226話 新入生入学
秋の晴れやかな日。寄宿士官学校では、合格発表が行われた。
寄宿士官学校の合格発表は、壁に合格者の名前が張り出されるわけでもなく、合格者や不合格者に個別に連絡がいくわけでも無い。合格発表の日に受験したものが学校に出向き、担当の受付で名前と家名と推薦者を告げる。
学校の担当者が合格者の名簿を調べ、合格していれば入学式の日取りを告げられる。不合格者はただ名簿に名前が無いことのみを告げられるのだ。不合格の理由は明らかにされない。手続き不備であろうと、成績不良であろうと、或いは上層部の政治的判断であろうと、ただ合格者名簿に名前が無いという事実を伝えられるのみである。
合格者名簿は後で売られたりもするわけだが、その中に二人、非貴族階級の人間の名前があった。
マルカルロ=ドロバと、ルミニート=アイドリハッパである。
ルミニートは体力的に不安があったことから、中央軍の隊に混じってカセロールの特訓を受け、知識的に不安があったマルカルロは、寄宿士官学校の優秀なOB十人を教師として猛勉強を行い、晴れて寄宿士官学校合格という結果を出した。
尚、首席入学こそ逃したものの、両者ともかなり優秀な成績での入学だったことは特筆すべきだろう。少なくとも合格ラインは余裕をもってクリアしていた。
教官であるペイスも、メンツにかけて二人を合格させると息まき、モルテールン家の総力を挙げて協力した甲斐があったというものだ。
そして本日は、寄宿士官学校の入学式。といっても、特別凄い式典があるわけでは無い。合格発表の時に言われた日付に集まって、必要な説明を受けるというだけのこと。
学校内の施設の説明や、守るべき規則の周知、教育体制の説明や、今後学生が為すべきことなどだ。また、重要な訓示として士官候補としての心構えなどが教えられるのだ。
新入生が集まる場。そこには、モルテールン領出身の二人の姿もあった。
知り合いは今のところお互いだけなので、自然と寄り添うような形になる。
「結構、人が多いな」
マルクの独り言は、意外に大きい声だったらしく、暇を持て余すルミが言葉を拾った。
「ああ。殆どが貴族様なんだろ?」
「そうらしいぜ。ま、関係ぇ無えけどな」
「人付き合いには気を付けろって言われてるだろ」
寄宿士官学校入学前に、二人はペイスやカセロールから入念な事前説明を受けている。この学校は元々が貴族子弟の教育の為に作られたものであり、そのことを二人は重々自覚しておかねばならない、といった内容だ。
今年度入学者の七割は貴族子弟であり、残りの三割もそれなりの実力のある家の子弟ばかり。三割の中には、有力な商会の子弟であったり、大貴族に重鎮として仕える家の子弟なども居るわけで、非貴族階級の人間だからと言って軽んじていると、思わぬ反撃や不利益を被る可能性が高い。
勿論、それは二人にも言えることだ。ルミとマルクは確かに非貴族階級であり、平民に属する階級の人間であるが、親はモルテールン男爵家に仕える重臣である。つまり、二人に対して不当に仇なす者がいれば、最終的にはモルテールン家を敵にしてしまうということだ。
モルテールン家を敵にするということは、騒動が大きくなれば最悪カドレチェク公爵家や王家まで敵にしかねない。
学生同士のいざこざであっても、決して軽視できるものではないわけで、人付き合いをするのであれば、その点を重々承知し、お互いに尊重する気持ちを忘れずに付き合うようにと、クドクドと説明を受けたのだ。
長い説明を聞かされた二人は、途中上の空になったりあくびを堪えたりしたことで、二度ほど説明をやり直されていたりする。
それほどまでに念入りにやられれば、流石の二人も言われたことを頭に残している。
「気を付けろっつってもな。取り繕っても、そのうちボロがでるだろ」
