待していた職責の自覚を促す。喧嘩両成敗という形で、ペイスはその場を収めた。
「あとは再発防止の対応と言うことになりますが……そもそもお互い、まだ顔を合わせてさほども時間が無い。相互理解を深める必要があるでしょう」
「相互理解?」
ペイスの言葉に、じっとその場を見ていたシイツが反応する。
彼の少年が、穏便にことを終わらせた後に、一言二言呟く。どうにも、嫌な予感がしてくるではないか。
「そうです。どちらにも立場があり、言い分がある。今まで過ごしてきた環境も違えば、常識も違う。そこを埋めるためにも、お互いの歩み寄りが必要でしょう」
「こいつらが悪いんじゃね?」
「何!?」
「だから、それをやめなさいと言っています」
「しかし……」
ペイスが仲裁し、一応は収まったはずの両者であるが、火種の燻りが残っている様子がうかがえる。このまま放置は下策であるが、時間が解決するものでも無いとペイスは判断した。
「こうなっては仕方ありません。強硬手段を取りましょう」
「坊、嫌な予感がするんですが?」
ペイスがとても素敵な笑顔を見せ始めた。
長い付き合いのシイツや、それなりにペイスのことを知っている従士達には嫌な予感、いや、嫌な思い出がありありと思い浮かぶ。
事ここに至って、暴走機関車を止めるすべはないと、シイツ辺りは盛大に溜息をついた。
「両者に言い分のある喧嘩です。ここは両成敗といきましょう」
「両成敗?」
「お互いがお互いを嫌悪しあっている状況。無理やりにでも協力せざるを得ない状況に、叩き込みます。過酷な試練を課すことになるでしょう」
「具体的には?」
どうせ碌な事じゃねえだろうと、誰もが思う中、ペイスは呟く。
「……魔の森に遠征でもしますか」
北の森は、不気味に光を飲み込んでいた。