249話 ペイス奇行
「坊の頭がおかしくなった?」
モルテールンの執務室で、従士長シイツは部下の報告を聞いていた。
報告してきたのは財政担当官という名の金庫番ニコロ。彼は仕事柄屋敷にいることが多く、基本的にはインドアな為にシイツと顔を合わせる機会も多い。
それがわざわざタイミングを見計らうようにして報告に来たのは、内容が内容だったからだ。
ペイスがおかしくなった。
この報告、ともすれば主君筋への批判ともとれる。部下の統制が厳しい家であれば、即刻処罰の対象になるような発言である。何せ、次期領主の悪口ともとれる発言を、誣告しているようなものなのだから。
幾らモルテールン家がその手の上下関係に緩いとは言っても、常識で考えて当人が居る場所では出来ない。それ故、執務室の主が居ない瞬間をずっと狙っていたのだ。
「いえ、そういう噂が流れていると……」
「なら大丈夫だ。坊の頭がおかしいのは生まれた時からだしよ」
「え?」
しかし、ニコロの心遣いはそもそも不要とシイツは切って捨てる。元より、従士長自身が主君たるカセロールや、その息子であるペイスについて散々こき下ろしているのだ。忠誠心が本物であれば、多少の軽口や皮肉で罰するような狭量さとは縁遠い家がモルテールン家である。
「俺や大将がよ、考えに考えて悩み続けてたことを、あっさり解決された時、そういう結論になったんだよ。坊の考えを、全部理解しようってのが土台無理な話だな」
「はあ」
ペイスの頭がおかしくなったかもしれない。というのであれば、そもそも生まれた時から既におかしい。少なくとも物心ついて喋るようになって以降、一度でもペイスの頭が“普通”になった瞬間があっただろうか。いや、無い。
少なくともシイツが知る限り、こいつ頭大丈夫かと心配したことは数あれど、普通であった時など一度もない。口を開けば非常識、姿を消せばお菓子作り、トラブル有る所には常に存在し、人の想像の二枚も三枚も上をスキップするのがペイストリー=ミル=モルテールンである。
「長い時間を掛けて、大の大人が揃って議論して、結果が出てからようやく意図が分かった……ってこともザラなんだよ。ありゃ、もうそういう生き物だと思え。まともに悩むと禿げるぞ」
世の中、ストレスを溜めると禿げるという。別に医学的な根拠が何かあるわけではないが、モルテールン家では、誰が言い出したのか自然とそういう常識になってしまっているのだ。心を乱すと体調不良になりやすく、体調不良は抜け毛を増やす、という理論らしい。
仮に、ペイスのやることなすこといちいち深く考え込んでいたら、頭の使い過ぎで禿げになると、従士長は断言した。
「まだ大丈夫ですよ」
「分かんねえぞ。グラスもあれで昔は髪があったからな」
「グラサージュさん、最近は特にですよね」
グラサージュは従士としては古株で、既に成人した子供が居る年。体は鍛えているとはいえ、腹も出てきたし、最近では特に頭の後退が目立っている。おでこの面積が増え、若干アルファベットのMに見えるような形になってきた。
当人もそれを気にしているのだが、ストレスの主要原因が自分の子供のやんちゃについてであることは衆目の一致するところだ。まだ記憶に新しい最近のこと、自分の子供が、領内を騒がせることになるつまみ食いをやらかしたことで、髪の毛に大ダメージがあったらしい。失った毛根は魔法でもない限り復活することは無い。
当人の嘆きの根は深い。その点、シイツは年の割に髪の毛はふさふさなので、完全に他人事だ。
「ストレスって奴だろうさ。それで、坊の話だったか?」
話が少々脱線していたことに気づいたシイツが、ニコロの話を本題に戻す。
「はい。ペイストリー様が、おかしなことを始められまして」
青年が、力強く頷く。おかしなことをやらかすのが常の人間が、更に輪をかけておかしなことをしたと彼は主張する。
「今度は何をやらかしたんだ?」
「ザースデンの広場に薪を積み上げて火を熾し、その周囲で奇妙な踊りを始めました。皆にも同じく踊るようにとのことで……広場の辺りが異様な雰囲気になってます」
キャンプファイヤーの様に煌々と火を燃え上がらせ、ボン・オ・ドーリーなる奇妙な踊りを始めたという。
