208話 首席は語り手
神王国の寄宿士官学校は、四年制である。
入学時の年齢は自由であり、入学の試験を合格すれば、仮に三歳児でも入学できる。数え年のような風習もある神王国では、年齢の数え方も地域ごとに微妙に違う。春が来たら年を増やす地域もあれば、誕生月で年を増やすところもあり、また戸籍の一元管理をしていないので、幾らでも詐称が出来る為、自己申告に近いものになる。その為、一律に年齢で制限を設けることが不合理なのだ。
もっとも、体力測定もあるので、身体の出来ていない年齢では合格は難しく、大体成人する前後で入学することが一般的である。十代前半から入学し、基礎的なことだけならば二年。士官教育をみっちり受けるなら四年を寮で過ごし、一人前の人間として各々就職先を見つけて巣立っていく。過去の学生の積み重ねや、王族も通った歴史などからブランド力は凄まじく、この学校を卒業したなら出世を約束されたに近い。それがまた優秀な人間の呼び水となり、今の今まで高い評判を維持し、それに違わぬ実力の卒業生を送り出してきた。
こうなると、入学したがる人間はわんさか出そうなものだが、それに歯止めをかける制度も存在する。
士官学校の入学について、勿論個人の能力も必要だが、そもそも誰でも受け入れているわけでは無い。貴族の推薦が絶対に必要となる。
一家につき一人、毎年推薦枠があり、騎士爵家だろうと公爵家だろうと、そこは変わらない。
この推薦枠は、自分の家の子どもであったり、親戚の子どもであったりを推薦して入学させることが通常の用途なのだが、学校の目的が軍の指揮官を育てる士官教育であるため、家臣の子どもを推薦する場合もある。譜代の従士家などは貴族家の当主の名代、或いは補佐として、軍を率いることもあるからだ。モルテールン家であれば、従士長シイツや私兵団副長のコアントローなどがその立ち位置にある。シイツの子どもや、コアンの息子であるマルクなども、必要があればモルテールン家の推薦で通うかもしれないということだ。
更に、この推薦枠を売る貴族も居る。宮廷貴族で無役の人間などに多いのだが、第三者を推薦する見返りに金銭を受け取るようなケースも存在する。金の有る商家の次男坊三男坊などが軍で身を立てたいときに、この手の推薦枠を買い、士官学校で教育を受けて軍人の道を歩むことがあるのだ。そうやって軍人の、それも部下を率いる地位に立ち、手柄を立てて取り立てられたり、爵位を授けられたりといったサクセスストーリーは珍しい話ではない。
ある程度の裁量を任せられる人材などは、何処の貴族家でも重宝がられる。士官教育を受けた人材など、引く手数多であろう。
学校に通うことで、貴族子弟やその縁者と親しくなれるというメリットも存在する。年によっては王族が通うこともあり、現第一王子が通っていた時などは入学の倍率がとんでもないことになっていたという話もあった。三十路を過ぎて入学しようとしていた者もいたというから、笑い話である。確かに、将来は王になるであろう王子と学友となれば、上手くいけば栄光を掴める。しかし、親子ほどに年が離れていて、学友も何も無いだろうと誰しも思う。当然、こういった邪な人間は入学を許可されなかったらしい。
などという話を、今更ながらに聞き、ペイスはそうなのかとしきりに頷いていた。
「まさか、ペイス殿が教官になるとは思いませんでした」
「僕もです。しかし、教えて貰えて助かります」
「いえ、ペイス殿の頼みとあれば、これぐらいのことは」
ははは、と笑ったのは、スクヮーレ=ミル=カドレチェク。たれ目がちなおっとりとした雰囲気の青年であるが、これでも寄宿士官学校を首席で卒業している秀才である。
現カドレチェク公爵の長男にあたり、今は国軍に所属し、第一大隊の隊長という重責を担う俊英。高位貴族としていきなり大隊を任されるという、貴族社会ならではの人事であるが、現在のところ特に失態も無く無難に務めているということで、将来を期待される若手のホープの一人である。
このスクヮーレ青年の妻ペトラは、ペイスの妻であるリコリスにとっては双子の姉。ペイスにとってみれば、スクヮーレは義理の姉の夫という、つまりは義理の兄とも呼ぶべき存在。
スクヮーレにしてみれば、ペイスは自分の不満や愚痴を零せる相手であり、いざとなった時助けてくれるであろう友人である。だからこそ、ペイスが困っているから助けて欲しいと言うなら、喜んで力になると駆け付けたのだ。
「リコリスさんは元気にしていますか? 偶には顔が見たいとペトラが言っていましたが」
