222話 工場見学
「それでは、はぐれないようについてきて下さいね」
旧態依然とした巨大病院の院長総回診の如く、新人達をぞろぞろと従えて歩くペイス。別に偉ぶっているわけでもないのだが、領内の特別な場所の案内となると、出来る人間が限られるのだ。
少なくとも一年目や二年目の若手には十分に役目をこなすだけの知識が無い。その為、ペイスが集団の先頭に立って案内をしているのだ。ひと際小柄な少年が、軍人教育を受けた逞しい青年達を引き連れて歩く絵面は、どこかしらドラマのワンシーンのようである。
「これから案内するのは、当家の機密事項に関わる場所です。学校でこの手のことを学んだ皆さんには今更だとは思いますが、これから見聞きすることは親兄弟であっても口外しないように注意しておきます。どこに耳があるか分かりませんから、相手が話題にしてくるまでは、先輩たちにも言わないように。なお当家では、機密漏洩に関しての罰則は、最高で死刑まであります。厳罰をもって対処するのが当家の流儀ですので、努々忘れることの無きよう」
厳罰、の辺りで話を聞き流そうとしていた新人を目敏く見つけたペイスは、真剣な顔で彼らに向き合う。
「ちなみに、これは脅しではありません。現実問題として、当家の秘密を盗もうと他家からあの手この手の工作が行われていまして、厳罰はこの為です。賄賂や色仕掛けは言うに及ばず、肉親の情をもっての泣き落としや、脅迫も起きています。それほどに当家の持つ機密の価値は高い。対応する為には、一人一人がしっかりとした気持ちでいることが何よりも肝心。なので、初犯でも減刑や情状酌量の余地は無いと覚悟しておくように。狙われるとすれば、脇の甘い貴方達を狙ってきます」
ペイスの言葉と態度に、ぎょっとして目を向く新人達。これが本当に言葉だけの注意ではないと、理解したからだ。
実際、モルテールン家は秘せねばならない事柄が多い。例えば、ペイスが他人の魔法を【転写】出来ること。
魔法というのはごく限られた人間にのみ与えられる才能で有り、例外なく強力な力がある。魔法を使える魔法使いにとっては唯一無二の切り札であり、誰にも真似が出来ないが故に、生まれながらの既得権なのだ。
しかし、ペイスの場合はこの常識を破壊する。
他人の魔法を使えるということは、世界に一人だけ、ペイスのみが既得権を奪えるのだ。これほど恐ろしい話は無い。他の魔法使い、或いは魔法によって利益を得る権力者にとっては、何を犠牲にしても滅したい対象となる。この世界において、既得権益者とはほぼイコールで貴族や王族だ。最悪、世界中を全部敵に回すことになりかねない。
或いは、お菓子の製造方法。
モルテールン家の収入は現状でも右肩上がりを続けているが、この源泉が何処にあるかといえば、お菓子にある。領内の環境改善や東部地域の復興が進み、農業生産力が著しく向上し、サトウモロコシを始めとする商品作物を生産し、砂糖や酒や小麦粉といった一次加工品を産みだし、それを使ったお菓子という二次加工品が利益を生む。領内の生産能力向上、即ち経済力の向上は、もってお菓子の為に行われているのだ。スイーツフォーオール,All for sweets.全てはお菓子の為にある。
神王国のみならず、この世界において技術や知識というものは秘匿される。 例えば料理の作り方。料理本やレシピサイトも無い世界、料理の作り方の基礎からして、誰かに教えてもらわねば分からない。出汁の採り方ひとつとっても、何を材料に、どんな道具を用意し、どういう手順でやれば良いのか。教えてもらわずに最初から出来る人間など存在しない。素材の見分け方でさえ、一切調べず、そして教わらずに、生まれながら出来る人間など存在しないのだ。
ましてや、その知識が大金を産むとなれば、これはもう教わる方も大金を積むしかないわけだ。或いは、何としても知識を盗もうとする。
知識は学び、技術は模倣するしかない。先達の許可の有る無しに関わらず。しかし、特許権も意匠権も独占禁止法も無い世界では、勝手に真似された方はただただ泣き寝入りするしかない。或いは、徹底的な報復による抑止力を持つか。
