192話 平穏な日常
王都の貧民街。ここは、華やかな王都にあって、日陰者が集まる場所だ。
人が集まれば、必ず持つ者と持たざる者の格差が産まれる。王都もその例外ではなく、貧しい者や不遇な者は自然と特定の場所に追いやられ、結果として貧民街が誕生する。
上下水道の水路の下流。これは上流から流れるゴミや排泄物で不衛生な環境になりやすい。好んで住みたい場所では無いだろう。
王城の北側。これは、巨大な城の陰になりやすく、日当たりが悪い。ジメジメとした湿気に悩まされがちで、これもまた好まれる場所ではない。
城壁の外側。街の華やかさのすぐ傍にありながら、庇護を受けられずに危険を伴う場所。ここなどは、魔物が襲ってきたり、二十数年前のように敵が襲ってきた場合、守ってもらえない場所だ。王都の中で住む場所を確保出来ない人間でもなければ、避けたい場所だろう。
土地があり、建物があり、人が住む以上、好まれる場所とそうでない場所ははっきり分かれる。そして、好まれる場所は、権力や財力といったものによって割り振られていく。これはもうどうしようもないことだ。
「本当に、こんなところに行くんですか?」
貧民街の入り口で、フード付きのマントのようなものを目深にかぶった男が呟く。雨合羽を晴れの日に着ているようなもので、顔も隠している様子から怪しいことこの上ない。年の頃は十代後半。或いは二十代といった雰囲気。おどおどと、或いはきょろきょろと、周囲を見回していた。
おまけに、傍には小柄な同伴者も居た。年の頃は、十代か。或いはもっと幼いかもしれない。
「勿論です。折角“大旦那”から教えてもらったのですから」
「でも、見るからに怪しい雰囲気ですよ?」
じめじめと湿っぽく、日当たりが悪く薄暗く、ガラの悪い連中が多く、善良な市民ならば避けて通る場所。遠目からでもそれは分かる。
「そんなことは分かっています。これも“商売”の為です」
「うわあ……」
同伴者もフード付きのマントを同じように着ているが、こちらは顔を隠してはいない。
黒髪で女顔。或いは女が男装しているのかもしれないと、通りすがる人間がチラ見していた。
鳶色の目をくりっとさせており、顔立ちの良さから、さぞ育ちが良いのだろうと思わせる。堂々とした立ち居振る舞いからも、ただ者ならぬ雰囲気がしていた。
「どうせ行くんなら、“正装”していった方が良くないですか?」
「それだと、名前が変に有名すぎて、遠慮されてしまうんです。あくまで一商人と、その丁稚という立場でないと、向こうも本音を喋れない」
「そういうもんですか」
彼らの目的は、とある元傭兵を探すこと。
金で雇われてあちらこちらを転戦する傭兵稼業は、一つの街に腰を落ち着ける定業とは縁遠い存在。裁判権や財産権の保護といった、領主の庇護を受けられる権利、いわゆる市民権も持たない。賤民と蔑まれる人間も多いのが傭兵という人種。中には貴族位を持ちながら傭兵稼業をするような人間も居るが、それはあくまで例外。
流浪を生業とする者が傭兵をやめる時、最も欲するのは安定だ。一つの街で、戦いから離れて暮らす平穏な日々。求めてやまない安息の暮らし。心から欲する理想郷。
王都でも、それを求めてやって来る傭兵や、元傭兵は多い。だが、今まで戦いしか経験してこなかった人間が、王都でまともな職業に就くことは難しい。商売を始めても上手くいかずに蓄えを食いつぶす者や、雇われになるも馴染めずに喧嘩沙汰を起こす者、結局は用心棒のような形で雇われて、戦いから離れられない者など。失敗することの方が多い。
是非とも普通の暮らしをしたい。そんな元傭兵たちが頼るのは、同じ傭兵仲間。元傭兵であり、かつ現在まともな職に就いている人間。そういう人間を頼り、仕事を斡旋してもらう。
大きな傭兵団ともなれば、コネクションも多い。元団員が始めた酒場であったり飯屋であったりを贔屓にしつつ、辞めていく団員の受け皿となるようにコネを確保していたりする。
今から訪ねる場所もそういった“元傭兵のたまり場”の一つであり、そこに王都の傭兵事情に精通した人物が居るという。
二人連れが訪ねる相手もそれであった。
「それじゃあ、ここからは打ち合わせ通りに」
「分かりましたぺ……じゃない、ライス様」
