211話 モルテールン教官の初日
朝。
秋にもなれば、内陸部の王都は朝晩冷え込む。摂氏で言えば一桁といったところだろうか。冷たい空気が、寝起きの身体を震わせる。
まだ空も暗い中、大きなあくびをしながら訓練場に集まったのは五名。全員が、寄宿士官学校の学生であり、おまけに今年が卒業年度という共通点も持つ。いわゆる、同期生というやつだ。
うち二人はプローホルとデジデリオの泣き虫コンビである。
「眠い……」
プローホルは、大きなあくびをした。朝も早いということもあるが、単純に寝不足故のあくび。
ランディアン教官にクビを宣告されたことや、その時の悔しさ。新しい教官が子供だったことへの驚きと、それ以上の不安。やはり自分は見捨てられたのではないかという懸念。落第生として、学校を辞めねばならないのではないかという恐怖。
色々な想いや考えがぐるぐると頭の中を渦巻いて、夜に中々寝付けなかったのだ。
寝不足気味の為か、どうしても大口をあけて顔面のストレッチをしてしまう。
そんな彼の何度目かのあくびが終わるころ、訓練場にひと際小柄な子供がやって来る。青銀髪の美少年だ。
「揃っていますね」
子供の名はペイストリー=ミル=モルテールン。ここに集まった学生は、全員その名前を知っている。
例えばプローホルは、最早親友とも呼べるほど仲良くなったデジデリオから、彼の逸話を聞いた。噂というものは誇張されがちではあるが、それにしたって信じがたい内容ばかりだった。
曰く、既に何度と戦功をあげており、軍重鎮や宮廷貴族からは一目も二目も置かれている。
曰く、国王陛下の覚えも目出度く、望めばすぐにでも独自の爵位を貰える。
曰く、金の湧き出る智謀を持ち、隣国の伯爵家を経済的に潰している。
曰く、どんな不可能でも可能にしてしまえる才能があり、モルテールン領でさえも黒字にしてみせた。
どれもこれも、荒唐無稽という他ない。プローホルは従士家出身で、貴族の噂に詳しいわけでは無いが、それでも一般常識というものを持っている。
不毛の大地にして劣悪な荒野であるモルテールン地域を、鉱山みたいな資源も無く黒字経営にするなどあり得ない話だし、不可能と評価することさえも烏滸がましい。
男爵家の、それも新興貴族の息子が独自に爵位を与えられるなど聞いたことも無いし、そんなことが普通に起きるなら、今頃は神王国は貴族だらけになっている。
伯爵家のような高位貴族を、たかが一男爵家がどうこうしようなどというのも無茶なことだ。軍事力でン十倍。経済規模でも同じぐらいの差があるのが普通で、政治力ならば天と地ほどに差があるもの。連合を組むならまだしも、単独で立ち向かうのは無茶を通り越して無謀な自殺というべきだろう。
どれにしたところで、荒唐無稽。つまり、噂というものが全て嘘だということ。
プローホルの常識は、世間一般の常識としてはごく普通である。彼でさえ分かるようなことを、彼よりも教養のある大人の貴族たちが分からないはずがない。大げさな噂も、嘘と分かった上での娯楽として楽しんでいるのだろう。
プローホルの見るところ、目の前の少年が、そう凄い人間だとは思えなかった。
集まった一同を見渡す少年は、ここにいる誰よりも小さい。成人も済ませ、成長期も終わりに近い年ごろの青年たちは、背の高さも大人とさほど変わらない。彼らと比べれば、どちらが教官なのか、第三者にはさっぱり分からないだろう。
これで既に戦功をあげているというのも胡散臭い話だ。仮に戦功をあげたというのが事実だとしても、大かた、お飾りの箔付けが上手くいっただけであり、教官職というのも、父親の勇名の七光りに違いない。
