238話 密談2
神王国の歴史は、南大陸全体から見れば新しい。歴史の長いナヌーテック国あたりと比べるなら、精々が三分の一程だろう。
都市国家として誕生したこの国は、当時としては画期的であった専業軍人による常備軍を持ち、精強無比と言われたそれをもって僅かな間に周辺国家を併呑し、拡大していった。神王国が騎士の国と呼ばれる所以である。
しかし、全員が全員、この都市国家に所縁が有る者かといえばそうではない。国家が膨張していく過程で、元々独立国であったものが外交交渉や軍事行動の結果傘下に入り、神王国の爵位を与えられるようになった例が存在する。
ベンチャー企業が新技術や画期的なビジネスモデルで業績を急拡大し、昔からあった他所の会社を吸収合併し、元々の経営陣を重役として迎え入れたようなものだ。敵対的か友好的か外交的かはともかく、現代でも珍しい話ではないだろう。
友好的に外交交渉で傘下に収まった。その代表的な例がレーテシュ伯爵家である。
元々、一つの国と呼べるほどの独立性を持っていた地方勢力が、神王国の膨張の圧力を受けて降り、臣下の礼を取ることで伯爵位を授けられた。傘下に下る前から周辺海域を荒らし回っていた武闘派であり、海賊伯とも呼ばれるレーテシュ伯爵家の歴史の始まりだ。
レーテシュ領独自の通貨を発行する貨幣鋳造権であったり、他の伯爵家に比して規模の大きい軍隊を許されていること、或いは一部の外交においては独自裁量が認められていることなどは、独立国家であった時の名残であり、レーテシュ家当主が王の地位という名を捨ててでも守って来た実益だ。交易と貿易と略奪で成り立つレーテシュ家は、体面よりも利益の確保を優先したということ。理想や体面よりも実益という家風は、今尚残るレーテシュ家の風土である。
「ご無沙汰を致しております」
王立研究所を訪ねたのは、レーテシュ家当代当主ブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュ。自称年齢は何故かここ数年来ずっと二十八であり、年齢不詳ながら三児の母でもある妙齢の美女だ。美醜の区別は人の主観によるものではあるが、少なくとも、彼女に対して容姿を貶すような人間は神王国には存在しない。過去存在したとしても今は存在していない。物理的に。
国内屈指の金満家であると同時に、一声掛けるだけで神王国南部の貴族を動員できる実力を持つ、南部貴族の取りまとめ役。
諸外国にも広く名前を知られた女傑であり、同時に領地から出ることが稀な人物でもあった。
それ故、珍しい来客であると王立研究所の所長は張り切っていて、これでもかと言う程着飾っている。勿論宝石もたんまりと身につけていて、身柄を攫えば一財産になるだろう。
会合が海の上で無いことに、所長は感謝すべきである。
「これはレーテシュ伯。よくぞお越しくださいました。閣下がお越し下さるだけで、研究所が華やぎますな」
超が付くほどの大金持ちでありながら、滅多に王都に来ることの無いレーテシュ伯相手に、所長は揉み手ですり寄る。
レーテシュ伯は、現時点でも一応幾つかの研究にパトロンとして付いているわけだが、最近はレーテシュ家も羽振りがいいと聞いている。ならば、今まで以上の投資や寄付を期待できるというもの。ごまをすって金が出て来るなら、幾らでも擂る。おべっかを使って寄付の確率が上がるのならば、たとえ猿でも絶世の美人というのがこの場の常識。
女性が少ない職場にレーテシュ伯が来たのなら、研究所全体が華やぐと持ち上げた。
「あら、そうですか。所長とはもう十年ぶりぐらいになるかしら。お久しぶりですわ」
「本当に久しぶりです。以前お会いしたのは確か、私の研究成果をご所望になられた時でしたな」
所長も、かつては研究者としてとある研究室に所属していた。魔法が専門の魔法学者であったが、研究成果と言うよりは、他人のふんどしと世渡りの上手さで今の地位にいる。研究者として無能ではなかったが、飛躍的なアイデアを出せるような奇抜さもない。研究者としての能力だけを見れば、彼以上に優れた研究者は大勢いるが、不思議なことに今は彼がトップに居る。
