248話 カカオ
「これがカカオだか?」
モルテールン家従士スラヴォミールは、太めの指で豆らしきものを摘まんだ。
スラヴォミールは、萌木色の髪が特徴の童顔で、女性陣からはアライグマ似で可愛い系男子と評されている、モルテールン家の農政担当官だ。
元々は別の土地で畜産に携わっていたが、難民となってしまい困窮していたところをモルテールン家に拾われた。モルテールン家従士の中では割と古株で、若手といわれる年ながらも頼れる兄貴分としての信頼を集めている。
農業全般の責任者として、サトウモロコシの栽培方法の確立や、山羊、馬、鶏、ロバなどの家畜の飼育に著しい功績があり、将来の幹部候補として有望視される人物。
そんな彼が、今まで知らなかった新しい豆に興味津々である。
手の平で転がしてみたり、匂いを嗅いでみたりと、色々と自分なりに試しているらしい。ここでも動作がどこかほのぼのとしたものになっているわけで、本人は可愛いと言われることがコンプレックスらしいのだが、もはや生まれ持った才能ではないだろうか。
ペイスは、そんなアライグマ系男子の様子は気にも留めず、カカオ豆について話し出す。
「珍しいでしょう?」
「ああ、珍しいっち」
カカオ豆は、少なくとも神王国には存在しない。もしかしたらかつては存在し、育てようと試みた人間もいるかもしれないが、成功していないことが確定している。今現在カカオ豆が、ペイスの持つもの以外一切流通していないことからそれも明らかだ。
珍しいというなら、間違いなく希少である。
「これ、どうするだか?」
「勿論、育てるつもりです。出来る限り速やかに増産です」
「それでおらぁが呼ばれただか。種はそれなりの数無いと不安だっち?」
「そこは安心してください。一定量は手に入れました」
「よかっただ」
カカオ豆は、豆というぐらいなのだから農作物に違いない。つまり、やり方と環境さえ間違っていなければ、育てて増やすことが出来るはずなのだ。
成功例が神王国には一例たりとも存在していないという事実さえ除けば。
スラヴォミールからすれば、ペイスの無茶ぶりは今に始まったことではない。また、見たこともない植物を育てろと言われたことも初めてではない。
サトウモロコシがいい例だ。こんなもの、育てた経験のある人間など居なかったはずの外来植物だ。用水路や肥料の準備、人手の手配、サトウモロコシの採取された場所の環境から類推される育て方、等々。ほぼ大枠の所はペイスを始めモルテールン家一丸で整備されたが、後の実務的な細かいところがアライグマ系男子の出番であった。肥料の配分比はどのようなものが適切か、水の量の加減、収穫時期の見極め等々。これらは試行錯誤しながら、ここ最近でようやく形になってきたところ。
同じように、カカオ豆も育てられるはずなのだ。信頼するペイスが出来るというのなら、出来ることは確定している。
能力は高くともあまり学のないスラヴォミールは、ペイスをほとんど盲目的に信じていた。アライグマというより犬である。
「ですが、もしも育てることが出来なければ大赤字になってしまいます」
「大赤字?」
「はい。下手をすれば国を買えるぐらいの価値があると思っていますから、それに見合うだけの技術を放出しました。ここで生育技術・製造技術を確立できないと、壮大な投資失敗となるでしょう。全ては貴方に掛かっていますよ」
ペイスの期待が重い。
元より、何も無いところから全てを生み出すことなど、スラヴォミールには出来ない。彼自身そんな自信も持ち合わせていないし、客観的な評価としてもその通りだろう。彼にある能力は、ゼロを十にする能力でもなく、ゼロを一にする能力ですらない。一を十にする能力だ。ペイスが十になると言い、ゼロを一にして見せたのなら、そこから発展させるのが自分の役目と自負する。
それだけに、今回のように失敗すれば大損というのはプレッシャーも掛かる。
「そりゃ荷が重いっち。失敗したらどうするだか」
ペイスの見込みが悪く失敗するということは考えない。あるのは、自分が失敗を繰り返し、結果としてカカオ豆栽培プロジェクト全体を失敗させてしまう恐怖。
しかし、ペイスはスラヴォミールの懸念を一笑に付す。そんなもの、大した問題ではないと。
「レーテシュ伯は高笑いでしょう。自分のところは確実に大儲けするのに、モルテールン家は大失敗をするのですから。きっとウキウキで踊り出すことでしょう」
「はあ」
仮に、カカオ豆栽培が上手くいかないとなったなら、喜ぶのは誰かといえば、レーテシュ伯であろう。他の人間は、そもそもモルテールン家がこんなものを育てようとしていることさえ知らない。
