255話 傭兵の招聘
ある晴れた日のこと。モルテールン領ザースデンに来客があった。
それも、一人二人の少人数ではない。二百人を超える集団だ。しかも、その大多数が武装しており、如何にも物騒で剣呑な雰囲気を醸し出す連中ばかり。
すわ、盗賊かと勘違いしてしまいそうだが、彼らの大半は傭兵。
その代表者が、モルテールン領の領主館を訪れていた。
くすんだ茶髪にも見える金髪をしていて、体つきは筋肉質。身の丈190センチはあろうかという大男であるが、目つきは理知的であり居住まいは礼儀を身に着けたもの独特の大人しさを体現している。
総じての印象を語るなら、お行儀のいい大型犬といった感じだろうか。
「よく決心してくれました。歓迎しますよ」
ゴールデンレトリーバーのような男を迎え入れるのは、領主館の当主不在を預かるペイス。
愛らしささえある満面の笑みで客を迎え入れる。
「ペイストリー=モルテールン卿のお噂はかねがね伺っております。お会いできて光栄であります」
貴族の屋敷に招かれること自体慣れている風な大男は、軽く腰を折りつつも右手を左胸に当てて跪く。非貴族階級の人間が、貴族階級の人間に向けて行う最上の礼。
この洗練された所作一つとっても、大男がタダ者でないことが分かろうものだ。
「僕のことを知っていてくれているようなので自己紹介はしませんが、どうぞよろしく。えっと……」
「暁の始まり第六代団長パイロンであります閣下」
傭兵団“暁の始まり“の団長と名乗った男は、ペイスに対して慇懃な姿勢を崩さない。
この礼儀正しい丈夫こそ、モルテールン家が総意で勧誘していた傭兵団のまとめ役である。
「閣下はよしてください。爵位が有るのは父ですから、僕は貴族号こそ有れ、無位無官です」
あえて、なのだろう。跪いている男に自分も同じようにしゃがんで手を取り、立ち上がらせるペイス。
実際、ペイスが社交の場に出るなら無位無官であることは事実。ただし、社交の場では親の一位階下の立場に準じて扱われるため、準男爵くらいの格は持っているのだ。それに、もしも当人が望んでいたなら、独自の爵位を手にする機会もあった。東部で幾つかの爵位が新設された時などがそれで、ペイスが意思表示さえしていれば、爵位の一つや二つは貰えるだけの手柄を立てている。貴族社会では有名な話であり、こと男爵位程度であれば、ペイスを格下扱いする貴族の方が珍しい。子爵位の人間さえ、ペイスに対して同等の扱いをすることがあるほどだ。
つまり、無位無官というのは建前に近い。
そんなことはペイス自身も承知のはずなのだが、あくまで同じ立場だから気楽にして欲しいとペイスはパイロンをもてなす。
「無位無官ってこたあねえでしょう。領主代行って肩書がありますぜ」
そんな見え見えの態度を取るペイスを茶化すのは、従士長の仕事である。
揶揄いながらも、場の雰囲気を和らげるのに一役買っているわけで、これこそ長年培ってきた阿吽の呼吸というものだ。
「そうでしたっけ。何にせよ、僕にことさら堅苦しい口調をする必要はありません。仕事をこなし、命令系統を遵守してくれるのであれば、細かい礼儀作法は問わないのが当家の流儀ですから」
重ねて、ペイスの口から礼儀作法を問わないと断言する。
元より傭兵紛いの騎士崩れが家を興して成り上がったのがモルテールン家。礼儀作法よりも実利実益、肩書よりは当人の人柄、地位や立場よりも本人の実力を重視するのが家の方針。家風である。
それを体現するかの如く、シイツはペイスをぞんざいに扱いながら、パイロンに対してニカリと笑いかけた。
「そうそう。俺を見てりゃ分かるだろ、パー坊」
そして一言。どこまで行っても揶揄い口調である。シイツの言葉に、パイロンは苦笑いだ。
「シイツ兄さん、パー坊はよして下せえ。これでも暁の頭張ってるんですぜ? 他の連中に示しってもんがあるでしょうが」
ここまでくれば、パイロンとしても堅苦しい取り繕った会話は無理だ。
元より、パイロンとシイツは顔見知り。それも、幼い時からの知り合いなわけで、肩ひじ張った会話は長続きするはずもないのだ。姿勢を崩したパイロンが、シイツの揶揄いに頭をかく。
「しばらく見ねえうちに、いいおっさんになっちまって。昔は俺の後ろをチョコチョコついてくるクソガキだったくせによ」