「ええ。画期的な御研究でしたので、是非詳しくお聞きしたかったものですから」
「それから十と……二年ほどですか。時がたつのは早いものです」
「そうですわね」
十年ほど前は、所長は首席研究員兼室長という肩書だった。室長と言う立場をフルに活用し、部下たちの研究成果を一度自分で独占し、再配分するような運営を行っていたのだ。研究室内の研究全てに口を突っ込み、手を出し、芽の出そうな研究が有れば自分が主体となるよう動いて成果を得る。普通は、自分の研究が決められれば、それで成果を出そうと集中したがる。狭い範囲のことをとにかく深く深く探っていく知識の探求。それが研究者だが、彼はその逆をやったのだ。浅くてもいいからとにかく広く。
そして、これが後に評価される。
全ての研究に目を通していることから、他所から来る人間に対してはどの研究に対しても受け答えが出来るとあって、評判はすこぶる良かったのだ。専門馬鹿と揶揄されるような、自分の研究以外は碌に知らない研究者が多い中、網羅的に研究内容を把握できていた人物として評価をあげ、視野が広いという評判を確立し、しばらくして副所長となり、そしてそのまま王立研究所所長の椅子に座ることになった。
人に歴史あり。
レーテシュ伯も“若かりし”頃、まだ研究員の肩書だったころの所長と会っている。重要な研究で成果を出せたからというのがその理由だ。研究成果を手に入れる為に、直々に出向いた。
「そう言えば、ご結婚されたのでしたな。遅ればせながらになりますが、おめでとうございます。前にお会いした時も美しかったですが、今日お会いして更にお美しくなられていて吃驚しました。やはり女性は結婚すると変わるものですな」
所長に言われたことで、少し頬を緩めるレーテシュ伯。彼女にとって、またレーテシュ家にとって、結婚と後継者の問題は長い間の懸案事項だった。それが解決している現状、幸せを感じる毎日であり、険が取れたとは自分でも感じていたのだ。強いストレスになるものが一気に離れ、肩の荷が幾つも落ちた現状、彼女自身も自覚するほどに体調は良い。
結婚して変わったと言われるならば、自覚があるだけに悪い気持ちにはならない。
「ありがとうございます。もう結婚して子供まで居りますので、人から褒めて頂けるのも久しぶりですわ」
「ほう、お子様もお生まれになられたのですか。お幾つですか?」
レーテシュ伯は、子供の年を指で表す。片手で済むというだけでも幼さが分かる。
「まだ小さいのですな。今は、かわいい盛りでしょう」
「それはもう。子供の寝顔を見るのが癒しですのよ」
親にとって、子供の話題と言うのは鉄板ネタの一つだ。社交辞令や世間話から会話の間合いを探るにも、確実な反応があるネタとして重宝する。
「そうでしょうとも。走り回って騒がしい子も、寝ている時は精霊のように愛らしいものです。お子様は御子息ですか、それとも御息女ですか?」
「娘ですの。元気に育って欲しいと願うばかりですわ」
レーテシュ伯の愛娘は三人。三つ子で産まれた女の子たち。生まれる時にはすったもんだがあり、大変な苦労をして産んだだけに可愛さはひとしおである。
尚、結婚する前に身ごもった、所謂出来婚だったりするのだが、これについては公然の秘密だ。公式発表では結婚してすぐにおめでたがあり、三つ子だったから早めに生まれてきた、ということになっている。ちゃんとした情報網をレーテシュ領に張り巡らせている家は、勿論真実を知っている、公然の秘密と言う奴だ。
「ほほう、伯爵閣下の御令嬢となると、きっと将来は美人となられることでしょうな。男たちが取り合う様が目に浮かびます」
「親としては、是非とも運命の人と結ばれて欲しいと思っておりますの。私自身が旦那と出会うまで随分と紆余曲折があったものですから、娘には良い人が居たら逃がすなと教えていますのよ。おほほほ」