マルクは、人付き合いに気を付けろと言われても、あまり自信を持てなかった。生まれてこのかたずっとモルテールン領で育って来たのだ。王都の常識など何も持ち合わせていないし、貴族などという生き物も、一番身近なのが色んな意味でイレギュラーなモルテールン家である。お上品に過ごそうとしたところで、元々貧乏領の生まれ育ちを隠すのは無理だ。
マルクは早々に、猫を被るのをあきらめている。
そんなマルクに、へへんとばかりに自慢げなルミ。
「俺は大丈夫。マルクと違って、賢いからな」
「はあ?」
「入学席次を見なかったのか? 俺の方が成績は上だ。にしし」
ルミが自慢げにするのには訳がある。合格発表の際、名簿を見せてもらったからだ。そこにはちゃんと自分やマルクの名前があったし、順番が席次となっていた。
首席入学の人間から順番に名前を探し、マルクよりも自分の方が先に見つかったことで、ルミは自分の成績の方が上だったと理解した。
最近は剣の腕ではマルクに負けが込んでいたこともあり、ここぞとばかりにマルクに自慢しているのだ。
「けっ、そんなもん、当てになるもんか。殆どびりっけつから首席になったって奴もいるらしいじゃねえか」
無論、マルクもルミが自慢げにしている気持ちを理解している。自分がルミの立場だったなら、きっと同じように自慢していたはずだ。
彼もまた頭の良さという点でルミやペイスの遥か後塵を拝していることに軽い不満と嫉視を覚えていた。過去形なのは、猛勉強の甲斐があって、エリートとされる人間の仲間入りを無事果たせたからだ。今まで多少鬱屈し、劣等感を抱えがちだったマルクにとっても、誇らしく胸を張れる結果である。
昔から剣技を学んでいたし、猛勉強の末に頭の方も付いてきた。ある程度の自信を取り戻した彼は、学生の内に更に頑張って実力をつけ、今まで自分を馬鹿だの悪ガキだのと見下してきた連中を見返してやるという気持ちに溢れていた。
合格御の字、下位合格上等。目指すは天辺。やってやるぜと鼻息も荒い。
「お前、それ分かってて言ってるか?」
「何がだよ」
「下位ランクから上位卒業を狙うのが、どれだけ難しいかって話だよ。言っとくけどな、この学校に入学してるのは、賢い奴等ばかりだからな。何でバカマルクが受かったのかが分からねえよ」
「そりゃ、卒業生の兄ちゃん達につきっきりで教えてもらったからだろ。俺も頑張ったんだぜ?」
あくまで合格は自分が頑張ったからだとマルクは胸を張る。しかし、ルミはその様子に不安を覚えていた。
「お前は本当に分かってない。全然わかってねえよ。それってすっげえことだからな。優秀な家庭教師が何人も交代でいつでも教えてくれるっての。百レットや二百レットじゃ効かない価値があるってえの」
「分かってるって、それぐらい」
「本当に分かってんのか? これからは、そんな付きっ切りで教えて貰えないんだぞ。実力勝負の世界だ」
「おう、上等だ。俺の実力で、首席になってやんぜ」
やっぱりマルクは分かっていない。
ルミも騎士団で特訓を受けたから分かるが、そんな特訓を受けられること自体が相当な特権であり、恵まれた環境なのだ。これから学校で競っていかなければならない学友たちは、自分たちが受けたような特訓をこなすことなく入学してきた者たちだ。自分たちのように、特訓というゲタを履かずに合格して見せた地力を持つ優秀な人間ばかりなのだ。
そんな俊英たちは、もしかしたらペイスぐらい凄い奴等かもしれない。ルミはそんな危惧を抱いていた。国内でも生え抜きのエリートたちの中で、これからはモルテールン家の特訓も無しに競っていかねばならない。
補助輪付きの自転車で辛うじて走れていた人間が、いきなり補助輪を外されたような感覚。それが、ルミの感じている感覚だ。
マルクは楽観に過ぎ、ルミは悲観に過ぎる。どちらも未熟さ故なのだろうが、自分自身でそのことを実感するのが学校というものであろう。
そんな二人の様子を、遠目から見ている存在もあった。何せ騒がしい二人組だから、遠目からでも目立つのだ。
