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おかしな転生  作者: 古流 望
第3章 蜂蜜の月
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025話 先物買い


 プラウリッヒ神王国南部の(ゆう)と言えば、誰もが一人の女傑を筆頭にあげる。


 南部の豊かな穀倉地帯を領地に持ち、海に面しているが故に海運も盛ん。農業と、そして商業の中心となっている文字通りの大領を治めるブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュ女伯爵その人である。

 一般にはレーテシュ伯と呼ばれる彼女は、王国南部を取りまとめる大役を担ってきた家柄に産まれた。大戦の最中に遭って激動の時代を乗り切り、現状、過不足なくその任をこなして来ただけあって、中々の才媛と評判ではある。年の頃は、数年前から二十八歳と自称している。


 そんな彼女が、一日の始まりを告げる鐘を聞きながら、お茶の香りを楽しんでいる時だった。


 「閣下、大変です!!」

 「何事です、騒々しい。私の唯一の楽しみの時間を邪魔するなといつも言っているでしょう。貴方も従士長ならばもっと落ち着いて……」

 「そんなことより、大変なんです。あのモルテールン家の後継に婚約者が付いたと!!」

 「なんですって!! あぁ、熱っ!!」

 「閣下、大丈夫ですか」


 香りを楽しむために、わざと熱めに入れていたお茶。レーテシュ特産の茶葉は南方の気候ゆえに薫り高い。それを盛大に膝に広げた所で、慌てて濡れ布で取り繕う。直ぐに冷やしたために火傷まではいかずとも、太ももの辺りは赤くなっている。

 それを惜しげも無く晒した所で、従士長がごほんと咳をつく。伯爵は、少々ばつが悪そうに曝け出していた太ももを仕舞った所で、ようやく話を聞く姿勢になった。


 「それで、あの銀髪の坊やに婚約者が出来たって?」

 「はい。それも飛び切りの」


 レーテシュ女伯爵は、脳裏に青銀の髪の少年を思い出す。

 利発で、才能豊かで、意地が悪く、油断のならない相手であったのは記憶に新しい。魔法も使えるという時点で、余人が羨むほどだろう。


 「相手は何処の娘なの? ハースキヴィ?」

 「いえ。お相手の娘はリコリス=ミル=フバーレク。フバーレク辺境伯家の四女で、先ごろ公爵家との婚約で大きな話題になった、ペトラ嬢の双子の妹だそうです。幸運な事に父親に似ず、かなりの美人と評判ですな。例の拉致事件があった為に、風聞を避ける為にペイストリー=モルテールン卿との婚約を決めたと言うのが専らの噂とか」

 「なるほど、良い手じゃない」


 成人間際であった年頃の娘が、不逞の輩に攫われた。こうなってくると、下世話な風聞が必ず付いてくる。賊の慰み者にされたのではないか、という風聞だ。

 これを避ける手としては、事情を良く知る者が迎え入れると言うのが最も手っ取り早い。まして救出時に活躍した相手との婚約であれば、美談にするのは容易い。風聞を打ち消すにはもってこいの手だ。


 「はっ。御賢察の通りかと。何せ彼の御仁は当年で八つ。二~三年してほとぼりの冷めた所で婚約を解消したいと思うのなら、これ以上の適任も居りますまい」


 貴族の婚約とは、当てにならない。それ故に婚約披露等が行われる訳だが、ペイスの場合はおまけで公表されたに過ぎない。

 風聞を避ける為に形式の婚約をさせておき、ある程度噂も沈静化した所で改めて仕切り直すというのは悪くない手。腐っても貴族であれば、それぐらいの権謀は極々当然のものだ。

 従士長の考えた、いずれ婚約を解消するのだろうという見込みは常識的なところ。


 しかし、数多の思惑渦まく貴族社会を生きてきた女伯爵には、違うものが見えている。


 「そうね。普通ならそう考えるでしょうし、噂が広まっている事自体は本当でしょう。でも、その噂、肝心の中身が多分間違っているわよ」

 「は?」


 東部屈指の名家であり、公爵家とも縁戚となったフバーレク辺境伯家にとって、南部の僻地にある貧乏騎士爵家に娘を嫁がせるメリットは極めて少ない。

 精々が、戦乱を避けて血統を残す意味合いがある程度だ。戦乱の燻りが強く香る公爵家と辺境伯家の婚姻であるから、裏があると考えた所で疎開させておく意味合いぐらいではないか。

