024話 婚約者には焼き菓子を
着飾った淑女たちの煌びやかさ。それを花に例えるとするのなら、それに惹き寄せられる畏まった紳士は蜂である。花の周りを忙しげに飛びまわり、甘い蜜を求めて羽音を鳴らす。
羽ばたく勢いがあればあるほど、花は羽風に揺られて、蜂から頭を背けるのもまた愛嬌がある。時には花の方から蜂に近づくこともあるのだが、それはそれで一興と言える。
「しかし、幾らなんでも多すぎるでしょう」
「ん? 流石のペイスも疲れたようだな」
「それはそうですよ、父上。さっきから何人を相手にしているとお思いで?」
「知らんな。五人から先は数えてない」
「十三人です。いい加減同じことを繰り返すのも飽きてきました」
モルテールン親子。それも子供の方が辟易としているのにはわけがある。
而して、彼らが居る場所を知れば仕方の無きことでもあった。
二人が居る場所。それは即ち、スクヮーレ=ミル=カドレチェク公爵嫡孫とペトラ=ミル=フバーレク辺境伯家三女の婚約披露祝賀会の会場である。
もっと具体的な場所を言うのなら、王城の中庭と、それに面する一室を借り切ってのお披露目会だ。
王家に連なる親戚筋たる公爵家嫡孫の祝い事。王家としても場所を貸すぐらいなら祝儀代わりと請け負うわけだが、それはそのまま公爵家の箔付となる。また、王都に隠然たる勢力をもつカドレチェク家と、今回の件で姻戚となるフバーレク家の家名向上にも繋がる。
それ故に王城中庭での立食パーティと相成った次第ではあるのだが、ここにペイスを困らせる理由がある。
人が多いのだ。
王城の中庭は、万が一の時には軍の宿営地となれるように相応の広さがある。そこが寂しくない程度の招待客がいる訳で、軽く見ても1000人は居る。細々と給仕している人間や警備の人員などはその倍は居るだろう。
王都に籍を持つ宮廷貴族は言うに及ばず、領地貴族もそれなりに来ているし、来れずとも名代を送っている家は多い。当然一つの家から一人という決まりがあるわけではないので、伴侶や子供を連れて来ている家も多い。
この子供連れというのが何よりも厄介だ。
何せ集まりの目的が婚約披露。話題を婚約だの結婚だのに持っていくのに労力は要らず、辺境伯家御令嬢誘拐事件解決の立役者である少年は、さっきから引っ切り無しに見合い攻勢を掛けられているのだ。世の中にはモテ格差という理不尽が存在するらしく、それを羨ましげに見ている青少年も多い。
本人が魔法使いであると知られ、今後は国の最大派閥となるであろうカドレチェク家とその縁戚となるフバーレク家の双方に相当のコネクションを持ち、見目麗しく才気闊達なる上に、父親は大戦の英雄。ここぞとばかりに縁を持ちたがる者は非常に多かった。
特に、丁度年の釣り合いそうな娘を持つ家には狩り頃の獲物に見えるらしい。
婚約披露の場とは言え、貴族が集まる社交界においては、マナーがある。最低限のマナーとして、目下の者が目上の者にむやみやたらと声を掛けてはならないというのもその一つだ。守らなければ、下心だらけの者が挨拶攻勢で折角の場を壊してしまいかねないからして、かなり大事な風習として今尚顕在である。
その点、騎士爵の息子となれば目下も目下。同格を除けば全てが目上となる訳で、逆に言えば大抵の人間からは話しかけてもマナー違反にはならない。声を掛けやすい上に、声を掛ける価値があるのだから、声を掛けるなと言う方が無体と言うもの。
ちなみにその数は、会が始まって間もないのに軽く十件は超えている。中には伯爵家の御令嬢を紹介される事まであったのだから、中々に凄い事ではある。ただし、当の令嬢は五歳だったが。
「おお、モルテールン卿、ここに居られたか」
「カドレチェク公爵、この度はおめでとうございます。ご招待いただきまして感謝の言葉も無く」
「いやいや。卿にはペトラ嬢の妹君誘拐の折には世話になった。おかげで大事に至らず無事この式を開けましたこと。儂の方こそ礼を言わねばならんと思っております」
「それも務めでありましたので」
辟易とした様子であったペイス達の元に現れたのは、今回の披露宴を主催している一人。国内貴族家でも屈指の権門勢家領袖、エリゼビオ=ハズブノワ=ミル=カドレチェク。武人たる威風を持って、独特の威圧感を持つ古豪。
ひとしきり、エリゼビオとカセロールの貴族家当主同士の挨拶が済んだ頃、改めて公爵は一人の少年に目を向ける。
