216話 不穏
模擬戦からしばらくしてのある日。
今日も今日とて、士官学校の学生たちは訓練に励んでいた。
モルテールン教官の元に居る学生は、朝早くからランニングを行っている。教官本人が、幼いころからの習慣として続けている体力づくりであり、学生たちもそれに倣えと走っていた。
「ふっふっふっふ、はっはっはっは、ほっほっほっほ」
小刻みな呼吸を繰り返し、学生全員が走る。
しかし、今日に限ってはやけに足音の数が多い。
「モルテールン教官、質問しても良いでしょうか」
「はいどうぞ」
走りながら、先頭のペイスにルイゾが尋ねる。青年の呼吸は若干荒くなっていたが、走りながら会話できる程度には体力が付いているらしい。
「あの連中、何ですか?」
あの連中、と呼ばれたのは、全員男である。それも、ガチムチの筋肉男が数人。早朝の冷え込む気温の中でも、上半身裸で走っているのだから、見苦しいことこの上ない。走るギリシャ彫刻だ。いや、走る猥褻物陳列罪だ。
「バッツィエン教官から預かった学生ですね」
ペイスがシレっと答える。それも、走りながら息も切らさずに。
この少年は、実は同世代とは比べ物にならない程の体力馬鹿である。他の子どもがよちよち歩きを始めるころから体力トレーニングを独学で始め、喋り出すころには剣を振りだし、七つになるころには実戦経験を積んでいたという、異端中の異端。体力の一番伸びる時期に、大人の忍耐力をもって、科学的に訓練していれば、出来上がるのはコレである。
見た目だけは女の子のようにも見える顔立ちの為、大抵の人間がこの見た目に惑わされる。
「いや、それは分かるんですけど、何で一緒に訓練してるのかってことを知りたくてですね」
ルイゾ以外の人間が綺麗に無視していたというのに、彼は無視できなかったらしい。馬のことと良い、オタク気質で知りたがりなのは、持って生まれた性格なのかもしれない。
「バッツィエン教官の方針ですね。学びたいことは率先して盗めとのことで。別に構わないと、許可をだしたんですよ」
「ええぇ……」
話の起こりは、模擬戦の翌日にさかのぼる。
◇◇◇◇◇
「モルテールン教官」
「はい? 何でしょうバッツィエン教官」
「折り入って頼みがある」
またか、とペイスは感じた。
模擬戦の時も割と突然の話だったし、今回も事前に何も連絡が無く突然である。どうやらバッツィエン教官自身は、自分と同じ軍家閥であり、武勲確かなモルテールン家を尊敬しており、自分たちの身内のように思っているらしい。モルテールン家にとっては家族も同然である従士長のシイツが、バッツィエン本家から嫁を貰っているというのもあり、最早親戚も同然なのだそうだ。筋肉理論的に。
筋肉的に身内扱いの為、事前にお伺いを立てて連絡を交わし合ってから予定を調整して懇談、というのは、水臭いという理論らしい。
しかし、熱血的な暑苦しさよりも合理性を重んじるモルテールン家としては、勝手に仲間にするんじゃないと言いたいところだろう。身内というなら、せめてクッキーの一つも焼けるようになってからにしろ、というのがペイスのお菓子理論である。
どっちもおかしい。
「頼みとは何でしょう」
「この間、模擬戦をやった五人を、しばらく見学させてやって欲しい」
バッツィエン教官が、ペイスの肩に手を置く。置くというよりも叩くという表現の方が正しい気もするが、ペイスとの体格差がそうさせるのだ。
バッツィエン教官の頼み事は、別に異常なことではない。教官達にも得意分野や不得意分野があるわけで、自分の担当する学生に必要で、自分よりも上手に教えられる教官が居るならば、見学や聴講をさせるというのは珍しいことでもなかった。
「見学?」
「うむ。実は、彼奴等の筋肉を鍛え直しているところなのだが……」
「何かありましたか?」
「どうにもそちらの学生達に負けたのが納得いっていないようなのだ。勿論、口には出していないのだが、明らかにそちらを意識しているし、筋肉も強張ってしまうことが多い様でな。不満というのか、負荷というのか、そんなものを溜め込んでいるようなのだ」
