197話 伯爵家の歓待(1)
ヴァッレンナ伯爵家は、旧家である。
旧家であることの定義は色々とあるが、最も分かりやすいのは世代をどれだけ重ねているかだろう。
数えて八代。百二十年近くに及ぶ歴史を持つ家であり、積み重ねてきた有形無形の財産は、並みならぬものがある。
旧家が旧家たるのは、それだけの長い間家を守り、或いは繁栄させてきた点に尽きる。非常に豊かな領地を持っていて、代々それを外敵から守って来たであるとか、昔から色あせる事の無い家訓を守り通し、常に優れた教育を次世代に繋いできたであるとか。
繁栄させてきた手段は色々ながら、伝統を繁栄に置換する技術を持つ家を、旧家と呼ぶのかもしれない。数ある旧家と呼ばれる家、伝統派などとも言われて一派を形成することもある彼らは、決して侮って良い存在ではなかった。
しかし、過去の大戦の折、アーマイア家を筆頭とする多くの家が没落した。没落は零落の連鎖を呼ぶもので、多くの旧家が影響力や財産を失っている。
元々昔から続く家同士というのは、どこかしらで縁を結んでいることも多く、一族郎党が処刑される時に巻き込まれたであるとか、取り潰しに遭った家に金を貸し付けていただとか、そういう話はごまんとあった。
そんな中で、ヴァッレンナ伯爵家は影響力を維持し続けている。
何故かといえば、その血筋に理由があるのかもしれない。元々の歴史を辿れば、王家の血筋に行きつくのだから。
ヴァッレンナ伯爵家初代の祖父は、当時の国王と祖父を一にする。王弟が爵位を与えられ、更にその次男が分家され、功績を挙げて爵位を賜ったのがヴァッレンナ伯爵家の起こりである。
今尚その血脈は受け継がれており、血筋から言えば、かなり下位ながらも王位継承権を持つということだ。ただし、それは血筋からいえばの話で、実際に継承権があるわけでは無い。
これは、先の大戦の後に不穏分子を一掃する過程で、反体制勢力から神輿に担ぎ上げられることを厭った当主が、継承権を正式に放棄したからだ。以後、ヴァッレンナ伯爵家の近親者は、如何なる状況でも王家の臣下であるとの立場を堅持している。
伝統と血脈。それによる強い縁故。ヴァッレンナ伯爵家が国内で持つ影響力とは、偏にその人脈による。
よく言えば賢い。悪く言えば狡い。血統という生まれながらに定められた繋がりを利用し、道理ではなく情をもって自家の繁栄を模索してきた。人付き合いが多くを決める貴族社会に完璧に適応しているという点では素晴らしい。
自分の家の興隆が、常に他人任せというのがヴァッレンナ伯爵家の特徴であり、出来るだけ多くの根を伸ばし、そこから養分を吸い取って自分たちを太らせようとする、寄生植物のような、或いは大に寄り添って余禄を頂戴するコバンザメのような生き方。
自立の意思を持たないことを嫌悪する者もいるが、分を弁えて常に一歩引いた立場に立ち続けることを褒める者もいる。
毀誉褒貶の激しい家。それがヴァッレンナ伯爵家であった。
「ようこそペイストリー=モルテールン卿。お越しいただけて心から嬉しく思う。歓迎するよ」
「ヴァッレンナ伯爵閣下。ご招待いただき感謝いたします」
伯爵家の屋敷の中、ペイストリーに声を掛けてきたのは、ノーサイス=ミル=ヴァッレンナ伯爵。ヴァッレンナ伯爵家の当主であり、王都でもグルメで知られる人物である。
ペイスの見るところ、年は四十代の後半。背はやや低めで、小太りな体形。あごの辺りも幾分かふくよかな肉付きをした人物であるが、にこやかな笑顔は何とも剽軽な雰囲気がある。
実際、権謀術数を尽くして生き馬の目を抜く貴族社会の中では穏健な立ち位置であり、智謀を尽くしてのし上がるよりも、ことなかれで現状維持を望む安定志向と評されていた。油断ならない狡猾な連中を相手にしてきたペイスからすれば、気の抜けてしまう相手であった。
にこにことした福々しい顔を見れば、つい警戒心も緩んでしまいそうな気がする。
「ふむ、ふむ。やはり聞いていた通りだ」
信楽焼のタヌキの置物のような福々しいヴァッレンナ伯爵が、ペイスを一瞥するなり、感心するようにして頻りに頷く。
「聞いていた通り?」
「甥っ子から、君のことをよく聞かされていてね。礼儀正しく、賢なること余人に代えがたく、国家の至宝であると」
「それは過分なご評価ですね。どなたがそのようなことを?」
「スクヮーレ=カドレチェク卿だ。君とは親しい友人であると聞いていたのだが、違ったかな?」