盛大な音楽とともに、火の周りをぐるぐると回りながら、今まで見たこともないような、それでいて何かしらの法則性がありそうな身振りや手ぶりを行い、それを音楽に合わせる。踊りというには神王国の伝統的にはあまりに異質であり、どこか異文化を感じるダンス。
異質な踊り、奇妙な音楽、周囲への強要、独特な雰囲気、総じて怪しげな活動である。
ペイスの頭がおかしくなったとニコロが判断するには、十分すぎる状況証拠だ。
「坊は何て言ってんだ?」
「雨乞いの踊りだからと……」
「なるほどねえ。そういうことかい」
ニコロの言葉で、シイツは何となくペイスのやりたいことが、正確にはやろうとしていることが分かった。ここら辺は、長年付き合ってきた阿吽の呼吸というものもあるのだろう。
「え? どういうことか分かったんですか!!」
「だから、雨乞いなんだろ?」
「はい。そうおっしゃってます。しかし、そんな儀式で雨が降るとは思えません」
世の中に、オカルト的な迷信はありふれている。なまじ、本物の魔法という存在があるだけに、目に見えない力や因果関係を信じるオカルトはかなり根強く蔓延っている。
カビの生えたチーズを庭に植えるとパンの木が生えるであるとか、七の七倍の七倍だけ蛇を生贄に捧げれば憎い相手が病死するであるとか、昔からの民間伝承で伝わる迷信はニコロも幾つか知っている。
彼は、幸いにしてペイスの薫陶を受けた人間。迷信が如何に馬鹿らしく不合理であるかは理解していた。
しかし今回、よりにもよってペイスが迷信を率先してやらかしているように思える。これが一体何なのか。
まさか、本当に踊って雨が降るなんて思ってないでしょうねと、ニコロはシイツに詰め寄る。
「当たり前ぇだろ。火を焚いて踊って雨が降るなら、俺や大将の二十年は何だったんだってことになるだろうが。そんなもので雨が降ってたまるか!!」
ダン、と机を叩くシイツ。
かつてモルテールン領に移住したころ、水気が全く無いカラカラの領地に、何百回悩まされたことか。それこそオカルトの類まで頼って、ありとあらゆる手で水不足問題を解決しようとしてきたのだ。今更、ちょっと踊った程度で解決されては、シイツのこれまでの苦労が報われない。
「なら、無駄だと?」
「いや、雨は降る。坊が雨乞いって言ったんなら、降るんだろうよ」
だが、シイツはペイスが雨を乞うた以上、雨は降ると断言する。
ニコロにしてみれば、何を言ってるんだという心境になる。
「……矛盾してませんか?」
「してねえよ。順を追って説明してやろうか?」
「はい」
シイツだけ納得されても困る。そもそも自分が持ち込んだ話なのだから、自分も納得したいというニコロ。これは正論だろうし、心情的にも当然のことだろう。
若干もったいぶる感じで、従士長は若手の部下に言い聞かせるようにして話し出す。
「まず、そもそもモルテールン領には滅多に雨が降らないってのは知ってるな?」
「はい」
モルテールン領の降水量は、春先の数十日のみでほぼ全てだ。それ以外ではまず雨は降ることがなく、乾ききった大地の広がる土地がモルテールン領である。
「その原因は、高い山にぐるっと四方を囲まれてるからだ。風が山を越える時に雨が降っちまうから、うちは空っ風しか吹かねえ。坊の受け売りだがな」
「そうなんですか」
「そうらしい。実際、山を越えると天気が変わるってのは聞く話だし、学者にも確認したから間違いねえ。何で坊がそれを知ってるんだって話だが、それは別においておく」
「はい」
千メートル以上の山に風がぶつかり、空気が山を越える際、高度が上がるほどに空気の温度は下がり、水分は凝固し、一定のレベルを超えることで雨となる。上昇気流や低気圧で雨が発生することとよく似た原理だ。
逆に山を下る際、空気の温度は上がり、湿度は相対的に下がっていく。特にある程度未満の水分しか含まない空気が山を下りると、吹きおろしの風が高温になる現象、いわゆるフェーン現象が発生する。
モルテールンの周囲にあるような、四千メートル級の山々ともなれば、湿った空気が山脈を超えることはほぼ無い。つまり、年がら年中フェーン現象が起きている土地がモルテールン領なのだ。
山頂と平野部の寒暖差が極めて特殊な環境になる春先を除き、モルテールンに雨が降ることは無い。