「ペイストリー=モルテールン卿におかれても、この度の活躍の噂は聞き及んでおる所。義理の孫になるリコリス嬢を守っていただけた事、主役故に椅子から動けぬ実孫に成り代わって礼を申す」
「いえ、女性を守るのは騎士としては当然の務めなれば、礼には及びません」
「ほう、これは良き心がけ。相変わらずの凛々しさを、我が孫にも見習わせたいものですな」
「我が友は、十分に凛々しくおられます。今日もまた挨拶をしましたが、それはそれは立派でありました」
公爵嫡孫であるスクヮーレは披露宴の主役であるため、中庭に面した一室で置物のように座らされている。招待客全員からの祝辞を受け取るまでは動けない上、一目惚れの女性が将来の妻として隣にいる為、カチンコチンに固まっていた。
唯一緊張が緩んでいたのは、ペイスが挨拶をする時に思わず笑いを隠したのを見咎めて、気楽な会話を出来た時ぐらいだろう。
「武勲確かな貴殿に言われると、思う所はあるものよ。スクヮーレも、婚約したのだからもう少し頼りがいのある男になって欲しいと思うのは、儂の強欲だろうか」
「這えば立て、立てば歩めの親心と言います。如何に優れていようと、更に更にと思ってしまうものです。本人の為には慎まねばならぬものでしょうね」
「おお、それは貴君の父君に言われるべきだな。モルテールン卿は口を開けば貴殿の事ばかり話す」
「お恥ずかしいことです。父は尊敬すべき点多々あり、誇らしく思っておりますが、いささか子煩悩も過ぎるのが玉に瑕と思っております」
「親やじじいにとってみれば、成人したとはいえ、子供は子供であるからな。スクヮーレなども、儂から見ればまだまだ尻に殻の付いたヒヨコのようなものよ。ましてや騎士爵からすれば、十にも満たぬ貴殿は、まだまだ可愛い子供なのであろうよ」
「恐縮の次第。ところで閣下、この機会に一つご確認したいことがあるのですが」
「さて、なんであろうか」
子供の無邪気な笑顔とは、人の心を和らげる。生まれたての子猫の拙い動きが愛くるしいのと同じで、相当のひねくれ者でない限りは頬の緩むものであろう。
ペイスが浮かべているのもそれである。ここに母親が居れば、その柔らかそうな頬っぺたを突きたくなる衝動に悶えていた筈だ。
歴戦の交渉人たるカドレチェク公爵にとっても、例外には当たらなかった。思わず警戒心を解いてしまったのは、後から考えれば失策だったのだろう。
「先頃フバーレク家のリコリス嬢が攫われた折、奇妙に思ったことが有りました。賊の手際の良さや退却判断の確かさの割に、攫う相手を間違えたり、退路の確保が不十分であったりと拙い部分もあった。情報の取得に明らかな偏りがあった。貴重な魔法使いを用意し、拠点を確保できる財力とコネも必要だったでしょう。その割に、本人にはそこまでのコネクションがあるとは思えなかった。没落貴族に、王都で好き勝手出来るほどのコネは無いですからね。総じてみると、どうにもチグハグな印象が拭えない」
「ほう、貴殿は想像力も豊かであるな」
「ところがここに、仮定の話として第三者の介在があったとするなら、このチグハグな不自然さが解消されるのです。偏った情報を流し、コネを用意し、王都での横行を見逃す第三者の存在、です」
「ふむ、ふむ」
実に興味深い、という態度の公爵と、可愛らしげで無邪気な子供を上手に取り繕っている少年。
パーティの参加者が離れた場所からそれを見る限り、他愛も無い世間話をしているようにしか見えなかったのは幸いだったのだろう。
「そもそもこの事件。今の時点で一番得をしているのは何方でしょうか」
「さて……」
「仮に得する人間が居ると仮定し、その“誰か”に敵意を隠さない相手を芋づる式に掃除出来た。“誰か”は王都にかなり強い権限を持っているはずで、警備を多少なりとも弄って監視にわざと穴を作れた。“誰か”はこの婚姻で相手方に恩を売れた。あえて妹を襲わせることで“誰か”の方は安全を買えた。他にも……」
ここにきて、言わんとすることを察した公爵は途端に顔を引きつらせた。目の前の少年の笑顔が、子猫どころか虎の笑顔であった事を改めて思い出すに至る。
「もういい。貴殿の言わんとすることは、その誰かが儂であると言う事か?」
「いえ。あくまでそんな裏で絵を描いていたような人物が居たとしたら、という想像の話であります閣下。子供とは時に荒唐無稽な作り話を夢想するものでありますから、そこは大人の度量として笑っていただければ」
「貴殿は成人しておる。子ども扱いも出来んだろう」
