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おかしな転生  作者: 古流 望
第23章 学生たちには飴と鞭
218/541

218話 卒業試験

 「陛下のおわす(かた)に向かい、敬礼!!」


 王都近郊の森の傍。二百人近い学生と、五十人以上の教職員が、一斉に最敬礼の姿勢を取る。向かう目線の先には、国内で最も高貴な場所とされる王城があった。国王陛下が居ると思われる方向に向かって敬礼をするのは、寄宿士官学校の学生としては当然のことである。この学校は貴族子弟の軍人教育の為の学校であり、貴族とは即ち王家に仕える臣下という身分だからだ。不敬は最悪で死刑である。

 勿論、規律を叩きこまれる士官学校生の中には不敬をあえて犯すような者はいない。内心はどうあれ、表面上は実に模範的な臣下の態度である。


 今日は、寄宿士官学校にとっての一大イベント。卒業の為の試験とあって、場の雰囲気は既に熱くなっている。熱量だけでお湯が沸騰しそうなほどに。敬礼の一つにもその熱が伝導したようで、普段なら何ということはない儀礼のようなものでも、ある種の特別感があった。

 皆が皆、興奮と緊張の度合いを高めている。


 敬礼から直り、教官達と学生たちが向かい合う形に立ち並ぶ。

 教官達が森を背にして並ぶ中で、一人だけ学生が間違えて並んだのではないかと思うようなのが混じっているが、これは些細なことだろう。誰のことかは言うまでもない。


 「諸君、いよいよこの日が来た」


 校長の、声が響く。

 校長も、外交が専門とはいえ軍人だけのことはあった。腹の底から出た大きな声は、集まった学生達全員に聞こえる。


 「これより、今年度の卒業試験を行う。この試験は、諸君の日頃の勉学と研鑽の成果を試す物であり、同時に諸君の能力を測るものである。最善を尽くし、全身全霊をもって試験に臨むように。試験の詳細は副校長から後程説明がある。そもそも軍人たるは何ぞと問うならば……」


 長々とした校長の挨拶は、一言で言うならば「頑張れ」であり、無難な言葉で締めくくられた。いつの時代も、偉い人は挨拶をする時間の長さが権力の強さに比例するように出来ている。

 誰がしても同じ挨拶なら、案山子でも置いて「ファイト」と書いた紙でも貼っておけば事足りる気がするのだが。ペイスがそう思ったのには訳がある。

 この卒業試験、他の教官は出処進退、評価、出世、名声が掛かっている為真剣なのだが、彼にとってみればただ退屈に三日間を拘束されるだけという事情があるからだ。


 ペイスは、他の教官が欲しているものに全く興味がない。出世と言われても、将来はモルテールン領を継いで豊かにする目標があるし、名声と言われても十歳児には不釣り合いな名声を既に得ている。評価と言われても元々なりたくて教官になったわけでは無いし、出処進退にしても校長とは仲良しこよしで何の不安も無い。

 元より劣等生や手に余る学生を押し付けられたわけだから、ここで良い成績を出せずとも、ペイスの評価には結びつかないのだ。

 精々、半分より上程度の成績を修めてくれれば、ペイスとしては十二分に面目が立つ。そして、それは最早確実と思えるほどに、担当学生は成長していた。

 つまり、勝ちの確定したヌルゲーだ。

 生あくびをかみ殺しつつ、今は副校長の説明を聞く。


 「これより半鐘の後、諸君らには班ごとに別れ、各点検地点(チェックポイント)で点呼を受けつつ、指定の場所まで行軍してもらう。この班員については、事前に各教官へ各々が申請していると思うが、もし今、体調不良などの理由で班員が四名以下となった班があれば、申し出るように。救済措置として、下級生を加えても良しとする。尚、班員以外からの外部協力は認めない。毎年、不正をして不名誉退学をする者もいるので、決して、そのようなことが無いように」


 長々と、ルール説明が続く。

 基本的に、行軍演習は班員の力のみでチェックポイントを全て順番通りに通り、ゴール地点まで辿りつけばよい。実戦において、偵察や散開戦術などで最小軍事単位での行動は多くの実例があり、班に分けるのはそれが神王国における最小の軍事単位だからだ。

