234話 マルクの成長
「痛ってえ……」
ルミは、酷い頭痛と共に目を覚ました。片頭痛のような内側から来る痛みではない。何かで強く頭を打ったような外からずきずきと響く痛みだ。
一体何なんだと周囲を見渡す。すると、思ってもみなかった光景が広がっていた。
「ここ何処だよ」
彼女が目にしたのは、森である。
しかも、かなり森の深いところのようだった。草はうっそうと生い茂っているし、人や獣が通った形跡さえない。背の高い樹木の枝葉が空を覆い、暗い中では今が何時かも判断しかねる。
とりあえずここが何処か、手がかりでも探ろうかとしたところで、ルミは途端に激痛に襲われた。
「うっ、痛、足が折れてるか?」
見れば、足が変な方向に曲がっている。立ち上がろうとしたことで、それを刺激したための激痛だったのだろう。
涙が出てくるような激痛に耐えながら足を普通の形に戻すと、痛みは若干だけマシになった。
「森だよな、ここ。何でこんなとこに居んだ?」
改めて、ルミは自分がなぜここに居るのかを思い出そうとした。
◇◇◇◇◇
ルミは、ナータ商会の美味しいお菓子を餌にされ、見事につられてペイスの教官室までやってきていた。
扉の前に立ち、こんこんと軽くノックする。ペイスなどは良くノックもせずに扉を開けることがあるが、以前にルミが同じようにした時、ルミの父親からこっぴどく怒られたことがあるのだ。マナーとして、ノックして入れという躾の通り、ドアを叩いて声を掛ける。
「ペイス、居るか……じゃない。ゴホンゴホン」
ついうっかり、モルテールン家の屋敷に居る時と同じようなやり方をしてしまった。これはいけない。一応、この学校に来る前に受けた特訓を思い出し、正しいやり方でやり直す。
「失礼いたします。モルテールン教官。少々お時間を頂けないでしょうか」
実に正しい言葉遣いである。おままごとよりも木登り、おしゃべりよりも剣術、お転婆と名高かったペイスの姉のジョゼよりも、更に輪をかけてお転婆だったのがルミだ。彼女にこれだけの礼儀作法を教えるのに、どれだけの特訓が必要であったのか。モルテールン家上層部の苦労は推して知るべしである。
「居ないのか? 開けるぞ!!」
ノックして声を掛けても、中から返事がない。普通の学生ならこれで部屋を離れるのだが、そこはルミニートである。ペイスに対しては遠慮など欠片も存在しない幼馴染は、躊躇なく扉を開けた。
鍵は掛かっていなかった。勿論、これにはペイスなりの意味がある。防犯を思えば、鍵をかけた方が良い。これは当然だ。しかし、士官学校の部屋の錠は他人が鍵を持っているのだ。マスターキーなどは手続き次第で誰でも持ち出すことが可能。これに頼るくらいなら、最初から当てにしない方が良いという発想である。
一応、部屋の中には大事なものは置いていないことになっている。というより、そもそも碌な私物が置いてない。魔法で自由自在に屋敷に帰れるペイスには、ここに私物を置くぐらいなら、屋敷に帰ってくつろぐ方が良いとなるからだ。
「何だ居ねえじゃんか。ったくどこ行ったんだよ」
部屋を見回しても、ペイスの姿はない。折角美味いものを食えるチャンスが転がって来たというのに、友達甲斐の無い奴だとルミはぶつくさ呟く。
しかし、部屋の中を物珍し気にうろうろしていたところで、僅かばかりに五感に違和感があった。
「ん? なんか旨そうな匂いがするな」
甘い、砂糖を熱したときのような匂い。伊達にモルテールン家に出入りして育ってはいない。彼女は、匂いだけでもお菓子の匂いかどうかを察することが出来た。この匂いは、多分美味しい飴であろうと、敏感な鼻と僅かにぐるぐるとなり出したお腹が告げている。
そして、彼女はモルテールン家中でも名高い、つまみ食いの常習犯である。
「ここら辺……ペイスのことだから、どうせこのあたりに隠し場所が」
ペイスが産まれた時からの付き合いであり、親兄弟を除けば最も長く付き合いのあるルミにしてみれば、ペイスが考えそうな隠し場所は想像がつく。一緒になってトラップを作ってみたり、罠を一生懸命考えてみたり、昔はそういうことも良くやった。