技術や知識の奪い合いは、時に戦争にまで発展する。モルテールン家としても、模倣や類似品の横行で経済力の基礎を破壊されては困るわけで、お菓子に関する知識の秘匿は絶対の条件となる。
その為、模倣が容易な焼き菓子などは、紋章を焼き印することで、模倣者をモルテールン家の権威の元で断罪出来るようにもしていた。単なる焼き菓子は真似されても泣き寝入りだが、紋章の模倣は国法に照らしても違法という理屈である。違法ならば容赦する必要は無いと、モルテールン家の決意は固い。
必要とあれば、お菓子の為に戦争も辞さない覚悟なのがペイスという少年だ。
或いは、防衛計画。
モルテールン家は隣国に対して備えるのがお家の御役目。一男爵家が一国を相手に向き合っているのだから、対応するには創意工夫が要る。
罠を張る、隠し砦を作る、戦力を誤魔化す、陰謀を巡らす、等々。どれにしたところで、敵に存在や内容がバレてしまっては効果が無い。いや、それどころか逆手に取られてしまう。故に、モルテールン家がどういう備えをしているかは、敵に知られないようにしなければならない。軍事機密が領民や自分たちの命にかかわって来るだけに、何としても秘密にしておかねばならないのだ。
斯様に秘密の多い家であるから、新人達に教える内容というのも気をつかう。何を教えて、何を隠すか。ペイスの魔法の真実などは絶対に教えられないが、他の部分は知らないと仕事に支障をきたす。
警備するにも何処を守るかを教えねばならないし、いざという時の行動を教えておかねば非常時に役には立たない。つまり、ある程度の機密を教えておかねばならないということ。
昨日今日雇われた新人に、何処まで教えるのか。さじ加減が大事なのだ。
「ここが、モルテールン家の重要機密のある場所の一つです」
ペイスが最初に新人達を案内したのは、酒造所。ぷんと立ち込めるアルコールの匂いが鼻に当たり、日光を避けた薄暗さに満ちた、独特な雰囲気の場所だ。
この酒造に関して、ペイスとしてはあくまで製糖産業の副産物として考えている廃物利用でしかないが、一部の人間にとってはこれこそ宝の山である。
お菓子を作る時、蒸留酒の類や、その派生としてリキュール類を使うことはままある。故にペイスも多少はこの手の知識を持っていた。美味しいお酒の組み合わせであったり、より良い蒸留酒を作る方法など。聞きかじった程度の知識ではあったが、知識というものはゼロと一とでは雲泥の差があるもの。生半可な知識ではあっても、蒸留のやり方や熟成のやり方、或いはリキュールの作り方を知っていたペイスが居て、アルコール度数を容易に高められる砂糖があり、酒には目の無い飲兵衛が大勢いたモルテールン領。酒造産業も、立派に経済発展の一翼を担う産業に成長している。
当然、機密の塊でもある。
「この場所の所在地についてだけでも口外無用ですが、特に原材料やその分量などは試行錯誤の結果であり、当家の貴重な技術秘訣です。重ねて念を押しますが、漏らした人間には厳罰をもって対応しますので、くれぐれも余計な好奇心は出さないように。ここでの仕事を担当する人間にのみ、必要な知識を与えます」
「教か……ごほん、ペイストリー様、試飲って出来たりしませんか?」
新人代表のプローホルが、良いことを言った。少なくとも新人達の意見の多数を代表する発言だったらしく、周りは期待の目でペイスを見ている。
流石は首席卒業者。空気を読むことに長けた、見事な対応である。自分が飲みたいだけでなければ。
「最初の見学から酔っぱらって貰っては困るので、試飲は出来ません。……酒場に行けば割安で飲めますし、それで良いでしょう」
ペイスの言葉に、新人全員が不満そうな顔をした。
世の中には酒の好きな人間というのが一定数存在するし、酒の嫌いな人間というのも同じように一定数存在する。普通に考えるなら、新人の中の幾人かは酒が嫌いでも不思議はない。
しかし、こと新人達に関しては、全員が酒好きだ。というより、寄宿士官学校の飲食を経験すれば、多くの場合は酒が好きになる。人種的に酒が強い体質の人間が多いというのもあるが、それとは別の次元で、理由があるからだ。
