205話 伯爵の企み
プラエトリオ=ハズブノワ=ミル=カドレチェク公爵。王家に連なる血筋を持ち、先代の父から爵位を受け継いだ働き盛りの男。現在は、職位も継ぐ形で中央軍を預かる。
先代の進めた軍制改革を引き継ぎ、国軍強化に邁進する生粋の軍家貴族。
軍に関わる多くの権限を持つ地位にある彼の元には、日々多くの人間が訪れる。今日も今日とて、一人の貴族がプラエトリオの部屋にやって来た。
「閣下」
「おお、卿か。どうした」
「少しご相談したいことがありまして伺った次第です。お手を止めてしまい申し訳ありませんが、お時間を頂けないでしょうか」
カドレチェク公爵は、部下の顔を見て手をとめる。今まで持っていたペンをインク壺に挿し、椅子を薦めた。
「まあ、座れ」
「はっ、失礼いたします」
勧められた椅子は、豪華な装飾の施された一級品。成長の遅い堅い木から、削り出しで作られた無継の贅沢な造りで、背もたれの天辺から足の先まで曲線を多用した飾りが彫られている。椅子一脚を削り出せるほど大きく、人が座っても大丈夫なほど堅いとなれば、樹齢は五十年を超えるだろうが、それほどの樹齢の木は大抵が長い年月の間に虫や病気で鬆が入る。つまり、材料の入手の段階で、希少性が高い。一切の瑕疵が無い高級木材ともなれば、金を積んでも中々手に入らないわけで、分かりやすい権力の暗示でもあった。
デザインとしては一人掛けのソファーといった方が適切かもしれないが、人の身体が触れる部分はビロードのように光沢のある布で覆われており、勿論特殊な素材が詰められている為、ふかふかの座り心地。軍のトップにして最高位の貴族の部屋ともなれば、調度品も全てが一流ということなのだろう。
「それで、相談とは何か」
適当な雑談を数分ほど交わした後、おもむろに公爵が切り出した。単刀直入な物言いを好むのは、軍家の特徴である。
「近頃の情勢についてです」
「情勢?」
「はい。先だって、サイリ王国との講和が為されたのは閣下もよくご存じことと思いますが」
「まあな」
その話か、と公爵は僅かに顔をしかめる。
ある日突然降って湧いたような話であった為、公爵自身も根回しが不十分な状態。常以上に、この件で陳情に来るものは多い。
「あの話、我々としては少々面白くない話ではありました」
「ふむ、言わんとすることは分かる」
隣国のサイリ王国と、公爵の祖国たる神王国が、戦争について一区切りをつける外交交渉を行って合意を得たのはつい先日のこと。一般的には講和交渉とか平和交渉などと言われるものであったが、神王国人の目線から見れば勝利宣言に近い。
戦争で勝ち取った旧ルトルート辺境伯領の大部分を神王国の新たな領土と認めさせたことや、戦争の原因が滅亡したルトルート家の度重なる挑発行為にあったと両国が認めたこと。サイリ王国として正式に謝罪の文言を使ったこと。併せて賠償金を支払ったこと。これらが神王国が得た利益である。
サイリ王国としては、今後更なる武力衝突を阻止し、これ以上領土を蚕食されない確約が取れたというのがメリットだろうか。
誰がどう見ても一方的に神王国有利の条件で、戦争行為を止めた。世界中の弁舌家がどれほどの詭弁を弄したとしても、神王国の勝利と判定されることは間違いない。
この華々しい外交交渉の成果は、神王国の人間としては手放しで喜ぶところ。だが、人間というものは感情の生き物で、貴族社会の派閥力学というものはそう単純なものでもない。
今回の講和。サイリ王国と神王国という区分ならば、神王国の利益となった。しかし、こと神王国内に限ってみたなら、これもまた勝者と敗者が別れる結果となったのだ。
例えば外交を主に扱う外務閥は、自分達の関われない部分で成果を独占されてしまった敗者であり、内政を担い平和の果実を最も享受する内務閥は勝者。そして、意外なことに軍事を担当する軍務閥もある一部を除いて敗者である。
一見すれば、軍事的成功を勝ち取ったのだから、軍務閥としては勝利と思えるのだが、そうならないところが不可思議な貴族社会。
