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おかしな転生  作者: 古流 望
第23章 学生たちには飴と鞭
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204話 代行の一日

 世間では暑さが和らぎ始める藍下月に入った南大陸ではあるが、モルテールン領の暑さはまだまだ和らぐということを知らない。雨が降らない上に、乾ききった熱風が山々から吹き降ろされるに至って、特異なモルテールン領の気候を産みだす。

 暑さが続くと、人の気持ちも()れがちである。しかし、怠けてもいられないのが領主稼業というもの。

 今日も今日とて、ザースデンの領主館の執務室では、少年が眉間に皺を寄せつつ仕事に邁進していた。


 「どうして仕事というのは溜まるのでしょう?」


 領主館の執務室に、不平不満の権化と化した少年が居た。ペイストリー=ミル=モルテールン。モルテールン家の嫡子であり、現在は男爵領の領主代理としてトップに座る、(まご)うことなき貴族だ。

 彼は成長期只中の小柄な身体を目いっぱい使い、全身で不満をアピールしている。


 「どっかの誰かさんが、仕事を放ったらかしてあちこち飛び回るせいでしょうぜ」

 「実に嘆かわしいですね。誰かさんとやらには、厳しく苦情を言わねば」

 「おおそうして下せえ。俺の目の前に居ますんで」


 従士長のシイツは、投げやりに吐き捨てる。

 ここ最近色々とやらかしてくれるペイスのせいで、領内の政務が滞っている事実があるからだ。

 やむを得ない事情があると理解しつつも、補佐する立場にある人間としては、余計な仕事ばかり増やしくさってと文句の一つも言いたくなるというもの。

 この程度のやり取りは、この主従に関しては良くあること。気にした風もなく、ペイスは軽く背伸びをする。


 「それで、次の案件は何ですか?」


 領主代理として仕事をするペイス。

 諸々の決済は、やはりトップが積極的に動く方がスムーズにいくものだ。


 「これです。酒場で捕まった酔っ払いが、処分不当を訴えてやがるんで」


 神王国は基本的に封建社会。特徴としては、領主の権力範囲における他の警察権の排除があげられる。

 王や、或いは領地持ちの貴族は、部下に土地や諸特権を与える。代わりに、与えられたものは軍役や上納といった義務を果たす。

 この諸特権の一つが、独自の司法権や警察権だ。

 領地の中であれば、領主は犯罪行為を自分の裁量で取り締まれるし、またそうする義務がある。

 例えば酔っ払い。あるところでは、酔っぱらっている状態で起こした軽犯罪は、無罪とする。判断能力の無い人間の起こしたことであり、悪いのは酒であって当人ではない、という理屈からだ。酒類の専売という利権とセットになっていることも多い。

 また、無罪とまではいかずとも、泥酔して起こした騒乱行為や軽犯罪は、ある程度の情状酌量の余地があるという領地は多い。

 しかし一方で、泥酔自体を罪として、その状態で起こした犯罪は常以上に厳しく罰する領地もある。交通事故を起こした時、酔っぱらっていたら罪が重くなるような感覚に近い。


 斯様に、酔っぱらっていたことに対する酌量の余地は領地ごとに幅があるが、モルテールン領では、酔っぱらっていようが暴れた者が暴れたことの責任を取るべきという決まりになっている。酒を飲んでいようが素面(しらふ)だろうが、罪の重さは変わらないということだ。酒を言い訳にするのは、量刑を重くするにしろ軽くするにしろ、酒に対する冒とくである、という理屈だそうだ。

 尚、この酒場における騒乱行為。ここ最近増えている犯罪行為でもあった。


 「処分不当? 簡易の量刑が不服ということですか?」

 「いえ。ちょっとばかり複雑で」


 シイツが差し出したのは、一枚の羊皮紙だった。


 「同行していたウィンザーメント男爵からの陳情がセット? 最初から詳しく説明してください」

 「へえへえ。ことの起こりってのは、うちに来る商人が増えたことでさあ」


 モルテールン領は、ここ数年は常に右肩上がりの経済発展を遂げている。遠方を往復する行商人などは、モルテールン領から遠方に出向き、何ヶ月か後にまたモルテールン領に戻って来た時には、自分の知らない街になっていると驚くほどだという。

