203話 詐欺師は焼き菓子と共に
モルテールン領ザースデン。
今日は久々の、ペイスの休日。領主代行の少年は、愛する妻と共にお菓子作りに励んでいた。
甘い匂いの充満する厨房。デートと呼ぶにはいささか以上所帯じみているが、夫婦の語らいという意味では重要な儀式でもある。
特に最近は寂しい思いをさせているという自覚が有ったので、折角の休みならば夫婦水入らずで居たいという妻の希望を叶えることになった。
「へえ、そんなことがあったのですか」
リコリスは、先の詐欺未遂事件の話を聞き、素朴な感想を漏らした。
自分が連れていかれた時の話が、そんな大きな話に繋がっていたとは、びっくりである。
「伯爵閣下からは丁寧な詫びが届きましてね。慰謝料なのか礼金なのかはわかりませんが、金貨もどっさりと」
金貨がどっさり、という辺りで、ペイスにも笑みがこぼれる。裏の無い、家族にだけ見せる本当の笑顔。
「なるほど。それでこうしてお菓子を作っているわけですね」
「ええ。久しぶりに、お金に糸目をつけることなく、お菓子作りに勤しめるわけです。あの詐欺師には感謝しませんと」
「まあ」
リコリスは笑った。詐欺師に感謝の辺りで、冗談と分かったからだ。
実際のところ、ペイスが手にした金貨は、数々の果物や、植物の種、或いは外国産のよく分からない豆や、肥料らしき何かという物品に化けている。
このごろ仕事に追われてストレスが溜まり気味だった夫が、思う存分散財できたというのだから、これはこれでいい話で終わったのだろうと納得する。
勿論、リコリスも余禄を受けている。兄や姉に送る為の手紙のセットであったり、趣味で庭に作った花壇に植える花の苗だったり、新しい宝飾品であったりという具合に。彼女も彼女で、色々と散財をやらかしている。
無駄遣いはしないモルテールン家ではあるが、あぶく銭は正しく使って経済を回す方が大事と、盛大に消費をして見せた。
おかげで、今までモルテールン領には来ていなかった商会も足を運ぶことになり、また一つモルテールン領を往来する商会が増えていたりもする。
「でも、シイツさんがそんな凄い魔法を使えるとは知りませんでした」
「凄い魔法?」
何のことだとペイスは不思議そうにリコリスを見た。
もっとも、見つめられたリコリスだって、不思議そうにしている。当のペイスから、聞いたばかりの話なのだから、何故そんな風な態度なのかと。
「千里神眼って言うんでしょう? 未来が見えるなんてすごいと思います」
実に仰々しい名前。今まで広く知られていたのは『覗き屋』という二つ名であるが、今後は『千里神眼のシイツ』という二つ名が広まるかもしれない。
話を聞く限りでも、何故そんな凄い能力を今まで隠していたのかと不思議に思えるほどだ。
確実に未来が分かるという能力。これは、上手く使えば世界を手に出来るかもしれない。
リコリスにはそこまで大それた想像は出来なくとも、なんとなくものすごく便利そうだということは分かった。
もし過去の自分が、今の幸せな自分を知っていたら。もう少し真剣に嫁入り修行をしていたかもしれないし、親孝行も真剣にしていたかもしれない。
そんなリコリスの様子を見ていたペイスは、微笑ましそうにして笑った。
「くすっ」
「え? どうして笑うのですか?」
千里神眼。かつてシイツが、覗き屋という不名誉な二つ名を払拭せんと企み、自分から名乗っていた呼び名である。仰々しさや、無駄に格好良く言いたげなセンスからして、黒歴史と呼ぶには相応しいものであろう。
世が世なら、中学生の二年生あたりが罹患する流行性の病気。中二病と呼ばれるそれと非常に近しい、隠匿したい過去だ。
想像してみて欲しい。自分が「我こそはサウザントゴッドアイズ!!」などと名乗り上げる姿を。自分が人前でやることを思えば、恥ずかしいことこの上ない。ましてや、他人からそれを指摘された時の羞恥心たるや、若気の至りと恥じ入るばかりである。
しかし、ペイスにはそんなことは関係ない。お菓子の為には、親をも泣かすのがこの少年である。
「未来が見えるなんて、嘘っぱちですよ」
「え!?」
「シイツの二つ名が使えそうだったので利用しましたが、彼の魔法で未来を見る事なんて出来ません。そんなものが見えていたら、本人が嫌がるような二つ名は付かなかったことでしょうね」
シレっと言ってのけるペイスだったが、リコリスからすればその言葉こそ驚きだ。
例の予言を謳う自称魔法使いの欺瞞を暴いたのは、その場で披露されたシイツの予言であったはず。どういうことかと、少女は困惑すること頻りだ。
「え? え? でも、伯爵の選ぶものが、分かっていたからカップの裏に文字が書けたんですよね?」
そう。大事なことだ。
伯爵自身が自分で選び、そして選んだカップにのみ予言がされていた。それは動かしようのない事実のはず。
「文字が書かれたカップは、一つでしたね。確かに」
「なら……」
「しかし、お茶を入れていたティーポットの底には、また同じように文字が書いてありました。真ん中のカップを選ぶ、とね」
「え!?」
「そして、伯爵の椅子の裏にも文字が書いてあり、更には僕とシイツがそれぞれ、こっそり文字の書かれた羊皮紙を隠し持っていたのです」
ペイスはクスクスと笑う。
この悪戯坊主は、こういう茶目っ気があるのだ。とっておきのマジックを見せているように、人が驚くのを楽しむという悪癖がある。
「え? つまり? どれを選んでも良かったのですか?」
「そういうことです。伯爵閣下がどれを選ぶかによって、見せるものが違っていたでしょうが、どれを選んでも当てることが出来たという意味ではその通り」
タネをしれば、実に簡単なことだった。
