225話 陰謀2
王立ハバルネクス記念研究所。そこは、神王国の知の殿堂。神王国でも指折りの賢君と称えられたハバルネクス王が設立した学術研究機関であり、研究内容は薬学、法学、神学、哲学、軍学、天文学、魔法学など幅広い。国中から賢者を集め、学問の最先端を常に追い求めるここには、日々様々な人々が訪れる。国王その人に始まり、王子や王妃、或いは他国の来賓。勿論、有力貴族もこぞって訪れる。
コウェンバール伯爵もその一人。
「これはこれは、伯爵閣下。斯様なところにお越しとは珍しい」
来訪者を出迎えたのは、研究所の所長だった。年の頃は五十代であり、長年研究の世界に携わり、華々しい成果をあげて所長の席に座る。頭の毛は既に風と共に去って久しく、つるつると輝く頭頂部は賢さの表れと言えなくもない。要はハゲだ。
所長は、仕事の手を止めて来客を歓迎する。王宮内でも十指に入る名門貴族の来訪とあっては、無下にも出来ない。コウェンバール伯爵家は、外務貴族の名門であり、その職責から富豪としても知られる。
外交とは人付き合いの延長線上にある仕事だが、職責柄贈り物のやり取りが頻繁にある。季節が変われば挨拶の贈り物。慶事があればお祝いの贈り物。不幸があればお悔やみの贈り物。何かにつけて贈り物をやり取りする。
此方からは相手の喜ぶものを贈り、相手からは此方が喜ぶものを贈ってもらう。これが贈答の基本。
大体の場合、此方では珍しくもない特産品が、相手方には喜ばれるもの。相手方でも簡単に手に入るような贈り物は下の下である。逆も然り。つまり、お互いに、相手にとって珍しいものを贈り合うことになる。自分たちにとって手に入りやすいかどうかは問わない。むしろ、自分たちであれば手に入りやすいものを贈り物にした方が、都合がいい。
これはつまり、超高級品限定で貿易をしているようなものである。価値の偏在を利用して利益に繋げるのは、外交と貿易の共通点だろう。しかも、この贈り物のやり取りは、本来貿易を禁じられている相手でも行うことが出来る。超独占貿易と言い換えても良い。
つまり、儲かる。
当代のコウェンバール伯爵は、特にこの手の才幹に優れていた。贈り物のやり取りで膨大な利益を産みだし、手にした財産を運用して更に稼ぐ。国内でも指折りの富豪と言われるのは、誇張でも何でもない。
お金の使い方も中々豪快だ。溜め込むだけ溜め込むようなケチとは違い、使うべきところにはきっちり金を出すのがコウェンバール伯爵の流儀。研究所にもかなりの額を寄付しており、正直なところ今の所長も恩恵を受けた人間だ。コウェンバール伯爵の支援が無ければ、所長は自分の研究で成果を上げることは叶わなかっただろう。
研究開発というものはとにかく金と時間が掛かるもので、お金を出してくれるパトロンはいつだって大歓迎である。ましてや、既に大金を支援してくれている相手となれば、揉み手で歓迎するぐらいは当然であるといえた。
「所長も久しいですな。お元気そうだ」
外交官らしく、人好きのする笑顔で椅子に座るコウェンバール伯爵。こうして面と向かって所長と話をするのは一年ぶりぐらいだろうか。
「いえいえ。お若い閣下ほどには。寄る年波には勝てません」
所長は、はははと自嘲した。現代日本よりも平均寿命が短い世界、所長のような五十代となれば、孫どころかひ孫が居てもおかしくない高齢という扱いになる。若い時に比べれば、目はしょぼつくようになってきたし、字も読みづらくなった。物覚えが悪くなり、研究者としては第一線を退いて久しい。今、研究所を統べる立場に居られるのは、偏に過去に積み上げた功績の数々によってである。間違っても、現状での能力の高さから地位に就いているのではない。
しかし、コウェンバール伯爵はそんな分かり切ったことはおくびにも出さず、如才ないやり取りを行う。
「所長もまだ若いでは無いですか。その証拠に二月程前にも、見事な研究成果を発表されていましたな。確か、魔法能力における血統の重要性、でしたか。実に斬新な着眼点であると、話題でした」
研究所の各種の研究内容にも、抜かりなく情報収集の手を伸ばしているコウェンバール伯爵。それを咄嗟に話題として活かせるのは、外務の重鎮という流石の貫禄である。
「あれは、弟子の思い付きでしてな。私などは、横から少し口を挟んだだけです。それでも、弟子は私のお陰であると言ってくれたのです。斬新というなら、全ては弟子の功績でしょう」
