220話 学生たちには飴と鞭
黄下月の暑い日が始まる。モルテールン領は、鶏が茹で卵を産むのではないかと言う程に暑い。
「こうして、坊が朝から椅子に座ってるのも久しぶりですぜ」
「そうですね」
執務室に腰かけるペイスに、従士長のシイツが声を掛けた。
ペイスには父親から【転写】した瞬間移動の魔法という反則がある為、王都に居る間もちょくちょくモルテールン領には戻って領主代行の仕事をこなしては居たのだが、こうしてどっかりと落ち着いていられるのは、本当に久しぶりである。
「学校の先生ってのはもういいんで?」
ペイスも、そして領主たるカセロールも不在の間、領地を守っていたのはシイツである。形としてはジョゼが居り、補佐としてシイツが居る形だったのだが、ジョゼにモルテールン領のかじ取りは出来ないからと、殆どシイツが取り仕切っていた。そして、急を要すること以外の案件は、ペイスが戻ってきた時に片づけるというサイクルだったのだ。
シイツが確認したかったのは、ペイスが何時まで居られるか。
それによって、物事の優先順位がかなり変わる。
「今は長期休暇でお休みの時期です。学生たちも、大半は親元に帰省しているでしょう」
ペイスの言葉に、シイツはほっと安心した。
寄宿士官学校は、秋から新年度が始まる。夏の間は、学校も閉鎖された長期休暇だ。一応、親元が遠方の学生などに配慮して寮は閉鎖されていないが、教官達は殆どが居なくなる。
「坊も、帰省と?」
「ええ。王都に居ると、来客が多くて……」
ペイスが王都で教鞭をとるようになって以降、モルテールン家の王都別邸には来客が明らかに増えた。
モルテールン家そのものに手を出したり、囲い込もうとするのは、過去に多くの貴族が幾度となく試し、その度に失敗してきたこと。しかし、ペイスの教える教え子については今までとは別だ。是非当家に紹介を、うちをよろしく、良い学生は居ないか、などなど。訪ねて来る客の要望は大抵が似通っている。
寄宿士官学校には、全国から優秀な人材が集められる。その中でも更に四年をかけて選りすぐられ、晴れて首席となった学生について、どの貴族も部下に欲しいという思いがあるのだ。ペイス経由で優秀な学生をスカウトしたいと、客は増える道理。
それに、ペイスは非貴族の劣等生を首席にした功績がある。
仮に貴族子弟ならば、幼少時から家庭教師などを雇って教育させ、士官学校でも優秀な成績を修めたというのは珍しくない。第一、殆どが実家のひも付きだ。引き抜きは中々しがらみも多い。
だが、今年度の首席は幼少期からの教育というゲタも履かずに結果を挙げた。おまけに貴族でもない。部下にするなら最適の人材だろう。
今年度の結果の裏に何があったかは、ちょっと調べればすぐに分かる。どうみてもペイスの功績は大であり、上手くすれば来年度以降も同じように優秀な学生を育てるかもしれないと、貴族たちは考える。可能性は高いし、今から青田買いの為にペイスに渡りを付けておこうと考えるのも当然だろう。ペイス一人の好意を勝ち取れば、後から優秀な人材がザックザクとなれば、揉み手ですり寄るぐらいは平気でするのが貴族という人種である。
「よく分かりませんが、きっと色々やらかしたんでしょうよ。大将に話を聞くのが怖いですぜ」
今まで、ペイスは散々に騒動を起こしてきた。立てば争い座れば騒動。歩く姿はトラブルメーカーなペイスであるから、王都で何をしていても、シイツにとっては不思議でも何でもない。
「大したことはしていませんよ。寄宿士官学校の教官として、当たり前の仕事をしたまで。それ以外は、王都の別邸でお菓子を作っていたぐらいです。そして、今は領主代行の仕事をこなすまで、です。かねてよりの懸案を、解決しなければいけません」
「かねてよりの懸案? 色々ありやすが、どれです?」
ペイスの言葉に、シイツは反応した。
ただでさえ問題と課題の多いモルテールン領であるからして、何を指しているのかをはっきりさせなければ話にならないのだ。
「人材不足、人手不足の件ですね」
「そりゃありがたい。それで、人材の確保は出来たんで?」
「ええ。凄いですよ。今年度の首席を確保してきました。他にも、十五人ほど、従士家出身の卒業生や、跡を継がない者などを採用出来ました」
いよいよもって、ペイスは自分の成果をシイツに披露した。
今年の士官学校は色々と新しい試みも多くなされ、異例づくめではあった。その中でも、地方の一男爵家が十人以上の人材を確保できたというのは中々のインパクトがある。
「凄いじゃねえですかい。どうやってそんな連中を?」
「元々落ちこぼれていたのを拾ったり、担当教官がクビになったから卒業後の進路が白紙になって浮いてしまった者に声を掛けたり」