幼馴染の凄さ。ペイスの考えそうなことを、察することのできる能力。何とも使い勝手の悪い能力である。
ルミが目にしたのは、机の上に固定されている、据え置き型の書類ボックス。A3サイズ位ある大きさのそれは、堅い木造りで有るものの、そう簡単には壊せそうにない程厳重に作ってあるようだった。ルミからしてみれば、さも普通の用途っぽく置いてあるこれが、物凄く怪しく見えたのだ。
書類箱の鍵も、恐らくここらへんだろうと見当をつけて探すと、すぐにも見つかる。
「お、やっぱり。で、入ってるのは学生の成績……目くらましの罠だな。本命は、更にこの中と見た」
鍵のかかった書類箱を、当人に内緒で開けてしまうところがルミという悪ガキの悪ガキたる所以だが、中身は案外普通だった。書類一式。書いてあるのは卒業しただろう生徒たちの成績一覧だった。これはこれで重要書類なので、鍵をかけて保管するのに不思議はない。
しかし、ルミにしてみればこんな当たり前のものを、鍵をかけてわざわざ教官室に保管しているところが怪しかった。しかも、書類を入れるだけにしては、箱の側面も底面も、違和感がある。
細かく調べてみれば、書類箱の中は二重底になっているではないか。
二重底を何とか引っぺがし、出てきたのはきらりと光る眩しい輝き。
「へへ、やっぱり。これは金貨か。なるほどね。隠し金庫ってことか。……いや待て、ペイスが金貨を大事に隠すのも変だな。それっぽく過ぎる。ってことは、更に……」
そして、ルミは更に気付いた。ペイスは、お金を稼ぐつもりなら、幾らでも稼げる人間だ。だからそもそもこんな場所に金貨を持ち込む意味はないわけだ。わざわざこんなところにヘソクリする意味は無い。そして、ペイスの性格を知らない人間から見れば、実にそれっぽい“囮”に思える。ペイスが金貨を保管するなら、もっと取り出しやすいところに置いておくはず。だから、怪しい。ルミニートにしてみれば。
そう思って二重底の部分をよくよく見てみれば、更なる細工がしてあるようだった。
「にしし、やっぱりな。ペイスなら金貨よりも、旨いものの方を大事に隠すと思ったんだよ」
流石、幼馴染のお菓子狂いな性格を良く知っている。
ペイスであれば、本当に大切にしているのは金貨よりお菓子である。隠すなら、金貨よりもお菓子の方を大事に隠すはず。
予想は当たった。鍵付きの書類箱の隠してある二重底の、更に秘密の細工をこじ開けてみれば、中からは幾つかの物体が出てきた。
「何だこれ、飴か?」
くんくんと匂いを嗅いでみれば、間違いなく飴である。
鳥の形を象った飴。ルミは、ペイスがべっこう飴で動物などを模したことがあるのを知っている。きっとそれだろうと、深く考えることも無く飴を失敬する。
一応、机の上に飴をぶちまけてから、そのうちの一つを手に取った。
「うん、これはあれだな。机の上に落ちてた。落としたのは誰か不明。で、落ちてたものを拾って食うってのは、別に規則には違反しねえな。ししし」
ルミは色々と屁理屈をこねているが、許可なく教官の部屋に入ったことも、書類箱を物色したことも、その時点で厳重注意ものである。ましてつまみ食いとなると、れっきとした盗みである。
ペイスが作ったものをつまみ食いする。昔は大目に見て貰えていたことだし、子供だから許されていたこと。
今ではキツイお仕置きを受け、最悪は窃盗罪として処罰されることであるのだが、ルミもまだまだ未熟であり、食欲には勝てなかった。
ぱくりと飴を口にする。途端に広がる、キャンディー独特の甘み。
「うんめえ!! ここの飯は不味いわけだし、こういう役得を隠してやがったんだな」
教官が、学生に隠れて美味いものを食べる。実にけしからん行為である。学生たちの士気を削ぐこと甚だしい。
まさかペイスともあろう人間がそんなことをするとは思っていなかったと言い張り、飴でないと証明するために食べてみた、ということにしよう。ルミはにししと笑いながら飴を楽しむ。
「よし、そいじゃあ証拠を隠滅して……」