暁の始まりには、元孤児の人間も多い。それどころか、現在進行形で孤児だという子供も何人か面倒を見ている。
これは創立当初からの伝統であり、昔からのやり方。当然、シイツが幼い時もそうだった。暁に拾われ、そこで兄貴分の先輩たちに面倒を見てもらい、長じてくれば自分が弟分たちの面倒を見るようになる。
そうやって可愛がっていたシイツの弟分の一人が、今の六代目団長パイロン。歴史の重みと時間の流れを感じる話だ。
「二十年も三十年も昔の話じゃねえですか。俺がまだ聖別前の話じゃ?」
ペイスが用意したお茶とお菓子を楽しみながら、最早遠慮もなくなったパイロンとシイツ。大昔の話を持ち出されてしまえば、懐かしさが溢れてくるではないか。
シイツがまだ青年、いや少年とも呼べる年で、パイロンが聖別前の子供だった時。それは、世間一般では一昔前と呼ばれる程度には古い話になる。
「あの時の坊主が今や暁の団長たあねえ。時が流れるのは早えこと」
「それを言うなら兄さんも、結婚して子供までこさえたって話でしょうが」
「おうよ」
自慢げにしているシイツではあるが、パイロンからすればこれこそ時の流れの凄さを感じさせる出来事である。万の敵を前にしてもビビるようなパイロンではないが、シイツに子供が出来たからと言われた時は本気でビビった。自分でも何に驚いたのか分からないぐらい、狼狽えたのだ。
絶対に変わらないと思っていたものが、変わってしまったことに驚いたのか、或いは、自分の中で強固に保ってきた兄貴像が根底から崩れてしまうことへの戸惑いだったのか。
とにかく、赤銅の二つ名を持ち、近隣にもその名を知られたパイロン団長ともあろう人間が、シイツの結婚と子供誕生の報せを聞いた時には右往左往したのは事実。
「兄さんのことを知ってる連中は、全員耳を疑いやしたぜ? あの千里神眼のシイツが所帯を持ったって」
正直、今でも信じられない気持ちがある。こうして本人の口から断言されたとしても、あのシイツが、という思いは拭えない。
「おい、その千里なんちゃらってのは止めろ」
そんなパイロンの軽口を、シイツは嗜める。
かつての若かりし頃。十代の物知らずだったころにつけた“千里神眼”の異名は、子供も出来たようないい歳こいたおっさんにしてみれば若気の至りでしかない。他の、見も知らない人間から言われるならまだ聞き流せる。しかし、昔からの弟分に言われると、どうにも昔の古傷を抉られるような心地になるのだ。
「え? でも、覗き屋って二つ名が嫌だからってぇ兄さんが自分で言い出したんじゃ……」
「いいから止めろってんだよ。これからはお前ら、うちに雇われることになるんだ。シイツ従士長様と崇め奉れ」
そう。ここにパイロンが居るのは、何も昔話で駄弁る為ではない。
シイツの熱心な勧誘により、ついに暁の始まりがモルテールン家に雇われることになったのだ。今日はその契約と条件詰めの為に居る。
「へいへい、シイツ従士長様様。それで、俺らの契約の詳細を確認していいですかい? 一応覚書は交わしてますが、正式に契約しておきたいもんで」
パイロンも、暁の始まりという傭兵団を率いる身。二百人からの大所帯を抱える組織のトップとして、契約ごとに手は抜けない。たとえ相手が昔世話になった兄貴分で、身内ともいえる人間だったとしても。
女子供を含め、生活を維持させるだけの稼ぎを得る。それが団長たるものの務めであり、暁の六代目の仕事なのだ。
こうなると、ことはモルテールン家と傭兵団のトップ同士の会談となる。つまり、領主代行のペイスとの会談ということ。
「勿論構いません。細かい数字は好きに確認してもらって構いませんが、大きく三つの契約事項ですね。確認してもらっていいですか?」
「へい」
仕事となると、従士長として補佐役に徹するシイツ。ペイスに差し出されたのは、契約条件をまとめた木札と、正式な契約内容を記した羊皮紙だ。
パイロンとしても、契約内容に落とし穴が無いか、入念にチェックする場面である。
「一つ、暁のはじまり所属のうち、店舗経営等の非戦闘部門を除く、総勢二百十五名をモルテールン家で雇用する。雇用期間は五年で、お互いの内どちらかが言い出さない限り契約は自動延長される。延長期間は五年。契約破棄の場合は五年ごとの契約満了をもって行い、中途破棄は言い出した側が違約金を払う。契約についての細かい数字の変更も、更新のタイミングで話し合う」
