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おかしな転生  作者: 古流 望
26章 ドラゴンはフルーツがお好き
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251話 洗濯日和の四方山話

 白下月にもなると、世間一般では冬支度を始める。

 薪を備蓄し、保存食を用意し、家屋敷の補修を行い、家畜を選別するシーズン。

 モルテールン領でもこの時期は冬支度に忙しい時期であるのだが、元より南の暖かい地域にあるモルテールン領では過ごしやすい時期でもある。

 勿論、寒暖の差の激しい乾燥地域であるがゆえに、季節の冷え込みが厳しくなるもの。

 しかし今年は、いつもの年とは毛色が違った。特に、家庭を支える主婦にとっては。


 「今日は晴れそうかな?」

 「大丈夫だってさ。急いで洗濯物を干さないと」


 去年までのモルテールン領であれば、白下月には雨は降らない。本当に一滴たりとも降らない時期であった。

 しかし、今年は月が替わって以降、何度となく雨が降ってきている。湿度も高くなり、冬になるにも関わらず、夜でも暖かいと感じる日が続いている。

 巷の噂では、領主家の跡取りがおかしなことをやり、(まじな)いのようなことをして雨が降るようになったと言われていた。

 下がらない気温に蒸し暑い日々。冬でも増える発汗と洗濯物。そして月に何度も降る雨。

 この環境に慣れない主婦たちは、実にてんやわんや。特に不慣れな雨が困る。折角洗って干していた洗濯物も泥が跳ねて洗い直しになる上、乾かない洗濯物が溜まる一方。世の奥様方は、家事の手間が増える雨の日が好ましくない。

 元より服など着古すまで着倒すのが平民である。服の替えも碌に無く、かといって、洗いもしないで着続けた服や、生乾きの服となると臭いが酷いことになるわけで、中には裸で過ごす羽目になる者も出る始末。

 特に、赤ん坊のオシメは大変だ。大人の服なら多少不潔になろうと着っぱなしが出来るが、赤ん坊のシモの世話は着けっぱなしなど論外のこと。紙おむつなど無いわけで、オムツは基本的に布おむつである。汚れるたびに洗わねばならない布のオシメ。大量に替えを用意していたとしても、雨が続けばあっという間に足りなくなる。

 やむなく旦那の古着をオシメにしたところ、今度は旦那が着ていく服が無くなって、トップレス状態で仕事に行く羽目になった、などという笑い話があるほどだ。

 つい最近モルテールン支店を開設した、衣料品を扱うホーウェン商会などは、布製品の特需によって、開設早々で王都本店並みの売り上げを叩き出したほどである。


 「こうも量が多いと、井戸は混んでるだろうね」


 主婦の一人がぼやく。

 基本的に、洗濯物は奇麗な水でやるもの。誰だって、下水の流れているところで洗濯しようとは思わない。

 モルテールン領では今まではずっと、上水といえば井戸であった。水の管理が徹底的に為されていたため、洗濯場もここと決められた場所で、決められた時間にしなくてはならなかった。

 だからこそ、年配の主婦は、どうしても洗濯といえば井戸に行かねばならないと考える。


 「用水路を使えば良いじゃないのさ。最近はいつでも水を流してるって話よ」


 若い主婦は、先輩主婦に用水路を使えば良いという。

 これも、ごく最近の政策の一つ。

 貯水池から常時上水を引き、生活用水として利用したのち、排水を田畑(でんぱた)に流用するという水のサイクルを、試し始めたのだ。

 元々農業用水を意図して作られた貯水池であり、生活用水の利用としては限定的であったものが、試験的に解放されている。

 このまま貯水に苦労することが無くなれば、用水路はそのまま生活河川とし、使い方が変わる。使っていい日時を指定されていたやり方から、使ってはいけないタイミングのみを規制するやり方に変わるのだ。

 基本的にはいつでも綺麗な水が使える。洗濯でも使いたい放題となれば、主婦にとっては朗報であろう。


 「水が好きなだけ使えるってのは、贅沢な話だ。さすがはご領主様」


 自分たちの生活が、年を追うごとに豊かで便利になっている実感のある者たちは、今の暮らしに何の不満も持たない。精々、旦那の稼ぎが悪いであるとか、姑が口やかましいとか、子供が言うことを聞かないといった程度の話。政治が悪いなどとは欠片も思わない。

 その点でいえば、モルテールン家は善政を敷いているということになるのだろう。

 他所の領地の噂にも何ら規制をしていないモルテールン領では、他領の話も漏れ聞こえる。例えば、どこそこでは新しく独身税が課せられるようになっただとか、あそこでは領主が領民を奴隷のように働かせているだとか。何がしの所からは人が逃げ出しているらしいとか。