「僕の王都行きに同行して、今は当家の王都別邸で元気にしています。折角の機会だからと、母様があちこちの社交に連れまわすようです。ペトラさんの方にも顔を出すよう言っておきましょう」
親戚付き合いも大事ですから、とペイスが言えば、スクヮーレもその通りと頷く。男同士ならば気楽なのだが、などと笑い合う冗談が言えるだけ、仲がいいのだろう。
「ところで、教える内容は決まりましたか?」
「教える内容?」
ペイスはきょとんとした表情を見せる。てっきり、今後校長あたりから担当科目の通達があると思っていたからだ。自分で決めるとはどういうことかと、怪訝に思うのも当然だろう。
彼の常識の半分は現代の日本に染まっていて、学校といえばクラス分けや学科による区別があり、教員は特定の教科を担当するという常識を持つ。しかし、この世界では、この考え方は非常識らしいとペイスも気付く。
「……どうやら、本当にこの学校のことをご存じないようですね」
「細かい説明もなく呼ばれましたから」
スクヮーレは、ペイスに物を教えるということに、少なからず可笑しさを覚えていた。生まれてから既に何でも完璧にこなす天才のように感じていたから、ペイスにも知らない事や出来ないことがあるのだという、当たり前のことに驚いた自分が居て、それが酷く可笑しかったのだ。
それは、今まで恩義と共に感じていた友愛の気持ちを、より強くするものでしかない。友誼とは、片務的なやり取りではいけない。双務的で相互に与え合う関係であってこそ。対等な関係こそ友情だ。
よし、ならば教えて進ぜようと、無駄に力が入るスクヮーレ。彼もまだ若い。
「まず、学生は春から夏に試験を受け、秋に入学してきます」
「春ではないのですか?」
「春に入学となると、試験や入学の準備を冬にしなくてはなりません。それが難しい領地の出身者も多いのです」
「なるほど」
イギリスの学校みたいだ、とペイスは思った。
実際、神王国のような社会では、春に新学期というのは物理的に厳しいのだという。入学の決まった学生は移動や準備をしなくてはならないが、冬は物資の流通も滞る時期だし、交通にも不便極まりないシーズン。
雪の積もる地域もあるし、冬が長く春が遅い地域もある。合格したと連絡を受け、移動の為に準備をするにも、余剰の食料などが乏しい冬の時期は、大人数が移動するのに一番不適格な時期だ。ならば少数で移動すれば良いのかといえば、そうもいかない。元より貴族子弟をメインに教える学校。当たり前だが入学者は貴族子弟が多く、彼ら彼女らが護衛も無しに移動するなど自殺志願者と同義だ。或いは、歩く身代金である。
他にも季節性の理由が多々あり、学生の新学期は藍下月からとなっているとのこと。丁度今月だ。つまり、今は新学期が始まったばかりということ。新任教官の赴任時期としてはやや遅い時期ではあるが、間に合ったといえばそう言えなくもない時期。
この微妙なタイミングに召喚されたのも、何がしかの意図がありそうだとペイスは考えるが、とりあえずは脇に置く。
「入学してきた学生は、最初に自分の担当教官を決めるのです。これがまた毎年大変で……」
「担当教官?」
これまた、ペイスには聞きなれない言葉が出てきた。
担任とかならば聞き覚えがあるが、教官を決めるとは意味が分からない。
「ええ、担当教官です。えっと……この学校は一年ごとに試験があり、それに合格すれば次の年次に進め、最終的に二年次、ないしは四年次の卒業試験を受けて合格すれば卒業となります。卒業試験の成績で順位が付けられ、四年次の上位であれば国王陛下に謁見が叶い、お言葉を賜る栄誉が与えられます。また、私には関係ありませんでしたが、成績上位者であれば出世しやすく、勧誘も多いと聞きますね。担当教官とは学生を教え導き、卒業までの教育を担当する者なわけです」
「……よく分かりませんが、一人の先生が、学生に必要なことを全て教える、ということですか?」
「その通りです」
「数学担当の先生が居たり、実技担当の先生が居たりとかは?」
「そのような非効率な制度はありませんよ」
「はぁ……」
社会が変われば、常識も文化も体制も変わるものである。
神王国は、教育水準が家単位で違ってくる。代々内務系の、それも財務関連を担当してきたところであれば、数学や税制の教育を早くから始め、軍事学などは軽く扱われる。軍事に秀でた内務貴族など、足の速いピアニストであるとか、絵の上手いサッカー選手のようなもので、ある程度尊敬されるにしても、実際の仕事には役に立たないと評価される。本業が振るわなければ、無駄な技能だと蔑まれることだってある。