酒好きが多い理由。それは彼らの共通点、即ち寄宿士官学校の特異な事情にある。
寄宿士官学校は、学生向けの施設であるにも関わらず、何故か常にワインなどの酒類が大量にある。それも、世間で一般的な酸っぱい安ワインとは違って、アルコールもしっかりと感じる高級品が、である。
そんなものを備蓄している理由はというなら、水を運搬していては劣化してしまう場所や、生水を飲むことが危険な場所で訓練する場合に使うからだ。医療用途にも使われる。綺麗な水が貴重な場所や、泥水や沼の腐った水しかないような場所では、酒で傷を洗ったりもするのだ。
また、士気を高揚させる、或いは恐怖や怯懦を払拭させる為にもワインは有効だ。少なくとも大多数の教官は効果的と信じている。興奮剤のような使い方だ。
変わった使い方で言えば、防寒用途というのもある。飲酒による血行促進で凍傷を防ぎ、寒さに抵抗力をつける。冬場や山間部、チョロまかして隠し持っていた酒で命拾いをした、などという経験を語る教官は珍しくない。
つまり、軍需物資として、酒は良く使われるわけだ。その為、悪くなったワインなども定期的に入れ替えられていて、学生達も“処分”を手伝う。
質よりも量を優先する、最悪に不味い飲食物が横行する士官学校という環境の中、ワインだけは良いもの、マシなものが飲める。例外的に酒だけは用途が飲食に限らない為、質が担保されるのだ。
つまり、辛く苦しい訓練と勉学の中で、唯一といっても良い嗜好品、娯楽品足り得る。
娯楽も無く拷問に近い訓練と勉学の日々。ほぼ男しかいない色気の無い灰色の青春。そこにある一点の慰めが酒なのだ。たった一つの希望が酒なのだ。恋人持ち以外の人間にとっては。
酒が飲める人間、楽しめる人間は、飲めない人間に比べて随分とマシな精神状態で学生生活を送れる。それは、酒好きも量産されるというものだ。
試飲がしたい。なんなら、本格的に痛飲したい。
そんな、希望と呼ぶには濁り切っている欲望を隠し切れない新人達。
察しの良いペイスであるから、彼らの心情は理解できた。
「……分かりました。今日の見学と説明が終わった後であれば、試飲を許可します」
「ありがとうございます!!」
わっと喜ぶ新人達。持つべきものは、話の分かる上司である。
「まっ、そんな元気が残っていれば、ですが」
「え?」
ペイスの不穏当な呟きは、慣れているプローホル以外には聞き取れなかったらしい。
何事も無かったように案内を続けるペイスの後ろには、試飲ができることを喜ぶ若者達が続く。純真で、人を疑うことを知らない世間知らずな若者たち。彼らがモルテールン家の洗礼を浴びるのは、これからだろう。実に悲しい話だ。
施設の説明や、基本的な酒造りの工程の説明が終われば、新人達から質問が出るようになる。ここら辺の知的好奇心の強さや、向上心の強さはエリートらしさだろう。的確な質問が出来る人間は、やはり賢いと言われる人間に多い。
「ここではどれぐらいの量を作っているのでしょう」
「現在、当家の酒造業では、年間六十樽を生産しています。実際にはもう少し多く作っているのですが、今なお品質や生産工程で試行錯誤を続けている段階なので、安定して生産できる最低限の量として商業用途は六十と決めました。うち七割は領内で消費され、一割は自家消費。残りはナータ商会を介して輸出されています。輸出先は王都と南都でほぼ全部ですね」
「酒造の規模を拡大する予定はあるのですか?」
新人達にとっては、酒造の規模拡大は期待したいところだ。出来得るならば、その為の人員として自分たちを使って欲しい。そんな思いが見て取れる。
ただし、ペイスは首を横に振った。
「ありません。父様やシイツは常々規模を拡大させたがっていますが、三つの理由から酒造の規模拡大が制限されています」
「その三つの理由とは?」