レーテシュ伯自身は、十代の頃から幾つも縁談があった身だ。大身の高位貴族家で、逆玉の輿になる結婚。本人の容姿も優れている。それはもう、他の貴族にしてみれば、よだれをたらさんばかりに美味しい獲物に見えた。
しかし、当代レーテシュ伯は男の付属品になるような性格を持ち合わせていなかったし、レーテシュ家を守るという責任を果たす気概と能力を十二分に備えていた。これが不幸であったのかどうか。少なくとも、婚期に関してはマイナスに働いた。
山と積まれる金貨しか見ていない強欲な者、婿として入った後は妻を傀儡にして伯爵家を乗っ取ろうとする野心ある者、女を性欲のはけ口ぐらいにしか思っていない不埒者、妥協を重ねた産物として、消極的な選択の結果で仕方がないという姿勢を隠さない傲慢な者。
そのどれもを、レーテシュ家にとって好ましくないとして跳ね除けた。お前で妥協してやると言われた時は、相手の男の股を自ら蹴り上げて破談にした。
結果として年を重ねてしまい、更に環境が悪化してしまうという悪循環。
そんな経験をした彼女だからこそ、自分の娘には「良さそうなら迷わず喰い付け。味の良し悪しは食った後に分かる」と教えるつもりだった。肉食系を通り越し、猛獣系とも呼ぶべき教育方針であるが、その結果がどうなるかは神のみぞ知る。
「レーテシュ家の教育は独特ですな。ところで閣下、今日の御用向きはどういったことでしょう」
子供の話題も大分盛り上がった。世間話はこの辺で良かろうと、所長は本題を切り出した。
「実は、研究所に寄付をしようと思いまして伺いましたの。常から行っているものとは別口で」
「ほう、それはありがたい」
所長の口元に笑みが浮かぶ。金をくれると言われて嫌がる研究者など居ない。余計な紐が付いていなければもっといい。その点、レーテシュ家は王都から遠く離れた南部辺境の領地貴族。紐の長さで言えば最も長い。少なくとも、研究所としてはかなり好ましい程度には不干渉に近しい相手。金だけ出して口を出さないという、最も望ましいパトロンだ。
これが宮廷貴族であれば、何かと干渉したがるし、研究成果を頻繁に催促してくる。一ヶ月や二ヶ月で、まともな研究成果が出せるか、と怒鳴って追い返したこともしばしばだ。
「当家も陛下の恩寵と部下の献身によって、幾許か財政に余裕が出るようになってまいりました。私の力ではない部分で、ささやかながらゆとりが出来た。ならばこれを広く世間にお返しするのが道理だと思いませんこと?」
「ご立派なお心がけと思います」
この上ない程の建前口上ではあるが、金をくれる建前ならば手放しで褒める所長。お金に余裕があるというのは羨ましい話だ。レーテシュ家ほどの大家でゆとりと呼ぶのだ。金貨が何百枚、何千枚になることか。そのうちのどれほどが寄付金になるかはこれからの交渉次第だろうが、少なく見積もっても百、上手くすれば千の大台に乗るような寄付も期待できる。近年稀にみる超大型案件であり、所長としても胸を張って自慢できる特大の手柄になるだろう。
「そこで、幾つか此方で調べてある研究室を見せてもらっても構いませんこと?」
「……研究室によりますな」
大金を寄付するぞ、とチラつかせておいて、研究室を見せろと言い出した。この手の交渉は腐るほどしてきた所長であるから、即座にその意図を見抜く。
何か、欲しい技術か情報があるのだ。
「勿論、機密性の高い研究をされている研究室の中まで見せろとは言いませんわ。見学を考えているのは、まず土木研」
「ああ、なるほど、あそこは見学者も多いところですからな。多分大丈夫でしょう」
土木技研、正式名称は土木技術実用研究室。王立研究所の中でも、実学の雄だろう。哲学や神学のように人の内面を模索する学問などとは違い、純粋かつ直接的に社会の実益を重視する学問。
堤防の効果的な造り方や新しい工法の研究開発、土砂崩れを事前に防ぐための研究、道路建設に関する新技術の模索、等々。領地貴族であればどんな貴族であってもこの研究室の研究内容は役に立つ。