 そう考えている貴族は多いだろう。事実、カドレチェク公爵や中央の宮廷貴族はその考えを持っている。

 しかし、レーテシュ伯は、更に深い裏があると考えていた。


 「あの血なまぐさいタヌキ親父共が、そう簡単に裏を悟らせるものですか」

 「といいますと?」

 「一つは、自身に向けられた警戒を薄める狙い。ただでさえ高位貴族との縁組で警戒されていたのだから、あえてここで傍目には弱小貴族に見える家と縁組をすることで、婚姻政策で権勢を高める意図の無いことをアピールする」

 「なるほど」


 傍目には弱小である、と言うのがポイントだろうと才媛たる女性は考える。

 一見すれば、辺境の一騎士爵家であるが、かのモルテールン家は大戦の英雄の家柄。魔法使いが三人も居る家など相当の大家でなければ望めない。

 しかも、モルテールン騎士爵の転移の魔法は名高いし、有用さは疑いようも無い。いざとなれば、下手に遠くの有力貴族と縁戚を結ぶより、援軍に来てくれる可能性は高い。名ばかりの適当な家に嫁がせるより、よほど頼りになる。


 形式的には(へりくだ)りながら、しっかり実利を確保している所は、流石は東部屈指の名家である。


 「そしてもう一つ、思惑があるのでしょうね。喰えない男よ、全く」

 「と言いますと?」

 「モルテールン領が、当家に匹敵する位の豊かな領地になる可能性を考えた、苗木買いよ」

 「まさか。幾らなんでもあり得んでしょう」


 従士長は絶対の確信をもって否定の言葉を口にした。

 苗木買いとは、予め良さそうな苗を買って後の大きな収穫に繋げること。幾らカセロールやその息子が優秀な苗であると言った所で、伯爵領と比べられては立つ瀬がない。


 南部でも並ぶもの無き大領を有し、気候も温暖であり、水利もあって土地は極めて豊か。海運の要所を領内に持ち、領内には金銀の鉱山まである領地。自らが長い間身を粉にして仕えてきた土地であり、愛着もあれば自負もある。

 幾らなんでも、荒地と呼んでいた場所を一から開墾している小さな騎士爵領と比べられては、伯爵領の経営に携わってきた彼自身のプライドにも関わる。


 「そう、言っていられる内が華でしょうけどね。貴方、そもそもカセロール卿があの碌でもない土地を与えられた経緯は知っているわね?」

 「ええ、当時は話題になりましたから」


 神王国が滅亡の危機に瀕した際、僅かな手勢を持って奮戦し、かつ、比類なき大功を立てた英雄。

 この処遇を巡り、戦後に虚々実々の駆け引きが行われたのは周知の事実である。

 下手に冷遇するわけにはいかず、さりとて他の貴族の顔も立てねばならず。

 結局、報奨として貴族号を与え、高すぎぬ地位として騎士爵に止めたこと。或いは隣国への睨みを利かせる意味での実利と、誰にも妬まれぬ土地としてのモルテールン領を拝領したこともその駆け引きの一環である。

 報奨として他に類を見ないほどの大金を与えた上で、それを浪費させるべく貧地に追いやった貴族たちの策謀。


 「当時は、宮廷の雀や伝統貴族は、戦場上がりの無骨者が、あんな僻地を治められるはずがないと思っていた。英雄の力を浪費させるための枷であったはずなのよ」

 「腹黒いことですな」

 「しかし、彼はやってのけた。初めは上手くいかなかったらしいけど。……前に言っていた、あの土地の収支遍歴については調べたわね?」

 「は、ここにあります」


 そう言って、従士長は調べ上げたモルテールン領の遍歴について述べだす。


 モルテールン領の最初期に入植したのは五名。当主とその腹心。そして付き従った三名。

 二か月を掛けて水気を調査した結果、かろうじて井戸の掘れる土地を本拠と定めて定住。最初に撒いた麦は土地が悪く、全て枯れたという。

 当初はテントのような場所に寝泊まりしつつ、汗を流しながら岩を退け、蓄えを費やしても肥料をまき、雨を望みながら井戸から汲んだ水を撒くという苦労の末、初めて麦の収穫が実ったのが入植三年目。