 他家のスパイも横行しているモルテールン領では、想像以上に詳細な内部事情までうわさが流れている。誰の思惑で為されているかは言わずもがな。


 「違いないね。そういえばドロバの奥さん、洗濯の為に傭兵を雇ったらしいのよ」

 「洗濯に?」

 「そう。あそこ小さい子供も居るじゃない。洗い物が大変だってぼやいたら、旦那さんが人を雇ってきたらしいの。仕事でも洗濯をしてる経験者だってことで雇ったそうなのだけれど、それが傭兵だったって話よ」

 「へえ、そうなの」


 他家の人間を好き放題させているモルテールン領には、働き口や雇い主を求める人間も大勢やって来る。

 特に多いのが商人と傭兵。

 商人は、金の有る所、人の居る所には敏感に反応する生き物なので、当然ながらモルテールン領にもやって来る。遠くの領地から、珍しいものをもってきて大儲けしようとおもっていたら、他所の商人が同じものを持ってきていた、などという話があるほどには、色々なところから色々な商人がやってきている。王都、ナイリエ、レーテシュバルあたりに次いで、モルテールン領ザースデンは交易都市の様相を呈してきた。

 勿論、他所からの産品だけがザースデンの特徴ではない。何よりもザースデンで商人たちが買いたがるのは、砂糖。そしてその加工品であるお菓子だ。

 砂糖菓子は、そもそも日持ちがするため交易品として向いている。砂糖そのものも、最近では美食が富裕層の嗜みとなりつつあることに伴って需要が高まっていて、どこに持っていくにしろそこそこいい値段で売れるのだ。

 生産地であるモルテールン領で砂糖を買い付け、或いはお菓子を買い込み、他所の土地に持って行って売る。

 これが本当に儲かるのだ。


 そして、商人が集まるということは、付随して傭兵も集まることを意味する。

 商人などというものは、運ぶものも価値のあるものであるし、何より金を持っている。少なくとも世間一般ではそういうイメージがあるわけで、そんな連中が丸腰で街道を行けば、まず間違いなく盗賊の餌食だ。

 丸々太って美味しそうな豚が、腹をすかせた狼の目の前で昼寝をする状況に近い。食べてくださいと言わんばかりの態度であろう。

 故に、商人は護衛を雇う。護衛として、武力を持った荒事専門の人間を雇用するわけだ。

 大きな商会ともなれば保有している常時雇いの連中も居るが、中小規模、或いは零細の行商人辺りは臨時雇いの傭兵を頼む。

 臨時雇いの人間などというのはとにかくすぐにクビにされる。理由は様々あるが、片道で信用できなかったから、往路はともかく帰路は別に雇う、などというのはごく一般的な理由。

 或いは、モルテールン領が単なる中継地であって、Aという地点からモルテールンまでは雇っていたが、これからBという地点に行くために、Aに戻りたがる傭兵はお役御免、などというケースもある。この場合などは、傭兵の方から帰路について都合の好さそうな商人を探して、自分を売り込む。

 臨時で雇われてモルテールンにやって来た傭兵。これが、都合よくすぐに次の仕事を見つけられれば何の問題も無いのだが、中には仕事も無い状態で長期滞在を強いられるものも出てくる。予定していた働き口がふいになり、想定外の失業などというのも珍しくない。

 糊口をしのぐため、傭兵稼業に理解のあるモルテールン家を頼むものも居るわけだが、モルテールン家としてみれば、傭兵を傭兵として使わねばならない決まりはないわけで、単なる労働者として仕事を斡旋することもままある。

 雨が降るようになった環境に慣れず、大量の洗濯物を抱えてしまい困っている主婦が居て、仕事が無いから適当な仕事をくれという傭兵が居る。

 傭兵を洗濯屋として、仕事を紹介するなどは、ペイスのような柔軟な思考の持ち主なら当たり前の話なのだ。むしろ、傭兵を遊ばせたうえに困りごとが解決しない方が問題だろうと考える。他所の土地ではありえないことではあるが、モルテールン領では常識などという言葉は既に形骸化して久しい。

 人相も悪い、態度も荒い、しかも物騒な武器をぶら下げた人間が、洗濯籠の洗い物を持って川に洗濯に行く。剣と鎧を身に着けながら、背中を丸めてチマチマと洗い物。実にシュールな光景であり、元傭兵のシイツ従士長あたりは苦笑いしっぱなしだが、ペイス辺りはにこにこ笑顔で見守っている。