剣技や護衛術に注力する家、社交術や会話術を叩きこむ家、農政に親しむ家、馬術を必須にしている家、などなど。同じような偏りはどこの家でも存在する為、教育水準の個人差は本当に大きい。
このような状況で学生を集めて教育をしようとするのなら、最低限の教育を与えつつ、個人の特性を活かした教育を与えるべきである。神王国では、このように考える者が圧倒的に多い。
全員を一カ所に集めて、同じ授業を受けさせるというのは、例えるなら小学生と大学生を同じ教室に座らせて、中学生の授業をするようなもの。出来の良い者にとっては既に知っていることをおさらいするだけの退屈な授業になり、出来の悪いものにとっては理解できない高度な内容に思える。丁度いい授業レベルというものが設定できないわけで、無駄が多すぎるという意見は、確かに正しい。
それ故に、学生は自分の特性に合った教官に師事し、基礎を含めて全てを教わるのだとスクヮーレは説明する。
国家ぐるみの師弟制度と考えればわかりやすいかもしれないと、ペイスは考えた。出来るだけ大勢に最低限必要なことを教えるのではなく、限られた人間により多くを集中して教える。
「エリート教育というわけですか。それで大丈夫なんでしょうか? 知識のばらつきがそのままになりそうですが」
「最低限の部分は、試験に合格することで担保されるのでしょう。私も専門家では無いですから想像ですが。その上で、より優秀な教官や、自分に合った教官に学ぶことで、自分の長所を伸ばすことが出来る。故に他の国に比べて、我が国の教育は優れていると言われています」
「優秀な教育、ですか」
「教官の質も学生の出来で評価出来ますし、学生と教官の絆も深まり、より親身な指導を受けられます。競争が産まれ、より優秀な人材が育ちやすい風土が産まれる。この学校は、創立以来のやり方を踏襲しているとか」
勿論、教官それぞれに得手不得手がある。実践重視でとにかく身体を鍛えることを重視する教官も居れば、徹底的に座学を叩きこむ教官も居る。剣が得意な教官、馬が得意な教官、数学が得意な教官、農学が得意な教官、人脈が豊富な教官と、それぞれに特徴もあるのだという。
「つまり、僕は弟子を募集すればいいのですか?」
学校の制度が徒弟制度のようなものだというのなら、ペイスがやるべきことは弟子を取ることだろう。
ペイスの言葉に、スクヮーレは頷いた。
「そうです。が……今の時期だと色々と難しいかもしれません」
「と言いますと?」
「普通は、士官学校に入学する前から、師事する教官には目星をつけておくものです。教官によっては学生の数を制限することもあるので、大抵は事前に所属を決めておくものなのです。私などは家の伝手で幾人かの教官を紹介してもらえましたから、自分に合う教官を選べましたが、中には入学してからそのことを知り、慌ててしまう学生も居るとか」
「実に世知辛い。つまり、今の時期ならば目ぼしい学生は既に囲い込まれているだろう、ということですか?」
「そうなります。特に、優秀な学生や有力な家の子ほどさっさと決めてしまいますし、周りもそれに引っ張られますから、まだ教官を決めていない学生というのは、殆ど居ないんじゃないかと……」
スクヮーレが少し言い辛そうにしているのは、自分の母校のことだからだ。自分の友人たるペイスが優秀なことは、良く知っている。しかし、当人が優秀でも、教える学生が居ないのではそれを証明も出来ない。
「……なるほど、どうやら、僕を飼い殺しにするようですね」
ペイスは、ここにきてようやく自分が巻き込まれつつある策謀の輪郭が見え始めた。
かつて、自分の父親が、どうしようもない最低の土地に縛られたのと近しい状況のようだ。この国の貴族も芸が無いと嘲笑しつつも、かといって今の時点で逆転手があるわけでもない。
ペイスは、自分が為すべきことを整理しつつ、考えを巡らせ始めた。
「スクヮーレ殿、色々と教えて頂き、助かりました」
「いえいえ。お役に立てたのなら嬉しいです」
おおよそ、カドレチェク公爵あたりには何か含むところがありそうな気配だが、その子であるスクヮーレはどうやらまだこの手の陰謀には関わっていないのだろう。それが分かっただけでも、収穫だったとペイスはスクヮーレに心から礼を言った。
何もわからない状況で、少なくとも学内事情を多少なりとも知れただけで恩の字である。
「そこで、ついでながらご相談なのですが……」
ペイスの笑顔は、とてもにこやかなものだった。





