227話 ペイスの呼び出し
寄宿士官学校の校長室に、扉をノックする音が響く。入室許可の声の後に部屋へはいって来たのは、学生よりも更に年下と思える少年であった。
「校長、ペイストリー=ミル=モルテールン。出頭いたしました」
右手を左胸に当てる姿勢で敬礼する少年。ペイスは、呼び出しを受けて校長室まで出向いてきたのだ。背筋はピンと張り、それこそ学生達にはお手本になるような綺麗な敬礼である。
「よく来てくれたモルテールン教官。まあ、立ち話もなんだ。座りたまえ」
「では失礼します」
応対する校長の前に座るペイス。椅子も立派なものだなと益体も無く考える程度には余裕のある心持であった。呼び出された理由も大よそ察しているだけに、茶番の気配さえする。
学校内の上司となる校長に、軽口を叩くわけにもいかず、しばらくの間は無言が続いたが、それを破ったのは上司の方だった。
「教官、これからまた新しい一年が始まる。休みの間はゆっくりできたかな」
社交の常識として、まずは世間話から。セオリー通りである。
学校の一年は秋に始まり夏に終わる。暑い間は長期休暇であり、ペイスを含めて教官達もその間は休暇が貰えるわけで、会話のとっかかりとしてはベタだ。尤も、休暇と言っても学生たちに比べれば短いものである。新入生を迎える準備であったり、成績不良者への対応であったりといった、新年度を迎える為の仕事もあるからだ。
ペイスも一応そういう仕事をこなしていて、補習を受け持っていた。当初は新人教官の伝統として受験担当に回されるはずだったのだが、とある事情からペイスが前面に出ると混乱すると校長が判断し、内勤に回された。
「どうでしょう。領地に戻って、溜まっていた政務を片づけるので手一杯だった気がします。机の前に座りっぱなしで、特に運動をすることも無かったので……体は休めたのでしょうが、気持ちはあまり休めた感じがありません」
校長の話に、ペイスも愛想よく答える。
モルテールン家の家長が魔法使いで、瞬間移動の魔法を使えることは今更隠すまでも無く世間一般に広く知られる事実であるから、魔法を使ったのが実はペイスであるという部分を隠せば、瞬間移動で領地まで往復してきたことを知られても困らない。
案の定、校長はうまい具合に誤解してくれたようで、ペイスではなくカセロールが魔法を使ったのだろうとして会話を続ける。
「ははは、流石は魔法使いのモルテールン家だ。普通の教官なら、領地の仕事と教官の仕事を両立することそのものが難しいところだが」
「“父の魔法”には助けられております」
更に駄目押しをするペイス。情報操作の一環ではあるのだが、嘘をついていないのが強かなところだ。
ペイスが【転写】を使って写し取った父親の魔法を使えるというのは隠し、魔法を借りられるという偽装情報を匂わせつつも、誤解を招く表現を使う。こなれたやり取りである。【瞬間移動】という魔法そのものは、まごうことなく父親の魔法なのだから、誰が使ったかであるとか、どうやって使ったかを内緒にしておけば、勝手に誤解してくれるというわけだ。
「羨ましい話だ。ただでさえ魔法使いは希少。その上、実用的で応用力がある魔法というのは、垂涎の的だろう。それを“親子二代”で使えるとなると、何か秘密があるのではないかと勘繰ってしまう」
しかし校長もさるもの。外務閥だけあって多少の情報ネットワークは有しており、実はペイスが父親の魔法を使えるのではないか、という情報を入手していたのだ。
これが今回の呼び出しの主題かも知れないと、ペイスは笑顔を一切崩さず答えを選ぶ。
「“僕の魔法”は【転写】ですから、父とは違って実用的とは言い難いですね。応用はしやすいので重宝していますが、父の魔法のような汎用性には乏しい」
「ほう、そういうものかね」
「ええ」
やはり、中々尻尾を出さない。校長は内心でそう思っている。嘘を言っているとは思えないが、どうにも歯に物が挟まったような物言いが気になった。
これでボロを出してくれれば、情報を欲しがっている連中に横流ししてやれる。校長が内心そう思っていることぐらい、ペイスにはお見通しである。
しばらく会話を続けてもどうにもはぐらかされると察した校長は、話の筋を変えることにした。
「そうそう、伝え聞くところによれば、学生の指導にも魔法を使っているらしいが、事実かね?」
魔法の使い方を聞けば、父親の魔法の流用については情報が得られずとも、息子の方のオリジナルな魔法の情報が得られるはず。絵を描く以外の使い方が隠されていたのを見つけられれば、それはそれで利用価値がある情報だ。
「事実です。学生に分かりやすく説明するのに、視覚的に説明するお絵かきは重宝しますし、舞台装置として特殊な状況を再現するのにも魔法は使えます。それに何か問題でも?」
「いやいや、問題など……素直に感心しているのだよ。卿にしか出来ない教育法だ。それこそ学校としては宝ともいえる。去年、私の要請を受けて教官に就任してくれたことを改めて感謝したい気分だ」
