239話 心機一転
王立研究所では、一つの決断が下されようとしていた。
かねてよりの懸案事項であったが、ここ最近何かと“問題”が多い研究室に対しての決断だ。
研究所内にある会議室の一室。そこに集められた神王国の頭脳たちを見渡すのは、研究所の所長である。
「この度、汎用魔法研究室は統合されることになった」
所長の一声に、研究室長たちは色々な表情を見せる。喜んでいる者、悲しんでいる者、憤っている者、無関心な者。
喜んでいるのは、現在主流派に属する者たちだ。王道ともいえる研究をしてきた者たちで、彼らは常日頃から、自分達こそ研究所を支えていると自負していた。それに比べて、とばかりに、汎用研には蔑みの感情を持っている者が多い。彼らの基準で“無意味”な研究室が一つ減ることで、自分たちに回って来る研究所のリソースも増えると喜んでいるのだ。
予算、人員、施設や空間、全ては有限であり、奪い合いの競争が基本。一部屋が空になり、物置代わりに使えるようになるだけでも御の字と言う研究室もある。手狭な研究室に辟易としていて、何とかもう少し研究室を広げて欲しいという希望を持つ者。彼らからすれば、要らない研究室が減ってくれるなら喜ぶしかない。
悲しんでいるのは、日陰の研究をしている者たちだ。決して無意味というわけではないのだが、どうしても華やかさに欠ける研究と言うのは存在する。一般人には必要性を理解してもらえない研究であったり、誤解されたりしがちな研究と言うのもある。
歴史学などは古い本を読んでいるだけで、過去が分かったところで役に立たないと蔑まれることがあるし、哲学などは机上の空論をこねくり回しているだけで学問とは言えない、と罵られることがある。
こういったマイナーな研究分野の研究者は、汎用研が統合、実質的に潰されることになった事実を目の当たりにして、次は自分の番ではないかと恐れるのだ。
憤っている者の怒りは、仲間意識に対しての不満からきている。
研究所は王立であり、所属する者も名誉をもって働いている。自分が王立研究所に所属していることを誇りに思っているのだ。だからこそ、同じ肩書である研究員が、不当に貶められることを嫌悪する。今回の決定は、他の研究員などに知らされることなく所長とその周囲のみで決定された。明らかに、特定の研究室を貶める意図がある。
自分たちと同じ研究員だったものが、研究員を貶める側にいる。これを憤らずに、何を憤ればいいのだと、憤慨することしきりだ。正義感や義憤に駆られる者ということである。
誰にしたところで、いきなりの発表であることは間違いない。
故に、驚きの声がそこかしこから上がる。
「え!? 何故ですか? 理由をお聞かせください」
寝耳に水の研究員たちにとっては、当然の疑問だろう。
何故、研究室が潰されねばならないのか。特に、危機感のある人間は真剣に耳を傾ける。
「昨今の世界情勢を鑑みるに、当研究所もより一層の研究体制強化を図らねばならない。その一環と理解してくれたまえ」
「体制強化……」
「うむ。これからの時代、研究所に求められるものはより多くなっていく。しかし、予算も人員も有限だし、すぐに増やそうとして増えるものではない。従って、より効果的な予算と人員の再配置が必要となる。今回の措置はその一環と思って貰いたい」
「はあ」
研究というものは金食い虫だ。成功するかどうか不確定なものに金を掛けるわけだから、リスクの高い投資でもある。だからこそ、限られた資源を効率的に使うべきだという意見はいつの時代にも存在していた。政治改革を叫ぶ政治家と同じで、いつの時代も常に一定数存在する改革派というやつだ。
しかし、所長というポジションに就くと、多くの場合改革を忌避するようになる。物事を変えるということは、作用と同時に反作用を生む。よくやったという喝采と同時に、なんでそんなことをしたんだという恨みが発生するのだ。人間というのは得てして称賛よりも怨嗟の感情の方が強くなりがちなもの。人を褒めるより、貶す方が得意な人間の方が圧倒的に多いのだ。改革を行ったとき、褒める側の人間は、必要なことが当たり前に為されたと考え、貶す側の人間は、余計なことをしたと考える。余程の不満や鬱憤が溜まっていない限り、恨み辛みの発生はやむを得ない。
この場合、喝采はともかく恨みの矛先とは、えてして改革のトップに向かいがちである。
普通なら、所長という安定的な地位の人間が、自ら旗を振って改革を進めようとはしない。仮に変革が必要でも、恨みを自分が被らないよう、誰か他の人間に旗振り役を任せ、自分はその陰に隠れるものだ。リストラで首を大量に切るときに、社長直々にやらず、担当部長だの専門役員だのを設けて泥をかぶらせ、上層部は成果だけを美味しく頂戴するようなもの。人には嫌われたくないが、美味しい思いはしたいという人間のエゴだ。
組織の論理といえばそれまでだが、研究所という場所であっても、大人同士のダーティーな部分から逃げられることはない。