案の定、入学のオリエンテーションが終わったところで、ルミとマルクは上級生から呼び出しを食らってしまった。
「活きのいい新入生が居るな。ええおい」
五人ばかりの、男たちに囲まれるルミとマルク。
二人は互いに背中合わせにしているが、マルクの目には嶮しく好戦的な感情が宿っていた。
ペイス達が口を酸っぱくして、学内の怖さを教えていたことが、ここにきて実感できたからだ。背中に感じるのは幼馴染の女の子である。守るべき大切な相手である。ここで奮い立たねば男とは言えないと、先輩たちを睨みつけた。
上級生たちは、自分たちが受験前に受けてきた特訓のような訓練を、毎日こなしてきているとマルクは聞いていた。実力では、一枚も二枚も上手の連中だろう。少なくとも、相手の強さを強めに見積もるならば。
そんな連中が、自分たちに明確な敵意を向けて囲んでいる。マルクは、初めて“モルテールン家の庇護の外”という洗礼を受けたのだ。
「あぁ? なんだよお前ら」
精いっぱい威圧をしてみた。自分たちの父親世代が醸し出すような裂帛の雰囲気こそ難しいが、出来得る限りの気合を込めた威嚇。経験が浅いことは見透かされているだろうが、男の見栄というものがある。
「へっ、新入生に色々と親切に教えてやろうと思ってよ。ちょっとツラ貸しな」
「ああ良いぜ」
「おいマルク、なんかやべえって」
マルクは先輩たちの言葉に頷いたが、ただならぬ雰囲気にルミは警戒心を強める一方。下手についていかない方が良いとマルクを諭そうとするが、マルクはここで舐められたくないと頑なだ。
「ダイジョブだって。ルミは先に食堂行ってろよ。後で合流すっから」
「……どうなっても知らねえからな」
幸いと言っていいのだろう。先輩たちも、女の子であるルミまで“説教“するつもりはなかったらしい。
マルクだけを連れて、人目の付かないところに移動する。
可愛い女の子(見た目だけは)を連れて入学式に来た、少々はっちゃけ気味にイキっているリア充野郎。なるほど、日々訓練と勉学で荒み、女っけに乏しい灰色の青春を過ごす先輩達には、絡むだけの理由があるのだろう。それが嫉妬だの僻みだのと呼ばれる八つ当たりだったとしても。
「で、何の用ですかね」
「お前さあ、ちょっと生意気すぎるんだよな」
「ああ。彼女連れで調子に乗ってるだろ」
「なあ、そこんとこどう思うよ」
案の定、先輩たちの怒りの矛先は、マルクが彼女連れであったことに集中する。勿論ルミはマルクの幼馴染であって、まだ恋人ではないのだが、マルクは先輩の言葉を否定しない。したくない。
「うるせえな。ルミと俺のことなんて、お前らに関係ねえだろうがよ」
「ああ゛? んだその態度は。お前、先輩を舐めてんのか?」
先輩と名乗る男は、後輩たるマルクの態度に怒りを覚えた。女連れで気に食わない云々は脇に置いたとしても、先輩を軽視するかのような態度は学校の伝統に反すると思ったからだ。
しかし、これもマルクにしてみれば言いがかりとしか思えない。元々学校の規則に「先輩を敬え」とあるわけでは無いのだ。そういう風潮があるというだけのことである。学校で教わることはあくまで「上官には従え」ということと、「戦友は敬え」ということ。そう遠くない将来に、多くの人間が就職先で先輩に、自分たちの上官として再会するであろう特殊な学校であっても、今現在は別に上官でも戦友でもない。ならば遜る謂れはない、というのがマルクの心情であろう。
どちらにも言い分はあろうが、先輩たちからすればマルクの態度はただただ生意気に見える。
「教育的指導ってのをくれてやる!!」
気の短い人間が居たのだろう。拳をもって先輩の威厳を見せつけようとした人間が居た。一つ誤算があるとするなら、殴りかかった後輩というのもまた“モルテールン”に繋がる人間であったということだろう。実戦経験済みで、遥かな高みのお手本と共に、恐ろしくスパルタな男達に鍛えられて育った腕白がマルクという男。