「ご評価いただきありがとうございます」
しかし、やはり少年は尻尾を出さない。校長の長年の貴族としての勘が、何か隠している気配を感じているのだが、それが一体何なのかつかめない。
魔法の使い方に秘密があるのか。発動する条件に特別なものがあるのか。父親の魔法が借りられるというのはやはり事実ではないのか。もしかすれば絵を描く魔法と思わせておいて、別の魔法なのではないか。
色々と想像は広がるが、どれもこれも確証の無い状況では攻勢も難しい。カマをかけるにも、確度の有る推論は必要なのだ。
やれやれ、と校長は溜息をつく。
世間話を装った貴族的会話もそろそろ終わりだ。
「卿のお陰で、私も大分周囲の評価を得られてね。去年度の卒業生は今までの卒業生と比べて一段上の実力を持っている、と。事実、中位の席次でさえ、今までの学生で言うなら上位卒業相当という実力だったらしい」
今度は校長からの情報提供だ。ギブアンドテイクが取引の基本なわけで、胸襟を開いて情報を惜しみなく与えることで、相手からの情報を得やすくするテクニックの一つ。当然、公開される情報などは、重要そうに見えて、大して価値の無い情報だ。
「ほう、それは何処からのお話でしょうか」
「国軍や王宮の事情通から聞いたのだよ。これでも士官学校の校長だ。卒業生のその後を調べるのは、通常の業務でね。特に、軍の評価は高かった。一年みっちり鍛えた先輩より実力の高い後輩ばかりだったと。おかげで、軍の一部では教育担当者の譴責処分があったらしい」
やはり、重要そうに見えて、大したことのない情報だなとペイスは内心で苦笑いだ。
国軍の情報筋から得られた情報。これが曲者だ。つまりは、国軍の大隊を預かるカセロールであれば、既に得られている情報である可能性が高い。或いは、情報の出どころ自体がカセロールやその周辺からかもしれない。
モルテールンから得られた情報を使い、モルテールンから情報を更に引き出す。目の前の腹黒い校長であれば、やりそうなことである。
しかし、聞き逃せないこともあった。譴責処分があったという点だ。軍隊の教育担当が譴責を受ける。つまり、仕事を怠けていた、或いは仕事が不十分だと叱られたということだ。
今まで真面目にやって来たであろう人間であっても、ペイス製の学生の出来が良すぎれば、サボっていたように見えてしまう。
迂遠ながら、ペイスに対する譴責も兼ねているのではないか。そんな懸念を抱く話である。
「それは、僕のせいでしょうか?」
「まさか。卿が優秀な教官であることは間違いないが、学生の成績や能力は学生個人のもの。それをもって卿を罰するつもりはない。勿論、賞すものでもないのだが」
「当然の御判断かと思います」
ペイスの心配は杞憂だった。少なくとも軍の上層部は、優秀な新人が入ったことを歓んでいるようだ。
さて、と校長が咳ばらいをする。
ここからが本題なのだろう。
「今年も、大いに期待する……と言いたいところなのだが、少し問題があってね」
「問題?」
「ああ。ここからが来てもらった理由になるのだが、卿は去年の状況を覚えているかね? 学期の初めの頃だ」
校長の質問に、ペイスは首を傾げながらも答える。
「勿論。各教官のところから、手に余る学生を引き取りましたね」
ペイスが学校に来た当初は、飼い殺しにするとしか思えない状況だった。呼びつけておきながら、仕事をまともに与えない。何もするなと言われるに等しい状況だった。
それを良しとするペイスでも無いので、自分から情報収集に動き、伝手を使って学生を集め、徹底的に鍛え上げたことで成果を出し、名声を確立し、実利を得た。
学校内での話に限るなら、表向きは押し付けられた劣等生を無事卒業させました、という話になる。
「うむ。基本的に、どの教官に師事するかは、教官と学生の間の自由意思に任される。勿論、誰にも教われない、などという学生が出ないように調整するのは我々の仕事だ。しかし、大原則として学生は自分で教わりたい教官を選ぶ。この学校が出来た時以来の伝統であり、学生自身の意欲を高める為にも効果的であると誰もが認める方法だ」
「承知しています」
「モルテールン教官、今年の学生の希望を知っているかね? 特に、卿に教わりたいという学生について」
「いえ、存じ上げません。来るもの拒まず、去る者追わず、と考えておりましたので」
ペイスの、というよりもモルテールン家の家風が、去る者追わずである。元々貧しい土地を拝領したわけで、モルテールンの英名に惹かれてやって来た移住希望者が、環境の厳しさに負けて生まれ故郷に帰っていくようなケースが多々あった。いちいち引き止めるわけにもいかず、生まれた家風がこれである。
ペイスもお家の伝統に則り、学内でもそれをおし通すつもりでいた。たかだか二代程度で何が伝統なんだといわれるかもしれないが、代々続く家風であることは事実なのだ。