所長の専門は魔法学。魔法という超常の力を理解し、世の中に活かそうという研究分野だ。
騎士の国たる神王国では、騎士に関係する研究こそ花形とされる。鎧兜や刀剣に活かせる冶金学や、戦いの為の軍事学、或いは怪我を治す薬学や医学の分野が花形。研究資金も集めやすく、パトロンも見つけやすい。
対し、魔法学の恩恵を最も受けるのは、普通ならば魔法使いである。研究に理解のある人間は、ただでさえ数の少ない魔法使いである上に、魔法は実に個性的でバラエティ溢れるもの。自分の研究内容がかみ合う魔法使いを探すというのも大変だが、その上更にパトロンになってもらえるかという困難もある。魔法学が盛り上がらない理由の一つだ。
その点、所長は上手くやった。ある意味魔法学者としては異端児。数々の魔法疎外の研究を成就させ、魔法学者でありながら魔法を防ぐ研究の専門家なのだ。代表的なものは軽金を用いた魔法妨害空間の構築法である。ペイスが酒造り(実は砂糖づくり)の建物で用いたような内容だ。四十年近く前の研究であるが、実用化もされて大きく国益に寄与したとして、勲章も与えられている。
魔法使いの為に魔法を研究するのではなく、魔法使いを貶めたい連中に取り入って成果をあげて、今の地位に就いたのが現在の所長。金持ちに揉み手をするぐらいは慣れたものである。
「出来たお弟子さんをお持ちですな。下の者を育てて導くのも上に立つ者の務め。優秀な弟子が素晴らしい功績を立てたというのなら、それは師である所長の功績というものでしょう」
「いやいや、私ももう引退です。最近は若いものの話にも付いていけぬ時がありましてな。年は取りたくないものです」
「ご謙遜を。ここは我が国でも、いやこの大陸でも最高峰の知が集まる場所。最高の賢者たちを束ねるのですから、頭が下がりますな」
「光栄です」
引退と口にした所長ではあるが、内心ではまだまだ自分は若いと思っている。王立の研究所であるから、所長のポジションは王の人事権に左右されるのだが、自分以上に相応しい人物はまだ居ないと思っているのだ。
誰の目にもそろそろ引退する潮時なのだが、自分のこととは、案外気付けないものである。
「そういえばご存知ですかな。最近は、寄宿士官学校でも優秀な卒業生が増えているという話です」
コウェンバール伯爵は、さりげなく本題に話を進める。弟子の研究と承知の上で研究成果を褒め、弟子を育てる素晴らしさを謳い、教育の場たる寄宿士官学校に話を持って行く。中々自然な話術と言えよう。
「ほう、それは素晴らしい」
「何でも、新しい校長の元、若い教官達が画期的な改革を為していると。組織の良し悪しとは、最上位に立つ者の力量次第で変わるものだと感心している人間は多いそうですぞ」
寄宿士官学校の校長は外務閥。それも、コウェンバール伯爵に近しい人物だ。それを分かっていながら、さも一般論かのように士官学校の校長を褒める。したたかなやり方だ。
あくまで噂の態を装っていながら、自分たちの権威と権力をアピールしている。
「そういえば、今年採用した新人は優秀な人間が多いと聞きます。今後に期待するとしましょう。して閣下、本日の御用向きは?」
所長も、貴族社会を知る人間である。コウェンバール伯爵のやり口など分かった上で、頷いた。
今年の新人に優秀な人間が多いのは事実なのだ。優秀であるが故に疎まれたりする者も居たりするが、そんなのは人間の作る組織では良くある話である。
「実は、この研究所の現状を教えて頂きたいのですよ。当家が、よりこの国に貢献できるように」
所長に促され、コウェンバール伯爵はここに来た目的を喋り出す。無論、本音を隠した建前の方だ。
「現状とは?」
「私は常々、研究者こそ国の宝では無いかと思っております。我が国は南大陸の覇を競う大国ではあっても、常に周囲を敵国に囲まれている為に気の休まる暇がない」
神王国は東西で仮想敵国と境界を接し、北では小さな緩衝国を挟んで大国と対峙し、南では海を挟んで宗教的な対立国と向き合っている。というよりも、より小さな国々を併呑していった過程で、楽に勝てない相手と向き合うまで領土を広げたというのが正しい。近年であればサイリ王国から領土を勝ち取ったわけで、周辺国にしてみれば、隙を見せれば噛みついてくる国だ、と思われているのだ。