故に、見学者も頻繁に訪れる、王立研究所の看板研究室の一つだ。
「他にも、内科薬学研究室と薬用植物研究室」
「そこも大丈夫でしょう」
医学系の研究室についても、出資をして研究成果を欲しいという人間は多い。健康で居たい、長生きをしたいという思いは、権力者こそ強くなるものだ。
ちなみに、この研究室は神王国でも“奴隷の購入”が多いことで知られている。人権意識など欠片も無い世界なので、人殺しなどの犯罪者を奴隷として売買し、薬の人体実験などに“活用”されるのだ。
そうして生み出される研究成果は、社会に還元され、善良な人々の利益となる。ということになっている。
大物犯罪者を実験の結果死んだことにして逃がしている戸籍ロンダリング疑惑や、研究内容の一つが実用的で証拠の残らない毒薬であったという薬殺研究疑惑など、何かと黒い噂の絶えない研究室ではあるが、ここもまた人気の有る看板研究室の一つだ。
「農学系のところであれば、食用植物研究室も見学させていただきたいところですわね」
「おお、流石はレーテシュ伯。お耳が早い。あそこの研究室は、つい最近有用な研究成果を立て続けに発表したところです。珍しいものを見るだけでも価値の有る、人気の高い研究室ですな」
「最新研究を見せて頂くことは出来て?」
「普通ならば難しいのですが……日頃から研究所に並々ならぬご支援を賜っております以上、レーテシュ家であれば断る研究室は無いと思われます」
食用植物研究室は、実はレーテシュ家ととても縁がある研究室だ。最早ずぶずぶと言って良い程に、レーテシュ家と、正確に言うならレーテシュ領と繋がっている。既存の植物の品種改良なども行っている研究室ではあるが、海を支配するレーテシュ家から、目新しい外国の植物が手に入るのだ。これを研究し、効果を調べ、有用な使い道を模索するのも仕事の内である。
設立から現在に至るまで、農業が産業に占める割合の高い南部貴族とは強い結びつきのある研究室であり、南部閥の総元締めのレーテシュ家とも極めて近しい関係だ。
「後は、個人的には美女研も興味がありますの」
「ははは、あそこは良く見学を希望されますが、大抵の方はがっかりして帰られる場所ですが?」
美女研という名前が有ると、頭がピンクな人間は、美人ばかりが所属している、ハーレムみたいなパラダイスを想像する。右を向いても左を向いても美女ばかりが居るような、女性の多い研究室に違いないと。
それ故、男性の見学者が定期的に発生する研究室ではあるのだが、例外なく皆期待を外して帰ることになる。
ここの研究室は、研究テーマこそ美女であるが、やっていることは化粧品の研究であったり、アンチエイジングについての研究なのだ。それを強く必要とするのは、化粧品なんて無くてもピチピチの肌“だった”人々だ。実に些細な余談ではあるが、レーテシュ伯も前々からパトロンの一人である。
美しさの維持が権力維持に繋がる、後宮のやんごとなき方々が主要なパトロンであり、それだけに研究者は優秀な人間が集められているわけだが、研究所でそこそこ成果を出してきた優秀な人間と言うのは、それだけ経験を重ねているわけで、早い話がおっさんや爺さんばかりの研究室ということ。常に成果を求めるプレッシャーを掛けられ続ける、殺伐とした雰囲気のある、涙と嗚咽で満たされる色気皆無な研究室である。ストレスから髪を白く、或いは無くす人間も多い。
ある意味で、最も美女から縁遠い連中が集まる、灰色どころか澱みきってどす黒い研究室なのだ。
「構いませんわ。それと……」
目ぼしいところはそれぐらいかしら、といった雰囲気でしばらく考え込むそぶりを見せるレーテシュ伯。
所長としても、今あげた研究室のどこかにメインの狙いが有るだろうと察する。最新の研究成果で話題になったばかりの食植研あたりが怪しい。
考え込んでいた両者。
無言を破ったのはレーテシュ伯だった。軽く両手を合わせて、咄嗟に思いついた感じの笑顔で望みを口にする。
「汎用魔法研究室、も見せて頂けないかしら」
所長は、思わずせき込んだ。