つまり、この改革を謳う所長の言は、研究所の改革というのが奇麗事の建前でしかないということなのだろう。
頭のいい連中は、簡単に察した。
「汎用研が努力していることは私も知っている。君らが頑張っていることもだ」
「ありがとうございます」
「しかし……あえて厳しいことを言うが、汎用研はここしばらく他の研究室と比べて成果が乏しい」
「左様で」
汎用魔法研究室、通称で汎用研。魔法を誰にでも使える汎用的なものにするというのが大目標であり、その為にかつては大金を投じて研究されていた。神王国が魔法後進国である事実から、魔法大国である聖国などに対抗する手段の模索として設立され、魔法を阻害する方法を発見し実用化するなど、一定程度の成果をあげてきた歴史がある。
研究内容としては一般的であり、研究員にもわりと認知はされている。だが、ここ最近はぱっとしないのも事実である。
元々、魔法の汎用化など難しい、というのが大方の意見だ。魔法を汎用化するということは、魔法使いが特別でなくなるということだ。だからこそ、魔法の研究であるにも関わらず、魔法使いが協力してくれないという構造的欠陥がある。
また、当初の研究成果にして基礎理論となるのが、軽金を使った理論。この軽金は、純金よりも単価が高い物質であり、まともに研究しようとすれば金が湯水のごとく必要、とされてきた。
色々と技術的、構造的に難しい問題を多く抱えていて、幾ら優秀な人間であっても研究成果が出せないということが問題視されてきたのだ。
何時の頃からか人事的に左遷部署とされ、所属する研究員は他所の研究室を手伝うことで何とか逃げようとするようになっていた。
成果が乏しいとは、そういう状況を指してのことだと、誰もが理解した。
「統合先はどちらに?」
「まだ未定だが、鉱物研と統合を考えている」
鉱物研は、その名の通り鉱物全般について専門家を集めた研究室だ。基礎研究を行う研究室の一つであり、神王国内の鉱物分布の調査や、既存鉱山の埋蔵量調査、新規鉱脈の探索なども行うアウトドア派な研究室である。
フィールドワークの多い研究室だけに、肉体労働、単純労働も多い。鉱山夫の真似事をして、つるはし片手にハイホーハイホーとやる、ガチで肉体派研究員が多い研究室だ。
普段、部屋にこもり切りで研究している頭脳派からすれば、統合されたところで、肉体的に酷使される未来しか見えないだろう。専門外のところにいきなり放り込まれたところで、まずは基礎知識の習得から始めねばならない。その間、下働きや小間使いとして研鑽するのは、どこの研究室でも同じなのだ。
「汎用研の研究員は優秀な者が多い。折角であれば、その能力をもっと有用に活かせるよう、我々が考えた結論として、統合ということになった。何か、意見はあるかね?」
「いえ、ありません」
汎用研の研究員が優秀。その点は否定する人間はいない。国中の賢者を集めたのが王立研究所。一人として、無能はいない。居るのは、権力闘争に負けた要領の悪い人間だけ。
首にするのではなく、配置転換なのだと思えば、まだ理解できなくもない決定なのだろう。
「ふむ、では次の議題。新たな寄付金の交付先についてだ」
所長が出した次の議題に、研究員たちは目の色を変えた。
◇◇◇◇◇
汎用魔法研究室主任研究員ホーウッド=ミル=ソキホロは、ある日所長に呼び出されていた。
いったい何があるのか。そんなことは最早噂になっている為、驚く要素などない。
ああ、いよいよ来るべきものが来たな、といった感じだ。悠然自若とした姿勢で立つホーウッドに対して、所長は喜ばしそうに笑顔を向ける。
「おめでとう、君の栄転が決まったよ」
「はあ、栄転ですか」
どこまでも喜ばしそうな、嬉し気な態度を崩さない所長に、ホーウッドが向ける目線は冷ややかだ。内実をよく知っているため、栄転といわれても心に響かない。第一、ホーウッドが長年冷や飯を食う羽目になった直接の原因が目の前の野郎なのだ。数か月前の自分であれば、怒りのあまり殴りつけていたかもしれない。平静で相対するだけでも、既に大きな心境の変化がうかがえる。
「我々は、常に時代の最先端を歩き、前人未到への挑戦者でなければならない。常に改革と前進こそが友だ。それこそ研究員というものではないか?」
「それはおっしゃる通りかと思います」
素晴らしいほど清々しい建前だ。
研究者が未知を恐れてしまえば意味がない。常に分からないこと、知らないこと、初めてのことに挑んでいってこそ研究者。言い分だけは至極ごもっともとホーウッドは頷いた。
「そこでこの度、汎用研は統合されることとなった。時代を新たに進めるにあたり、汎用研はその先兵たるのだよ。おめでとう」
なにが目出たいものか。そんな心情を隠しもしないホーウッドは、無表情のまま所長の話を聞く。
「新たな部署は、鉱物研になる。土木研とどちらがいいか迷ったのは迷ったのだよ。君の昨今の研究テーマからして、鉱石の方に多少なりとも専門知識があるだろう?」
「まあそうですね」