高位貴族の中には、戦場に出たという実績やアリバイを作る為に、形だけ指揮官として戦場に送り出し、実質の指揮は全て部下がやるというケースもあると聞く。男爵家ならそこまでする余裕はないのが普通だが、英雄の子なら箔付けの必要性も高い。戦功といっても、形だけではないのか。
学生五人に共通するのは、そんな感覚だった。
「既に知っている人もいると思いますが、改めて。ペイストリー=ミル=モルテールンです。今日より、僕が皆さんを教えることになりました。父のことは知っている人が多いと思いますが、僕は父ほど凄いわけでも無いので、安心してください。早速ですが、まずは皆さんの今の……」
「教官、いいだろうか」
ペイスの言葉を、遮る学生が居た。
上官の言葉を途中で遮るなど、軍人としては叱責ものなのだが、平気でやらかす学生も居る。ペイスが学生から舐められている証拠である。
「構いませんよ、貴女の名前は?」
「フリーダ=ミル=ディーステルだ。これから私はバッツィエン教官の指導に戻りたい。許可を貰えるか」
「……話が見えませんね」
「はあ」
フリーダと名乗った女性は、溜息をついた。
そして、そのまま自分のことを滔々と語りだす。
彼女の実家は、現場主義の軍家であり、貴族たるもの高潔な騎士たれというのが家訓だという。高潔な騎士とは、すなわち自己の研鑽を怠らず、困難にあっては率先して行動すべきということらしい。
派閥としては軍家閥であるが、その中でも特に行動的なバッツィエン子爵の一派に属する。
バッツィエン家は分家筋も幾つかあり、教官の一人はそこの出身で、本家と同じくバッツィエンの家名を名乗る。同派閥の縁から、バッツィエン教官に師事するのは入学前からの既定路線だったという。彼女自身、バッツィエン教官の教え方には満足しており、成績も悪くなく、是非ともこのままバッツィエン教官に導いてもらいたいとのこと。
「ならば、何故ここに?」
ペイスの疑問に、僅かに顔を曇らせるフリーダ。
「……バッツィエン教官に、モルテールン教官から許可を貰うまで戻って来るなと言われたのだ。だから、さっさと許可して欲しい」
「なるほど……そういうことですか」
少年教官は、女性の言葉で大よそを察した。
王都に召喚されて以降、ペイスも、ただ学生が集まるのを待っていたわけでは無い。口をあけて餌を待つのは鯉ぐらいなものですとばかりに、色々な手を使って、学内の情報収集を行っていた。
集めた情報の中には、それぞれの教官の個性や教育方針というものもあった。調べた限りにおいて、バッツィエン教官の教育方針を一言で言うならば「筋肉こそ全て」である。
重火器の存在しない世界において、戦争では個人の戦闘能力は生存率と強い相関がある。特に、武器の無い生身に近くなるほど、より顕著な傾向となる。
拳銃ならば、子どもでも指先一つで大人を倒せるが、生身の戦いとなると指先一つで人を倒せるのは特殊な拳法使いぐらいなものだろう。例えば殴り合いで、子供が大人を倒すなどは相当に難しい。つまり、戦闘能力が大人と子供ほどの差があれば、強い方がほぼ確実に生き残るということ。強いものが生き残る、弱肉強食の世界だ。
より強く鍛えれば、相対的に敵の脅威は下がる。より力が増せば、厚く重たい防備や鎧でも動けるようになる。逞しさこそ強さ。強さこそ正義。実にシンプルな理屈だ。
強さの根幹は筋肉にあり。
より逞しい筋肉を持つ者はより強く、より堅く、より速く戦える。そして、より生き残る。
この教訓を本気で信じ、鍛えに鍛えて戦勲を重ねてきた脳筋一族。それがバッツィエン家である。かつて、三十二人の屈強な精鋭で、二十倍以上の敵の包囲を力技で突破した戦歴もある、モルテールン家とは違った方向性で精鋭主義を取る家だ。
ちなみに、モルテールン家とも浅からぬ縁があったりなかったり。ペイスは苦手にしているのだが、何故か一方的に好かれていたりもする。もう少し筋肉があれば嫁を世話していたとは、当代子爵家当主の零した言葉だ。