それだけ敵に囲まれながら国内を安定させるには、外交的な努力は必要不可欠。脅し、宥め、懐柔し、時には遜り、平和を守って来たというのが外務閥の言い分である。
「閣下の御仕事柄、余計に気を使われるのでしょうな」
「然り。国内に居ては分かりづらいのでしょうが、トラブルを未然に防ぐ外務の力あってこそ、国家の安寧がある。我々の仕事は“何もない”ことこそ成果なのですよ」
「私は外務には門外漢ですが、仰っていることは分かりますな」
「ありがたい。さすれば、我々もより一層精進することで、王家の為に、ひいてはこの国の為に力になれると信じたい。しかし、そうはいってもやはりこの国の力が大きければ大きい程、仕事が楽になる」
「そうでしょうな」
幾ら智謀が優れていようと、戦うための武器もなく外交は出来ない。幾ら金持ち息子が賢かろうが、腕力に勝るガキ大将におもちゃを取り上げられてしまうようなものだ。猫型ロボットのようなイレギュラーが無い限り、弱いものは虐げられる弱肉強食が国際社会の常識。
国の力とは、別に軍事力だけに限らない。勿論直接的な暴力も外交上では使える手札ではあるが、経済力や団結力といった部分も同列程度に重要な要素。
国の全体としての力。国力の向上こそ、外交的優位を産みだす。
理屈はよく分かると、所長も頷く。
「国家の力、国力をより増そうとするなら、やはり魔法の力は避けて通れない。勿論、どんな学問であってもないがしろにして良い訳は無いが、とりわけ魔法研究は国力に直結する。私は常々そう考えているのですよ」
「我々の研究に、そこまでご理解を頂けているとは光栄です。閣下の慧眼には感服する次第です」
魔法の力もまた国力の一要素。自分たちの研究が、伯爵の役目にも役立っているというなら喜ばしいことだ。所長は僅かに頬を緩める。
そんな所長の様子を見ながら、コウェンバール伯爵はここが攻め時かと論調を変え、声色も一段低いものになる。
「しかし、現状での魔法研究において、我が国は聖国に水をあけられている」
痛いところを突かれたと、所長が顔を歪めた。
実際、南方の大国である聖国は、魔法大国として知られている。宗教国家である彼の国は、国家全体で魔法の力を重視しており、これは国体そのものが原因でもある。魔法を授ける儀式を握っている宗教的権威が、その力を背景に俗世の権力を握る。魔法あってこその聖国であり、その魔法を授ける教皇は神の代理人という、絶対的な中央集権国家。それが聖国だ。
必然、魔法の研究では神王国に比べて一歩も二歩も先んじており、軍事技術や経済運営に偏重している神王国とは国の有り方そのものからして違う国である。
「遺憾ながら、その通り。彼の国は魔法使いを国家をあげて育成し、囲っておるのです」
「羨ましい話です。我が国は四方を仮想敵に囲まれるが故に、他国に倍する成長が必要。国力を増大させようとするなら、魔法の研究にこそ力を入れるべき。されど、現状では十分とは言えない。これが、我が国の置かれた状況。如何だろう、私の言う事は何か間違っているだろうか」
「一言一句、その通りと思いまする。魔法研究は、他国に後れを取っておりますな」
神王国は現在でも十分大国であるが、将来まで大国であり続ける保証はどこにもない。
仮に周囲四ヶ国がこのまま仮想敵国であり続けるとした場合、そして先の大戦のように、その四ヶ国が協調して神王国に牙をむいたとしたら。単純に、周辺国単独の四倍の国力を持っていなければ対抗できないことになってしまう。
今後も対抗し続けようと思えば、隣国がそれぞれ一の国力を増大させる間、神王国は四の国力を増大させなければ均衡を保てない。
しかし、農業生産力や経済力が、他国の四倍ペースで増加するなどあり得るだろうか。勿論、無茶である。この無茶を可能にするにはどうすればよいか。
この世界では不可能を可能にする人智を越えた異能がある。ここに活路を見出すべきだ。
所長は、コウェンバール伯爵の先見の明に感銘を受ける。
「そこで……ものは相談なのだが、優秀な人材を研究所に引き抜くつもりは無いだろうか」
「優秀な人材とおっしゃると?」
「私に、一人心当たりがあるのだ。所長の研究内容に合致する、魔法使いの元に生まれた魔法使い。当人の能力も極めて高く、実績も申し分ない。まだ十分に若く心身壮健。血統的にも、両親ともに代々続く貴族の家に生まれたと聞く。いずれは家を継いで領地貴族となるだろうが、今ならば研究所に持ってくることも出来るだろう」