今までの汎用研の研究テーマについて、魔法の汎用化の為に、魔力を貯める物質を研究するというのがあった。軽金がそうであったように、単一性・均質性のある物質は魔力と親和性がいいとされており、鉱物は大きな研究テーマであった。
所長も魔法研究者の端くれであり、汎用研の研究進捗は承知している。鉱石であれば普通よりも詳しいだろうという意見もあながち間違いでなく、それに近しい研究室と統合して移籍、というのも一見すれば合理的に見える。
肉体労働をさせて虐めてやれという意図さえ見えていなければ、感謝する場面なのかもしれない。
「何か、質問はあるかね?」
「いえ、ありません」
「そうか、ならば下がりたまえ。君の処遇に関しては……ヒラの研究員となってしまうが、心機一転頑張ってもらいたい」
相も変わらずの笑顔のまま、所長は残酷な人事を告げる。
元々ホーウッドとは仲のよろしくない所長だ。あからさまな左遷人事で汎用研に追いやった後、今また降格という理不尽を突き付ける。
勿論、所長にだって言い分はある。ホーウッド研究員は元々、汎用研の中でささやかながらも成果をあげ、キャリアを積んできたからこそ、その中で管理的な地位を与えられていた。ここで他の研究室に移るにあたり、いきなり主任研究員となっても、地位に実力が伴わないのではないか。
お飾りの主任がぽっとやってきて、主任以上に専門知識のある研究員を従える。これでは、今までいた研究員たちの士気が下がること夥しい。
一理あるのは確かだろう。ホーウッド一人が我慢しさえすれば、他がすべて丸く収まる。
こうなってくると、所長の笑顔の裏に、サディスティックな弱いもの虐めに近しい感情が感じられるだろう。ホーウッドにしてみれば、所長の性格の悪さなど今に始まったことではない。
中年の研究員は、ここでようやく、自分の言いたかったことを口にする。
「いえ、そのことですが、汎用研が無くなるというのであれば、辞めさせていただこうかと思っています」
好戦的な笑みを浮かべつつ、ホーウッドは所長の顔を見る。面白いことに、所長の顔は狼狽としか言いようがない。
どうやら、イジメはしても、辞めさせるところまでは考えていなかったらしい。
「辞める? 研究所をかね?」
「はい」
「何故だ。幾ら役職が無くなるとはいえ、これから研究成果を出していけば、また上の立場にも就ける。君ならその能力は有るだろう」
ホーウッド主任研究員は、人が寄り付かなくなった汎用研を維持し、構造的に極めて困難でありながら僅かながらも成果を出して来た人物。汎用研で舐めてきた辛酸に比べれば、今回の人事のような“まともな研究室“で下積みからやり直すことなどキャンディーのように甘い。
二年か三年か、或いは五年ほど。しっかりと成果を出せば、また主任研究員の地位に就くことだって出来る。そう言って、引き留めようとする所長。彼は、汎用研を潰す工作には加担していても、優秀な研究員を飼い殺しから手放す気は無かったのだ。
「そこまで評価いただき光栄ですが、流石にもうこのまま働くことは出来ません」
ホーウッドの決意は固い。
所長が、他所の研究機関に手をまわして再就職を阻止しようとしていることぐらいは察しているが、それでも断固として辞意を翻すことはしない。
「そうか……私は君の能力を買っていただけに残念だよ。では、辞表を出してもらえるかね」
「ここに」
辞職志願者は、懐から羊皮紙の巻物を取り出した。ソキホロ家の家紋で蝋印がされた、正式な文書である。
「準備の良いことだ。最初からそのつもりだったのかね?」
「前から薄々は感じていましたし、最近は盛んに噂になっていましたから」
汎用研が統合されるという噂は、既に確定した事実として研究所内に流れていた。何せ、主だった上級研究員が集められた場で、所長が発言したのだから。
辞めるという覚悟を決めるには十分すぎるほど時間があった。
「分かった、これは受理しておく。私物を引き払い、期日までに部屋を明け渡すように」
「はい」
「今後の当ては有るのかね? 良ければ、研究員の経歴を買ってくれるところを紹介するが」
研究員という職を辞したところで、再就職の当ては厳しいだろう。まともな研究機関は基本的に王立研究所の影響下に有る為、王立研究所の所長の不興を買って辞めた人間に再就職の手を伸ばすことは無い。
所長としては、最後の思いやりのつもりで再就職先を斡旋してやってもいいと持ち掛ける。
しかし、ホーウッドは首を横に振る。
「……しばらくはゆっくりしたいと思っています」
「そうか。では、今までご苦労だったね」
辞めていくものに、周りは冷たかった。
残念だとか、これから頑張れと声を掛ける仲間も居ないでは無かったが、残るものにとってはこれからが大事だ。辞めていくものに親身になるものは少ない。
既にまとめ終わっていた私物を抱え、王立研究所を後にするホーウッド。
一度立ち止まって振り返り、今まで長く働いていた職場を見渡す。
そして改めて歩き出す。
「よっしゃあ!!」
元主任、となった男は、晴れ晴れとした気持ちで空を見上げた。