230話 マルクとルミの学生生活
寄宿士官学校が始まってはや一週間。
緊張と期待と不安でガチガチになっていた新入生たちも、既に緊張がほぐれ、色々と緩み始める頃合いである。
早い人間は既に担当してもらう教官を決めて、勉学と訓練を開始していたりもするのだが、そこまで熱心でない人間は未だに教官を決めかね、ああでもないこうでもないと言い合っている。
特に今年の新入生は、第一志望でモルテールン教官を希望した人間が多かった。その全員が、希望を却下されている。モルテールン教官が一般生徒を教える立場から教官を教える立場に出世したからというのがその理由。まさか一年でそんな出世を果たす人間が居るのかと驚かれたのも記憶に新しい。
「ルミニートさん、一緒にお昼食べよう」
「おお、良いぜ」
ルミも、驚いたうちの一人。
元々モルテールン出身で、誰もがモルテールン教官に教わるのだろうと思っていたところにきて、いきなりのフリー宣言。数少ない女子生徒ということで、鼻の下を伸ばした思春期の男どもが、下心満載で自分たちと学ぼうと誘いをかけ始める。
ある者などは、是非自分達と一緒に筋肉を鍛えようなどとほざき、ルミを無理やり引きずるような形で連行しようとした。筋肉の方は、それがルミの為になるという全くの善意から行った行動なのだが、自由意志を無視される当人にとっては洒落にならない。幾らルミが男勝りだとはいっても、力まで男と同等ではないのだ。止めろ放せ痴漢変態と、暴れるルミを見かねて助けに入ったのが、アリアメトリスを始めとする女生徒たち。数少ない同性同士、彼女たちは結束が強いのだ。
そんなこんなで妙に縁が出来てしまった友達と、最近は良く昼食を共にするようになった。
食堂に行けば、ルミはたちまち人気ものである。顔立ちも鼻筋が通っていて、スタイルも良く、すらっとした美人。男に対しても女に対しても、分け隔てなく接する気さくな性格。何よりあのモルテールン家の縁者。これはもう、仲良くしたがる人間が大勢いるわけだ。
それでなくとも、ルミは昔から妙に同性に好かれるわけで、食堂でもルミの隣を巡ってバトルが勃発する。勿論、女同士の微笑ましい争いだ。
「あ、ずるい!! ルミちゃんはあたしんだ!!」
「こっちおいでよルミ」
やいのやいの。女性が三人寄れば姦しいというが、別に三人寄らなくても姦しい人間は居るのだ。
「うるせえな。一緒に食えば良いだろうが、んなもん」
「おお、さっすがルミちゃん、おっとこまえ」
「俺は女だ!!」
男っぽい口調を揶揄われるのもいつものこと。
ルミは、男兄弟の中で末の子として産まれた。上に兄が二人いて、それ故に周りは男だらけの環境となった。ここに混じって生活していれば、親しくなる人間も兄の友達が多くなる。自分と遊んでくれるような兄の友達といえば、勿論みんな男である。
荒っぽい、そして口の悪い連中の多かったモルテールン領。ルミが、男達の中に混じることで、男言葉を最初に覚えてしまったのは必然だった。
もしも早いうちに窘める人間が居れば違ったかもしれないが、ルミが言葉を覚え始めた頃が、モルテールン領内の政務が忙しくなり始めた時期と丁度重なり、父親が中々ルミとの時間を取れず、母親も上の男兄弟に手が掛かり、結果として口調が定まってしまったというわけだ。
幸いなことは、寄宿士官学校という男だらけの空間では、男勝りな女性というのも珍しくないという所だろうか。
期せずして、女性ばかりが集まる空間。
そんなところを、野郎どもが見逃すわけもない。
「おお、あそこは華やかだな」
「ん、確かに。目の保養になるよな」
「ぐへ、ぐへへ」
男三人組が、ルミやその友人たちが集まる一角を見ながら、だらしない顔をしている。寄宿士官学校では貴重な女の子成分だ。鼻の下が伸びっぱなしの情けない連中である。
「気持ち悪いなオイ」
そんな連中を冷ややかな目で見るのはマルク。彼は、ルミに対して好意以上の感情を持っている。女生徒を厭らしい気持ちで見るよりも、そんな気持ちでルミを見る連中への嫌悪が先に立つという話だ。
「お前、誰が好みよ」
「リンちゃん。あの胸見てみろ。やっぱ武器は大きい方が良いよな」
スケベ男三人衆の一人が、ルミの傍にいる一人を指して好みだといった。