背の高い、年かさの方の男が、姿勢を正した。
「ライス“くん”です。ライス=ヤキオニギーリ。ラミト、今の僕は貴方の弟弟子ですよ? 敬称で呼んでどうします」
何故か、年下と思しき方が、年上の方を咎めた。普通ならば逆であろうが、何故か二人の関係性はそれが自然なようだ。
「ライス君。じゃあ付いてきたまえ」
「お願いします。“兄弟子”」
二人連れで貧民街を歩く。
土がむき出しの路地であり、路地の左右には時折座り込む者も見かける。日あたりも悪く、長居したいとは思えない環境。
「ここですね」
「本当に?」
「ええ。“大旦那”が教えてくれた店は、間違いなくここです」
細い路地の途中にあった、一軒の酒場。だろうと思われる建物。
背の高い方が目的の場所だと断じきれなかったのは、その見た目があまりにボロだったからだ。年季が入っているといえば聞こえはいいが、余程昔から存在していたのだろうと思わせる雰囲気。レトロ感が満載。場所を知らなければ、ふらっと立ち寄ることはまずありえないだろう。
古ぼけた木のドアを開け、建物の中に入る二人組。
その途端に向けられる、刺すような視線。それも複数。筋肉も厳つい連中や、身体のあちらこちらに古傷を抱えている者など。往来を歩いていたら道を譲ってしまいそうな怖そうな連中が、一斉に侵入者を睨みつけていた。
生っちょろい人間ならば、この視線だけで泡を吹いていることだろう。
酷く物騒な視線に対して、背の高い方はおどおどとし、背のちっこい方は堂々として歩く。
カウンターのところに空いている席を見つけると、二人はそこに横並びで座った。ぎっと古い椅子が鳴る。
「見ねえ顔だな」
酒場の責任者。マスターだとか店主だとか呼ばれるであろう男が、新しい客に声を掛けてきた。愛想の欠片も無いぶっきらぼうな態度。
「ちょっと商談で王都に来てね。上の人間にこの店のことを聞いて来た」
のっぽの方が、何とか会話を繋げる。
「そうかい。注文は?」
ドスの効いた声で店主が注文を聞く。緊張感が凄まじい。
殺人の依頼のやり取り、と言われても納得できるぐらいに、漂う空気が痛い。ピリピリとしていて、穏やかさの欠片も無い雰囲気。
「俺はエールを」
「……そうか。そっちのチビは?」
注文を受けて、木のジョッキをどこかしらから取り出す店主。のっぽの男は、思わず店主が持つものを確認してしまった。もしかしたら小刀や短刀でも持ち出したのではないかと思う程に、恐ろし気な動きだった為に。
エールを木ジョッキに注いだ店主は、のっぽの連れの方を見た。小柄というのもおこがましいほどに小さい。どう見ても子供としか見えないわけだが、そんな少年のような人物が何故ここに居るのかと。
そんな少年が、注文を言う。
これまた“わざとらしすぎる”ぐらいに子供っぽい声で。
「ボク、ミルクが良い」
「ぶふっ」
チビ助の愛らしい声に、横の青年が思わず噴き出した。瞬間、わき腹を何かで殴られたらしく、若干カウンターに突っ伏すような姿勢になる。
「チビ、ここは酒場だ。ミルクが飲みたいんなら、他所に行きな」
「じゃあ、お兄ちゃんが飲み終わるまで待ってる」
「ぶへっほ」
出されたエール。安っぽいそれを口に含んでいたのっぽは、隣から聞こえたお兄ちゃんという言葉に、含んでいた水分を全て吐き出す。
ゲホゲホとむせる青年。
そんな二人組が、目立たないわけがない。
客の幾人かが、ニヤニヤとした顔でカウンターに近寄る。
「おいおい、兄ちゃん、酒を飲みなれてねえだろ」
「無理するこたあねえよ。もう少し大人んなってからこの店に来いや」
近寄ってきた連中も、それなりに鍛えてありそうな雰囲気がする。人を殺したことがある者独特の、剣呑な雰囲気だ。
若い、初めて酒を飲むような人間が、強めの酒を飲んだ時、酒精に咽てしまうことはよくある。ひょろっこい兄ちゃんもその類だろうと、男たちは考えていた。
「そうだな。何なら、宿まで送るぜ? 礼として財布の中の半分くらいは置いていって貰うけどな」
「ぎゃははは」
実に分かりやすい行動。傭兵稼業は明日をも知れぬ仕事であり、金を溜め込んでいると周りから狙われることもある。それだけに、有れば有っただけ使うような人間も多く、金欠が親友である。