 また実戦においても、合流地点のみを定めた、広範囲な索敵なども珍しくない。小隊ごとにばらけて索敵して、指定の場所で合流して情報を精査する。比較的安全な場所であれば、ありふれた行動だろう。今回の試験はそれを模したものだ。

 森のような見通しの悪いところを、少数で分散して行軍する、というのもまた実例が幾らでもある。


 つまり、明確な敵が居ないというだけで、限りなく実戦に近い軍事行動であるため、それ相応に過酷な道程が予想される。校長が肝いりで準備しただけあって、学生の軍人としての能力を測るには、中々に優れていると言えるだろう。

 ちなみに、学生には内緒にされていることではあるが、毎年の卒業試験には王家を始めとする有力なスポンサーが、魔法使いなどを動員して不正対策を行っている。

 今回であれば、王家からは『虫使い』と呼ばれる魔法使いが不正防止や監視を担う。これは、学生たちの能力を測ると同時に、王家が人材を囲い込むのにより有利な情報を集められるようにという、腹黒い思惑が隠れていたりするのだ。

 また、他にも学校の職員の一人(教官ではない)が、不正対策に効果的な魔法を使う。これは公然の秘密と言う事になっていて、一応校長と副校長と事務長以外は何の魔法かは分からないことになっている。ちなみに二つ名は『盗み聞き』だ。秘密も何もあったものではないが、一応は秘密だ。


 教官達も、仕事がある。

 熟練の教官達や職員たちは、森のチェックポイントであったり各重要地点での監視任務、或いは見回りに就く。彼らも軍人として現役なので、三日間は軍務ということになるのだ。不正が無いかの監視や、不測の事故などが起きていないかなど、学生には分からないように索敵する。この学生に分からないように、というのがポイントで、隠密裏の偵察が得意な教官達がこれに割り当てられているのだが、学生が見つけたならば加点対象になる。


 また、各班には、中央軍から二名づつ随伴員が付く。

 これは、学生の行動を詳細に報告して得点化する為でもあり、貴族子弟という高貴な者達を、万が一の事故もないよう護衛する為でもあった。勿論、随伴員は口出しも手助けも一切しない。手を出すのは、余程の危機が迫った時だけであり、手を出せば当然随伴する班員は全員リタイア扱いだ。基本的には、居ない者として扱う。


 ちなみに、ペイスは新人教官なので、いざという時の為に三日間の予備戦力とされる。ぶっちゃけ待機任務だ。いきなり敵性勢力が襲ってきて、学生たちを急いで逃がさなければならない、などということでもない限りは、暇になる。

 かといって場を離れるわけにもいかない、退屈な仕事だとペイスは内心ぼやいていた。


 「それでは、各員、行動開始!!」


 学生たちは、号令を受けて銘々に動き始める。色々な動きがあり、それぞれに個性が見られる。最小限の荷物のみを背負って駆けていくもの。馬の繋いである方に走る者。作戦会議に顔を寄せ集める者。バラエティ豊かなことである。

 その中で、面白い動きをしたのは、ペイストリーの教え子たち五人であった。


 「プローホル、荷物を寄越せよ」


 彼らは、馬四頭を用意してきた。

 森の中で馬を操るのにもかなりのテクニックが要るわけで、普通は徒歩なら全員徒歩、馬なら全員が馬と、足並みを揃えるものだ。

 五人居るのに馬が四頭。中々にユニークである。


 「……ごめん」

 「謝ることじゃない。三日間しかないんだから、遠慮なんてしてる時間が勿体ないぞ」


 今回の卒業試験は行軍演習。貴族が例外なく騎士であることを求められる神王国では、行軍といえば馬が必須である。馬に乗って戦う戦士を騎士と呼ぶのだから。

 今回も、殆どの学生が馬に乗って試験に臨んでいた。森とはいえ手入れもされているし、普段は王族の狩り遊びに使われるわけで、木々の間はかなり広く、馬が通るには十分だとの判断からだ。貴族としての当然の選択として、馬に乗る。