マルクは、後輩を舐めて殴りかかった一人の拳を躱しつつ、頭突きをかましてノックダウンさせる。続く二人目の中途半端な拳も、軽く手を添えて逸らしつつ、肘をみぞおちにプレゼント。
あっという間に二人が蹲ってしまい、残った人間は意外に強いマルクに驚いている。
「ちょろいな。親父やシイツのおっちゃんのシゴキに比べりゃ、温い温い」
本当は結構危なかったのだが、そんなことをおくびにも出さず余裕を演出して見せる。ペイス直伝のハッタリ技術だ。
「クソッ、覚えてろ」
「やなこった。悔しかったら一昨日きやがれってんだよ」
余裕ぶった態度が良かったのだろう。軽く後輩を窘めてやろうという程度にしか考えていなかった先輩たちは、捨て台詞と共に去っていく。冷や汗ものであったが、何とかなったようだ。
問題ごとは片付いた。マルクはそういえばとばかりに食堂に向かう。幼馴染が待っているはずだと思えば、多少は気持ちも軽くなった。
「ルミ……って、誰だ、あいつら」
食堂では、約束通りルミが居た。
ただし、数人の女性徒に囲まれてだ。またぞろ先輩だの何だのが絡んで来やがったのかと、ルミの元に突貫するマルク。散れとばかりに威嚇して、集まっていた連中を追い返した。
「ようルミ」
「マルクか。おせえぞ馬鹿」
「馬鹿は余計だ。それに、用事は手早く済ませたぞ」
無事に済んだと自慢げなマルクの姿に、ルミは胸をなでおろす。やはり数人がかりで連れていかれたとなれば、心配の一つもあったからだ。
「ねえ、君がマルカルロって子?」
早速何か試しに食ってみるかと相談していたルミとマルク。
そんな二人に、声を掛けて来る人間が居た。勝気そうな女生徒である。寄宿士官学校では女性の生徒は全学年合わせても二十人居るか居ないかといったレベルであり、極めてレアな遭遇だ。偶然であったならばだが。
マルクの名前を知っていたなら、偶然ということは無い。
「ああ。あんたは?」
「さっきルミちゃんと友達になったアリアメトリスよ。アリスって呼んで」
「ああ、よろしく」
友好的に接してくるなら、マルクとしても仲良くするにやぶさかではない。年ごろのお姉さんと仲良くなれるなら、大歓迎という雰囲気だ。横でルミが若干機嫌を悪くしてるのに気が付かないところがマルクである。
「で、用事ってのは何だったの?」
「煩いのに絡まれたんだよ。向こうが教育的指導だとか言って手を出してきたから、やり返して追い払った。チョロイもんだぜ」
「へえ、あなた結構強いのね」
女性からの素直な称賛。これは男としては嬉しい。特に、いつも一緒に居た女性が、口の悪さにかけて折り紙付きであれば尚更だ。
「おうとも。実戦経験だってあるぜ」
「初陣も済ませてるの? 凄い!!」
「はは、大したことねえよ」
自慢げなマルクと、不満げなルミ。マルクからしてみれば、襲って来た相手を返り討ちにした俺スゲーだろという自慢。俺カッケーである。
ルミが何故不満そうにしているのか。マルクは未だに分かっていない。
「バカマルク。調子に乗ってんじゃねえよ」
いよいよルミの不満が口から飛び出した。自分が心配していたというのに、このお気楽さは何なんだと悪口雑言のマシンガン状態。
「ああ? 俺のどこが調子に乗ってるっていうんだよ」
「乗ってるね。これ以上ない位調子に乗ってる。何だよ、その鼻の下。伸びっぱなしじゃねえか」
「んだとコラッ!!」
「ああ? やんのか? 泣き虫マルク」
「テメエ!!」
幼い時に、色々と涙を流していた頃をお互いに知っている幼馴染同士。泣き虫というならお互い様だろうと客観的に見れば思う所だろうが、泣き虫と指摘されていやがるのは、マルクの方だった。
いつも通り、変わらない口喧嘩であるが、一つ違いがあるとすればそんな風景に慣れていない第三者が居たことだろうか。
「二人共、止めなよ。喧嘩は駄目だよ」
「チッ」
去っていくルミ。
それを見送るマルクは、気まずい気持ちでいっぱいだった。