そんな彼らにとっては生白い優男などは自分の財布も同然である。
「おじちゃんたち、あっち行ってよ」
のっぽの横の子どもが、嫌そうな顔をした。
ガキの態度など、荒事を専門として来た連中にとっては何ら痛痒を感じない。
「ぷっ。ボクちゃんがそう言っても、俺達はこっちの兄ちゃんに用があるんだって」
「用があるのは財布だけだろう」
「違えねえ。ぎゃははは」
ガラの悪い連中が、馬鹿笑いをする。絡まれた方は、いい迷惑だと怒りの声を上げた。
「おい、静かに酒を飲ませろよ」
「兄ちゃんにはここはまだ早い。俺達みたいに、鍛えてから来る場所だ」
「そうだぜ。ここは子供の来るところじゃねえんだ。戦士の憩いの場だぜ?」
ゲラゲラと、笑いが止まらない男達。
実際、この酒場は傭兵がたまり場として利用している場所。割のいい仕事の情報交換や、仕事仲間の募集等も行われている。そんな中に優男が居ても、目障りだというのが正直な感想なのだ。
「じゃあ、僕たちが戦士だったら、ここに居ても良いんだね? おじちゃん達程度で良いなら、今でも十分だけど」
そんな男たちの笑い声が、子どもの言葉でぴたりと止まる。
「おいガキ。冗談にしちゃ笑えねえぞ」
「大人を舐めてっと痛い目見るぞコラッ」
子供相手に凄みを利かせる大人たち。
傭兵は、自分の実力だけで稼ぐ商売。この酒場は、実力者が集まることでも知られており、生半可な人間は、今のように“先輩”に教育されることになる。それが嫌なら、返り討ちに出来るまで腕を磨くか、既に店の客になっている実力者に連れてきてもらわねばならない。
実力者限定の、一見さんお断りのような店なのだ。この店で一人で出入りできる。それは、傭兵として一人前である証明のようなものだ。
だからこそ、自分達の実力に疑念を持たれるような真似は、どうあっても勘弁できない。例え、相手が子供でもだ。
「冗談? 冗談はおじさん達の方でしょう。戦士の憩いの場? てっきり、孤児院の御遊戯室かと思っていました」
しかし、ガキンチョの方はそんな男たちの剣呑な雰囲気にも動じない。むしろ、更に煽り始めた。
「そうかい。えらく生意気なガキだなコラ。優しい俺達にも我慢の限度ってのがあるんだ。今謝るんなら、許してやるぞ?」
こめかみをピクピクと動かし始める男達。
「謝る? 何を謝るんですか? 貴方達より強くてごめんなさいというべきですか?」
「このガキャ!!」
男たちは、ガキをとっ捕まえてやろうと手を伸ばした。生意気なガキは、痛い目を見せてやるのも教育の一環だと、誰も止めようとしない。
だが、その手が何かを掴むことは無かった。いや、逆に子供に手首を掴まれた。
「せいっ!!」
男たちの身体が宙に舞う。
「だあ、やっぱりぺ……ライス様の御供だとこうなるんだっ!!」
袖口を掴みながらの一本背負い。明らかに子供とは思えない身のこなしで、大の大人を投げ飛ばした。
「テメエ!!」
仲間を投げられたからだろうか。或いは、子どもに伸されたという不名誉を、これ以上放置しては仕事に差しさわりがあると判断したのか。
周りの連中が、殺気立って二人組の若者に襲い掛かる。
「だあ、ちょっと、俺は荒事苦手なんだってば!!」
「情けないですね。そんなことでは“我々の商売”では早死にしますよ?」
襲い来る連中を、ちぎっては投げちぎっては投げ。一人がすっ飛べば、すっ飛んだ先のテーブルやら酒やらを散らかしながら転がる。次の一人が投げられれば、地面に頭から落ちてしたたかに脳震盪を起こして動けなくなる。
あっという間に、襲ってきた連中は全て地面と添い寝をする羽目になった。
ふう、と一息ついた子供。
改めて椅子に座ると、何事もなかったかのような態度で注文を口にした。
「マスター。お水を下さい」
「……分かった」
こうもあからさまな立ち回りをやらかして、目の前の少年がただの少年だというはずもない。店主は、水がめから飲み水を汲んで、幼いお客の前に出す。
「それで……マスターに聞きたいことがあるんですが?」
「何だ?」
店に入って来たばかりなら相手にもしなかっただろうが、ここまでのものを見せられれば、立派な実力者とみるしかない。つまり、この店にとっての“正式な客”として認めるしかないということだ。