中世的な男尊女卑思想がごく当たり前にまかり通る神王国では、軍人とは男の仕事とされる。当然、軍人を育てる士官学校も、男だらけ。そんな中で、数少ない女性で、更にはバッツィエン派の思想に理解があるフリーダは、筋肉男たちが取り合うほどの人気だった。
そんな彼女に対し、良いところを見せて、あわよくばぐへへへへ、と思っていたところで、良いところなしであっさり負けたわけだ。理屈云々を抜きにして、心情的にどうしても納得できないのは当たり前である。
「ほう……ならば次は僕が相手をしましょうか?」
納得できないというなら、自分が納得させて見せよう、とペイスが提案する。
しかし、学生達にもプライドがある。男くささ、逞しさ、力強さを最上として鍛えてきた、思春期の青年だ。女に負け、その上さらに子供にまで負ければ、彼らの精神はズタボロになりかねない。そうバッツィエン教官は危惧する。
勿論、ペイスの実力は認めている。しかし、思春期のナイーブな心をケアするのも、教官の仕事だとバッツィエン教官は考えていた。
故に、提案する。
「いや、そこまで御身の手を煩わせるわけにはいかない。そもそも、負けたことに納得いかずにごねるなど、騎士の風上にも置けぬ女々しさだ。さような軟弱さは徹底的に鍛え直してやろうと思っているわけだが……どうせなら、鍛え方を変えてみようかと思い立ってな」
「鍛え方を変える?」
「分かりやすく言えば、筋肉だ。大胸筋のようなものだな。同じ場所を同じように鍛えていては、鍛えられる筋肉も偏ってしまうし、美しくない。分かりやすかろう?」
どこがどう分かりやすいのか。ペイスにはさっぱりわからなかったが、言いたいことは何となくわかった。
美味しいケーキでも、毎日同じなら飽きる。偶には違ったスイーツを食べると、美味しさも際立つようなものか、と。
どちらも思考回路がおかしい。
「時には違った筋肉を鍛えることで、全身の筋肉はバランスが取れるのだ。そう考えてみれば、偶には他の人間の鍛錬を見せてやるのも良い経験になるだろうと、思った次第である」
「ほう」
「しかし、何故か他の教官達には渋い顔をされてな……」
さもありなん、とペイスは心の中で頷く。
何処の世界に、筋肉まみれの連中が増えることを喜ぶものがいるのか。特に、校長を始めとする現在の校内主流派や、旧勢力の残存派といった目ぼしいところは、軍務閥系の実践主義を、理論を伴っておらず無駄が多いと蔑む傾向がある。実際、実践主義者と呼ばれる者の中には、迷信やオカルト的なものまで一般論のように語るものも居る。例えば、雨は降って欲しくない時に限って降ってくるものだ、といった具合だ。合理主義者からすれば間違っていると思えるし、実践主義者は実践の経験から事実として語る。
そんな実践主義者の中でも更に肉体派な連中は、理論重視の人間や、バランス重視の人間からは避けられてしまう。無論、ペイスとて好んで近づきたいとは思っていない。
何故か、気に入られがちだが。
「そうですか。他の教官方もお忙しいのでしょうね」
「そうらしい。ということで、何人かを引き受けてもらいたい。何も、指導をしてくれと言っているのではない。彼らの指導はこちらでしっかりやる。その指導の過程の一環として、しばらくそちらの訓練を経験させてみてはくれないかという頼みだ」
ペイスとしては、何が“というわけで”なのか分からないわけだが、ペイスの手を煩わせるのでないなら、断るつもりも無かった。
教官の中には、自分の教育内容や教育手法を出来るだけ秘匿したがる人間も居る。出世や名声を望んでいる人間に多いタイプだが、他の教官を良くて好敵手、下手をすれば知識を盗む敵と思う。知識は財産という考え方を持ち、それを対価も無く得ようとするのは泥棒だと、憎むわけだ。
ペイスとしては出世も名声も興味が無いので、見たいというならどうぞ、という思いである。
「……剣術の見取り稽古を出稽古でさせるようなものですか?」
「そう、それだ。流石はモルテールン教官。引き締まった筋肉と同じで、引き締まった答えを纏められる」