「そこはそれ。私などは父や公爵閣下からすれば、尻に殻の付いたヒヨコで在りますれば」
「よく言うものよ。末恐ろしいと心底思う」
公爵が溜息を隠せたのは、交渉人としての矜持だろうか。心の底からの吐き出すような思いを受け、ペイストリーは慇懃に頭を下げた。
「さて、それとは“全く関係の無い”話ではありますが、当家はご存じの通りいささか難治の土地を持っております。何がしかの手を打とうにも、先立つものが無ければ難渋するのが世の常。賢明なる閣下に置かれては事情をご理解いただき、いささかなりともご助力を賜りたく思っております」
「油断も隙もあったものでは無いな。ちなみに、ご助力いたしかねる場合は何とする?」
「私の口が軽くなります。丁度辺境伯閣下も居られますので、挨拶をせねばならぬところでしょうし、先ほどの話も、子供ゆえにうっかり話してしまうやもしれません」
「分かった。降参じゃ。後日それ相応の援助は約束しよう。この度の謝礼という名目もあるのでな」
「閣下の御器量には感服いたす所存。後日改めてご挨拶に伺いたく思います」
ふん、と鼻息を荒らした公爵は、内心してやられた思いがあった。
確かに、アーマイア元公爵家含む、敵対派一同が蠢動していたのは知っていたし、それを一網打尽にする機会を伺っていたのは事実である。また、敵方と想定される人間にそれとなく偽情報を流していたのも事実だ。
その指示を出したのが当の公爵本人なのだから断言できる。
しかし、間違っても可愛い孫の婚約者や、その妹を危機に晒すつもりでやっていた事では無い。王都の軍権を預かる身として情報管理は通常業務であるし、公爵の立場を考えれば敵など幾らでも居る。
それを総合してみた時、ともすれば今回の事件がまるで公爵が自作自演をしていたように見える、と指摘されて思わず冷や汗を流したのだ。
自身も気づかぬ事を、遠回しに忠告してもらえたことを感謝しつつも、露骨に集られたという点で不愉快に思う。
総じて、悲喜交々の複雑な心中ゆえに、鼻息を荒らしたのだ。
どう見ても幼げな少年と、傍から見れば親しげに長話する光景。まして少年のカウンターパートが並ぶもの無き権勢家であるならば、否応なく目立つ。
それ故に声を掛けてきた者も居た。
「おぉ、モルテールン卿。それに、ご子息も居られるか。よく来て下さった。此度のご助力には感謝の言葉も無い」
「これはこれは、フバーレク辺境伯。御息女の婚約に際し、改めてお祝い申し上げます」
今回の婚約披露宴のもう一人の主役側。ドナシェル=ミル=フバーレクその人だ。東部の取り纏めと、仮想敵たるエレセ・ヤ・サイリ王国との最前線を守る役目柄、王都に居ることは珍しい。今日のようによっぽどの理由が無ければ、東部から離れられないのだから当然だ。
それ故にこの機会に縁を持っておこうと声を掛ける者は多いのだが、彼には彼の思惑があってわざわざ公爵とペイストリーが揃っているタイミングで声を掛けてきた。
これは少々はしたない行為。ルール違反ではないが、かなりの言い訳が無ければ眉を顰められる。
他人の歓談を邪魔する行為は、誰でも嫌がる行為な訳で、まして交渉中であればそれを邪魔された時に押していた側は敵意さえ持つ。余計な事を、といった感じで。
そう、かなりの言い分が要るのだ。
「フバーレク辺境伯。年若き英雄に礼を言いたい気持ちは分かる。卿も人の親であれば、娘を助けて貰った恩もある事だろう。しかし、国家の重席たる卿がそのように急がれずともよいと思うのだが?」
案の定、今しがたペイストリーと話していた公爵に見とがめられた。
今後、公爵と辺境伯は縁戚となる。二人の周囲に耳と目が集まるのは仕方の無い事であり、下手に近すぎる様子を見せては、結託して良からぬことをしようとしていると、痛くも無い腹を探られ、要らぬ警戒をさせてしまう。
それ故、婚姻の約を交わした後は出来るだけそっけなさを演出するべき。それぐらいの事は辺境伯とて分かっているはずである。
にもかかわらず、自分から公爵の方に寄ってきた辺境伯の思惑や如何。まして眉を顰められそうな真似までやらかしての事。ただ気楽に声を掛けたわけでないことは明らかだ。
何事かありそうな雰囲気が漂ってきたところで、招待客も興味津々で様子を伺っている。
「いやいや、私としても是非ペイストリー=モルテールン卿に御礼を言わねばならぬと急いておった所でしてな。改めて、卿には心より感謝する次第」