 しかし、学生全員が騎乗しているかといえば、そうでは無い。

 貴族子弟は原則として公式の場で親の一位階下の地位に準じて扱われるが、親が最下位貴族の騎士爵であったり、或いは従士階級の人間も居たりする。この場合、子弟は非貴族として扱われるわけで、馬に乗って偉い人達を見下ろすような真似はするべきでない。

 特に従士階級は、有事を除いて騎乗を認められていないのが普通だ。乗っても良いと言われたとしても、乗らないのが常識というもの。

 ペイスの教え子たるプローホルが、その一人だったのは悲しいお知らせである。

 結局プローホルの荷物は、他の学生の馬に分乗させ、彼自身は徒歩で移動することになる。誰がどう見ても、不利である。唯一の救いは、試験会場が森であり、馬で駆け抜けるような真似は出来そうにないということだろう。落ち葉の堆積した場所などは、馬も足を取られる。考えの足りない学生などは早速とばかりに馬を全力で走らせていたが、こういう学生はすぐにも馬を潰して減点対象になるだろう。

 三日間という時間制限はあるにせよ、どうせ馬でも急げない。焦る必要は無いと、チームメンバーはプローホルを気遣う。


 「それじゃあ、いきますか……」


 他の班に遅れることしばし。

 準備を整えて、全員が出発する。周囲の警戒を怠っていないところは、中々に好印象である。


 プローホル達が森に入ってしばらくしてからだった。

 最初の関門が訪れる。


 「川だ」

 「よし、ここまでは地図通りか……って、これ」

 「ああ。橋が壊れてるな」


 現れたのは、川だった。橋が架かっていたであろう形跡があるのだが、有るはずの橋が無い。

 指定されたチェックポイントに向けて進もうと思えば、ここを迂回するか、或いは飛び越えるか。川幅も結構ある。流れもそこそこ急なようだし、人間が飛び越すのも、泳いで渡るのも、少し辛いかもしれない。


 「馬なら飛び越せるか?」

 「やってやれないことはないだろうが、際どいな。それに、プローホルは馬が無いぞ? 泳ぐのか?」

 「それも厳しいか」

 「川上に行けば川幅の細いところがあるはず。或いは、川下に行って流れの緩やかな浅瀬を探すか、かな」


 今回、ペイスの教え子たちで構成される班のリーダーは、プローホルである。

 本人は何度か辞退したのだが、他の四人の意見が一致したことで自然とそうなった。

 彼は、リーダーとして現状をどうするべきか考える。

 川上の迂回、川下の迂回、どちらも一長一短あり、悩ましい。時間の制約もあるわけで、最初から大きく時間をロスする状況は辛い。


 「……面倒くさい。プローホル、お前、今だけ荷物になれよ」

 「え?」


 突然、ルイゾがプローホルを自分の愛馬に引っ張り上げた。


 「お、おい!!」

 「動くな荷物。暴れると、水に落ちるぞ!!」

 「ひゃああ!!」


 ルイゾがやったのは、二人乗りでの馬による跳躍だった。

 二人分の体重を乗せ、その上で川を飛び越して見せるルイゾの馬術は、馬術オタクの面目躍如といったところだろう。普通に飛び越すのも難しいのに、余計な“お荷物”まで抱えてやるのだ。相当の腕前である。

 余程の良馬と、熟達の馬術と、そして不本意ながら小柄なプローホルの体格。思い切って飛ばしたルイゾも凄いが、褒めるべきは馬だろう。


 「おい、大丈夫か?」

 「あ、ああ。ただ、次からは事前に言っておいて欲しい」

 「荷物に話しかけちゃ変人だろ?」

 「話しかけなくても、元から変だし」


 ルイゾの跳躍を見ていたからだろう。他の面々も次々に跳びだす。

 臆病な動物である馬は、群れを好む。故に、一頭でもやらかすと、後に続くことのハードルはかなり下がるのだ。逆に言えば、最初の一頭が少しでも怯めば、その時点で他の馬も足を竦ませることになるということでもある。先頭をきって堂々と飛んで見せたルイゾと、その愛馬の果たした役割は本当に大きい。