「はあ……褒められたのですかね? とにかく、勝手に傍にいて、邪魔せずに見ているだけというのなら、別に追い返しはしません」
引き締まった筋肉というのは、褒め言葉なのだろうか。恐らくそうなのだろうとしか思えなかったが、言いたいことは理解し、要求にはうんと頷くペイス。
「それで構わない。先の模擬戦を見ていて、そちらの学生たちが中々いい筋肉をしていたのは知っている。キレた動きをするにも、日頃の鍛錬あってこそ。きっと、うちの学生も得るものがあるはずなのだ」
「……そうですね。うちの連中にも刺激になるでしょう。勝って兜の緒を締めよという言葉もありますし、背中から追われる立場を経験させてみるのも意味はありそうです」
「決まりだ。では頼んだぞ!!」
何故かポージングを決めて筋肉を強調してから去っていくバッツィエン教官。人に頼みごとをした後に挨拶するのなら、上腕二頭筋を強調させるダブル・バイセップスは不要だろう、とペイスは指摘した。心の中で。
ペイスは無性に、厨房に籠ってお菓子作りをしたくなった。
◇◇◇◇◇
「ということです」
「はあ……」
「つまり、今日からしばらくは彼らと一緒ということです」
「うげぇ」
嫌そうな声をあげたのはルイゾだったが、どうやら気持ちは同じだったらしく、他の面々も顔を顰めた。後ろを走る筋肉たちに分からない様子だったのが救いだろうか。
朝のランニングが終わって、訓練場に一旦整列する。ここからが、モルテールン家流の学生指導の始まりだ。
「それでは、朝食前に軽く剣術の稽古をしておきましょうか」
「「はい!!」」
ペイスの言う軽くとは、誰かが疲れ果てて倒れるまで、という意味である。
どう考えても軽くじゃない、という意見は野暮だ。このやり方は、ペイスがカセロールから教わって来たやり方なわけで、ペイスからすればこれが普通なのだ。
世間知らずは、常識外れの親から出来上がるものである。
二人ほど、息も絶え絶えに倒れこんだところで、朝食前の軽い朝練は終了だ。寮の食堂に行くよう、ペイスが促す。
「朝食です。皆はしっかりと食べるように。食事を粗末にする人間は僕が直々に性根を叩き直しますので、気を付けなさい。食後はいつもの部屋に居るように。今日は戦略論について講義します。鐘が鳴る前に座っていない者が居たら、連帯責任で倒れるまで腕立て伏せをする羽目になりますので、全員が揃っているようにしてください」
「「はい!!」」
寝転がっていた連中も飛び起き、敬礼する。
「教官、彼らは?」
「聴講は許可してあります。彼らが居なくても別に僕としては構いませんし、数には数えません。ただし、講義中に居眠りでもしようものなら叩き出します。顔に恥ずかしい落書きを【転写】されたくなければ、寝るのは寮に戻ってからにすることです」
ペイスの言葉を聞いた見学者たちは、居住まいを正した。魔法というところで、ビビったのだ。
万人に一人と言われる魔法使いは、秘匿されがち。しかし、いざ使われる場面になると、信じられない効果を発揮する。それだけに、魔法を見たことも無いような学生は、必要以上に怖がるのだ。
学生たちがとんでもなく不味い料理を無理やり胃に流し込み、朝食を終えた後。皆は、揃って教官室傍の講義室に座っていた。
「さて、揃っていますね」
「「はい、教官!!」」
「結構。では今日は戦略論について」
ペイスは、座って講義を聞く学生を見渡す。
一時期と比べて、彼ら彼女らも真剣に講義を聞くようになった。更に、いつもと違ってお客さんも居るのだから、目に見えてやる気が違っている。
「皆さんは、戦争において最も良い勝ち方とは何だと思いますか?」
ペイスの質問に、プローホルがおずおずと手を上げる。
「より少ない兵力で、より多くを倒す戦い、と習いました」
「ほう、誰からです?」
「ランディアン教官です」
「なるほど、面白い意見です。ランディアン教官なりに過去、そのように教わって来たのでしょうが……僕の意見は違います」
「え?」