リンちゃんことリンバース=ミル=トーリー。十四才。黒髪の艶やかな女子生徒であり、将来は姫の護衛を担う騎士になりたいと考えている。父親が王宮に務める近衛の騎士であり、その縁で姫殿下とはそれなりに親しい。親に言われて騎士を目指しており、どうせなるなら姫殿下の護衛をしたいなと夢を語る少女である。
特筆すべきは、男どもが見ていた胸だろうか。年に似合わぬ起伏が服を押し上げていて、野郎の視線を釘づけにしている。
尚、女生徒たちからこの男どもは嫌悪されており、死ねばいいのに、などと蔑まれていることは甚だ余談である。
「分かって無いねえ。シリル嬢の腰を見てみろ。きゅっとくびれてたまらんだろう」
ルミの傍にいるもう一人の少女。エシライルー=ミル=カーディン。十七才。年はルミ達より少し上だが、学年は同じ。カーディン家は王都近郊にささやかな領地をもつ準男爵家であるが、領地自体は宿場町であり、非常に裕福な家である。それだけに年ごろとなったシリルは、家に居るとお見合い攻勢の絶好のターゲットとされてしまう。脂ぎったおっさんであったり、或いは加齢臭のしそうなジジイであったりといった、どう見てもまともな見合いじゃないだろうと感じる内容が増えてきた辺りで危機感を覚え、手に職を付ける為に寄宿士官学校に飛び込んだという経歴を持つ。
妾にされるなんざごめんだね、というのが彼女の言い分である。
「馬鹿だねお前さんたち。ルミちゃんが一番に決まってるだろ」
「ああ?」
そして更に目を惹くのが、勿論我らがルミニートである。御年十四才。世が世なら中学生と呼ばれるような年ごろながら、将来はモルテールン家の従士となって、実家から独立するのだと野望を抱いている。
入学時の成績は極めて優秀だったし、家柄は従士家出身ということで、あちらこちらから勧誘合戦のターゲットにされている。モルテールンの結束の強さを知らない人間からしてみれば、平民階級なら自家に従士として引っ張れると考えるし、入学成績の良さから将来は首席も狙えるのではないかという期待値もある。これはもう、是非うちにとどの教官も望んでいるわけだ。
「あの男勝りな感じで目立たないが、胸を見てみろ。リン嬢に勝るとも劣らない形の良さ」
「「おお」」
野郎どもの声が重なる。
「そして腰つき。男物の服を着てるから分かりづらいが、あれは実に引き締まった健康的な腰つきだ」
「「おお!!」」
更に声が重なる。
「そして、これは関係筋から得た確実な情報だが、ルミニート嬢には婚約者も居らず、フリーだという。兄が居るということで婿を取る必要もなく、しかも家柄的に何処に嫁いでも大丈夫ときた。そしてあのモルテールン家のコネクション付き」
「「うぉおおお!!」」
ついには歓声の如き声になる。実にバカバカしいやり取りにも思えるが、思春期の男子学生が悪乗りすれば、こんなものである。
やれやれ、と傍観していたマルクであったが、今度は彼に飛び火した。
「で、そこんところどう思うよ、マルカルロ君」
「あ?」
「君、ルミニート嬢とは同郷だって話だろ?」
「まあな」
「じゃあさ、彼女の好みのタイプとか知ってるんじゃないのか?」
「あいつの好み?」
ルミの好きなタイプと聞かれて、マルクは少し考え込んでしまった。そんなこと今まで考えたことが無かったからだ。
そこで、過去の思い出を漁りながら、一つづつどんなことを言っていたか思い出そうとした。
「まず、乱暴な奴は嫌ってるな。昔、あいつの目の前で女の子泣かした奴が居たんだけどよ、女に乱暴する奴は許せねえって拳振り上げて、男の方を逆に泣かしてた。乱暴な男は最低だって憤ってたな。自分は乱暴なくせによ」
「ふむふむ」
女の子を泣かした男というのは、他ならぬマルクのことである。別に女の子を虐めたわけでは無く、小さい子がマルクの持っていたおもちゃを欲しがり、我儘を言ったところで腹立たしく感じ、強引に振り払うような行動を取った時に女の子を転ばせてしまい、泣かせてしまったのだ。
これを見ていたルミが、女の子に乱暴をするなとマルクをとっちめ、マルクが泣いたことがあった。
五歳にも満たなかった時のはずである。覚えているマルクも中々だ。
「あと、馬鹿は嫌いだってよく言ってる。うちの未成年組を纏めてたのがペイス……じゃない、モルテールン教官だからな。頭の悪い奴が一層際立つらしい。賢い方が頼りがいもあるって言ってたことがある……気がする。比べる相手が悪いよなあ」