 「大の男が、一生懸命水辺の傍にしゃがんで洗い物してるのよ。あたしそれみてびっくりしちゃってさ」

 「そりゃ驚くわ。コアンさんも、もう少し普通の人雇えばいいのに」

 「お偉いさんが変なことをするのは、前々からじゃないか。家事のことに気を使ってくれるだけ良い旦那だよ。それに比べてうちの旦那は……」


 主婦にとって、旦那への不満などというものは掃いて捨てるほどあるもの。旦那の愚痴を言い出すと、主婦たちの会話も弾みが付きだす。


 「おたくの旦那はもう出かけたのかい?」

 「ああ。今ごろは泥だらけになってる頃だろうね」


 更に洗濯需要を高めているのは、モルテールン家によって行われている公共事業だ。盛んに雨が降るようになったことで、領内の用水路では貯水量や流水量を溢れさせてしまう事態に陥り、砂漠に片足を突っ込んでいたモルテールン領で、ついに大規模河川が整備されることになったのだ。

 計画を立ち上げた際、カセロールやシイツが涙ぐんだほどに、モルテールン領では強く待ち望まれていた。

 モルテールン領の南北をドンと貫きつつ、東西にも支流を巡らせる人工河川。貯水池からの連結も行われる計画であり、延伸の後に、北にある魔の森に流れる自然河川まで繋げる計画である。

 そんな大それた計画を、庶民は“何となく凄いことをやるみたい”で済ませてしまう辺りが、モルテールンの人たちの素晴らしさだ。

 今日も今日とて、どでかい工事を脇目に洗濯場へとやって来る主婦たち。


 「さあ、さっさと洗っちまおうか」

 「ホント、今日はいい天気だね」


 洗濯場での洗い物は、性格がでる。

 毎日やっていることだからととにかく効率優先で荒っぽい人も居れば、毎日のことであっても丁寧に洗う人も居る。

 総じて言えるのは、女性たちが一か所に集まれば姦しいということだ。


 「どうして洗濯ものが増えるのかね」

 「汚すやつらが居るからね。あんたのところは娘だから良いじゃないか。うちは息子が三人だよ。もういっそ裸で過ごさせてやろうかって思うぐらい汚すんだから」


 大して目新しい話題が有るわけでは無いが、やはり子供の話題は多い。洗濯物を汚す主犯といえば、一に子供、二に子供。三四が無くて五に旦那である。

 小さい子供が居る家ともなれば、食べ物はこぼす、地面は這い回る、何でも手に持つ、口にする。それはもう、汚すなというのが無理な話なのだ。

 だから洗い物も多くなる。それは仕方がない。仕方がないにしても、愚痴は出る。


 「娘も大変よ。ほら、服のお店が出来たからって、綺麗な服を着てる人が増えたじゃない。それを見かけるたびに欲しがるんだから」


 小さい子も大変だが、ある程度大きくなった子供も大変だ。

 何でもかんでも口にすることは無くなる代わりに、何でもかんでも口を挟む。少しは静かにしていられないのかと辟易するぐらいには賑やかになる。

 男の子の武器への情熱、女の子のお洒落への熱意は、同等程度に親を悩ませるものだ。

 とりわけ、ここ最近は王都にも店を構えるような流行に敏感な商会が、モルテールン領にも出店してきている。

 今、プロの技で染め抜かれた色鮮やかな布地が織りなす輝かんばかりの装いに、モルテールン娘たちはメロメロの虜なのだ。

 あれ買って、これ買って、それ欲しい。欲求には際限がない。なまじ、好景気故に懐が温かくなっている家が増えたものだから、あそこの子は買ってもらってた、などと言われれば親としても葛藤せざるを得ない。


 「子供はすぐに大きくなるからね」

 「娘ならすぐに嫁に行くさ」


 いくつになろうと、子育ての大変さに終わりはない。

 早く嫁に行けば楽になるのにと、母親たちは笑う。


 「そうそう。大きくなるって言えば、ジョゼフィーネお嬢様の話、聞いたかい?」

 「ああ、ついに旦那さんのところに行ったって話だろ。あのお転婆だったお嬢様が、人妻だからね。ホント子供が大きくなるのはあっという間だね」


 モルテールン領の主婦たちは、朝から元気いっぱいだった。


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表紙絵
― 新着の感想 ―
[一言] 若干疑問なのが少なからず魔法使いがいて魔道具的な何かがないのは如何に
2021/04/03 11:27 退会済み
管理
[一言] 年収600万超えの足の臭いしんちゃんの パパでさえ、安月給の解消無しと言われる 世知辛い世の中である、、、、、、。
[一言] いやあ、平和ですなあ(10年前と比べて大きく変わった地形を忘れつつ
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