「恐縮です」
「お蔭で娘二人は無事成人となりまして……そう言えば、卿は既に聖別の儀を受けられておいででしたな。魔法も授かったとか」
「はい、神の恩寵灼かなるに感謝の念あるのみかと」
辺境伯の思惑をペイスは推察する。
こういう不文律を踏み越えてまで押してくるとなれば、まず普通の歓談では無い。多少の不利益を甘受してまで得たい、非常に大きな利益がある。或いは少々の悪評など今更と思えるほどに大きな不利益を回避したい。そのどちらかだ。
守るべきものが大きい辺境伯が、それを危険に晒してまで避けたいリスクなど早々ない。であるなら、何がしかの大きなメリットを求めて声を掛けて来たと考えるべき所。
ペイストリーに声を掛けてきた所から考えて、まずそのメリットはペイス本人の持つ何か。モルテールン領にメリットを見出していたのなら、父親の方に声を掛けるはずだからだ。
聖別の儀について切り出したところから考えれば、それに付随する話を持ってきたはずである。
そこでふとペイスは思い当たる。
魔法。
ペイスが考えるに、自身の持つ最も価値のある物がそれである。
万人に一人の稀有な資質。更に、辺境伯はペイスの魔法の内容も知っている。その有用性を、自分には見えない所で何か思いついたのかもしれない。
こうなると、話の持っていき方次第では大儲けに繋がる。と、少年は心の中でほくそ笑む。
だがそれ以上に、自分達が損失を出さないようにしなければならない。
「卿は父君から魔法の才能を得、母君から類稀なる美貌を受け継がれた。実に羨ましい限り」
「辺境伯閣下にそう言っていただけることを、両親に感謝する次第」
「何の。卿ほどの人物であれば、近い将来引く手数多になることでしょうな。特にご婦人方には麗しき才人は人気でしょうて。それとも、もう心に決めた方でも居られるかな?」
「いえいえ。私などは未だ若輩の身なればそのような話には縁遠く」
しかし、どうにも風向きが怪しい。
「卿も既に成人されたわけですし、身を固めるに早すぎると言う事は有りませんぞ」
「騎士爵家に産まれたものとして、いずれは止む無し、という気持ちは持っております。しかし先にも述べたとおり若輩の身ですので」
「左様ですか。いい人が居れば、将来身を固めることもありましょうな」
「まあ、まだいい人との出会いがありませんので」
辺境伯と息子のやり取りを黙って聞いていたカセロールは、やられたと感じた。
日頃は聡い息子であっても、この手のやり取りはまだ不慣れであったかと忸怩たる思いである。そして、今更会話に割って入るには難しいものがある。
「ほほう、では私の娘などは如何ですかな?」
「は? ペトラ嬢はスクァーレ殿との婚約を結んだばかりでしょう?」
「いやいや、リコリスの方です。卿に助けて頂いてより、娘の方も満更では無い様子でしてな」
「はぁ、光栄ではありますが……」
「気の乗らぬ様子ですな」
「私のようなものでは分不相応でしょう。リコリス嬢ならばもっとよき人が居られるやもしれず」
ここで言質を与えてはならない。と、考える程度にはペイスも知恵がある。
だが、流石に前世の記憶をおぼろげに持っていたとて、それも含めて全く経験したことが無いものを十全にこなすのは不可能なのが道理。
今までのやり取りで既に、言質を与えてしまっている事に、彼は気付けていなかった。
気づいていたなら、もう少し違った対応をしたはずなのだから。
「ほほう、貴君は先ほどいい人が居れば身を固めるとおっしゃった。しかし私の娘は嫌だとおっしゃると。はてさて、貴君からして、私の娘が悪いということかな?」
ここにきて、ペイスもようやく自分の失策に気付いた。
父親の苦い顔、公爵のしたり顔、辺境伯の顰め面。どれもこれもが一つの答えに繋がる。
少年は気付けなかった。
彼の一番の価値は魔法では無く、彼自身そのものであることに。
「……いえ、決してそのような意図は無く」
「わが娘に不満は無いと?」
「リコリス嬢は素晴らしい女性である事に異論はありませんが……」
「ではよろしいですな。カセロール殿もよろしいか?」
ここにきて、ようやく辺境伯はペイスの父親に声を掛けた。
この状況で、出てくる答えなど一つしかない。辺境伯が押し、公爵がわざわざ睨みを利かせる場で言われてしまった事を、面と向かって反発すればどうなるか。
分からない人間などこの場には皆無だ。
「我が家にとっても光栄な事かと」