美味しい獲物を狩り、分け前を貰えた人間は良いだろう。例えば、サイリ王国と直に接する、神王国東部に領地を持つ東部閥の多くは、直接的な褒賞や加増に預かり降って湧いた臨時収入に喜んだ。南部閥も援軍として参加し、分け前を貰ったという点で満足している。
しかし、中央の国軍や、北部や西部の貴族は、得るところが全くなかった。皆無と言って良い。
領地を貰えたわけでも、陞爵があったわけでもなく、精々が縁故の強い人間がはした金程度を恵んで貰った程度。何の恩恵も無かった人間が大多数である。
人間というものは不思議なもので、プラスマイナスゼロの状態であろうと、つまりは自分が損を一切していない状況であろうと、周りが得をしていると、損をした気分になるものなのだ。同じ軍務閥にあるというのに、一部が得をして、自分たちは何も得られなかったという不満。第三者からすれば身勝手だとも思うだろうが、当事者からすれば真剣なことである。
特に国軍の人間は、今回の件で不満が大きい。フバーレク家の援軍要請で、散々に急かされて援軍を用意し、さあこれからという時に戦いが終わったのだから。散々急かされて二階に上ったものの、いとも簡単に梯子を外されたような感じがある。
苦労だけさせられて、それが徒労だったという喪失感は、筆舌に尽くしがたい。レーテシュ家を始めとする南部諸家が援軍で利益を得たわけだが、国軍関係者は本来であれば自分たちが得ていたはずの利益だという意識が拭えないのだ。
部下の言う“面白くない”とはこのことをさす。
ちなみに、カドレチェク公爵家は軍家を取りまとめるという立場を活かし、新たな爵位の差配の便宜などを行い、東部閥や南部閥から利益を上納してもらって潤った側だ。不満などあろうはずもない。だが、国軍全体を見たならば、不満を募らせた者の方が多いこともまた事実である。
統括の立場にある人間としては、頭が痛い。
それに、今後のこともある。
軍人とは、直接的な安全保障の担い手であると同時に、非常時に備える存在だ。彼らの存在意義とは、非常時にこそ輝く。
最も強く存在を求められるのは、言わずもがな、戦いの時である。
戦いが無い平和な時代となった時、叫ばれるのは軍縮だ。地球の歴史を見ても、平和になった途端に、軍人が無駄飯ぐらいのお荷物呼ばわりされてきた。古代ローマのアウグストゥスが、宿敵を倒した途端に大軍縮を行ったことなど、良い例だろう。類例は世界の歴史を見ても腐るほどある。
軍人であるからこそ、講和で産まれる自分達への逆風を肌で感じるものだ。
カドレチェク公爵は、部下の言いたいことを大いに理解した。
「聞けば、講和に関しても、いえ、それ以前にルトルート家とフバーレク家の戦いに関しても、モルテールン家が大きくかかわっていたとか」
「そう聞いている」
カドレチェク家は、嫡子の嫁を通してモルテールン家と縁がある。詳しい事情もそこから手にすることが出来るだけに、彼の家が関わることに関しては、人並み以上に詳しい。
カドレチェク家が聞いているのは、噂ではなく確度の極めて高い情報である。
「……少し、目立ち過ぎではありませんか?」
「うん?」
部下の言葉に、怪しげな雰囲気を嗅ぎ取る公爵。
「モルテールン家は、かの首狩り騎士が一代で興した尚武の家柄。前線にあっては心強く、ついつい頼ってしまう気持ちは、私も理解するところです。しかしながら、それはモルテールン家の為に、ひいては公爵閣下の為になりましょうか」
「卿は何が言いたいのだ」
誹謗中傷や、讒言の類ならば受け付けぬぞ、という意思を込めた公爵の問いに、部下の方は怯えも見せずに話を続ける。
「今以上にモルテールン家に目立つ動きをさせては、要らぬ策謀を招きかねないと危惧しております。具体的には、外務閥辺りから。既にそのような動きをしている可能性もありましょう。そして、不本意ながら軍人の中からも、同調するものが出かねません」
「そうだな。それは私も思わんでもない」