代わりに、モルテールン領周辺は、極めて豊かな植生がある。山脈を超えたリプタウアー騎士領以東、レーテシュ領まで。豊かな雨量と、枯れることのない河川に恵まれた土地が続く。南部が穀倉地帯でもある所以だ。
モルテールン領で雨が降らず、その周囲の山には余計に雨が降る。これが、モルテールンを取り巻く環境であった。
今まではそうだった。
「山があるから雨が降らない。だったら山を無くせば良い……ってのは、坊の意見だ」
山があるからどうしようもないと諦める。これが普通の大人の発想。神王国人の常識。
しかし、ペイスという輩は違う。邪魔な山があるなら、無くしてしまえと考える。そして、それを実行してしまったことが非常識であろう。
「そんな馬鹿な話……」
「あり得ない話をあり得るようにして来たのが坊だ。山を削るぐらいはまだ常識的な方だろうが。慣れろ」
「はあ」
魔法使いや凄腕傭兵を一般人と呼ぶかどうかはさておいて、ごく一般的な大人であればやらないことを、散々にやらかしてきた天下の大馬鹿野郎がペイスだ。お菓子馬鹿も突き抜けてしまえば才能である。
いきなり砂糖を作ってお菓子を主要産業にすると言い出すことと、山が邪魔だから消しちゃいましょうと言い出すことと。非常識度では似たり寄ったりだ。あえて言うなら、お菓子の方が非常識だろうか。山が邪魔だよな、無けりゃ良いのにな、といった話はカセロールとシイツの間でも交わされたことがある。本気にしたことは一度たりとも無い、冗談の類ではあるが。
「つまり、北の山を綺麗さっぱり無くした現状、モルテールン全体が、魔の森と似たような気候になる……可能性がある。少なくとも、雨が降るようにはなるだろう」
モルテールンの北には、山脈を挟んで魔の森と呼ばれる特大の大森林が存在する。ここを突っ切れば神王国の西部や、或いは王都に直行することも出来なくはないが、過去に挑戦して成功した例は無い。人を飲み込み、帰すことがない。故に魔の森。
今、ペイスの手によって魔の森とモルテールン領を隔てていた山脈が無くなった。これはつまり、魔の森と同じだけの雨が、モルテールン領に降るようになることに他ならない。
「凄いじゃないですか」
「凄えんだよ。だから問題なんだ。ここで雨が降るようになりゃ、他所からすりゃどう見える? どうやって雨が降るようになったのか教えろって言いだすに決まってるし、天候不良の原因は、うちのせいにされるだろうが」
「確かに」
今まで雨が降っていなかった土地に、じゃんじゃん雨が降るようになる。こんなことは緘口令など不可能なことなので、早晩近隣に広がっていくことだろう。
ここでもし、雨が降らなくなった土地が出たらどうなるだろうか。モルテールン領とは縁も所縁もない土地であったとしても、体の良い責任転嫁先として非難の矛先が向けられることだろう。何せ、雨が降らなくなった土地と、雨が降るようになった土地の話になるのだから。幾らモルテールン家が無関係を主張しても、第三者の印象的には分が悪い。
また、何故雨が降るようになったのかも、知りたがる人間が出てくる。山が雨をコントロールしていたなど思いつきもしない、知りもしない人間が大多数の世の中、不思議なことがあれば、何か秘密があるに違いないと探りを入れられることだろう。
ただ探るだけならいい。しかし、環境が変わったことが雨の原因だと突き止められず、魔法であったり技術であったりといった“目に見える秘密”を欲しがった場合。そんなものは無いとモルテールンが言い張ったところで、信じてくれるとは限らない。秘密があるのだと思われてしまえば、脅迫、誘拐、軍事衝突、恫喝の厄介ごとが団体客でやってくるだろう。
「だが、山を無くした“魔法の飴”に関しては、絶対に秘密にしておかなきゃならねえ」
「漏れると戦争一直線でしょうしね」
魔法の飴は、極論すれば魔法使いの代替品だ。ペイスであったりカセロールであったりシイツであったり、魔法使いが自分の魔法を使うことが出来れば、無くても同じことが再現できる。
しかし、魔法使いでない人間にしてみれば、唯一の魔法発動手段となる。これで“雨を降らせる魔法”が使えるようになるに違いない、などと思われてしまえば、それはもう水を巡って血の雨が降る。