 「この時の初収穫の麦は、国王陛下に献上されていましたな」

 「ええ。陛下は大喜びで、その麦を粥にして召し上がられたと聞いているわ」


 カセロールが結婚したのもこの頃であった。

 援助を求めて社交界を飛び回り、他領の争いごとに助力することで援助を受ける。それを以て、増えつつあった領民や部下を養うという自転車操業。

 忙しく飛び回る中で出会った女性と愛し合う様になり、駆け落ち同然に結婚。直ぐにも子宝に恵まれることになったが、残念ながら跡継ぎとなる男児に恵まれなかった。


 今から数えて七年前。六人目の子供として待望の男児が生まれる。

 そこからしばらくは、僅かずつに増える農地や領民と、比例する出費に悩まされていたモルテールン領であった。


 「そうよ、そこまでは、宮廷貴族達の思惑通りに事は進んでいたのよ。領地を(おり)にして、餌を与えることで英雄を飼い馴らす。目論み通りであったと言っても良いでしょう?」

 「そうですね。状況が変わってきたのはこの後ぐらいですか」


 転機があったのは三~四年前。何と麦の栽培を減らすという暴挙に出た。

 小麦や大麦は乾燥に比較的強く、降水量の少ないモルテールン領でもなんとか育てられる、唯一といっていい換金作物であったから、それを聞いた周辺の貴族たちはこぞって、モルテールン騎士爵は頭がおかしくなったと罵ったものだ。

 他ならぬレーテシュ伯爵も、意図が分からず混乱した記憶がある。


 代わりに始めたのが、豆作を間に挟む輪作。

 豆もまた乾燥には比較的強い作物であるが、これを始めたことで逆に作付を減らしたはずの麦の収穫も増えたというから、罵っていた人間の驚愕は如何ばかりか。


 「それまでは、農地や領民が増えるごとに赤字も増えていたわけだけど……何の思いつきか、豆を作り出してからは人と農地が増えれば赤字の減る体質に変わったわけね」

 「どこから思いついたのかは知りませんが、後から考えれば英断であったのでしょう」


 その後は農地の拡大と領民の募集・増民に力を注ぎ、赤字額は年を追うごとに減少していった。

 領地経営の黒字転換も近いと言うのが、行商人や教会などから情報を集めて分析した結果である。


 「いずれ累積赤字も解消しうる目途が立ったわけだけど……気づいたかしら?」

 「何にです?」

 「例の思いつきに、あの銀髪の坊やの影がちらつくこと、よ」

 「いや、幾らなんでも……その頃と言えば、例の少年は三つかそこらでしょう。碌に言葉もしゃべれぬ幼子に」

 「でも、貴方なら出来る? たった一つの命綱を切って、先の見えない崖に飛び込むような無謀な真似が」


 赤字で四苦八苦している中にあって、唯一まともな現金収入の方策を捨てる。その上で、海のものとも山のものとも知れない事に限られた人的資源や土地を使う。

 暴挙と言われた理由はここにある。


 農業とは、新しいことを始めた所で、直ぐに結果が出るものでは無いと言うのが常識だ。最低でも収穫が実るまでに何か月か掛かる。もし失敗すれば、大勢の人間が飢え死にするかもしれない大事。土を荒らしてしまえば、何年も影響が続く。

 それなのに、最初から成果を出せたことこそ驚かれているのだ。試行錯誤も無く、いきなり大正解を掴んだような唐突さ。


 「出来ませんな。部下の命と生活を預かる身として、そんな無謀は出来ません。あり得んでしょう」

 「そう。普通じゃない。しかしよく考えれば、騎士爵本人は魔法こそ使えるにしても思考や発想そのものは常識的で合理的な方よね?」

 「それは私も承知しております。一度肩を並べた戦友ですから」


 従士長は、何度か戦場でカセロールと馬を並べている。

 一番最近で言えば、レーテシュ領の海賊退治で共に戦った。故に気質はよく知っている。そう思って振り返れば、勝算あっての無茶はともかく、勝算のない無謀とは最も縁遠い合理主義者であったと思い当たる。


 「でしょう。非常識な発想が騎士爵本人から出て来たとはとても思えない。本人でないなら、誰か別の人間の発想のはず。じゃあ、騎士爵が突飛な発想を得たのは誰から? それも、合理的な騎士爵を納得させるほどに話が出来る。そして信頼されている人間。ついでに言うなら、誰がどう見ても普通では無い人間。普通でない発想の出来る人間。どう、貴方もここまで言えば、誰が裏に居るのか見えてこない?」