本家の子爵と負けず劣らず筋肉至上主義のバッツィエン教官であるから、そこには明確な価値基準がある。勿論、筋肉だ。
如何に頭が良くても生ひょろい人間は嫌悪するし、多少素行が悪くとも筋肉を鍛えていれば受け入れる。性格が歪んでいれば筋肉で治し、頭が悪ければ筋肉で補うのがバッツィエン流。これでそれなりに成果を出してきているのだから、文句も言えない。
流石に宮廷に務めるような文官を輩出したことは少ないが、軍人として成果をあげる卒業生は多い。故にこそ、バッツィエン教官始め、ここの一派は自分たちの価値観を信じて疑わない。
つまり、生物学上の制約で、女性には厳しい評価を与えがちな教官であるということだ。
フリーダは、学校の成績自体は問題ない。座学も優秀だし、あのバッツィエン教官の指導にもついていけるほど鍛えてある。しかし、どうしても教官の評価は辛くなるのだ。筋肉が他の学生に比べて付かないという理由で。
「ようは、女性だからと僕に押し付けた……といったところですか」
「違う!! 私は、すぐにもバッツィエン教官の元に戻る!!」
ペイスの指摘に激高するフリーダだったが、その怒りは、指摘が的外れだったからではない。むしろ、的確過ぎる指摘だったからこその激高だ。
優秀な成績を収め、師事する教官を尊敬し、今まで成果を出してきたからこそ、自分が“見捨てられた”と思いたくないのだ。仮に状況がそうであっても、信じたくない。
「……貴女は、それでいいのですか?」
「どういう意味か?」
「貴女は、今までの延長線上に伸びても、頭打ちです。どれだけ努力しようが、恐らく今からの伸びしろは大して無い。バッツィエン教官の元なら、ですが。貴女も、自分で分かっているのでは?」
「そんなことはない!!」
事実の指摘だった。
女性と男性を比べた場合、総じて女性の方が低い年齢で二次性徴を迎える。幼い時ならば、女の子の方が成長は早く、身体も男女差が少ない。だからこそ、今まではバッツィエン教官の教え方でも同世代の男子についていけたし、或いは凌駕する部分もあった。
しかし、十代の集まる士官学校という性質を鑑みれば、これから男子学生に筋力量や身長などで抜かれていくことは目に見えていたし、彼女の急激な成長もあり得ないと断言出来た。ペイスならば、それぐらいの未来は見える。
バッツィエン教官も、士官学校の教官だけに色々な学生を育ててきている。中には、女性も居た。その経験から、自分の教えはフリーダに適さないと判断したに違いない。
バッツィエン家はモルテールン家とも近しい。当然、ペイスの噂も聞いているはず。
才女と名高いモルテールン姉妹や、小柄でも一端の騎士と呼べるペイスを育てたモルテールン家の教育方法であれば、フリーダも更に成長できるはず。
バッツィエン教官の考えは、こんなところだろうとペイスは予想する。見捨てたわけでは無い。適材適所というべきだ。しかし、そんなことは当の本人には分からないわけで、単に見捨てられたと誤解しても仕方がない状況である。
「そんなことはあるのですよ。当家にも、バッツィエン家出身の者が居りますから、バッツィエン教官の考えることも予想できる」
ペイスのいうバッツィエン家出身者とは、従士長シイツの嫁である。歴戦の勇士にして老獪な戦士であるシイツと決闘を行い、独身主義のシイツを力づくで物にしたという女傑だ。
彼ら彼女らの考え方はシンプルであり、想像するのも容易いとはペイスの弁である。
「そんな……」
「しかし、僕ならば、貴女をもっと高みに導くことが出来る」
元々モルテールン家は少数の人材を育てる精鋭主義である。女性であっても、優秀な騎士にすることが出来る、とペイスは断言した。