机の上には、まだ幾つも飴がある。このままだと流石に不味いので、もう少し失敬した後は元に戻して部屋を出よう。
そう考えたところで、ルミは異変を感じた。
森の上空。真っ逆さまに落ちる自分。着地の姿勢が悪かったのだろう。足を負傷し、そのまま頭を強く地面に打ち付ける。
気を失ったのはその時だった。
◇◇◇◇◇
「そっか、その後の記憶がとんでるってことは、頭を打ったからか。それともあの飴に何か細工がしてあったかだな。ちきしょう、そんな罠を仕掛けるか? 益々手が込んで来やがったな。もう少し、他の人間のことも考えろってんだ」
ルミは、自分がつまみ食いしたことを棚に上げて、ペイスの罠に憤慨した。勿論こんなものはペイスも予想外のことなのだが、ルミにしてみればペイスがまたやらかしたのだとしか思えなかった。
足はずきずきと痛いし、頭もずきずき痛むし、喉は乾いてきた気がするし、踏んだり蹴ったりだ。
「痛てえ……これからどうすっかなぁ」
森の中で一人きり。どうするかを考えなければならない。
とりあえず、そこら辺に落ちていた木と、持っていた(親に持たされていた)ハンカチを使って添え木の固定位はしたが、それで歩けるようになるわけでもない。
「寒いな」
段々と、気温が下がって来た。
学校の入学は秋なのだから、そこから何日も経っていない今時分、朝晩は冷え込むシーズンである。
身動きも取れず、足を怪我して移動もままならず、じっとするしかない現状。
ただただ、じっと忍耐力を試される。時間が続く。
「暗くなってきた。腹減った……くそっ」
何時間じっとしていたのだろうか。辺りはすっかり日も落ち、気温は下がり、飯を碌に食ってない腹はぐうぐうと煩い。
「俺はここで死ぬのかな」
ルミは、ネガティブな気持ちに襲われる。学校に来てからあまり考えないようにはしていたはずなのに、どこぞの馬鹿と違って、自分は楽観的に生きることは出来ない。
じっと座り込み、ただ痛みに耐える時間が続く。
悪いことは続くもの。そんな時間は、近場からがさりと音がしたことで終わる。
「ん?」
音のした方に目を向けると、そこには星明りを反射して光るものが有った。良く見れば、それは獣の目である。
「畜生!! 何でこんなところに狼が居るんだよ!!」
ルミは、狼と目が合った。
ぐるると唸り、牙をむいている様子を見れば、自分を餌と思っているのだろう。こんなバカな話があるかと、ルミは添え木の残りの棒きれを手に取った。大して長くもない棒だが、素手で戦うよりはマシである。
「あっち行けこんにゃろ!!」
習い覚えた剣術を思い出し、一生懸命に棒を振る。どうやら振り回している限りは狼も警戒して近づいて来ないようだが、こんなもの体力が尽きれば終わりである。
しかも、ルミにはもっと拙い体の不調が存在する。
「ぐああ!!」
狼が動いたのに合わせ、棒切れを振る位置を変えようとした。しかし、その為に動かした足から激痛が襲う。
たまらず倒れ込んでしまったルミ。狼が、歓喜を叫んでいるように見えた。
「畜生……死にたくねえよ……親父ぃ、お袋ぉ……兄貴……」
自分はここで死ぬのだろうか。そんなことは嫌だ。
頭に浮かんでくるのは、今まで散々迷惑を掛けてきた家族の顔。父や母、兄弟たち。
そして……
「……マルクの馬鹿……」
幼馴染の顔が浮かんだ。喧嘩別れしたままだったことを思い出し、どうせなら仲直りしてから死にたかったと内心で悔やむ。
死を覚悟し、狼の前で横になったまま目をつむった。その時だった。
「どっせいっだりゃクソが!!」
突然、上から何かが落ちてきた。
聞き覚えのある声に、思わず足の痛みも忘れて起き上がる。
「マルク!?」
星明りに薄っすらと映るシルエット。何年も一緒に居た相手だ。それだけで、間違えることも無く相手を認識する。間違いなく、ルミの幼馴染だ。
「おう、俺様登場だ。このお転婆が。死ぬなら俺の見てるところで死ねよ。約束だろうが」
「うるせえ!!」
そんな古い話を持ち出すなと、罵倒しそうになった。そういえば、そんな約束をしたのも、狼退治の時だったかと思い出し、こんな時なのに笑えてきた。