ヴァッレンナ伯爵の言葉に、ペイスはやや眉を上げる。個人情報の保護など毛ほども気にしない社会である以上、ペイスのことを噂する人間の口を塞ぐことは出来ない。
友人のことを褒めるという点で、陰口を叩かないスクヮーレのことを好ましいと思いつつも、勝手に自分のことをあれこれ言われていれば、やはり微妙な気持ちになる。
実際のところは、もっと過激な言葉で褒めちぎっていたのだが、いささか過剰すぎるとヴァッレンナ伯爵が自分の中でフィルターを掛けてしまい、先の表現に落ち着いたのだ。
つまり、これでもまだ穏健な表現だったりする。
「いえ、スクヮーレ殿とは確かに親しくして頂いております。彼の人が、僕をそこまで評価していたとは知りませんでした。閣下はスクヮーレ殿と血の繋がりをお持ちなのですね」
「私の妹がカドレチェク家に嫁いでいてね。公爵家とは親しくさせてもらっている」
カドレチェク公爵家とヴァッレンナ伯爵家が姻戚となったのは、時の政治状況による政略結婚によってだ。
二十年ほど前、大戦が終わり、カドレチェク家が勢力を強めていた時。ヴァッレンナ伯爵家もまた、家の伝統に則ってカドレチェク家との縁を強めることを模索していた。政略結婚やそれに類する人材交換で、時の権力者に親しみ、権力の庇護を受けることがヴァッレンナ伯爵家の伝統だったからだ。今まで頼っていた連中が軒並み没落するにあたり、新たに関係構築を模索する相手として、勢力を伸ばしていたカドレチェク家は絶好の相手に思えた。
カドレチェク家もまた事情があった。王家の血統を受け継ぐ者であるというのがそれ。ハズブノワの家名を姓として受け継ぎ、王位継承権を保持する。しかし、先の戦訓から、強大な軍事力を持つ有力貴族が、王位継承権を保持し続けることの危険性を、王が危惧した。アーマイア家に代わり軍権を握ることになったカドレチェク家が、第二のアーマイア家にならぬとも限らない。危険視されるだけの実力と時代の情勢が、カドレチェク家内部に危機感を産んだ。
そこで、王家の血統を受け継ぎながらも、継承権を放棄して臣籍を明確にしていたヴァッレンナ伯爵家の人間を迎え入れ、二心の無いことを対外的にアピールすることとしたのだ。
両家の利害の一致から政略結婚が為され、その成果がスクヮーレという訳である。彼もまた現在は政略結婚でフバーレク家の娘を伴侶にしているわけだから、公爵家というのも中々に業の深い存在である。
「では、こちらも閣下に紹介しておきます。僕の妻、リコリスです」
「は、初めまして」
ペイスの横から、おずおずと少女が進み出る。
気弱なところは中々治らないのだが、ペイスの傍に居るだけ、まだしっかりと応対が出来ているほうだ。横に頼れる者が居なければ、もっとおどおどしていたに違いない。
「これは、実に美しいお嬢さんだ。いや、失礼、既に結婚されているならお嬢さんは失礼でしたな」
「いえ」
ヴァッレンナ伯爵も、挨拶は慣れている。
年少者が緊張や気負いで挨拶を失敗するようなケースも見てきただけに、リコリスの態度も変にとらえることは無く、気楽な挨拶を交わす。
「私はモルテールン家が実に羨ましい。二代続けて、素晴らしい女性を娶られている」
はははと男は笑う。
モルテールン家の現当主が、貴族の常識や伝統よりも惚れた女性の方を選んで駆け落ちしたという話は広く知られていること。妻を褒めておけば、そして目の前の少年の母を褒めておけば、気を悪くされることも無いだろうと会話を続ける。
「閣下の奥方も、社交界の華と謳われていたと伺っておりますが」
「いやいや。そのような話は過去の話。今となってはワイン樽の……おっと。誰かに聞かれたら危ないかな」
伯爵が、冗談めかして笑う。
彼の奥方も美人だった。過去形で語るのは、伯爵自身がグルメを自称し、美味しいものに目が無いことにも原因があった。
結婚前と今とでは、体重が倍も違う。美醜の別は個人の好みもあろうが、不健康という意味で美しくないと感じる男は多い。
よっぽど触れたくなかった話題なのか、
ヴァッレンナ伯爵は、思いついたように話題を変える。
「そうそう、折角の機会に試してもらいたいものがあるのだった」
「はて、何でしょう」
「まあ、此方に来てくれ」
ペイス達は、伯爵に誘われる。そこには、色鮮やかなお菓子らしきものが置いてあった。
お菓子だと判断した理由は、その香り。鋭敏なペイスの鼻腔は、甘い匂いをかぎ取っていた。