「ほうほう」
ルミの口癖としては、馬鹿は嫌い、というものがある。彼女の言う馬鹿とは、考えなしに行動すること。つまり、マルクのような行動だ。
「後は、顔かな。あれで結構面食いなところがあるからな。うちの領地は主君筋のツラが揃いも揃って整ってるから、小さい時からそれ見て育って、面食いになったらしいぞ。俺からすれば普通の奴でも、不細工に見えちまうらしい」
モルテールン家のカセロールは、若かりし頃は美形で鳴らした男。領主夫人のアニエスも、高位貴族から引き合いがあったほどの美形。両者とも最近は年相応の顔つきになってしまったが、昔は美男美女でお似合いと言われたものだ。その子である面々も、精悍な父と美人な母の間に生まれただけあって、みんな美形である。
つまり、モルテールン領では、美形の人間が歩いているなど日常茶飯事ということだ。それに見慣れていれば、少々の美形では心を動かされなくなる。
ましてや、マルクのような平凡顔では何をかいわんや。
「ふむ、つまり、マルカルロは対象外ってことか」
「え!?」
マルクのように喧嘩っ早いのが嫌いで、マルクのように頭の悪い人間が嫌いで、マルクのような平凡顔に食指が動かない。総じてみれば、マルクが嫌いということになるのではないか。
マルクの背中に、いやな汗が流れる。
「よし、そうと聞けば自信が出た。ちょっと話をしてくる」
「出たよ、軟派野郎」
「さっさと振られっちまえ」
一人の男が、女性陣が固まっているところに突撃していった。折角の機会なので、お近づきになりたいとナンパしにいったのだろう。
最初は、誰もがすぐに戻ってくると思っていた。しかし、思いのほか会話が弾んでいるらしい。
結構長い間喋っていた軟派野郎は、そのまま怖い顔をしたエシライルーや、妙にニコニコ顔のリンバースと共に食堂を出ていく。これは上手くいったのだろうか。それとも何かやらかしたのだろうか。彼女たちの様子からはうかがい知ることが出来ない。
これは追跡せねばなるまい。野次馬根性の賜物か、スケベ野郎どもはぞろぞろと食堂を出て行った。
残ったのは、ルミとマルクぐらいである。
「ようルミ」
マルクは、少し動揺しつつ声を掛けた。
「あん? マルクか。どうした? 変なもん食って腹でも壊したか」
そんな挙動不審な幼馴染の様子を茶化すルミ。これぐらいの軽口は日常茶飯事である。
「お前じゃあるまいし、そこまで食い意地張ってねえよ。それに、変なもんっていうなら、ここの食事は全部そうだろうが」
「確かに。学校の食事っていうから期待してたが、どれも酷い味だよな。ペイスの作る料理が恋しいぜ……」
ルミは、田舎出身の割に舌が肥えている。元凶は一人しかいないわけだが、そんな彼女にとって士官学校の質より量を優先する食事は辛いものがあった。
そんな会話を上の空でしつつ、マルクは気になっていたことを訊ねる。妙に会話が弾んでいたらしいさっきの様子についてだ。
「ああ。それでさ、まあなんだ。さっきのあれ、何だったんだ?」
「さっきのあれ?」
「ほら、男がお前らのところで喋ってたじゃん。なんか楽しそうだったけど、なに話してたんだよ」
自分たちが会話していたことを、何でいちいちマルクに教えねばならないのか。そうルミは考える。言い辛い事情もあったからだ。
「あ? なんでもいいじゃねえか、んなもん」
「気になるんだよ。ケチケチせずに教えろよ」
「うるせえ。んなに聞きたきゃ喋ってた本人から聞けよ」
「何だよ、怒ることねえだろうが」
「怒ってねえ。全然怒ってねえ。俺はいつも冷静だね」
見るからに顔を赤くして、口調を荒げている様子。怒っているとしか思えないわけだが、マルクは鈍感でデリカシー皆無なので、そのまま思ったことを口にする。
「は? どこがだよ。顔真っ赤にして、怒ってねえってか?」
「兎に角、お前に喋ることは何にもねえ!! いい加減うざったいから、しばらく話しかけてくんなよ」
「お、おい!!」
言い捨てるように声を荒げ、そのまま食堂から出ていくルミ。
「何なんだよ、あいつ……」
マルクは、去っていくルミの背中を見送る。
寂寥感の中、言いしれない不安がマルクの胸中を満たしていたのだった。