「人を探しています。『暁の始まり』に居られた、バモットという方なのですが……」
「……バモットは俺だ」
名前を呼ばれて、店主が僅かに警戒を強めた。
「おお、貴方があの『常宵のバモット』だったのですか」
だが、続く言葉に、その警戒が緩んだ。子供が口にした名前は、それだけ自分達と“近しい”存在であることを示すものだからだ。
バモットは昔から酒好きで、どんだけ飲もうと常に「まだ宵の口」と言い張ることから、常宵の二つ名で呼ばれるようになった男。引退後に『暁の始まり』にとって重要な酒場を任される程度には、団内部での信頼を積み重ねてきた。
「ひどく懐かしい名だ……そうか、お前さん。いや、貴方様はもしかしてシイツ=ビートウィンをご存知の方では?」
店主は、はたと気付いた。自分の名前を知っていて、これほどの大立ち回りをやらかす子供。自分の同胞であった、覗き屋が仕えている家を思えば、答えを導き出すことも容易い。
「おや、どうやらバレてしまいましたか?」
裏路地の貧民街で、貴族の子どもがうろついていたとなれば何かと厄介だと、偽名を名乗っていた少年。誰あろう、ペイストリーである。
髪の色を魔法で変え、偽装身分を使って訪ねてきたのも、偏にモルテールンの家名がデカすぎるからだ。襲撃犯が曖昧な現状、モルテールンの名前をぶら下げてうろつけば、さっさと逃げられてしまう可能性が高い。それ故の偽名。
ただし、全くの無名では大事なことは聞いても教えてくれない。仲間を売ってもらうには、それ相応の理由が必要だからだ。手荒い真似をしたのはその為。
名刺代わりに暴れられた店主としては、目の前の少年に一目置かざるを得ない。
「俺らの間で『首狩り』を知らない者はいねえ。いや、いません。十中八九、シイツの野郎の雇い主がオタク……貴方様じゃないかと思ってるんですが?」
「雇い主は、僕の父ですよ。今の僕は、只の丁稚。ライスと言います。こっちは兄弟子。そういう立場の方が、お互い良いでしょう?」
モルテールンの家名を出してくれるな、と言外に言う少年に、店主はそっと頷く。敬語には慣れていないので、妙な言葉遣いになってしまうのは御愛嬌といったところか。
「ってことはやっぱり。そうだな。それならそこで寝てる連中じゃ相手にならないはずだな」
「中々手強い方たちでしたね」
「……全員伸しておいていう言葉かよ。それで、俺に御用ってのは何でございましょうか?」
さっさと本題を済ませ、とっとと追い出したい店主のバモット。要件を急かす。
「実は、数日前にモルテールン家の馬車を襲った連中が居ます。恐らく雇われた者だろうと思われるのですが、何かご存知のことはありませんか?」
チャリン、チャリンと音がする。
カウンターの上に、さも飲み物代の支払いのようにして、金貨が置かれたからだ。普通ならば銅貨が置かれているであろうところに金貨。意味が分からないバモットでもないので、スッと金をポケットにしまい込む。
この業界は、金が全て。命さえ金で売る商売だ。
「数日前……モルテールンの馬車……ああ、あいつらかな」
「思い当たることが?」
「何日か前に、日頃金欠の癖に、お大尽をやらかした奴らが居た。楽な仕事だったと言っていたが、多分そいつらなら何か知ってるだろう」
なるほど、とヤキオニギーリことペイスは頷く。
命を懸けることも無く終わった襲撃。傭兵からすれば、非常に楽な仕事だったに違いない。
「その人たちは今どこに?」
「この町から出て行った。多分西の方に行ったと思うが、何処に行ったかまでは分からん……ですます」
「ふ~ん」
「ことと次第によっちゃあ、俺が渡りをつけてやっても良い……でございます」
無言で金貨を積み増すペイス。
バモットも、気前がいい相手には口も軽くなるとばかりに、知っている情報を洗いざらい話した。
欲しい情報を十分手に入れたのだろう。満足げに、カウンターに背を向ける二人連れ。
彼らの背中を見つつ、つい、バモットの口から独り言が漏れる。
「俺も、いっそモルテールン家に雇ってもらえないもんかね」
バモットは、店から出ていく少年と御付きを見送る。
襲撃犯の身柄の確保と、その依頼者が判明したのは、この僅か二日後だった。