 アベイルだけは当人の体格的に馬が飛べず、川に流されかけたのは危なかったが。


 「他の奴らに見つかったら、煩いだろうな」


 何をかといえば、貴族でもない人間を馬に載せたことだ。口うるさい人間であれば、文句の一つも言うに決まっている。


 「減点にされるかも?」

 「それがどうした。緊急事態には、常識やしきたりに拘るな。モルテールン教官の教えだ。橋が無くなっているという突発的事象に対し、“荷物の運搬”に、多少眉をしかめる行動があったかもしれないが、やらずに時間を浪費して、当初の予定ルートから逸れる方が危険と判断した。どうよこれ。言い訳としちゃ完璧じゃね?」

 「そうか。非常時なら仕方ないな」

 「そうそう」


 悪知恵というのか、屁理屈というのか、言い訳だけはやけにスラスラと出てくるようになった学生達の成長。誰の影響なのかは言わずもがな。

 進化とは、必ずしも望ましい方向ばかりとは限らないものである。


 「なら、プローホルは下ろしてやれよ。非常時は終わったんだろ?」

 「オッケー」


 他愛のない会話を続ける学生たち。

 しかし、荷物扱いされた当のプローホルは、橋の崩れたであろう形跡をじっと調べ始めた。時間が無いから急ごうとする四人との別行動。

 何をしているのかはさておき、そんなことをしていては他の四人との間が開くばかりである。


 「おい、置いていくぞ」


 同級生の一言に、慌てて走り出すプローホル。先は長いが、まだまだこれからだ。

 地図通りに進み、まずは最初のチェックポイント。木漏れ日の様子を見れば、まだまだ日は高いといえる。当初の見込みより多少時間は掛かっているが、順調そのものだろう。


 「ここが最初か?」

 「はい」


 チェックポイントに居た初老の教官が、プローホル達に聞いた。

 各学生達はそれぞれチェックポイントを指定されているのだが、全員が全く同じルートではない。通らなくても良いチェックポイントがあったり、通る順番が違うからだ。

 ちなみに、通らなくても良いチェックポイントを通った班や、順番を違えて通る班は、班員全員が減点だ。これは、他の学生に付いていって楽をしようとしたり、馴染みの教官のところに行って便宜を図ってもらう不正などをさせないためだ。

 最初のチェックポイントを、最初に通る。この確認が済んだら、次のチェックポイントに向けて移動だ。野営のこともあるので、行けるところまで行っておきたい。


 「かなり優秀だな。気を付けて行けよ」

 「はい」


 最初のチェックポイントは、特に問題なく通過した。

 というよりも、チェック自体はあくまで不正防止と安全確保のためだから、問題があっても困る。


 さて次だ、と慌ただしくも慎重に進みだす学生。

 指定されたルートを通れば、次のチェックポイントも今日中に通れるはずだ。


 しかし、そう簡単にいかないのも試験というものだろうか。


 「何で道にこんな大木が……」


 やがて、林道の一部が大木で塞がれているのを発見した。

 人の胴回りより太い木が、道を塞いでいる。林道脇はかなり嶮しい斜面になっているし、草も相当に生い茂っていた。馬を連れて、林道以外を通ろうと思えば、これまた大回りしなければならないだろう。