「一つは、原材料の制約。当家では僕が主導してサトウモロコシを栽培し、生産していますが、知っての通りモルテールン領は降水量が少ない。東部地域と呼ぶ、旧リプタウアー領は多少マシですが、それでも水資源の制約は強く、計画的に運用しなければすぐに干上がってしまう。材料を多く作ろうとしても、限界があるのです。また、砂糖を作る原材料もサトウモロコシですから、製糖産業や製菓産業とは、根本的に背反します。製菓事業の実入りが良い現状、砂糖を減らして酒を増やすと、当家の収入が減る。それでは意味がありません。僕としてはもっと酒造を減らしても良いと思っているのですが……家中のほぼ全ての人間から強硬に反対されている為、現状維持となっています」
元々モルテールン領は貧しく、酒どころか毎日の肉やパンさえ自給が怪しかった。そこに来て、酒が自給できるようになったのだ。ペイスのようにお菓子に情熱を燃やす人間でも無ければ、普通は酒造で安定的な収入を目指す。
お菓子作りが金になるというのは、ペイスは確信を持っている。しかし、他の人間にしてみれば、先行きの見えない未知の産業。今まで誰もやったことが無いものだけに、何時まで好景気が続くか、不安も大きい。安定して稼げる酒造の方に力を入れたくなるのは、常識人ならば極々当たり前の話だろう。
常識と非常識のせめぎあいの結果が、今なのだ。
「二つ目は、機密保持の制約です。重ねて念を押したように、当家の最も重要な課題は機密保持です。酒造りにしろ砂糖づくりにしろ、大資本……いえ、大貴族による簒奪や模倣は大いに警戒しなければならない。実際に製造法の買取を脅迫まがいに打診してきた家は幾つもありますし、国内貴族だけでなく、他国の間諜まで頻繁に出入りしているのが当家の置かれている状況です。なので酒造業も出来る限りの機密保持対策をしなければならないのですが、規模を大きくすればそれだけ秘密は漏れやすくなってしまいます。今の規模でいっぱいいっぱいですよ」
ペイスは、そう言って壁を叩いた。
少年はあえて口にしなかったのだが、酒や砂糖を作っている建物には機密保持対策がされている。外から覗けるような窓が無いことや、入り口から製造場所まで複雑な経路を用意していることなどは、分かりやすい対策である。名目は、酒類は直射日光に弱く、場当たり的な建て増しを重ねたから、となっているが。
それ以外にも、壁に魔法対策がされている。
魔法の対策とはどういうものかといえば、壁の中に軽金と呼ばれる金属が網状に埋めてあるのだ。長年の研究成果を踏まえて特殊な加工がされた軽金は、魔法を阻害する。
元々軽金は、聖別の儀式などでも用いられる金属だ。魔力との親和性が非常に高く、人が触れようものなら、魔力を吸えるだけ吸って質量を増大させる性質を持つ。銅やマグネシウムが酸素と結びついて質量を増大させる化学反応に近い。放置しておけば時間経過とともに魔力も抜けるというのが化学反応と違う点だが。
魔力量を測るのに使われるのが一般的と思われがちの軽金だが、その性質から建材としても重宝がられる。魔力とは魔法を使う上での燃料のようなものなので、例外なく魔法とは魔力が使われている。過去の歴史上一つの例外も存在していない観測的事実であり、例えばペイスもその一人。絶対であると確証の持てる証明はなされていないが、世界規模で数百年以上も例外なく観測されていることから、間違いないというのが学術的な常識だ。
つまり、魔力が完全に吸い取られるならば、魔法は発動しない。
カセロールの【瞬間移動】もこの金属で囲われた中には発動しないので、酒も天使の分け前が通常以上に増えるということも無く、覗き魔の異名を持つシイツも中を覗けないということだ。
王宮などでも積極的に使われている優れた魔法対策ではあるのだが、当然欠点も存在する。軽金の生産量が極めて少なく、希少性があり過ぎることだ。つまり、馬鹿みたいに高い。宝石や純金でさえ霞むほどに高い。仮に金と軽金の市場価格を比較すれば、おもちゃのミニカーと本物のスポーツカーぐらいの違いがある。