 毎日何がしかの建物が工事中であり、常に目新しい商品がやって来ては売れていく。商売人にとっては、儲ける機会がそこかしこに転がっているような状況だ。今日素寒貧だった人間が、明日には大金持ちになっているかもしれない、一攫千金が夢ではない街。それがモルテールン領ザースデン。

 商人間(しょうにんかん)の情報ネットワークは中々に侮れないものがあり、噂を聞きつけては、やって来る商人が日に日に増えている。

 人の出入りが多くなっていること自体は承知していたので、ペイスはそのまま続きを促す。


 「人の出入りが増える中、最近目立ってきたのは西部や中央の連中でして、あそこら辺の人間は、うちに来ると結構戸惑うらしいんでさあ」

 「戸惑う? 文化や風習が違うからですか?」


 領地を跨げば、法律から役人の態度から村の風習から、全てが変わるのがこの世界の常識。ある意味、領地が一つの国のようなものだ。都市国家を国の興りとする神王国では、文字通り元は独立した国だった、かつて征服された領地というものも存在する。レーテシュ領などがその代表だろうか。

 物理的な距離が離れれば離れるほど、常識と文化は乖離していくもの。遠方から来る人間が増えれば、それだけモルテールン領の文化と異なる色を持つ人間も増えるのが道理だ。


 「そうです。特に、酒場でトラブルが多い。坊は、西部に行ったこたあ無えでしょう?」

 「ええ」


 神王国は、王都が内陸部にあるのだが、これには色々と理由がある。

 その一つ。西部から南部にかけてとてつもなく巨大にして不可侵な森、通称魔の森が存在する為、西部から南部への通行は直通が実質不可能という点。

 直接の通行が困難な場合、経由地となる中継地点こそ交通の要所。そこを王家が直接治めるのは必然である。


 魔の森があることで不利益を被っている代表的な土地が、モルテールン地域だ。

 モルテールン領は神王国の南西部。南の端の、更に西の端という最辺境なポジション。単純な距離的に言えば、王都よりは西部の方がずっと近いのだが、ここに問題がある。

 モルテールン領から神王国の西部に行こうとすれば、四千メートル級の険しい山脈を越えた上で猛獣魔獣蠢く魔の原生林を抜ける命知らずな冒険か、敵対する他国を経由して山脈を迂回する西回りのルートか。或いは南部諸領を通り街道沿いにレーテシュ領まで行き、そこから北上して王都を経由し、西部に行く東回りのルートがある。

 空から俯瞰したならば、比較的低い山を越え、そのまま北上西進して行くのが最も楽に思えるのだが、魔の森を突っ切るルートになる為、事実上は不可能ということになる。山越えでは大量の荷物を運搬することは物理的に不可能で、山越えで運べる程度の荷物で魔の森を踏破しようとするのは水なしで砂漠を歩く自殺と同義。こんな状況を、交易路とは呼ばない。不利益とはこの、距離と実情の乖離のことを指す。


 自殺願望があるなら山越え、スパイ容疑を実力行使で強行突破できるなら西回り。安全第一であれば東回りが良い。勿論、大多数の一般人は東回りを選ぶ。

 逆から進むとしても同様。西部から王都、或いは北部を通って東進し、東部から南下して南部南端に至り、更に西進してモルテールン領。神王国をぐるっと時計回りに一周するような旅程であり、すなわち、モルテールン領と最も文化的に遠い地域が、西部地域であることを意味する。


 「俺は向こうの出身ですんで分かるんですが、向こうじゃ酒場を併設してる宿屋ってのは、色を売るんでさあ」


 若干言い辛そうに、シイツが実情を語る。目の前の少年がただの子どもでないことは嫌という程分かっているのだが、それでも子供に好んで言うような話ではないからだ。


 「……売春、ということですか」

 「あぁ……そうあからさまなもんかどうかは店によりけりですがね。普通の酒場と、宿屋のくっついた酒場ってのは、明確に違いがあるって話で」

 「文化の違いでしょうが、ある意味の合理性でしょうね」


 酒というものは飲めば理性を弱める。これは古来から知られている効能だ。

 理性を弱めた若い男というものの中には、女性のぬくもりをより積極的に求めるようになるものも居る。弱肉強食の世界、より原始的で本能的な衝動を是認しがちな社会でもある。