 「馬で上を越えられるか?」

 「枝が邪魔だな。掃っても良いが、結構太いのもあるし、剣が刃こぼれしそうだ」


 グダグダ言っても始まらない。何とか対策しなければと、全員で知恵を出し合う。

 そんな中、ある一言がポロッとこぼれる。


 「何もここの木が倒れなくても良いだろう」

 「も、もう少し先で倒れていてくれたら、ふ、普通に通れた」


 こぼれたデジデリオの言葉に、動いたのはプローホルとフリーダだった。

 この班では勘のいい二人である。


 「おい、これ」

 「ああ。そういうことだな」


 倒された木の根元を確認する二人。

 何があったのかと他の三人が聞く。


 「木が、明らかに人の手で倒されている」

 「斧の跡があるし」

 「ってことは、これも試験のうちってことか?」


 試験の最中に、人為的な妨害があるならば、試験の一環として考えるべき。

 そう思うのは自然なことだが、プローホルだけは妙に深刻そうにしている。


 「……だと良いけれど」


 人為的だろうと何だろうと、大木が邪魔して林道が通れない事には変わりがない。


 「じゃあ、やっぱり迂回するか?」


 迂回しても、それほど時間のロスは無いはず。所詮は木一本のことだ。

 そういう意見が出るのは自然なことだが、プローホルは首を横に振る。


 「何だか、嫌な感じがする。迂回しようとしたら、更に何か仕掛けてありそうな予感だよ」


 リーダーの意見に、全員が驚く。


 「何?」

 「根拠は?」


 プローホルは、自分の直感の根拠を語る。

 そもそも壊れた橋を見て、違和感があったのだ。試験にしても、橋を壊すことで何を測りたいのだろうかと。馬で越えられたから良かったようなものの、仮に迂回していたら、他の学生のルートの邪魔になりかねない。それに、川上と川下のどちらに迂回するかなど、学生の裁量に任せるには大きすぎる判断だろう。何せ、最初の関門として落ちた橋を用意していたのなら、その後の試験は、川上でも川下でも大丈夫なように二パターンを用意することになる。どちらかが無駄になるだろうから、変では無いか。

 それに、橋の支柱の跡には、真新しい補修の跡が残っていた。わざわざ落とす橋を、直したりするものだろうか。

 今回の大木も、どうにも違和感がある。ここで木が転がっていたとして、何を試すというのかと。橋を落としていたことと良い、木で道を塞いでいたことと良い、とにかく時間を浪費させようとする意図が垣間見える。同じことを何度も試す試験などあり得るのだろうか。いや、それならば最初の関門で意図に気付いた学生は、後の関門フリーパスになって試験の意味が無い。

 モルテールン教官の教えでは、些細な違和感こそ大事にすべきとある。どんな大きな事象も、発覚のきっかけは本当に些細なことだというのがその教え。


 「言いたいことは分かった。リーダーの意見を尊重するのは良いとして、この木を何とかしなきゃだな。やっぱり、刃こぼれ覚悟で枝を払って、飛び越すか? またプローホルは荷物扱いで」

 「うえ」


 気の早いフリーダが、剣なら任せろと鞘から抜いたところで、ぬっと抜剣を止めた男が居た。


 「おっと、ここは自分の出番ではないかい? 俺の馬の手綱、ちょっと頼むな」


 進み出たのは、巨漢のアベイル。

 倒れた木の下に手を入れ、腰を落とし、そして大きな叫び声と共に力を入れる。


 「ぐああああ!!」


 そして、目を疑う光景が現れる。


 「嘘だろ、おい」

 「早く!! 通れ!!」


 下手をすればトンの単位が必要そうな木を、アベイルは持ち上げて見せた。馬が下を潜れるほどに持ち上げるとは、どれほどのパワーがあるというのだろうか。人間業とは思えない、とんでもない動きである。

 全員が慌てて大木の下をくぐったところで、アベイルはぜえはあと息を荒げた。


 「凄いな……本当に人間か?」

 「動かすのにコツがある。モルテールン教官にてこの原理と言うのを習ったことがあって」

 「何にしてもすげえが……とりあえず、先を急ごう」


 森の中の木漏れ日が、斜めに傾きだした頃、潮時だと野営の準備を始める班員たち。この判断は正解だ。森の中では時間感覚が狂いやすく、特に夕方が危ない。まだ日が出ているからと油断していると、日が陰りだしたら途端に暗くなる。ライトのスイッチでもあったのかと思うぐらい、突然にだ。

 時間にすれば、数分たたずに昼から夜に、一気に変わるのが森の中というもの。逆に、森の中では夜だと思っていたら、森から出たらまだ明るかった、などというケースもある。時間感覚の喪失は、森の行軍では要注意事項の一つ。

 この野営の準備をきちんとできるかどうかが、実は今回の卒業試験の大きな採点項目だ。日頃寮生活に慣れている人間は、実際の野営では戸惑うことが多かったりする。

 例えば湿った薪しか落ちて無くて、火が熾せないといったトラブルが、ありがちな失敗だろうか。日の届きにくい森の中というのは、ただでさえ湿度が高い。一度雨が降れば、何日も保水する。だからこそ森は水源として貴重なのだが、薪を探すとなると難儀する。地面に落ちているものや倒木は、ほぼ確実に湿っているとみて良い。ライターも無いわけで、火打石で何処まで火が熾せるか。