今まで数多くの成功を積み重ねてきたペイス。ここで大失敗をやらかせば、損得ではなく、単純に意趣返しから女伯爵は喜ぶはずである。散々苦汁を飲まされてきたのだから、ざまあみろ、といったところか。
ペイスが栽培に成功し、モルテールン家が更に豊かになったとして、それはそれでレーテシュ家にもおこぼれとして利益はあるだろう。だから、本来であれば取引が完了した現時点で、栽培成功を願うのが道理なのだが、人間の感情というのはそう単純なものでもないとペイスは言う。
「多分大丈夫だと思いますけどね。ある程度は育て方を知っていますから」
失敗をやけに気にする部下に対し、ペイスは大丈夫だと太鼓判を押す。誰もが生まれて初めて見た未知の植物のはずなのに、育て方を知っているというのだ。
普通の人であれば、こんな戯言を真に受けたりはしないのだが、言っているのがペイスであり、聞いているのがスラヴォミールという点で、少し毛色が違う。
育て方を知っているというのは最早規定事実となり、疑問を持つ点がずれるのだ。
「何処からそんなもの教えてもらっただか」
「生まれた時から知ってるんですよ。いえ、生まれる前からでしょうかね」
「ペイス様は冗談が分かりづらいだで」
ペイスのことを妄信に近い形で信じている男をして、さすがに腹の中に居る時からカカオ豆の育て方を知っているととれる発言を、冗談と受け取ったらしい。
ペイスも冗談だろうという意見を否定することもないので、話はそれまでだ。
「とりあえず、ここに畑を作りますか」
ペイスが立っている場所は、モルテールン領の北の果てである。最北の場所であり、だだっ広い平地が広がっている岩石地帯。不自然なほどに粉々になってサラサラの土があり、小石の一つすらない、明らかに人工的な作為の匂いがする場所。
普通ならば、こんなだだっ広い土地を遊ばせておくはずもないのだが、今まではこの土地には人を入れることは無かった。
その答え、というよりごく自然に聞きたくなる質問を、スラヴォミールはペイスに尋ねる。
「一つ聞いていいだか?」
「ええどうぞ」
「ここにあった山、どうしただか?」
そう、元々広大なここら辺一帯には、高く聳える山々があった“はず”なのだ。
「あそこにあるじゃないですか」
「へ?」
ペイスが指さす先には、数が増えたり、より高くなった山の並ぶ山脈があった。
「いやあ、魔法ってのは便利なものです。【掘削】を使える人間をそれなりに用意しまして。掘った土や岩は【瞬間移動】で大量運搬。一ヶ月かけて、山が綺麗さっぱり向こうに移動してしまったわけです」
ペイスがやったことというのは、魔法を誰でも使えるようにした上での人海戦術。勿論、秘密を守れる者に厳選してのことではあるが、魔法というのは元々ペイス一人が使うだけでも、短期間で巨大な貯水池を作ってしまえるものなのだ。同じ魔法を使える人手が増えるというだけで、人の手だけだと到底不可能と思える、あり得ないことまで実現してしまった。
山を動かした男が実在した。こんな話、真面目に語ったとしたら間違いなく、狂人か可哀そうな人扱いされた上で病院送りにされてしまう。
「……おらぁ、頭がおかしくなった気がするで」
「気のせいですね。貴方はちゃんと正気です」
スラヴォミールは、今まで何度となく感じた頭痛で頭を抱えた。そろそろ慢性疾患を疑われる頭痛ではあるが、原因が精神的なものに起因しているため対処が難しい。いっそ原因を何とかできればいいのだが、当の原因はスラヴォミールを何故か慰めている。
この場合、これは不思議でおかしい事態であるというスラヴォミールが正常で、こんなことは良くあることですと言い張るペイスが異常なのだ。
「あんな山さ作って、問題は起きないだか?」
「さあ?」
こてんと首をひねるペイス。
「さあって……」
山を消す。山を動かす。山を作る。どれ一つとしても常識の範疇外なのだ。これは、大丈夫なのだろうか。しかも、スラヴォミールの見るところ、新しく作られたであろう山は、お隣の領地の境とされていたあたりに出来ている。あまり詳しくないが、外交的にダメな気がしていた。
「山に積み上げるところまではうちの管轄ですが、そこから山が崩れたとしても、お隣の話ですから」
「そりゃ酷えだ」
「そうは言っても、土砂を何処に捨てようと越境しない限りはうちの自由ですし、土砂崩れが起きるのを防ぐのに、越境させてとも言えませんし」
「うむむ」
新しく掘り出した土砂岩石で作った、新しい山。こんなもの、砂場の砂山のようなものだ。崩れるとしたら、一気に崩れるに違いない。雨でも降ったら一発でアウトだろう。