「よし、では決まりですな。早速、皆を集めてまいりましょう。おい、今すぐうちの皆を集めて来なさい」
「おお、それでは我がカドレチェク家の者も集めましょうぞ。誰か、皆を呼んできてくれ」
あれよあれよと言う間に、ペイス達の周りには人が集まる。
手に手に、新しい酒が用意される。
ややあって、一人の少女がペイスの傍にやってきた。
今回の誘拐事件の被害者でありながら、少年に守られたリコリス=ミル=フバーレクである。
さりげなく横目で見ようとしたペイスは、彼女に目を奪われた。
披露宴主役の親族として、着飾るのは当然ながら、その見事な仕様に周囲からも感嘆の声が上がる。
髪型はやや上目で束ね、そこに煌めく飾りを散らしてある。ピアスこそ無いものの、首元には金貨が何十枚と飛びそうな豪華な、それでいて控えめなネックレス。
上から下までが綺麗なグラデーションになるようなドレスを着こんでいるが、最も人目を惹くのは少女自身。
自分が主役になっている事への気恥ずかしさと、それを態度に出してしまう、年頃の少女独特の恥ずかしげな様子。かといって逃げるでもなく、隠すでもなく、嬉しそうに少年の傍に居る様。いじらしく、それでいて可愛らしい様子は、見るもの全てを幸せな気持ちにさせる。
大人たちなどは、自分もあんな初恋の初々しさがあったものだと目を細める。
「さてお集まりの諸卿。私ことドナシェル=ミル=フバーレクは、この度、娘の伴侶を約すことと相成った。その相手はスクヮーレ=カドレチェク卿。そして、ペイストリー=モルテールン卿の御両名である。諸卿諸官におかれては、新たに息子となった両名を是非ともお引き立て頂きたい」
「さても目出度いこと。我がカドレチェク家に美しき娘が増えたと思えば、英雄の息子も義孫となる。この嬉しきに、乾杯!!」
「「乾杯っ!!」」
あっという間に決められてしまった自分の婚約に、ペイスもハァと溜息をつく。
しかしそれは、リコリス嬢が嫌だからと言うわけではない。
クリッとした目。スッと通った鼻筋。年相応に瑞々しいくちびる。そのどれもが可愛らしく、将来は間違いなく美人になると確信を持てる。少年からしても、彼女自身には何の不満も無いどころか、むしろ喜んでいるぐらいのものである。
悩んでいるのは、乾杯の音頭を取ったおっさん連中のあくどさだ。
「ペイス様」
「リコリス様。この度は色々と迷惑を掛けてしまいましたね」
「いえ、迷惑などとは。それで……私でよろしかったのでしょうか」
不安げな様子を見せるリコリス。
彼女も貴族家に産まれたものとして、何時かは親の決めた相手と結婚せねばならぬことは承知していた。聖別の儀を受けた後であれば、すぐにでも相手を決められると覚悟はしていた。
まして、自身を守ってくれた少年には想いもある。飾らない言葉で表現するならば、嬉しいの一言。
だが、彼女が不安になるのは、自分が4~5歳は上であると言う事。この年頃の数年差は、大人が考える以上に本人には深刻な問題に思えた。
「僕は、正直に言うなら嬉しいですよ」
「私もです。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」
実に初々しい。照れながら、そして遠慮しがちに距離を詰める二人には、見ている大人たちが赤くなってしまいそうなほど純真な恋心が見て取れる。
これから、じっくりとお互いを知れば良い。二人の為の時間は、これからなのだから。そんな貴族特有の考え方もまた、周りの大人が見守る理由であった。
「そうだ、ペイス様。私、前に頂いたものをお手本にして焼き菓子を作ったんです」
「この間のというと、クッキーですね」
「持ってきているので、是非召し上がって下さい」
侍女に預かって貰っていた焼き菓子。甘い匂いがするので不思議に思っていた正体はこれであったか、とペイスは納得する。
布地に包まれていた封を開けば、その中には十ほどのクリーム色。ふわりと漂う香りに香ばしさが残るのは、使った材料が良いからに違いない。
「どうぞ」
「いただきます」
――サクリと食べた焼き菓子は仄かに甘く、そして塩味が効いていた。
2章〆
ここまで読んでいただき感謝です。
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3章は内政回。
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