「ええ」
まず最初の条件としては、契約の対等性。
貴族側がよく求めるのは、契約の継続自体は自動で行い、契約期間も長期間でありながら、契約の破棄については貴族側の意思のみで行うというもの。
強力な戦力である傭兵団を自分の支配下にとどめておきたい。しかし、都合が悪くなった時には切り捨てられるようにしておきたい。
そんな勝手な意図がにじみ出るような話だが、こういう契約をしたがる貴族は本当に多いのだ。
それに比べると、モルテールン家との契約は実に公平である。雇用期間も短すぎず、長すぎず。契約破棄についてのタイミングも更新の時のみと明確で、しかも契約破棄の権利が両方にあるというのも素晴らしいし、破棄時のペナルティが双方に課せられているのも良い条件だ。
パイロンとしては、文句などあるはずもない。
「一つ、給金とは別に、訓練や戦闘時の費用をモルテールン家が負担する。ただし、使途に関しては適時監査を受けること」
「それも問題ねえ」
金に関しても、揉めやすい部分だ。
良くあるのが、給金は弾むと言って実際に払うものの、食費やら住居費やら武装費用やらを全部傭兵団の自腹にさせる契約。
平時であればまだマシだろうが、実際に有事となれば、物資の消耗は著しいことになる。略奪やら何やらが許されていればまだしも、規律を重視する暁の始まりからすれば何から何まで自腹というのは手痛い。特に、武器や防具の消耗については、結構な金がかかる。
多少給金を弾んでもらったとしても、戦闘が何度かあれば赤字になってしまう、というようなケースも少なくない。
だからこそ世の戦争では略奪が横行するという事情もあるのだが、元々がそういった兵士の乱暴狼藉から身内を守る為に集った傭兵団としては、やらずに済む方が望ましい。
その点、モルテールン家の条件は金銭的な面でいえば破格と言える。前もって事前交渉してある給金だけでも相当な額であるが、必要経費をモルテールン家に請求できるというのが素晴らしい。これで心置きなく戦えるわけだし、訓練する時に防具が凹むからと生身でやって怪我をすることもない。
監査というのが多少引っかかるが、モルテールン家側としては本来違った用途に経費を流用されても困るという事情もあり、パイロンも文句を言わずに受け入れた。
「一つ、雇用期間中は、傭兵団の人員にモルテールン領の市民権を付与するものとする」
「良いねえ。そんな条件は初めてだ」
そして何より破格な条件なのがこの市民権。
傭兵というのは、戦場を渡り歩くもの。自然、家と呼べるものを持つことは珍しくなる。行商人などと同じく、土地から土地に転々とするわけであり、身分保障をしてくれる人間は居ない。
地元の人間であれば、領主が平民としての身分を保証する代わりに税を徴収するわけだが、傭兵は移動するから税と言っても関所の関税ぐらいなもの。
税金を払わない人間を、貴族は守ってはくれない。傭兵が揉め事を犯した時、いざ裁判となったなら市民権の無い人間は一方的に抗弁することなく罪を負う。
或いは、例えば財産を盗まれたと訴え出たところで、そもそも財産権自体を認めてくれず、まともに扱ってくれない。路傍に落ちている石ころと同じ扱いにされてしまうのだ。
無論、誰かに雇われている間はそれ相応に雇い主に対して訴え出ることは出来る。
しかし、どんな貴族であっても、税金を払ってくれる領民と、臨時雇いの傭兵であれば、領民の方を守るだろう。
モルテールン家との契約では、裁判権についても財産権についても、モルテールン領民と同等として扱うと明記されている。これは、根無し草を常とする傭兵としてはとてもありがたい。
不当に扱われることなく、当たり前のことを当たり前に守ってもらえるというだけでも、傭兵としては相当に好待遇ではないか。
「基本的に、領民と同等に扱い、権利は当家の名の元に保護されます。当然、果たすべき義務も領民と同等ですが、戦闘を専門とする専門職扱いとし、有事に際して当家の指揮下に置かれることを義務とする代わりに、納税や労役の義務は免除します。ま、当家雇われの兵士ってことですね」