少年の言葉に、心を揺らすフリーダ。
このままいけば円満解決であったが、しかし、そうもいかないのが世の常。
「言葉だけでは、信じられないんだな」
「ああ、そうだなぁ」
「口が達者なだけってこともあり得るし、そもそも俺たちの教わることがあるのかってのも問題だよな」
「うんうん」
「幾らモルテールンと言っても、親父さんならともかく、息子の方じゃあ有難味もないし、教わることあるのかね?」
「この目で確かめない事には分からないなぁ」
成り行きを見守っていた学生のうち、ひと際チビな男と、ひと際デブな男が茶々を入れる。
泣き虫コンビでは無い。彼らは、劣等生とはっきりしていた上で、教官から移籍を宣告されたのだ。戻る場所が無いと理解している。
しかし、フリーダや、他の二人は違う。
五人の学生の内、最も背の低い者はルイゾ=ミル=ドヴィエンヌ。東部出身で、馬術の腕に関しては学内でも屈指と言われている。体格が良い男は、アベイル=ミル=オルバネハ=バレリアノ。寮生の内、彼に腕相撲で勝てる人間は居ないと言われるほどの怪力を誇る。
学生である以上未熟な部分は多いが、この二人に共通するのは、劣等生では無いということ。勿論、フリーダのように優等生だとは言えないが、苦手分野もそこそこの成績で収め、得意分野に関しては優秀と呼べる人間だ。
何故そんな人物がペイスの元に送られたのかといえば、単に教官と合わなかった、というのが正しい。
ルイゾの教官は、歩兵戦術に極めて造詣の深い軍人。盾を構えて密集体形を取るのが基本の歩兵戦術で、背の低いルイゾは他に埋もれてしまう。何度か馬を使わせてくれと言い張ったことで、教官とは険悪な関係になった。
アベイルの場合は、教官が奇襲戦を得意とする人物だった。小をもって大を制するのは良策とされる神王国において、奇襲戦に詳しい教官は優秀な教官とされていた。だが、身体の人一倍大きなアベイルは、隠れたりこっそり移動したりというのがとにかく苦手だった。
どちらにしても教官と合わなかっただけで、他の教官の元なら十分に伸びる。自己評価でもそうだし、他人からの客観的評価もさほど変わらない。つまり、ここで別にペイスに教わらなければならない必要性が無いということ。
劣等生であれば受け入れてくれる教官は少ないかもしれないが、彼ら二人なら、受け入れ先はある。
「なるほど。早い話が、僕の実力を知りたいと?」
ペイスの言葉に、茶化していた二人が、そしてフリーダが、面白そうな顔をする。
「教官のお手本を見せて欲しい、って、変じゃないよな?」
「変じゃない、変じゃない」
いつの間にか、五人と一人が明確に陣営別けされている。勿論、一人なのはペイス。学生五人は、手に手に武器をもって構えだした。
「面倒ですね。五人いっぺんに掛かってきなさい」
「「はあ?」」
「その方が、分かりやすく自分の実力を知れるでしょう。上位者がまとめて相手をするのは、当家の伝統です」
新興中の新興貴族に伝統もクソも無いわけだが、モルテールン家の歴史で、初代からずっと続けている方法といえば、伝統にも思えるから不思議である。
さっさとこいとばかりに挑発してきたペイスに対し、五人の学生は決意を固めた。
「怪我しても、恨まないでください、教官」
「お手並み拝見!!」
鯨波と共に、一斉にペイスに飛び掛かる学生達。
腐っても士官学校の学生。そこらの素人よりは、遥かに鋭い攻撃が、四方から飛んでくる。逃げる場所など無い、不可避の攻撃。
に、思えた。
「一つ忠告しておきますが」
ペイスは、慌てることも無く“魔法を発動”してみせた。
「僕は、魔法も使えます」
五人の学生が倒れ込むのに、所要時間は三分ほどであった。
ペイスの、三分クッキング。