目立つ杭が打たれるというのは世の常。ましてや、嫉妬や不平不満の高まっている最中、何処よりもド派手に活躍して手柄を独占する家があれば、碌なことにはならない。
もしも不満が暴発するようなことになれば、モルテールン家だけに悪意が向くのならばともかく、縁戚となっているカドレチェク家も、他人事ではいられないだろう。部下の心配もあながち的外れともいえない。
「モルテールン家は軍家。我らの仲間でありましょう。功有る者を悪意に晒すは、よろしくない結果を招くのではないかと危惧します。閣下にはご理解いただけましょうか」
「……卿のことだ。ただ他家のことを吹聴しに来たわけではあるまい。何か、考えがあるのだろう?」
公爵は薄く笑った。
モルテールン家を妬むもの。それが、目の前の部下を含んでいることを知っているからだ。
親切顔をして、モルテールン家の心配をしているようだが、それだけであるはずがない。何か裏の考えがあるはずだ。
神妙にしながら、モルテールン家が手柄を立てすぎていて、他所の介入がありそうだと心配している風を装う。額面通りに受け取るようなら、貴族社会で一派を率いるなど出来るはずもない。
しかし、それはそれとして、現状では何がしかの手を打った方が良いのは理解できた。日頃から手柄が皆無な無能も悩みの種だが、有能すぎて手柄や名声を独占してしまうのもまた悩みの種なのだ。何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。
自分の手を汚さずに、悩みを解決できるならば御の字。どういう謀を持って来たのか。期待が無いといえば嘘になる。
「モルテールン家を、これ以上前線に出さぬよう、釘を刺すべきかと思います」
「うん? そもそもモルテールン男爵は我々の下で中央軍の一隊を預かる身。それに、モルテールン領は辺境にある。隣国との境を接する最前線。元よりお家の役目柄、前線に立つなというのは無理があろう」
先の大戦以降、モルテールン家が引き立てられたのは、最前線を任せられる力量と実績があったからだ。誰も欲しがらない土地だったということもあり、モルテールン領を拝領した。以降、山脈を挟んで隣国と対峙してきたわけで、最前線というなら領地そのものが最前線だ。
「それは分かっております。しかし、他の連中から匿う意味でも、最前線に立たぬよう釘を刺すという意味でも、最善の手が一つございます」
「ほう、言ってみると良い」
「……モルテールン家の嫡子を王都に、具体的には寄宿士官学校に招いてはどうかと」
「あの才子をか!?」
公爵は、部下の提案に驚いた。
モルテールン家の異端児であるペイストリーの噂は、彼自身嫌という程聞いているし、実際にその実力の一端を目にしたこともある。
齢十そこそこで、既に幾たびも戦功をあげているわけで、一軍を率いるに十分な実績も示している。今更、学校で何を習うというのか。
「はい。さすれば、モルテールン家の人間の主だったものが全て王都に居ることになります。有象無象から庇護することも適いますし、あえて前線に立つようなこともさせる必要がなくなりましょう」
「しかし、あの少年を教えられる教師がいようか。私ですら、あれを教え導くことなど出来そうにない。むしろ、私の方が教えを乞いたいほどだが」
世の中に天才という者は一定数存在するが、モルテールン家の嫡子は間違いなくその一人であるとプラエトリオは考えている。息子のスクヮーレなどは親交を深めているようだが、そこから漏れ聞こえてくる情報だけでも公爵の確信を深めるには十分だ。
小をもって大なる軍を押し返すであるとか、大の大人を振り回して大金をせしめるであるとか、世にも珍しいお菓子をもって領地を富ませるであるとか。文武に秀でた逸材であることは、実績が示している。
才能と実績を共に併せ持つ異端児。今更学校で学ぶことなど、何があるというのか。
むしろ、立場が許すならば自分が色々と教えを乞いたいとまでプラエトリオは考えている。
「……乞えばよいではないですか」