 その点、ペイスの教え子たちは何の問題も無く、準備万端であった。


 夜になり、野営を始める。

 野営の訓練は、全員が十分にこなしてきているので、手間取ることも無い。

 すぐにテントの設営もされ、火も熾される。現代のキャンプ場とは違い、直火で焚火をしても怒られることも無い。


 「それじゃあ、食事にするか」

 「保存食は?」

 「事前に用意しておいたのがある」


 食事は、簡単に済まされる。

 乾燥した肉と、穀物の粉を練って固めて焼き上げたビスケットもどき。ドライフルーツ。どれも堅い上に、水気が一切ない。口が渇いて仕方がない。

 しかし、寮のご飯の不味さを思えば、御馳走に思えるから不思議だ。


 「それじゃあ、見張りだな」

 「水時計は用意しておいた」

 「よし、それじゃあいつも通りで。お休み」

 「おう」


 別に初めてでもない野営なので、見張りの順番を決めることも無く分かれる。いつも通りとして見張りと休憩をローテーションする。最初は、二人と三人に別れての就寝。二人の方が見張り、三人の方が就寝だ。適当な時間ごとに一人づつ交代する。五人で交代すれば、割と睡眠はしっかりとれる。いつもならこれでなんの問題も無い。

 しかし、今日ばかりは勝手が違った。

 三人が就寝してしばらく、予想もしていなかった事態が起きる。


 「ぐっ……腹痛が」


 急に腹痛が襲う。

 誰か一人ではない。全員が、揃ったように痛みを訴えだしたのだ。

 これは、どうあっても普通じゃない。


 「ぐう……なんでだよ」


 腹を押さえてうずくまるのは、ルイゾとアベイルの二人。他も痛みを覚えてはいるが、この二人が特に酷い。

 長期行軍においては、体調管理が重要。ペイスに衛生学や食あたりのメカニズムを教わっていた班員たちは、水は煮沸を忘れないし、食べ物は加熱して食べている。

 ペイスの指導する近代的な衛生管理を徹底した上で、集団食中毒の症状。だからこそ、全員が異変に気付いた。これが他所の班であったならば、間抜けな食あたりで全員がリタイア、として扱われるところだろう。


 「こ、これ、これをの、飲むと良いんだな」


 しかし、この班には救世主が居た。デジデリオだ。

 日頃は気弱だし、身体も細い。しかし、薬学と薬草の知識があるのは、デジデリオの取り柄と言える。小さい頃から植物図鑑が友達で、知識だけは人一倍ある。その上、ペイスから現代医学の手ほどきも少しながら受けていた。

 腹痛の原因をすぐに見極め、そこらに生えている雑草から、薬草を見つけ出して煎じて薬にする。


 「これ……解毒の薬か?」

 「ん。フリーダでも使えるけど、じ、女性は用量を少なめにした方が良いかも」


 フリーダは、女性だ。腹痛になっても、そこら辺で用を済ませるというのも難しい。夜の森で一人になる瞬間は極めて危険だからだ。

 かといって、男連中に自分が生理現象を解消しようとしている様を見ていて欲しいとも言えない。軍人を志した時から淑女としての恥は捨てたが、幾らなんでも用足しを監視されるのはごめんだ。羞恥心をそこまで捨てきれるはずもない。

 今の苦しみを救う、即効性のある薬など、ありがたさに涙が出る。


 しばらくすれば、腹痛も何とか収まって来る。薬が効いたということで、ある意味では喜ばしい。

 しかし、ある一面ではとても恐ろしいことでもあった。


 「……幾らなんでも、変だな。これって食事に何か混ぜられてたってことだろ?」

 「ああ。どうやら、俺達は何者かに妨害されているらしい。誰か、恨みを買ってるんじゃないのか?」

 「俺達が恨まれるのもあるかもだけど、モルテールン教官が恨まれてるって線は?」

 「あの年で士官学校の教官だからな。恨みっていうよりは、妬みを買ってそう」


 ここまでくれば、全員が気づく。

 橋が落ちていたり、木が林道を塞いでいたりといった程度なら、まだ教官達による試験かも知れないと思えた。しかし、自分たちが用意していたはずの食事に何か混ぜられていたらしいとなれば、これはもう教官の試験のはずがない。