経験と考察に裏打ちされた、ランディアン教官の一派の教育。これ自体は、別に否定されるものではない。ある前提においては、間違いなく真理と呼べるものを確立している。
より少ない兵力でより多くを倒すのが最善。これは“どんな条件でも絶対に勝てる”とするなら、正しい。兵が多かろうが少なかろうが、指揮官次第で勝敗が決まるなら、費やされて消費される資源は少ない方が良い。極論、一人で敵を全滅させることが出来れば、最高なのだ。なまじそれを体現してしまう人間が、一人ならず居る世界だけに、完全に否定できない理論。しかし、理想と現実が往々にして乖離しがちなのは言うまでもない。
実践派教官が、理論派教官を理屈倒れと呼ぶのも、然るべき理由があるのだ。
しかし、ペイスは経験に学ぶ以上に、歴史と先人の知識に学んでいる。
「最も良い勝ち方は、戦わずに勝つことです。これこそ最上です。小よく大を制するは理想ではありますし、上策かもしれませんが、上の下といったところでしょうか。戦わずに勝つのが最上。戦って勝つのは次善の策ということになります」
「戦わずに勝つ、とはどういう意味でしょうか」
今度はフリーダが挙手した。
彼女は実践派に属する精神構造を持っているが、馬鹿ではない。力押しを好むし、難しい小細工をするよりは圧倒的なパワーがあればそれでいいという考えではあるが、考えることを放棄することは無いのだ。
だからこそ、ペイスのいう意味を理解しかね、質問した。
「良い質問です。戦わずして勝つというのは、戦闘はあくまで目的を達成する手段の一つに過ぎず、目的を達成できるのならば戦う必要さえない、という発想からきています。例えば此方が十万程の、それも精鋭ぞろいだったとします。相手が数百以下の小勢。この場合の最上は、戦わずに勝つ。例えば、相手を降伏させてしまう、というような形になるわけです」
「つまり、戦わず勝つとは、降伏させるということですか?」
「少し違います。降伏させるというのはあくまで数ある手段の一つ。目的は、戦力保全にあります」
「戦力保全?」
ペイスの話す言葉は、戦場の戦術指揮官に対してではない。どちらかといえば、現場を動かす、上級指揮官が持つような視点だ。
しかし、それを持たずして良い指揮官にはなれないとペイスは考えていた。大局観を持たずに戦術論のみに拘泥すれば、生まれるのは、とにかく何が何でも勝とうとする勝ちたがりや、戦場の一局面のみに拘って窮地を作る墓穴メイカーに他ならない。
「戦争を経済面や人材面で見た時、無駄な消費は忌むべきものです。国費を無駄に使い、人材を徒に損ない、人命を捨てるが如き所業は、唾棄すべき。違いますか?」
「それはそうだと思います」
「ならば、人命も損なわず、人材も一切失うことなく、金もかけず、戦争目的が達成されるのが一番いい。降伏してくれても良いし、勝手に逃げてくれてもいい。此方は一切失わず、相手の全てを得る方法が最善。実際に戦って、此方が一切被害なし、という神業のような戦争と、相手の無条件全面降伏とは、得られる結果は同じです。被害を最小限にするべき、という視点の行きつく先が、戦わずして勝つということです」
「なるほど」
これだ。フリーダなどは、こういう話を聞くたびに思う。目からうろこが落ちる感覚というのだろうか。ただ目の前の敵を蹴散らせばいいという発想ではなく、更にその上を行く発想。これこそ指揮官の目線であると、彼女は理解した。
そして、同じような感想を、大なり小なり、話を聞いた全員が感じている。
「戦争とは、あくまで外交の一環。一手段です。話し合いの延長線上です。使わずに目的が達成されるのならば、それこそ最上」
「では、我々は何のために鍛えるのでしょう。使わない方が良いなら、鍛える意味はあるのですか?」
使わないことが最上。そう言われると、気になるのが何の為に存在するのかという、存在意義だ。軍人たるもの、自分たちが使われない方が良い。不要だ、と言われるのは良い気がしない。理屈は分かっても、不満の一つも覚える。アベイルはそう思った。
しかし、ペイスは使わない事と、要らないことは意味が違うという。