「だから、雨が降った原因を“誰が見ても馬鹿らしい”ことにこじつけておく必要があるんだよ。まず、坊がやらかしたんだ。雨は降る。その時、対外的には“雨乞いで踊ったら降って来た”とする。これなら、言いがかりに対処するのも楽になるだろ」
雨が降るようになったことは隠しようがない。
ならば、雨が降るようになった理由を用意しておこう。ペイスの発想はこんなところだ。本当の理由など説明したくはないし、説明して理解してもらえるとも限らない。
庶民は、分かりやすく目に見えるものを信じる。雨ごいの踊りと称して踊り、実際に雨が降ったのなら、雨ごいの踊りこそ効果があったのだと信じるだろう。
ペイスは迷信を信じて踊っているのではない。迷信を信じさせたくて踊っているのだ。
「なるほど!! 方法を教えて欲しいと言われても、そのまま教えられますね」
「な?」
ニコロは、感嘆した。
ペイスの深い考えも、そしてそれを言われずとも察した従士長の洞察にも、自分は到底及ばないと尊敬の念を深める。
ペイスの頭がおかしいのは変わらないのだが。
「つまり、ペイストリー様がやっているのは、目くらましってことですか?」
「他にも理由は色々あるだろうよ。うちは今、他領の諜報員も腐るほどいるからな。坊の魔法について調べてる奴等は、踊りが坊の魔法に関係してるかもしれないと邪推してくれるだろうし、周りの連中を巻き込めば、諜報員からすれば“一緒に踊っていた誰か”が雨を降らしていた可能性を考える。それっぽそうな若い奴らをうちが後から雇えば、そいつが魔法使いじゃないかと勝手に勘違いしてくれるだろうよ。案外、村の若い奴らに、踊りの正装だの何だの言って、変装を強要してるんじゃねえか? 調べる側への嫌がらせになる。妙ちくりんな恰好に秘密があるかもしれねえってな」
「なるほど」
雨が降った秘密が、雨ごいの踊りには無いと分かったとしても、そこから先、本当の理由を探るのは難しいはずだ。これ見よがしにそれっぽいものが散りばめられていて、どれもが理由になりそうなもの。諜報員たちは、頑張って調査することだろう。無駄になるとも知らずに。
「村の連中からすれば祭りってことで息抜きになるだろうし、行事として根付けば観光資源になるだろうよ。坊ならそれぐらいは考えてるはずだ。広場に人を集めて、お祭り騒ぎさせるんだ。後でナータ商会あたりに顔出してみな。ホクホク顔のデココに会えるぜ? 揉み手で上納金を出してくるってもんよ。これからも是非ってな」
シイツの見るところ、ペイスはただ単に目くらましという理由だけで踊りを踊ったりはしていない。そんな単純な動機でことを大げさにするペイスではない。
あえて目立つことで人を集め、金を集め、それを継続していく方策。転んでもタダで起きないのがペイスの流儀である。
「とりあえずこれで、うちはまた一歩前進ってことだな。水不足に悩まされて来た二十数年の苦労が無くなるかと思うと、俺ぁ感無量だぜ。泣けてくる」
今まで頑張ったからな、俺、とシイツは滲んだ涙を拭う。今後は水不足になることが無いと思えば、それこそ踊りだしたくなるほどの嬉しさだ。いっそペイスと一緒に踊ってもいいほどだとシイツは思う。邪なことを考えたせいか、若干体の動きが怪しくなっていた。
「えっと……おめでとうございます?」
「何で疑問形なんだよ」
今度は従士長の頭がおかしくなった。と、ニコロは喉まで出かかった。言葉を飲み込めたことは、彼にしては珍しいファインプレーである。
「すいません。えっと、それで今後はどうすれば良いでしょう?」
「坊から何か聞いてるか?」
「製菓事業を今以上に拡大するので、手配するようにと……」
ペイスが雨を欲した理由は、何も踊りたかったからではない。
かつてない大ヒットの予感がする新商品があるからだ。カカオ豆を大量増産して作るスイーツなど、一つしかない。
製菓事業の大拡張が必要。ペイスはそう判断していた。ニコロもまたそのように指示を受けている。
「なら、言われたとおりにやるんだな。これから、忙しくなるぞ」
「頑張ります!!」
ニコロが決意と共に拳を握りしめた翌日。
モルテールン領に、雨が降り始めた。
♪ ∧ ∧ チャンカ
♪ヽ(゜∀゜ )ノ チャンカ
( ヘ)チャンカ
く チャンカ
♪ ∧ ∧ エライ
♪ヽ( ゜∀゜)ノ ヤッチャ
(へ )エライ
〉 ヤッチャ
ニ「奇行種だ」
シ「普通じゃね?」