「厚遇してもらい、ありがたい限りでさあ」
細かい数字なども見回して、特に問題ないとサインしたパイロン。これで、契約上は最低でも五年、暁の団員はモルテールン家の雇用兵となる。
モルテールン家としても、行く行くは期間ごとの定期雇用でなく、常時採用の兵士として雇っていきたい方針ではあるのだが、如何せんお互いにまだ信頼の構築が不十分。これから時間を掛けて信用を積み重ねていかねばならないのだろう。
「さて、当家の兵となったからには、当家の事情も話しておきましょう。貴方方を雇った理由ですね」
「お願いしやす」
「現状、当家は危機にあります。経済的に急速に豊かになる一方で、軍備がそれに全然追いついていない。古い錠前しかないボロ屋に、大金が置いてあるような状況です。少なくとも、見張りぐらいはまともにしておきたいと思っています」
かつてはボロ屋に端金しかなかったから泥棒もわざわざ来なかった。ボロ屋に大金が有れば、それはもう変な連中が襲ってくる確率は跳ね上がる。この確率は、今後上がることはあっても下がることは無い。
だからこそ、少なくとも見張りを付け、ボロ屋を改修し、新規建て直しを図っていかねばならないのだ。
「俺らが見張りってことで?」
「そうなりますね。最前線で危険なこともやらせるかもしれませんが、決して軽んじるつもりはありません。働きには正当な報酬で報います。それに、当家では従士長がシイツです。他所で雇われるより、はるかに風通しが良いと断言しておきます」
常時雇用の兵士が欲しい理由は、領民を徴兵できないタイミングでも使いたいから。農繁期や夜間といったタイミングで、自由に動かせる兵力があるというのはとてもありがたい。だからこそ、手間をかける分働きには大いに報いる所存。
そういう気持ちを隠さず伝えたペイスは、窓口をシイツに一本化することにすると伝えた。下手に格式張って貴族であるペイスとやり取りするよりは、昔馴染みの人間を通じた方がコミュニケーションも円滑に進むだろうという配慮だ。
もっとも、円滑すぎるのも問題があるようで。
「風通しは良いが、嫁さんは隠さねえとな」
ケラケラと笑ったパイロンの言葉は、多分にシイツを揶揄うものだった。
女癖の悪さが特に有名だったシイツを当てこすって、嫁を隠せとのたまったのだ。
「パー坊、お前表出ろや!!」
シイツとパイロンが、二十年以上のブランクを感じさせない掛け合いを始めるに至り、ペイスは今回の施策の成功を確信する。
モルテールン家は精鋭主義。だからこそ数を増やすときも安易な水増しを望まない。暁の始まりという歴戦の傭兵団がこの調子でモルテールン家に親しんでくれれば、いずれは精強な常備軍の創設も視野に入る。
そうすれば、夜警領地からの脱皮も目前だ。
「シイツ。表へ出て何かするというのなら、その前に訓練場として使っている場所に案内して下さい。今日はそれで解散で良いでしょう。明日以降、運用体系について話しますので」
仲のいいやり取りをしている二人に対し、ペイスは早速指示を飛ばす。
まずは、目ぼしい施設の案内からだ。
「分かりました。じゃ、兄さん、頼んます」
「仕方ねえな。おう、こっちだ」
颯爽と前を行くシイツの後を、当然のようについていくパイロン。何十年とたっていようと、やはり幼い頃の記憶がそうさせるのか。二人の立ち位置は、極自然に決まっているようだった。
そんな二人を見送り、さて仕事の続きをしますかと気合を入れなおしたペイス。次の仕事はと目を向ければ、住民の家を強引に立ち退かせた商会についての訴えがあった。裁判の最終判決も仕事の内と、訴状に書かれている内容を読み始める。代訴人の仰々しい文書を見るだけでも疲れるが、サボるわけにもいかないと黙々と仕事をこなす。
二つほど、仕事を片付けたところ。やる気に満ちていたペイスの元に、やけに慌てたアーラッチが駆け込んでくる。若手の一人で、今日は訓練場にいたはずの人物だ。
「若様!!」
「どうしました?」
血相を変えた部下の態度に、慌てることなく何があったか尋ねるペイス。
深呼吸で息を整えたアーラッチは、一旦息を吸うと大きな声で報告する。
「暁の連中が、暴力沙汰です!!」