「これは?」
「モルテールン家には及ばぬだろうが、当家も甘味の研究をしていてね。一つ、意見を聞かせては貰えないだろうか」
自分の知らないお菓子と聞いて、目を輝かすペイス。
猫にまたたび、ペイスにスイーツである。喜び勇んで、お菓子を抓む。
「ふむふむ」
ペイスは、出されたお菓子を観察する。
丸い形の焼き菓子と思われるものに、砂糖をたっぷりと使った蜜を色付けして、掛けている様子。色は緑。真緑とでもいうのだろうか。自然ではあり得ないはっきりとした色。混ざり気もグラデーションも、ダマもムラも一切ない、純然たる緑色。絵の具のチューブを絞れば、こんな感じになるのだろうかとペイスは評した。
不自然な人工物臭さを感じながらも、一口齧る。
「どうだろう。中々美味いだろう?」
「……はあ」
不味い、と言えればどれほど気楽だろうか。
砂糖を使えばスイーツと思っているような、酷く拙い出来。砂糖さえ使っていれば高級品と思って貰える神王国の伝統からすれば、間違いなく高級品なのだろう。
だが、ペイスの口には合わない。勿論、リコリスも一口齧った後は、愛想笑いの作り笑顔に終始している。
「この菓子は、実はさる優秀な人物が伝授してくれたものでね。何でも、十年後にはこの菓子が絶対に流行るという話だ。流行の最先端どころか、未来を先取りする菓子だよ」
「未来を先取り?」
聞き逃せない言葉が聞こえた。
ペイスは、自分の製菓技術が数百年先をいっていると自覚している。今までに無かったお菓子を次々と生み出し、その全てが目新しく、かつ洗練されていることは周知の事実だ。
千年先、とまでは言い過ぎかもしれないが、百年程度では追いつけないほどの差が、確かに存在していた。
そのペイスからしてみれば、この菓子が十年後の最先端になるなど信じられない言葉だった。これなら、レーテシュ家やボンビーノ家で研究が進む各種フルーツの方が、十年後の流行としては可能性がある。
「面白いお話ですね」
「そうだろう。当家としては、是非ともモルテールン家とは手を取り合っていきたいと思う。先ごろ、当家のものが御家に砂糖の買い付けを依頼したと思うが、聞き及んでいるかな?」
「ええ。僕は領地をモルテールン男爵より預かる身ですから」
「ならば、話は早い。どうだろう、将来、間違いなく利益となる話だ。前向きに、当家への砂糖の買付割当を検討してもらえないだろうか」
ニコニコとした笑顔を崩さないヴァッレンナ伯爵。邪気はないのだろうが、話としてはとても首を縦に振るわけにはいかない。
「その前に、十年後にこの菓子が流行するという根拠をお教え願いたい。僕には、どうにもこの菓子が流行るとは信じられないのです」
「ふむ、そうだろうな。だが、これは確かな話だ」
「何故それが分かるのかとお尋ねしております」
自信満々のヴァッレンナ伯爵の態度ではあるが、その自信が何処から来るのか。何とも不穏なものを感じるペイス。こういう時の勘は、馬鹿にしてはいけない。
「それは、この菓子の作り方を伝授してくれた人物が請け負ってくれたからだ。何なら、紹介しよう」
「それは是非」
「ではちょっと待っていてくれ」
ペイスとリコリスを残し、その場を離れるヴァッレンナ伯爵。
やがて、一人の男を連れて戻って来た。
連れてこられたのは、まだ若い。十代の聖別直後といった雰囲気。世が世なら、中学生か、高校生かという、幼さが残る人物。
着ているものは小洒落た流行りの服だし、髪型もパリっと香油で整えてあり、身嗜みには一部の隙も無い。ただ、目つきがどうにも気になる。ギラギラとした欲望を、柔和な笑顔で隠す感じ。
数多くの交渉をこなしてきたペイスは、青年に対して警戒せざるを得ない。
「紹介しようペイストリー=モルテールン卿。これなるは、ゾッズビー殿。菓子の作り方を当家にもたらし、繁栄を約束してくださる賓客だ」
「初めまして、モルテールン卿」
ゾッズビーと名乗る男が、慇懃に礼をする。その作法を見れば、彼が非貴族階級の人間であることが分かる。
じっと見つめるペイスの値踏み。それを平然と受け止めたゾッズビーは、更に自己紹介を続けた。
「ペイストリー殿のお名前は以前より存じておりました。何せ、私も魔法使いなもので」
「魔法使い?」
「はい。私の魔法は【未来視】。未来を予言するものであります」
男の発言に、ペイスと、そしてリコリスは驚いた。