 「なるほど。それで閣下は、モルテールン領の発展があの少年によるものでは無いかと推察されたわけですか」

 「そう。そして、同じような発想を、あの食えない親父達も考えた。酷い万年赤字体質を抜本的に変えてみせた手腕がもし本物ならば、黒字になって打てる手が増えた時にどうなるのか。考えるまでも無いわ。全く……うちに女の子が居れば、私も同じ決断をしたでしょうね。っていうよりも、東部の連中が、私の頭越しで南部に手を出したことに腹が立つわよ。南の家にちょっかい出すなら、うちに一言断るのが(すじ)ってものでしょう!!」

 「まあまあ。嫁に出せる娘が居ないと言うのなら、いっそ閣下の婿に迎えますか? ははは」

 「私がもう十歳年若いか、あっちがもう十年早く生まれていたのならアリだけど。どちらにしても、東の連中にばかり先手を打たれるのも癪よねぇ。どうにかしてうちが取り込みたい」


 十年では足らぬだろう。という言葉を従士長は呑み込んだ。

 剣呑な伯爵の目を見れば、その手の不遜な考えは御見通しなのだろうが。


 何か、東部の腹黒たちを差し置いて、自分達がモルテールンの跡取りを囲い込める方法は無いか。

 しばらく考え込んでいた女伯爵であったが、ややあって何がしかの考えがまとまる。


 「そうだわ、いっそあの手でいきましょう」


 その日、レーテシュ伯爵は一通の手紙をモルテールン領に送った。



◆◆◆◆◆



 「それでは、確かにお渡ししました」

 「ご苦労様です。閣下によろしくお伝えください」


 衝撃の婚約発表からひと月。

 年も改まり、ペイスも八歳となった金央月の初頭。

 とある荷物が、公爵家従士の護衛付で届けられた。


 馬車から降ろされた荷物は、木箱に入れられているらしい。傍から見れば、これ見よがしに積まれている箱の山である。


 「ついに届きましたか」

 「何だこれ?」


 その箱の山を、ほくほく顔で見つめるのは、次期領主たるペイス。

 傍には、従士家の子供で幼馴染の悪がき二人。

 ペイス以外の二人にとっては、いったい何が届いたのか分からないわけで、好奇心の矛先が向けられている。


 「先日、公爵閣下からうちの所に支援を貰えるという話になりまして。公爵ご本人と、友達になったお孫さんとのご好意で、僕が欲しかったものを送って貰ったのですよ」

 「それはどうでも良いんだけどよ。この大荷物の中身を聞いているんだよ」

 「それは内緒です。ふふふ」

 「ケチ。良いじゃねぇか教えてくれても。せめて、何するものかぐらいは教えてくれよ。食い物か?」


 あからさまに食材であってほしいと言いたげなのは、ルミニート。当年とって十一歳の少女であり、まだまだ色気より食い気の年頃。ここ最近は僅かに胸が膨らみだし、第二次性徴の兆しがみられるために、男の子と間違えられることは減ってきたのが悩みの種。


 「ある意味遠からずですか。いずれは美味しいものも採れる様になるかもしれませんが、それはもっと先の話ですね」

 「一体、何をしようってんだ? 戦か?」


 食い気よりも血の気の方が多いのは、マルカルロ。マルクは、剣の腕が伸びていることで多少増長してきているきらいがあると、大人たちを悩ませている。

 最近、ルミの事がやけに気になっているお年頃。


 ルミとマルクは、常からペイスの御伴を自称する様になっている。

 先の盗賊撃退の時に、大人たちに交じって手柄を認められたことで、彼らなりに自信と責任感が出てきているのだ。


 「まあやろうとしていることもある意味戦いと言えば戦いですが」

 「回りくでえよ。はっきり何やるか教えろって」

 「そうだそうだ。俺たちにぐらい教えてくれてもいいだろうがよ」


 とはいえ、まだまだ子供の気質が十二分に溢れている訳で、忍耐力の無さは幼さの現れである。


 「いやね、ちょっと作ろうかと思いまして」

 「何をだ?」


 ニヤリと笑ったのはペイス。

 年も改まって八つとなった悪餓鬼筆頭。子供らしからぬ行動力と、類まれな知識と発想で、ここ数年は大人たちをトコトン振り回してきた極悪人。


 その彼が、幼馴染二人に語る。



 ――森を作ろうかと

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[一言] 数年前から28歳ならそれはもう30超えてるのでは… 戦争で活躍して英雄とまで呼ばれてもこの扱いなら貴族になんてならない方が良かったんじゃないか?
[良い点] 文章力がすごくて独特な作品。面白いです。 辺境伯にあっさりと婚約を決められたのがちょっと癪...... [気になる点] 説明文が多いところ。ペイストリー視点がかなり少ないところ。
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