一説には天然の魔力だまりに偶然金鉱脈があった場合に採掘できるとも言われるが、元々が金よりも遥かに埋蔵量が少ない軽金。それだけでも希少価値としては十分だろうが、採掘も難しい。普通の貴金属なら魔法使いが採掘や精錬に役に立ったりするが、軽金では先の通り魔法が使えず役立たずに成り下がる。故に採掘や精錬は一から十まで魔法に頼ることなく行わねばならず、おまけに金属特性として融点も高い。また、下手に触ってしまうと質量が変わってしまう為、加工も特殊性が高くなる。
単三電池ほどの大きさでも伯爵領の年間予算並みの値が付く金属。それを、メッシュ状とはいえ建物を覆えるだけ用意するのは、如何にペイスと言えども簡単ではなかった。
かといって、魔法対策がザルな施設で生産活動を行えば、情報収集に長けた魔法使いを抱える大貴族などには、すぐにも技術を盗まれてしまう。
お菓子の為にはいかなる犠牲も努力も惜しまないペイスが、年単位の時間を掛けて用意したもの。それがこの機密保持用の壁なのだ。
今説明の為に居る建物も、実は本命は地下にある。入ったばかりの新人にでも説明できる程度の“表向きの機密”の為の酒造設備であり、地下に本命の製糖産業設備が隠してあるのだ。何もないところにポツンと厳重な警備の場所が有れば、そこに秘密があると教えるようなものだが、表向きの機密を守るために厳重な警備体制を敷いておけば、本命の警備もやりやすくなるという腹である。
酒造りの為に魔法対策の建物を用意したわけでは無く、魔法対策のされた建物をカモフラージュする為に酒造を行っているという方が正しい。だが、そんな裏話まで新人には語らない。機密保持が生産拡張の枷になっているのは事実なのだから。
「そして三つ目は……折角です、聞いてみましょう。誰か、思いつく人は居ますか?」
一年程度の教官役の賜物か、新人達に早速とばかりに教育を始める次期領主。突然の質問に、新人達は戸惑う。
たった一人手をあげたのは、ペイスの指導を一年近く受けてきた経験者、プローホルだった。
「ではプローホル、答えてみて下さい」
「えっと、間違ってるかもしれませんが、沢山作ったとしても売れないからじゃないでしょうか。作れば作っただけ売れるというなら、他の人が既にやってるはずでしょうし」
「正解です。流石は首席卒業者ですね」
称賛の声には、素直に照れた様子を見せるプローホル。元々劣等生だった過去があるだけに、褒められ慣れていないのだ。
「彼が言ったように、三つ目の制約は需要の制約です。当家の領内であれば、うちで作ったお酒には十二分に競争力があります。何せ、当家が税金を決めるわけですから、当家以外の他所の酒にはたっぷりと税金を掛けて、うちのお酒だけ無税なんてことも出来る。この手の政策は、うちの産業を保護する為にも、領主としては当然の行為なので覚えておくように。また、輸送のコストも領内ならば殆どかからない」
ペイスの説明に、新人達は深く頷く。産業保護政策は大なり小なりどこの領地でも行われており、他家・他領に全てを依存する危険性を知れば、自分の領地の産業は基本的に輸入よりも優遇される。
「しかし、これは他領も同じことが言えます。他領ではうちの酒は売れません。よほど有名な酒でない限り、他所は他所で作った酒を保護する。酒を造っていない土地には売れると思われるかもしれませんが、そういう所は既存の勢力ががっちり既得権で固めているものです。つまり、輸出用に酒を造っても、販売需要に乏しいのです。競争相手がいない製菓業や製糖業と違うところはここですね。現状では領内の内需を満たすのに十分な量を生産しており、それ以上は販売にコストや手間がかかる。余裕としてある程度は輸出もしていますが、正直輸出で利益を産んでいるとは言い難い」
「なるほど」
「以上の三つ。材料が足りず、設備も増やせず、売り難い。これらの理由から、酒造業の急拡大は難しいと判断しています。父様も承知のことなので、働く皆さんも理解しておいてください」
「はい、わかりました」
若者たちの唱和が揃う。教育の賜物であるが、堅苦しさを感じる点で、まだまだモルテールン家の家風に染まっていないということでもある。
幸運な話だ。