それぞれ違う五ケ所に、見えないようにしてどのカップを選ぶか書いておく。当然、指し示す内容は一つづつ変えて。
伯爵が左端のカップを選んでいたならカップの底を見るように指示し、真ん中を選んでいたのならティーポットの底を見るように指示していたことだろう。他のどれを選んでいたとしても、伯爵の示したカップを予言する文字を見せればいい。
例えばペイスが持っていた予言を見せることになっていたなら、きっとペイスの身体の隅々まで身体検査を受けていただろう。一つしか持っていないのだから、他にあるわけもない。ペイスの身体を調べ終われば、予言はオンリーワンだったと誰もが信じることだろう。
これこそ、百パーセント当たる予言だと、ペイスは胸を張った。
「えぇ、それってズルいと思います」
「そうですね。結局、伯爵は最後まで仕掛けに気付きませんでした。予言というもの自体に胡散臭さを感じてくれるようになればいいのですが、あの分だと期待薄でしょうか」
「何故そんなことを? そこまでせずともよかったのでは?」
予言を見せると言って、予言では無かったのだとしたら、やってることは例の自称魔法使いと変わらないのではないか。
リコリスの疑問は当然である。
「確率二〇%を当てるかもしれませんし、その時には“同じことが出来る”とアピールできなければ、勝負になりませんでしたから」
「もし相手が気づいていたら?」
「その時はその時です」
機に臨んでは変に応じる。臨機応変こそがペイスの真骨頂だ。
ことお菓子が絡めば、相手に容赦することなどあり得ないとペイスは言う。
自分の旦那のことに呆れれば良いのか感心すれば良いのか。
リコリスとしては、何とも言えない気持ちになったわけだが、それもすぐに解消する。お菓子の焼き上がる香りが漂ってきたからだ。
「さあ、焼けましたね」
ペイスがオーブンから鉄板を取り出す。
鍋掴みミトンをしたペイスの様子は、丸っこい手の様子とニコニコの笑顔がセットになって、年齢以上に幼く見える。
「これは、焼き菓子ですよね?」
「ええ。でも、只の焼き菓子じゃあないです」
「どういうことですか?」
「今回の件にちなみ、おみくじが入っているのです」
「おみくじ?」
リコリスは、聞きなれない言葉に疑問符を浮かべた。
「えっと、占いです。自分の運勢や将来についてを、占った結果が入っているのです。フォーチュンクッキーと言います」
「凄いです!!」
フォーチュンクッキーとは、元々は日本で産まれ、アメリカで広まった焼き菓子の一つ。菓子自体は只のクッキーなのだが、特徴といえばクッキー生地でショートメッセージを包んでいること。
書かれている内容はいろいろだが、元々は占いが書かれていたことから、幸運クッキーと呼ばれるようになった。
「おみくじの内容は、ペイスさんが考えたんですか?」
「いえ。折角だからと、シイツ達にやらせました」
「そうなんですか?」
余計な仕事を増やされたシイツは、盛大にぼやいていたわけだが、書かれている内容についてはペイスも多少口出ししている。
「今後、シイツが“未来を予知できる”という噂が広まってくれるかもしれません。しかし、それではいざという時にボロが出てしまうかもしれない」
「そうですね」
「しかし、おみくじという形なら、そういうボロも出ない。シイツの二つ名と評判を利用しつつ、お菓子の売り上げを倍増させ得る。一挙両得です」
「お菓子も美味しければ、一挙三得ですか?」
「リコも良いこと言いますね」
「ふふ」
リコリスも、大分モルテールン家に染まってきたようだ。少々のことでは驚かなくなったし、常に家の利益を考えるようになっている。
このまま胆を太く育てれば、モルテールン家最強の女性ことアニエスのようになる。喜ぶべきか悲しむべきかは、ペイスをしても悩むところであろう。
「それでは、折角ですし、一つ占ってみますか?」
「そうですね。ではこれを」
サクッとした生地を、少しだけ齧るリコリス。中にくじの書かれた小さな布切れがあるので、それを引き出して書いてある文字を読む。
「家内円満? 夫婦仲良くすれば吉。お菓子がラッキーアイテム? って書いてあります」
「なるほど、案外、それっぽいのが当たりましたね」
「ペイスさんはどんなのが当たりましたか?」
リコリスがそれらしいのを引き当てた。というよりも、書いている人間がシイツを始めとする家中の人間なので、身近なことをネタにして書いているのだろう。それらしくて当然かもしれない。
ペイスも、自分の選んだクッキーの中から布切れを取り出す。
「この字は……ニコロの字ですかね。今後とも大きなトラブルに巻き込まれるでしょう。特に女性のトラブルには要注意? まったく、何でこんな内容を」
「……当たってますよね」
ぎゅっとペイスのひじの辺りを抓むリコリス。
ペイスがトラブルに愛されるのは今に始まったことではないし、それを踏まえると女性トラブルが起きるというのも起きるかもしれない。
妻の立場として、女性トラブルというのは中々に無視できないものである。
「大丈夫。こんなのは当たるも八卦、当たらぬも八卦といいます。外れるかもしれないじゃないですか」
「そうでしょうか」
じっとペイスを睨むリコリス。
ペイスはそれを見て、はあと溜息をついた。
「もしかして、あの男も占い師の才能が有ったのかもしれませんね。女難の相というのは当たっていたのかも……」
リコリスはじっと口をつぐんでいた。
これからもペイスが騒動を起こすことについては、占うまでも無いと思ったからだ。
占いの内容が当たっていたと判明するのは、それからすぐのことであった。
此れにて22章結
次章「甘えた生徒には飴と鞭」
お楽しみ