「それこそ、戦わずに勝つ近道だからです。相手に“戦っても絶対勝てない”と思わせることが我々の仕事。抑止力というものは、使うことが前提にあってこそなのです。酒場で絡んで来た者が居て、大人しくさせたいとする。此方が脅すだけで大人しくなるのが最上。戦わずして勝ちです。殴って大人しくさせても構いませんが、暴れれば壊れるものもあるし、此方も怪我をするかもしれない。上とは言えない所以です。しかし、脅すにしても、例えば僕のような見た目では脅しにもならない。鍛えていて屈強な、後ろにいる人たちみたいな見た目なら、立ち上がるだけで大人しくなってくれるかも。より強い力を持っていれば、相手はより脅威に感じる。その先には、戦わずに勝つという結果に続いている。だから、鍛えなさいと言っています」
「なるほど」
「戦わずに勝つ。言うのは簡単ですが、容易なことではありません。やはり人が人である以上、ぶつかることもある。そうなった時の方法を、教えるのが僕の仕事でしょうね」
アベイルもまた、目からうろこが落ちる気がした。
既に何枚鱗が落ちたことか。モルテールン教官に教わるまでの三年間、自分がどれほど蒙昧であったかを、実感する他ない。
これで口先ばかりの理論家なら批判もされようが、少年教官は既に誰もが認める武勲を誇る実戦経験者。何故もっと早くから教わることが出来なかったのかと、悔しくさえ思う。
そして、それは後ろで見学していた筋肉たちも同じだったらしい。
講義が終わってすぐ。
後ろで黙って見学していた連中が、モルテールン教官に教わる五人を囲んだ。
「おい」
「あん?」
厳しい顔つきのまま、周りを囲まれたプローホル達。
すわ喧嘩か、と身構えたところで、囲んでいた連中が頭を下げた。
「その、すまなかった」
キョトンとするのは、頭を下げられた方である。
謝ってもらう心当たりは多いが、まさか素直に謝るとも思えなかったからだ。
「何がだ?」
「お前たちが、結構凄い奴だというのに、気付いた。今までの態度を謝る。すまん」
「……そうか」
別に俺達は凄くも無いけどな、と思ったプローホルは、そのまま謝罪を受け取った。
「これから、俺達も頑張るつもりだ。卒業試験に向けて、お互い頑張ろう」
「ああ」
元より軍人見習い同士。同じ敵に痛い目を見せられ、自分の不甲斐なさや情けなさを心の底から実感した同胞。そう思えば、今までの無礼さなど軽いじゃれ合いのようなものである。
綺麗さっぱり過去の遺恨を洗い流し、清々しい気分でお互いに手を握った。
これでお互い、過去のいざこざは忘れる。おしまい。
と思ったのは、プローホルだけだったらしい。
「これは詫びの印だ。たっぷりと見てくれ。むん」
「おい、お前らほんとに謝る気があんのか!!」
「勿論だ。この筋肉に誓って!!」
厳つい五人が、上着を脱ぎ棄ててポーズを決めた。ムキっと盛り上がる上腕二頭筋。ピクピク動く大胸筋。堅く岩のようになる広背筋。
実に美しい筋肉であるが、こんなものが詫びになるのは極一部の人間だけである。
「ぎゃああ、寄るな。胸の筋肉を動かすな!!」
バッツィエン教官の学生と、ペイスの元に居る学生たちが仲を修復し、お互いが研鑽し合う様子。素晴らしい光景だ。
そしてそんな様子を、こっそり伺う者が居た。
「校長肝いりの秘蔵っ子と、軍家閥の重鎮の接近……このままいけば、孤立するのは我々か……」
教官のデオットー=ランディアンだ。内務閥に属し、旧主流派に属する彼は、ペイスの講義をたまたま盗み聞いていた。
実際は違うのだが、校長の肝いりで抜擢された教官というペイスの立場。自分が今まで教えてきたことを否定しかねない講義内容。軍務閥同士がしきりに連帯を強めている様子。
どれもこれもが、自分の地位を脅かしかねないものに映る。現在の校長と派閥的に反目し、先代から変わらない教え方を踏襲し、軍務閥とは犬猿の仲。
これで所属する学生が無能であればいいものを、聞こえて来るのは劣等生のはずの者達が活躍したという噂。
「拙い。何とか奴らの邪魔をしなければ、私の面目が……」
デオットーは、一人顔色を悪くするのだった。