ペイスの担当していた学生の内、フリーダは宮廷に上がった。お姫様や王妃の護衛などに、女性でありながらも優秀な騎士というのは強く求められるからだ。破格の条件で就職したので、今では下手な新米騎士より高給取りになっている。
デジデリオは王立の研究所に採用された。騎士としては珍しい進路だが、人と会話することが苦手だからと、本人の希望があったとか。
アベイルとルイゾは実家に戻った。今後どんな仕事を任されるかは実家次第だろうが、士官学校上位卒業の肩書は役に立つはずである。
ならばペイスが得た人材はプローホルだけかといえばさにあらず。余計なことをしでかして捕まったランディアン教官の教え子たちを囲い込めたのだ。
首になったランディアン教官は、手塩にかけて育てた学生たちをごっそりペイスに取られた形になる。因果応報とはいえ、世知辛い話だ。
「クビ? 何かやらかしたんですかい?」
「教官が、特定の学生の試験を妨害していたのです。ま、いずれそうなるだろうと監視はしていたのですが」
「ひでえ……」
「そのおかげで優秀な人材を囲い込めたんです。褒めてくれても良いと思いますが」
臆面もなく自分を褒めろと宣うペイスに、従士長は呆れた。この厚顔無恥なところは、誰に似たのかと。
「坊は褒めるとすぐに調子に乗るんで。それで、その学生は今どこに?」
「ガラガンが今、当家に雇われる上での注意と説明を行っているはずです」
ガラガンも、既に新人の頃の面影はない。森林管理長という御大層な肩書を持ち、部下も抱えている立派な中間管理職。新人教育は、今年は彼がメインで担当する予定である。女の子が居ないと泣いていたのは余談であるが。
「ガラガンもまだ若い。ちゃんと説明しているか、見に行きますかい?」
「シイツ、貴方はもっと腰の重たい対応が求められるとおもいます。どうせならこちらに呼び寄せなさい」
「いいんですかい?」
「良いんです。貴方の部下の部下になる者達ですよ? 呼びつけるぐらいじゃないと、相手の方が恐縮してしまう」
「そういうもんですかね」
そういうものである。
シイツの立場は、いわば副社長。彼の言葉には重みがあり、モルテールン領内で限れば類のない権力者だ。若手の方にわざわざ出向くのではなく、若手を呼びつけるぐらいで丁度いい。
勿論、モルテールン家は上下の関係が緩く、普段ならシイツがちょっと顔を出すぐらいでは文句も出ないのだが、今回ばかりは勝手が違う。最初が肝心なのだ。新人達に最初から緩いところを見せてしまうと、本当に緩んでしまいかねない。これでもシイツは、締める時はきっちり締められる。だが、新人にそれを求めるのは酷だろう。
シイツは廊下を歩いていた下女を捕まえると、伝言を頼んだ。執務室まで、新人を呼んできて欲しいと。最初にこうやっておけば、シイツやペイスを舐めてだらける新人も減るはずである。
しばらくして、今年の新人十六名がやって来る。
代表は、ペイスの指示でプローホル=アガーポフが担う。将来の幹部候補としての、英才教育を行うためだ。プローホルにとって同期や同僚は部下では無い。しかし、代表として振る舞うことで意見の調整や不満の吸い上げを経験させ、将来の管理職に向けた経験とさせる目的がある。
「失礼いたします。プローホル=アガーポフ以下十六名、出頭いたしました」
流石は士官学校の首席卒業。ピシリとした姿勢に、はきはきとした物言い。シイツなどは、彼が一年前は落第するかもしれない劣等生とされていたなど、気付きもしない。
「よく来てくれました」
「はっ」
「呼んだのは他でもありません。皆に彼を紹介する為です。当家の従士長で、父様や僕が最も信頼する男。シイツ=ビートウィンです。かつては義侠を謳われた傭兵団に属し、父様と同じく二十数年前の王都防衛線に参戦。その後は父様と共に数多くの武勲をあげ、国内でも知られた歴戦の戦士です」
シイツが、若者たちの目線を集める。シイツは、軽く手を上げて視線に応えた。
実は、プローホルはシイツのことをもっと以前から知っていた。勿論当人に会ったことは無かったが、魔法使いとして戦場を闊歩した武勇伝は、モルテールン男爵の武勇伝と共に語られるわけで、結構有名なのだ。
「存じあげて居ります。『覗き屋』といえば、有名ですから」
故に、どや顔でシイツの二つ名を口にする。シイツからの猛特訓まで、レッドアラートだ。
「そうですね。しかし、その二つ名は、少なくとも当人の前では言わないように。あまりいい印象が無いとのことで、本人が嫌がります」
「はっ、ではシイツ様とお呼びすれば良いでしょうか」
二つ名を呼ばないということで、シイツは態度を軟化させる。
元々、これからバリバリ働いてもらう、貴重な戦力なのだ。ここで怒鳴りつけて委縮させても始まらない。