かといって、モルテールン側に崩れることは阻止できても、相手側に崩れることまでは対策できない。実に酷い話だ。
「ちゃんと警告は出していますし、我々は何も約を違えてはいません」
「そりゃそうかもしれんだが」
ペイスは、お隣との停戦時の合意は守っていると主張する。山を越えるなとは取り決めたが、山を作るなという文言は一切見当たらないし、山を動かしてはならないとも書いていない。
スラヴォミールは、ペイスにそう言われて半分は納得した。尤も、そもそも動かせるはずがないという前提で、不動の境界線として山脈を指定した合意について、大前提を覆すような真似は、想定外も度が過ぎているという話である。
スラヴォミールが何か釈然としないのもこのあたりを無意識に感じているからだろうか。
仮に土地を買ったとして、ここからここまでと決めていた境界が地面ごと動くことを、契約の時に想定しておけというのは無茶を通り越して不可能であろう。
「魔法の隠匿についても、レーテシュ家が協力してくれますからね。心強い話です。土砂についても、ここは仮置きですよ。いずれ海の埋め立てに使うらしいです」
「はあ」
魔法の力は偉大で、今までであっても時間と手間さえ惜しまなければ、大規模な土木工事は出来た。しかし、何故今までやらなかったかといえば、ペイスが他人から奪った【掘削】の魔法を使えることを公にしたく無かったからだ。
しかし今回、魔法汎用化情報の取引の結果として、レーテシュ家に対して情報隠匿の協力を取り付けた。これが大きい。
レーテシュ家としても『魔法が汎用的に使える技術が出来た』と明らかにされるより『レーテシュ家がこっそり匿っていた強力な魔法使いを貸し出した』とした方が、色々とメリットがあると判断したのだ。
公式な対外発表では、レーテシュ家に隠されていた魔法使いがモルテールン家に雇われて山を消したということになっている。
魔法が誰でも使えるようになった、というよりは余程納得しやすいストーリーだろう。仮に真実が漏れたところで、レーテシュ家が“真実”から目をそらすために荒唐無稽な話をでっち上げた、と考えるのが落ちである。
「それ以上に、今重要なのはここを耕すことです」
「はあ」
バッと両手を広げたペイス。目線の先は、ただただ広がる大地である。
「耕すこと自体は問題ありませんが、土壌の改善は急務ですね。土の専門家は、うちには貴方しか居ません」
「そうなるだか」
「カカオ豆に向く土地質は、僅かに酸性寄りで、水はけのよいところ。ここの土地は水はけの良さだけは一級品ですから、後はしっかり土地を肥えさせてやれば、何とかなると思っています」
「分かっただ」
カカオ豆の生育に必要な気候とは、平均気温が高くて安定しており、さらに湿度が高いという環境。ようはジャングルのような場所だ。現代のカカオ産地の多くが赤道付近に集中していることも、このカカオの特性に由来する。
幸いなことにモルテールンの気候は、一年を通じて天候が良くて温度が高く、湿度さえ何とかなれば育つとペイスは計算していた。つまり、雨が肝だ。
「後、カカオ豆の特徴として、陰樹であることがあげられます」
「意味が分からんっち」
「カカオは日差しが強すぎると、上手く育たないのですよ。ある程度大きくなるまで、日陰の傍で育てなければならない」
「そや難しいだ」
「その為に必要なのが母木。日陰樹とも言いますが、カカオが育つまで先に成長し、陰を作ってあげる木をセットにしないといけない」
「そんな木があるだか?」
「基本的にはマメ科の植物が望ましい。バナナと一緒に育てるというような育て方もあるようですが、我々の目的はカカオのみですから、経済性は端から度外視します。ハリエンジュか、それに近い植物が向いているはずなのですよ」
「へえ」
成長が早く、窒素固定を行い、日光に強いマメ科の高木の育て方であれば、スラヴォミールもよく分かっている。一緒にカカオも植えるというのが特殊なのだろうが、ハリエンジュの植樹と育樹を基礎知識とするなら、応用は利かせられる範囲だとペイスは考えていた。
最悪、貯水池付近のハリエンジュの森にカカオを植えるのを試してもいい。そこでの知見を目の前の新規カカオ畑予定地に活かす。
「まずは色々と条件を変えた形で実験しつつ、数年を掛けて生育技術をそれなりに形にし、そこから本格的に商業生産を進めていくつもりです」
「頑張るだ」
「期待しています。とりあえずは……」
「とりあえずは?」
「雨ごいですね」
雨よ降れぇと奇妙奇天烈な踊りを踊りだしたペイスに対し、スラヴォミールは首をかしげるのだった。