 神王国では、別にお酒を二十歳からと規制しているわけでもない。十代でも酒を飲む。 その年代の男が理性を無くせば、それはもう獣のような動物が一頭出来上がる寸法だ。家畜の飼育より容易い。

 ちょっとばかし女性が粉を掛けるだけで、獣は尻尾をぶんぶんふって付いていくことだろう。後は宿で一晩お泊りコースだ。

 酒場に宿屋。一度で二度美味しい商売である。合理性というペイスの指摘は、間違ってはいないとシイツは頷く。


 「うちは、デココんところが宿屋と酒場を営業してるってなあ、知ってるでしょう」

 「勿論。僕が担当していた案件ですから」


 モルテールン領に初めて商業店舗を構えたのは、モルテールン家とは二十年以上付き合いのあるデココ。彼の立ち上げたナータ商会は、今では従業員を三十名近く抱える大規模な商会に成長している。日雇い的な一時雇いを含めれば、百名近くになるかもしれない。

 中でも稼ぎの大きいのが、宿屋と酒場。モルテールン領に早期に出店したメリットの一つであり、ナータ商会がモルテールン領での競争力を持つ源が、一等地を数多く確保しているという点。領主館から最も近い土地や、街の中心になる広場のすぐ傍といった、人も集まりやすく往来も多い、商売に最適な場所を早くから押さえているのだ。

 こんな一等地に宿屋と酒場を立てれば、繁盛は間違いない。黙っていても客が来る。まして、ナータ商会はモルテールン家の作る酒も卸してもらっている立場。美味い酒が産地直送で輸送費ゼロの関税ゼロ。良い酒が安く飲める酒場が、流行らないわけがない。

 モルテールン家の酒は、酢と変わらないような安酒と違い、度数が比較的高め。おまけに美味くて安い。つまり、かなりの割合で酔いつぶれる人間が発生する。それを特別料金をがっぽり頂いて宿屋に放り込む。実にぼろい商売である。稼ぎ頭であるというのも頷けるというものだ。


 「デココの酒場も、宿屋が一緒って意味じゃあ変わんねえですが、色は売ってねえです」

 「そうですね。その点は父様が厳しく規制しましたから」


 風俗産業の発展は、街の風紀を乱しがちで治安維持には悩みの種。しかし、全く許さないとなっては、私娼が無秩序にはびこり、非合法活動を生業とする連中の温床ともなりかねない。

 規制と許可のバランスは、ペイスの父であるカセロールが、かなり神経質になっていたところだ。原則、組織売春は取り締まるのがモルテールン領の方針である。

 デココの商会は商品売買が基本。風俗業には酒場以外で手を出していない。儲かると分かってはいても、カセロールの機嫌を損ねると知っていたからだ。お抱え商人として、領主の機嫌を損なう商売はやらない。


 勿論、モルテールン家としては自由恋愛や自由意志までは規制していないので、女性が何がしかの対価をもって男性と仲良くなること自体は黙認している。女性を花束で口説こうと、金貨で口説こうと、主体性が口説かれる女性にあるうちは黙認するということだ。ガチガチに制限して取り締まりまでするような、風紀に厳しい土地ではない。しかし、規制はしっかりと行っていて、組織的な商売を許すことも無い。それがモルテールン家の統治である。


 「しかし、他所の人間にはそこらへんが分からねえ。宿屋もある酒場ってだけで、働いてる女給はそっちの方もいけるはずだと思い込むわけでさあ」


 宿のある酒場が限りなく売春宿と近しい、というような土地の常識を持った人間が、モルテールン領の宿屋併設の酒場に来て、若い女性が働いているのを見て誤解する。

 悲しいことながら、文化摩擦の一例と言わざるをえない。


 「ふむ。それがウィンザーメント男爵からの陳情に繋がるわけですね」

 「ええ。働いてる女のケツや胸を触ったぐらいで懲罰を課すのはおかしい。そもそも宿屋のあるような酒場で働いているのだから、勘違いして当然だ。量刑を課すのは止めろ、とまあ、こんな感じで」