「俺に様なんてつけるんじゃねえよ。鳥肌が立つだろうが。それに、ここじゃあそんな馬鹿丁寧な言葉遣いもいらねえよ。目上に丁寧な言葉遣いをするのは褒めてやっても良いが、俺は元々傭兵だ。俺が使えもしないもんを、おめえらに無理強いする気はねえ」
「じゃあ、シイツさんで」
「おう、それでいい」
様を付けて名前を呼ばれるのは気恥ずかしい。シイツの率直な感想である。
「当家は今現在、拡張の只中にあります。畑は毎年拡張を続けていますし、道路整備や建物の建築も進んでいます。各種職人の誘致も積極的に進めていますし、他所からの移住も歓迎していることです。交易に関しても、年々取扱額は増えていますし、輸出品の増産も進めています」
「輸出品ってなあ、坊の作った菓子のことだな。お前らも食ったことはあるか?」
「はい」
「のど飴、シュトレン、焼き菓子、エトセトラエトセトラ。坊の趣味みてえなもんだが、単価が単価だけに、儲けもでけえ。この間も、金貨を入れる革袋が足りなくなって、五十枚ほど発注したばかりだ」
「すげえ」
プローホル以外の誰かの驚きの声。これは、他の面々の気持ちを代弁したものでもあった。
如何に貴族と言えども、貨幣袋の財布が足りなくなる状況というのは、信じられなかったのだ。
「こほん、その為、仕事は増える一方で、今いる先輩たちも、無理をしがちなのです。皆さんには、即戦力を期待します。無論、最初から一人前の働きが出来るとは思っていません。しかし、半人前なりに一生懸命仕事をしてもらいたいと思います。出来ない事、分からない事、失敗してしまうこと、間違えること。わざとでない限り、これらを咎めることも無いと断言しておきます。しかし、怠惰や怠慢は厳しく罰します」
「はっ」
雇い入れてからすぐにパーフェクトで仕事をこなす新人など居ない。だが、だからと言ってそこに甘え、研鑽を怠るようなら罰する。要は真面目に働けば良しということだ。
新人達を思う心意気。きっとペイスの半分は優しさで出来ているに違いない。
「雇う上での待遇は、勧誘した時の通りを改めて約束します。給料は言わずもがな、皆にはそれぞれ個室を与えますし、結婚するときは家も与えましょう。金銭面では不満を抱かせることは無いと思います」
「んで、さしあたって、今日は宿屋を借り切ってる。飲み食いは勿論タダで、歓迎会だ。坊の意向で、参加は自由にするってことらしい。新しい部屋で早速寝たいならそうすりゃいい」
「これから、諸君の奮闘を期待しています。僕からは以上です」
「はっ」
一斉に敬礼する新人達。背筋を伸ばし、かかとを揃え、右手を左胸に当て、顔は前を向き、左手は指先まで伸ばす。最敬礼の姿勢だ。全員がぴしっと揃えてやるものだから、壮観なものである。ここまで立派な敬礼が要るのかと問えば要らないのだろうが、士官学校卒のエリート達であっても、四年間の癖は中々抜けないらしい。
「では解散」
ペイスの一言で、三々五々散っていく若者たち。
「モルテールン教官」
と、一人残った男がペイスに声を掛ける。
「プローホル、貴方はもう卒業したのです。それに、今は先生稼業も夏季休暇中です。教官は止めてください。ペイストリーで良いです。このシイツなんかは、未だに僕のことを坊や扱いしますよ?」
「ではペイストリー様、改めて、御礼を言わせてください」
「御礼?」
「はい。あの飴の御礼です」
「ああ」
ペイスは、プローホルの言葉に首肯した。
自分が予め卒業試験の前に渡しておいた飴のことだと察しがついたからだ。
「あの飴、美味しかったでしょう」
「はい。癖は強いと思いましたが、今までに無い味でした。夜通し走るのに、力が湧いて来た感じでした」
「坊、何の話で?」
「いえ、彼とその友人に、ハッカ飴をプレゼントしていたんですよ」
「ああ、あの試作品ですかい」
「まだ残ってますよ。折角ですから、三人で食べてしまいますか」
ハッカ飴。ペイスに曰く、手に取る飴は固く、割れやすく、とても脆い。しかし、熱を加えれば柔らかく、幾らでも形を変える。飴とはそういうものだ。
人も然りと少年は言う。
モルテールン家に来たからには、僕が幾らでも熱くしてあげます。柔軟で、それでいて甘さの残る。そんな貴方は、きっと素晴らしいものになると思います。そう言って、ペイスはプローホルに向けて笑顔を見せる。
「ちなみに、ハッカ飴はプローホルがその身で体験した様に、眠気に効きます。仮に……仮にですが、夜遅くまで仕事をして眠くなっても、心強い味方になりますよ。深い意味はありませんが、シイツにもたっぷりとプレゼントしておきます」
「坊、そりゃ脅しっていうんですぜ?」
プローホルは、爽やかな味を感じながら、きっとこれが手放せなくなるんだろうな、と予感するのだった。
以上、23章結
尚、書籍版は無茶ぶりする鬼編sy……仕事熱心な編集と熱い議論の結果、結構な手直しが入ってます。乞うご期待。