「どういう意味か?」
「実戦の経験も豊富で、余人に代えがたい才能を持つ異才。何も、生徒として呼ぶことも無いでしょう」
部下の言葉に、公爵もピンと来るものがあった。
「教官として招く、ということか?」
「左様です。さすれば、モルテールン家の嫡子も才能を活かすことが出来ましょうし、次代を担う若者にも良い影響を与えるでしょう」
プラエトリオの頭に浮かんだのは、自分の子ども。或いは、親族の子弟。まだまだ未熟な者達が、天才の知見を垣間見ることがあるならば、何がしか得るものが有るはずだ。
意外に、面白そうな提案に思える。
「そうか……卿の意見はよく分かった。検討しておこう」
「はっ」
部下は慇懃に頭を下げ、部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇
「首尾は?」
「上手くいったかと」
「そうか。良くやってくれた」
くくくと含み笑いをしたのは、コウェンバール伯爵。外務閥の重鎮であり、先の講和では頭越しに交渉を妥結されて悔しい思いをした人物。カドレチェク公爵とは、時に手を結ぶ盟友であり、時に暗闘を繰り広げる政敵という、複雑な関係である。
「後で公爵閣下には念を押しておくとして……これで、モルテールン家の跡取りは、領地から引き離されるな」
「左様です」
「優秀な部下達からも引き離され、補佐する人間も居ない中、慣れない仕事を任される。当分は、大人しくなろうな」
「彼の少年が優秀であれば、そうなるでしょう」
自分たちが怒っている。或いは、憤っていると迂遠に分からせる。賢い人間ならば、異例ともいえる人事の裏にある思惑と警告を、読み取ることが出来るはず。
コウェンバール伯爵は、ある意味では誰よりもペイストリーを高く評価している。噂通りの少年ならば、此方の意図には気付くはずだと。
その上で、自分たちと敵対するのか。或いは、警告通りに大人しく過ごすのか。
コウェンバール伯爵の読みでは、後者だ。一見すると好戦的に見えるペイストリーの今までの戦果。しかし、長年外務の仕事に従事し、多くの人間を観察してきた経験から言えば、まず大人しくなると予想できる。何故なら、理性的で内政を重視するタイプの領地貴族は、不要な争いを好まないからだ。
傭兵紛いな金稼ぎをしてきたモルテールン家の特異な事情と、縁故という事情が無ければ、大人しく領地の発展に力を注いでいたはず。近年の功績の大部分は、他家への助力の結果生まれていると、コウェンバール伯爵は分析した。
ならば今回の教官としての招聘も、“よっぽどの事情”が無い限りは、大人しく職務としてこなすはずである。
「ふふ、出来る事なら、優秀な人間を量産してもらいたいものだな。我らの為にも」
寄宿士官学校は、派閥的には一種の中立地帯にある。全ての貴族の子弟が入学する可能性がある為、下手に派閥的な色がつけば要らぬ政争の元になるからだ。
基本的には軍人の育成施設なので軍家閥に縁が深いように思われがちだが、神王国では貴族とは例外なく騎士であるため、この点で派閥的な差異は無い。
諸外国情勢などの知見を教える授業では外務閥も関わるし、内務閥は学校の経理を始めとして関わりがある。地方閥と宮廷閥のそれぞれが資金を出しているし、王家も運営には関わっていて、運営実態は複雑怪奇。色が無いというよりは、混ざり過ぎて何色か分からないというべきだろうか。
派閥力学から持ち回りで校長の席が回って来るのだが、現在の校長は外務閥の関係者が座る。つまりは、コウェンバール伯爵にとって影響力を行使しやすい状況にある。
基本的に、寄宿士官学校は人材を育てる為の施設。現状、外務閥がより強い影響力を行使できる、つまりは卒業生を沢山確保できるタイミングで、優秀な人間を増やして貰えるならば、伯爵的には実にありがたい話だ。
手柄を立てるというのならば、自分の庭で、自分の役に立つ形で立てさせてやろうじゃないか。
コウェンバール伯爵は、自分の企てが上手くいっていることに機嫌よく笑うのだった。