しかし、どうやらそれが拙いらしい。校長の顔が、露骨に曇った。
「正直に話そう。入学者の六割が、卿に教わりたいと希望している」
「六割?」
驚愕の数字である。入学した人間の過半数が、ペイスに教わりたいと言っている。それなりに数の居る先輩教官達を差し置いてそれだけ学生を囲い込めば、それこそペイスは集中的に攻撃されるに違いない。この数字は、ペイスをしても予想外であった。
「ああ。それも、少なくとも、という言葉が付く。来るもの拒まず、などと言っていては、この学校の新入生大半をモルテールン教官が受け持つことになる。何百人になることか……どうかね? この状況を、私が座視しておいていいと思うかね?」
学内におけるトラブルに対処するのは、管理職たる上級教官の仕事だ。とりわけ、入試や就学前の学生についての対応は、学校運営に関する事項であり、校長の所管する業務の一つでもある。学校運営に深刻な不具合が起きそうな事案があれば、積極的に対応するのが出来た校長というものだろう。
「いいえ。さすがにそれだけの数を教えるのは難しいですし、細かく目を配ることも出来なくなります。出来れば十人から二十人程度に絞りたいところですが」
「うむ。私も、まさかこんな状況になるとは思っていなかった」
寄宿士官学校では、入学の時点でコネが必須になる。貴族の推薦が絶対に必要であり、また、一つの家からは年に一人しか推薦できないという制限もあるからだ。貴族の数が有限である以上、入学者の数は上限が決まっていて、子弟を始めとする貴族の中枢部から枠が埋まっていく。
推薦を得るにも、身内や親戚、或いは知人や友人といった繋がりが求められることが当然の状況だ。赤の他人を無条件に推薦しようとする人間は居ない。
故に、入学者の多くは入学した瞬間、いや入学以前から強いしがらみに縛られる。教官を選ぶ際も、実際には選択肢が無いというケースは珍しくないのだ。
にもかかわらず、極一部の教官に新入生が殺到する。ペイスでなくとも、作為の臭いを感じるだろう。
「僕が恨まれるように仕向けている……というところですか?」
「そういう思惑をもって煽っている人間が居るかもしれないという懸念はある。狙いが卿か、或いは迂遠に私の足を引っ張ろうとしている可能性もある」
「なるほど」
長い間宮廷の泥沼に浸かって来た校長にも感じられた胡散臭さ。しかし、その目的はどうにも見えてこない。学生をペイスに集めて、一体何をしようというのか。
仮にこれでペイスが全員を教えるなどといった度量を示せば、困るのは学生を偏らせた運営を強いられる校長である。作為の狙いが校長にあるかもしれないという懸念は捨てきれない。
勿論、作為があったと仮定しての話だし、それがペイス狙いでないという仮定を合わせた話だ。仮定に仮定を重ねる、妄想や夢想に近しい綿雲のようにふわっとした空想であるのだが。可能性としてはゼロではないといった程度か。
「そこで私も、考えてみたのだよ。それだけの人数が卿の教えを受けたいと言っている。四角四面で対応していては、大多数を第一志望から落とすことになるわけで、望ましからぬ結果を産む温床となりかねない。ならば、柔軟な対応が必要であろう、とね」
「柔軟な対応といいますと」
「うむ。卿に、出世してもらおうと思う。ただのヒラ教官ではなく、教導員の立場を与えようと思うのだ」
「教導員?」
聞きなれない単語に、ペイスが疑問符を浮かべる。校長は、ひとつ頷いて説明を続ける。
「早い話が、教官の教官だ。これならば、より多くの人間に希望通り卿の教えを与えてやれる」
「はあ」
校長も、中々に苦しい立場のようだった。少なくとも、現状を放置しておくわけにはいかない。ペイスに学生が殺到する状況は、恨み妬みの製造マシーンとなってしまう危険がある。騒乱の種としてなら、結構な大木に育ちそうな種だ。
ならば、芽のうちどころか、種のうちから摘み取ってしまうのが正解。ペイスが教官であることに問題が集中するのなら、前提を覆してやると良い。校長はそう考えたのだ。中々に狡猾なやり方である。
「急な人事になるが、人事権自体は私が持っている。ただいまから、卿を教導員として任命する」
校長の真面目腐った態度に、背筋を伸ばすペイス。
「はっ、謹んで拝命いたします」
「基本的な職務は教導だ。学生の実力を向上させられることに限り、ある程度は卿の自由にやってよろしい」
「分かりました」
自由裁量の幅が大きい職務。おまけに、給料も上がるという。
世の中、虎に羽をはやしてはいけない。危険生物が尚危険になる。先人の貴重な教えである。
自由な金と自由な時間を手にするペイス。先人の教訓は、活かされることは無かった。
部屋を後にするペイスを見送る校長。彼の顔色は、完璧な無表情である。
「さて……伯爵の依頼はこれで良し。モルテールン教官に自由時間を与えるとは。一体何を考えておられるのやら」
校長のつぶやきは、誰聞くことも無く虚空に消えていくのだった。