 「どうする?」


 全員が、起きて焚火の周りに集まる。


 「このまま、継続は難しいよな」

 「普通にやるならまだしも、誰かの妨害があるなら、難しい」

 「犯人に心当たりは?」

 「あり過ぎる。足を引っ張りたがる連中なんて、幾らでも居るだろう」


 元々プローホル達は、落ちこぼれと呼ばれていた者達。それが急激に成長し、他を圧倒するまでになったことは驚愕をもって知られている。今では、卒業席次でも上位獲得は難しくないと噂される。

 卒業試験の席次は、多くの学生にとって一生を左右するもの。優等生と呼ばれていた者達も、こればかりは譲れない。

 明らかに見下していた連中が既存の上位陣を越える時。今まで上位に居ると思っていた者たちに生まれるのは焦燥感。焦りだ。

 ただでさえ限られた椅子を巡って四年間争ってきたというのに、最後の最後で下剋上をされそうになっている。ならばと、妨害の一つや二つ、やらかしかねない。してもおかしくない。焦って切羽詰まった人間は、何をやらかしても不思議ではないだろう。


 おまけに、自分たちの教官は敵の多いモルテールン教官だ。

 子供と呼べるほどに若いのに数多くの武勲を重ねている。国内でも特に有名な成り上がりの系譜。新参者の教官。革新的で既存の教育を否定しかねない教育内容。

 どれをとっても恨み妬み嫉みのバーゲンセール。敵を作れと言われるまでも無く、湧いて出て来そうなほどだ。


 つまり、妨害者の特定は、プローホル達には不可能と言えた。


 「こ、このままじゃ、不合格になる」


 卒業の為の試験である。試験に不合格なら、自動的に留年決定。いや、名誉を重んじる家ならば、退学すらあり得る。

 特に、平民が留年などしようものなら、即退学だ。何せ、優秀であるからこそ、本来貴族が通うべき学校に通えているのだ。成績不振が誰の目にも明らかになったなら、通わせる理由もなくなる。


 「……林道を無視しよう」


 妙なことを言い出したのは、プローホルだった。


 「正気か? 森の中には獣も居るんだぞ? 自殺行為だ」


 馬オタクの意見は、大多数の人間なら頷くところだ。

 今回はあくまで試験。ある程度は学生の安全は担保されている。しかし、暗い中を林道を外れていくとなると、試験どころではなく本物の危険が襲う。この場合の危険とは、生半可な危険ではない。


 「このまま進むにしろ、迂回するにしろ、林道に沿っている限り、妨害者の手のひらの上で踊るだけだ。何とかして、妨害者の予想を覆さないといけない。兵は詭道なり。教わっただろう? 大丈夫、方角は分かっているから、真っすぐ進むだけだ。ゴールも分かってるし、何とかなる」

 「時間は? 普通に進んでも厳しい時間の制約があるんだぞ?」

 「走る。夜通し駆ければ、間に合う計算だよ」

 「んな無茶な。すぐにバテるに決まってる」


 森を走るというのは、並みの苦労ではない。特に、体力の消費が酷い。かなりのタフガイであっても、スタミナの消費量は整備された道の倍ぐらいあるはずだ。

 まして、注意力と集中力を切らさないでとなれば、絶対的にエネルギー不足になる。


 しかし、そんなことは承知の上だとプローホルは言う。


 「かも知れない。でも、実はこんなのを、モルテールン教官から買っておいたんだ」

 「何だ?」


 スタミナ対策は、大丈夫だとプローホルは請け負う。

 そっと取り出したのは、石ころほどの物体。


 「飴だよ。特別な」


 ペイス謹製の秘密兵器は、キャンディーだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 十歳児とありますがペイスとジョゼの年齢差が5で ボンビーノと婚約した時のジョゼの年齢が15 さらに1年弱を士官学校で過ごしてるのでこの時ペイスの年齢は11では?
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