「勿論、領内で酒を造っているという事実が、政治的に大きな意味を持っていることも理解しておくように。とりわけ、酒造や社交に強みのある家と交渉するときは、雲泥の差でしょう」
ペイスがついでのように言ったこと。これは、他所の家ならば新人に教えるようなことではない。そもそも、理解しているような家自体が少なかったりするが、それとこれとは話が違う。
領内で酒を造っている事実がある場合、他所から酒を買う時には相当に有利になる。貴族の社会は縁故がとても大きい比重を占めているが、縁故を繋ぐのに必要なのは社交だ。会ったことも無い遠い親戚より、頻繁に会う知人の方が繋がりとしては強い時も多い。そして、社交の場で使われるのは飲食物。特に、酒は人を饒舌にさせる社交の特効薬でもある。
即ち、酒を用意しなければならない場面というのが、貴族には頻繁にある。
酒を用意するとき、売り手側の条件が等しいと仮定し、絶対に買わなければならないという状況と、保険として持つ代替案より良い条件なら買うという状況とを比べる。買い手が強いのはどちらかなど、火を見るより明らかだ。勿論、代替案を用意してある方が強い。
この点が、ペイスが酒造業を製糖産業に完全移行出来ない理由でもある。領内の産業構造と、それによって得られる政治的なメリットの比較。恐らく、新人達は今まで考えたことも無かった観点であろう。
軍人として戦うことを専門に学んできた新人達。モルテールン家の従士になるならば、より多角的な物の見方を要求される。
中々に濃い内容のガイドツアー。
そして、締めくくりが待っている。
「あ、そうです。折角ですから、皆さんにも“少しだけ”体験してもらうとしましょうか」
「体験ですか?」
「ええ。お酒造りにしろ砂糖造りにしろ、最初の部分は共通です。経験しておけば、何かと役に立つでしょう」
「分かりました」
ペイスが、新人達をとある場所に案内する。
サトウモロコシを始めとする、酒造の原料を搾汁する場所だ。
モルテールン領ではお酒はモロコシ酒がメインであるが、ごく少量ながらベリーや輸入した葡萄などからも酒を造っている。甘い匂い、酸っぱい匂い、或いは青臭い匂いといった、独特の香りの充満する場所。
「では、全員一旦、服を脱ぎなさい」
「え?」
「衛生管理の為に、服を着替える必要がありますので、全員裸になって、あそこで体を念入りに洗うように。今年の新人に女性が居ないのは、この場合は幸いでしょう」
酒造では温度や衛生の管理が重要。軍人教育を受けて引き締まった体つきの若者たちが、一糸纏わぬ素っ裸になって体を洗う。そして、用意されていた清潔な服に着替える。帽子とマスクまで用意されているのだから、現代的衛生観を持ち合わせていない新人達は戸惑うばかりだ。
「ここで、まず搾汁を行います。この部分だけは砂糖づくりもお酒造りも共通しているので、よく覚えておくように。事前に言っておきますが、かなりの重労働です」
モルテールン家で使われる搾汁機は、螺子式。螺旋の力で大量の原料を一気に絞る装置だ。大容量で高効率。伊達に大昔から使われているわけでは無い。欠点があるとすれば、梃子式などと比べて力が必要なことだろう。
「これを回せばいいんですか?」
新人の一人が目ざとく見つけた搾汁機。使い込んである様子が随所にみられるそれは、確かに普段使っているものだった。
「いえいえ。折角ですから、皆さんにはこっちの方を使って貰います」
そう言ってペイスが示した先には、普段使いしているであろうものより遥かに大きい搾汁機があった。
「効率化を図ろうと大容量のものを特注したは良いものの、結局大きすぎて人手が掛かり過ぎるとお蔵入りになっていたものです。これだけの男手を、使わないのももったいないですからね」
領主代行のとても明るい笑顔。一年近く付き合いのあるプローホルなどは、嫌な予感から逃げ出そうとした。
しかしまわりこまれてしまった。お菓子狂いからは逃げられない。
「じゃ、早速やってみますか? 最初だから軽く……二時間程にしておきましょう。搾汁体験、スタートです」
次の日、新人達は揃って酷い筋肉痛に苛まれるのだった。