 文化の違い、常識の違いから生まれたすれ違いと、それによる摩擦。ペイスはつい頭を押さえそうになった。


 「なるほど。その酔っ払いは、ウィンザーメント領の市民権を持っているのですか?」

 「ええ。それも結構男爵に私的な援助をしてるとかで」

 「私的な援助?」

 「有体に言やあ、賄賂(わいろ)でさあ。あそこは金を握らせれば酒場の揉め事ぐらいは見逃してくれるんで」

 「詳しいですね」

 「そりゃもう。あそこら辺は庭みたいなもんで」


 シイツは生まれが神王国西部。碌でもない幼少期を過ごしていたが、魔法の才能を見出されたことからそれなりの教育を受ける機会に恵まれ、縁あって傭兵団に入り、戦いに明け暮れるうちにカセロールと出会い、誘われて部下になり、そして今がある。

 青春の殆どを西部で暮らしたシイツにしてみれば、自宅の庭に等しい。裏道の道順まで諳んじられる。


 「ふむ、男爵領の市民権を持っているのなら、今回は引けませんね。当家の領内で揉め事を起こした以上、当家のルールに従って貰う。女性に対し無礼を働いたのなら、然るべき懲罰を課す。よって、量刑不服の訴えは、領主代理として却下します」

 「男爵の陳情はどうしやす?」

 「正式に拒否の返事を出します。用意をしてください」

 「ちょっと待って下せえ」


 シイツは、執務室にある棚の中から、羊皮紙を取り出す。

 最低でも一枚で十シロットはする高級品である。

 差し出された紙に、ペイスはさらさらとペンを走らせた。丁寧で綺麗な文字が並んでいるが、内容は男爵家の要望を完全に拒否するという強硬な内容で、おまけに内政に口を出した男爵を徹底的に非難する文言付き。

 それに領主代理としてペイスのサインが載り、蝋印が押されれば公文書の出来上がりである。

 書いた内容をそのまま木板に写し、板には日付と経緯の覚書をメモして、保管用の場所に移す。


 「それでは、これは男爵に届けましょうか」

 「それは俺の方で手配しておきますんで」

 「分かりました」


 くるくると巻かれて紐で結ばれ、蝋印の押された公文書を、先方に送る。こういった手続きは、補佐としてシイツの担当する領分である。魔法を使えば早いだろうが、こういうことは正式な手続きも大事である。


 「しかし、こう何度も領内で揉め事を起こされるのは困りものですね。何か対策が要るでしょうか」


 ここ最近増えている文化摩擦によるトラブル。放置しておいても、相互理解の進展と共に減っていくだろうと楽観視されていることではあるが、現代人的感覚を持つペイスからしてみれば、文化摩擦のトラブルは意外と根深いものになりがちだとの危惧もあった。


 「人の出入りを制限しますかい?」

 「いえ。それは悪手でしょう。商人とは、僅かでも人の出入りを制限したと聞けば、足が鈍る臆病さを持っているものです。領内の景気が盛り上がっている中で、商人の出入りが急に途絶えたならば、景気の落差は酷いことになります」


 人の出入りが更なる人の出入りを呼ぶ循環の中、それが逆流しだせば、人の減り方は加速度的になる。必然、金の巡りは滞る。これは領主代理として絶対に許容できないとペイスは言う。


 「しかし、人が増えれば揉め事も増えますぜ?」

 「警備と巡回を増やすのがベストですが……」


 治安の悪化に対処するには、治安維持のコストを増やす。至極当然の発想である。もっとも、それが簡単には出来ないからこその領主稼業でもあるのだが。


 「人が足りんでしょう。ただでさえ人手不足だってのに。これ以上働かせりゃ、死人が出ますぜ」


 モルテールン領は、元より人材の量の不足を質で補って来た。現状でもかなり厳しいやりくりをしている中、更に仕事を増やすのは、ブラック企業への道であろう。


 「そうですね。となれば、人材の登用を進めるべきでしょう」

 「当てがあるんで?」

 「分かりません。心当たりを当たってみるしかないでしょうが、何らかの手を打つ必要があるかもしれません」


 領主代理としての、悩みは尽きることが無かった。


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[気になる点] 流石に現代人の倫理を押し付け過ぎかと。 売春は世界最古の職業であり、忌避される原因はキリスト教など一部の宗教的倫理観やフェミニズムに起因しているのに、それらが描写されていない世界でセク…
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