上から不審物が落ちてきたからだろうか。狼は、いつの間にか命を落としていた。
思わず安堵の息を零したルミだったが、マルクが傍にしゃがむと顔を歪めた。
「よっと……」
「痛え!! 足、足が、折れてんだよ!! もっと優しく扱え!!」
マルクが自分を抱え起こそうとしたことで、改めて足の痛みがぶり返す。とんでもない痛みだ。思わずマルクにパンチを見舞ってしまう程。軽く避けられてしまったが、それぐらいに痛かったのだ。
「うるせえな。んなもん気付かなかったんだからしょうがねえだろうが。ああ、ここか?」
「触るなボケ!!」
「んだよ、触らねえと治療も出来ねえだろうが。黙ってろよ」
「乙女の柔肌だぞ!! 雑にやりやがったらただじゃおかねえ」
マルクもルミも、ペイスと遊んでいる時や、入学前の特訓の時に、色々と応急処置の仕方も習っている。そして幸いなことに、マルクは剣を固定するための長帯も持っていた。包帯代わりにして、添え木をもっとしっかり固定する為には持って来いである。
「乙女? はっ、何処にそんなもんが居るんだよ」
「んだとコラ!!」
「ま、そんだけ元気が出りゃ上等だな」
「ちっ」
何でマルクがここに居るのか。大よそ自分と同じようにつまみ食いをしたからだろうと察するところ、同じ穴の狢だ。憎まれ口をたたきつつも、来てくれて嬉しかった。
更にマルクは、動けないルミに代わり、習い覚えたサバイバル術を駆使して屋根をこしらえる。簡易テントだ。これがあるのと無いのとでは、夜の過ごし方が全然違ってくる。
「うっし、これで夜露ぐらいはしのげるだろう。今日が月の明るい日で良かったぜ」
「マルク……」
「ん?」
「腹減った」
ぐうと、ルミの腹が大きな音を立てた。乙女の羞恥心など持ち合わせていないルミは、遠慮なく幼馴染に飯を要求する。
「そっか。じゃあ、この狼を食うか? きっと不味いだろうが、腹ペコとどっちがマシだと思う?」
「食堂のメシに比べりゃ、臭い肉でも御馳走だろうよ」
「違いねえな」
「はは」
火を熾し、狼の肉を雑に切り分け、適当な小枝に挿して焼く。料理と言ってもこれだけだ。粗野にて雑。それでも火の温かさと、落ち着いて食える食事というのは、心を落ち着かせる作用があった。
「なあ、マルク」
「ん?」
「……ありがと」
ボソとルミがつぶやいた。
「何だよ、気持ち悪いな。お前がそんな態度とるとか、雨が降るんじゃないか?」
「いいから、黙って礼を受け取っとけよ。今日はマジで死ぬかと思った。本当に感謝してるんだよ」
今日は、本物の死の恐怖を感じた。それを助けに来てくれたマルクが、とてもカッコよく見えた。なんてことは口が裂けても言えないので、御礼だけでも口にしたのだ。
珍しく素直なルミに、マルクはポリポリと鼻の頭を掻く。
「……俺がしたいようにしただけだよ」
そして、マルクは意を決して自分の想いを伝えることにした。
「したいように?」
「俺は、お前を守るって決めたんだよ。いいか、これからずっと守ってやるからな」
「はあ?」
聞きようによっては、プロポーズに取られかねない内容。しかし、幼馴染のルミには、その心情が良く分かった。
「俺がそう決めた。嫌だって言っても、駄目だからな!!」
大声をあげて、恥ずかしさを誤魔化そうとするマルク。そんな様子を微笑ましく見ていたルミは、焚火を見ながら小さい声で返事をする。
「……嫌じゃねえよ」
「え?」
小さい声は、思いのほかはっきり聞こえた。
何がどう作用しているのか。今日は、何だか雰囲気が違う。ルミの殊勝な態度に、マルクは急にドキドキと動悸を早め始める。
そして、そっと指一本分間を詰める。もう一本分、更にもう少し。ぴたりと二人がくっつく距離になり、そしてお互いに目が合う。
ゆっくり、ゆっくりと二人の距離が近づく。
そして……
「……もう少し、助けが遅れた方が良かったですかね?」
突然の声に距離が一気に開く二人。
助けに来たと言ったのは、ニヤニヤ顔を張り付けたペイストリーであった。