「そのような逸材が居るのですか!!」
所長は、椅子から飛び跳ねるほどに驚いた。
伯爵が述べた研究は、自分の弟子がやっている仮説論文の話だ。魔法使いが実は血統によって決められているのではないか、という血統仮説と呼ばれている。
魔法の中で統計的に最も表出しやすいのが火を熾す【発火】の魔法であることや、貴族に魔法使いが現れる確率が、平民に魔法使いが現れる確率よりも高い、というのがその根拠となっている。
現在では主流派の研究ではあるが、非主流派からは研究内容が荒いとの批判もある。【発火】の魔法が血統的に明らかに遠い人間からも現出している事実や、貴族に魔法使いが多いのは単に本聖別を行う金があるかどうかという経済格差によるものだ、という反論だ。
主流派も非主流派も、決定的な論拠を欠いたまま長い年月論争してきており、もしここで親子の魔法使いという、血統仮説を補強する実例があるなら心強い。
反主流派の連中の顔を青ざめさせられるなら、所長としても十分にメリットがあろう。
「居るとも。モルテールン家嫡子、ペイストリー=ミル=モルテールン。所長もモルテールン家のことは聞いたことが無いか?」
「それは勿論、救国の英雄ですから家名を聞いたことは有ります。二代続けて魔法使いということは、カセロール=モルテールン卿の御子息が魔法使いなのですか」
「左様。所長は社交には余り出られないのでご存じなかったようだが、百年に一人の英才と名高い神童だそうだ」
研究所という場所は、一種の情報鎖国の世界でもある。極めて利用価値の高い知識の宝庫であるがゆえに、接触する人間も面倒な手続きが必要で、研究所内の人間が外に出る際も、厳重な警護が為される。ある意味で箱入りなのだ。
他者との接触を制限することで研究内容や研究者自身を守っているわけだが、同時に外からの情報にも極めて疎くなる。それが神王国における研究者という生き物なのだ。
「ふむ、そのような人物であれば、研究所に招くに不足は無いでしょう。しかし、そうなると今度は何処に籍を置いたものかと悩ましい。優秀な人材は何処の研究室も欲しがるでしょう」
「そこはそれ。実はこのモルテールン家の息子には面白い話がありましてな」
「ほう」
「今、この少年は寄宿士官学校の教官をしております」
「何と!!」
優秀な魔法使いが、何故か寄宿士官学校の教官。面白い話もあるものだと、所長は笑った。魔法使いであるなら、わざわざそんなところで働かずとも、もっと楽して稼げる道は幾らでもあるだろう、という思いからだ。
「これが実に素晴らしい講義を行うと評判でして。他の教官方では手に余る劣等生ばかりを数人引き取り、たった一年で引き取った学生全てを上位卒業させたのです。しかも、一人は首席で」
「首席、それはまた信じられない……」
「この研究所にも、成果の振るわない研究室は多々ありましょう。彼の少年であれば、必ずやそんな研究室も立て直すに違いありません。……そうだ、何でしたら私が幾つかの研究室を紹介しておきましょう。汎用魔法研究室など如何ですかな?」
「な!! あそこは……」
汎用魔法研究室。名前は立派であるが、この研究所内では窓際も窓際、最底辺の研究室である。
元々魔法研究自体が日陰の研究であり、その中でも更に魔法使いから厭われる研究がなされる場所。研究所でも、左遷の行きつく先と言われる。
「分かっております。分かっておりますとも。しかし所長、先ほど私が言ったことがお分かりになりますかな?」
ここにきて、所長はコウェンバール伯爵が言いたかった本音に気付く。魔法の研究振興など建前なのだ。本音は、魔法使いなら絶対に嫌がる研究を、魔法使いにさせることにあるのだろう。
「……そういうことですか。承知しました。“優秀な人材”に“絶対に成果の挙がらない”研究室の立て直しを願うとしましょう」
「流石は国一番の賢者殿。長々とお時間を頂戴して申し訳ありませんでしたな。私はこの辺で失礼させていただく」
「お見送り致しましょう」
「いやいや、そこまでのお気遣いは結構。では、また」
目的は達したとばかりに、伯爵は席を立つ。
部屋を出たところで、ぼそりと一言呟いた。
「これで、今度こそあの小僧も大人しくなる」
コウェンバール伯爵は不敵に笑った。