189話 奇妙な襲撃
珍しい人物が居た。
その当人に何かしらの希少性があるわけでは無く、本来居るはずの無い場所に居るという意味で、珍しい。
いるはずの無い場所とは、モルテールン領のザースデン。居るはずの無い人物とは、王都に居るはずのコアントローだ。
「それで、大将が襲われたってのは本当か?」
シイツがコアントローに訊ねる。長らく同僚として過ごす間柄に遠慮は無く、前置きも無しに本題から聞くあたりに、斟酌のない関係性が伺える。
コアントローは、現在王都に詰めている。一応はペイスの父であるカセロールの護衛として、普段から男爵の傍に居り、王都に務めるモルテールン家の家人や下人を取りまとめる立場だ。
カセロールの護衛は、護衛される当人が歴戦の勇士なので形だけのものではあるが、王都別邸の警備であったり、男爵夫人アニエスの警護の手配であったりといったことも業務に含まれている為、気軽にモルテールン領まで遊びに来れるような立場ではない。
そんな重要人物が、カセロールの伝言と指示を携えて送られて来たというのだ。ただ事ではないと感じ、シイツも気を引き締めた。
「ああ」
軽く首肯するコアン。表情は険しい。
「詳しい経緯は、僕が説明しましょう」
真面目な人柄と腕っぷしを買われて雇われたコアントローは、物事を説明するといったことは苦手にしている。
寡黙な性質なのはシイツ始め皆が知ることなので、前もって報告を受けていたペイスが説明を代行する。
「ことの起こりは一昨日の晩。農務尚書の御子息に、子どもが生まれたということで祝いの席があり、父様も呼ばれて顔を出していたそうです」
内務系の大貴族である農務尚書は、王国の農業政策を預かる重鎮。一応は内務閥に属するのだが、派閥内派閥とも取れる中規模な一派を率いる領袖でもある。開拓や災害対策などでは軍人と足並みを合わせることも多い為、比較的軍務閥と近しい立ち位置であり、その縁からカセロールとも面識があった。
また、貿易政策においては保護貿易、制限貿易を強く推す一派であり、国内の産業を保護する為にも、外国の農作物や加工品は一切輸入するなと訴える立場の為、外務閥とは極めて折り合いが悪いことでも知られる。
「農務尚書に孫が産まれたと」
「ええ。それ自体は別に問題ないです。問題だったのは帰り道。父様は馬車で帰宅したそうなのですが」
「魔法も使わずに?」
「ええ。そこで、襲撃を受けたそうです」
ペイスの父親であるカセロールの【瞬間移動】の魔法は、モルテールン家の“表”の切り札だ。国内でも公になっている魔法であり、隠匿されることが常の魔法使いには珍しく、他家でも金次第で利用可能というのがカセロールの強み。
魔法とは利用価値が極めて高く、属人性の強いもの。魔法使い当人にとっては、利益と同時に危険性も高くなる。便利な能力程、他人からすれば嫉視の対象であり、たった一人を何とかしてしまえば良いということで、悲劇が起きやすい。手の内を悟られないように、出来るだけ情報を隠すのは自己防衛の範疇だ。
また、貴族などの権力者に庇護されることで自己防衛を図る魔法使いも多いが、抱え込んだ貴族家にしても切り札は隠しておきたいもの。どこまで情報を明かすかを調整することはあっても、ノーガードで情報を垂れ流しというのは愚策の極みである。
つまり、使い方から能力のデメリットまで、一切がつまびらかになっている魔法は殆どなく、数少ない例外が【瞬間移動】というわけだ。
元々この魔法で成り上がったのがモルテールン家の始まりでもあり、モルテールン家といえば【瞬間移動】と言っても過言ではない。最近ではお菓子などでも名前が売れつつあるとはいっても、やはり魔法の利便性や過去の武勇伝は根強い。
最近ではカセロールが王都に詰めていることもあり、割と頻繁にカセロールの元を貴族や商人が訪れている。
ある程度の金銭や取引材料を持って、カセロールに魔法を使ってもらうためだ。
馬を飛ばして何日も掛かる距離を、文字通り一瞬で移動できる便利さは、仮に現代の科学技術を駆使したとしても再現不可能なほど。客などは引く手数多だ。
しかし、魔法と言っても万能ではない。魔力が国内屈指のペイスとは違い、カセロールの場合は魔力がさほど多くなく、魔法を使う場合でも、体調が良くても日に数度。距離が遠く、また運ぶ質量が大きい程魔力消費も増える。
国軍の一隊を預かる身として、自分の切り札をそう容易く使い切ってしまうわけにもいかず、貴族街内での移動程度の近距離ならば、魔法ではなく馬車を利用するというのもモルテールン家のお家事情だ。
今回、馬車で移動していたのも同様の理由。魔法をあえて使わずに移動していた。
そこを、何者かに襲われたという。
「大事じゃねえですか。大将は無事ですかい?」
「ええ。父様も、そして母様も、ついでにコアンも。皆、怪我一つなく無事だそうです」
「そりゃあ良かった」
シイツは安堵した。
従士長としての安堵もあるが、カセロールは彼にとっても長い付き合いの友人なのだ。最近は自分でも体の衰えを実感する年になった。同年代のカセロールとて同じだろう。
自らの主君の力量に信頼を置くのは当然だが、それはそれとして老いの足音を聞き始めたことに不安もよぎる。
戦場で不覚を取ることは、いつだってあり得るのだ。
「ところが……」
「あん?」
「その時の襲撃犯の動きが奇妙だったというのです」
「奇妙?」
奇妙というなら、目の前の銀髪の少年ほど奇妙な生き物もねえよな、とシイツは思った。世にも奇妙な不思議生物が服着て歩いて菓子作りをしてる。
思っただけで口にはしないが、そんなペイスが不思議がるのだから、よっぽどおかしいことなのだろうと推察する。
「ええ。襲ってきた割には、此方に危害を加えるつもりがないような動きだった……と」
「はあ?」
シイツは、素っ頓狂な声を上げた。
「武装して、当家の馬車と分かった上で行く手を遮り、攻撃らしきものをしてきたは良いものの、父様の姿を見るや逃げ出した、という話です」
暴漢や敵対勢力から襲われること自体は、極めて不本意ながら珍しいことではない。ことモルテールン家に関しては。
カセロールの魔法は、戦場において指揮官や重要拠点をいつでも奇襲できるという点で極めて効果的であり、平時であっても諜報活動や物資人員の運搬に役立つ。汎用性が非常に高く、使い方次第で如何様にも活かせる万能の魔法。味方とするなら、これほど便利な能力もそうは無い。
しかし、敵対する人間にとっては、真逆。まず真っ先に何とか無力化したい能力ということになる。味方にとって最上級に便利であるということは、敵にとっては最悪に目障りということになるのだ。
敵対行動を起こそうとする人間が、最も邪魔になるであろうモルテールン家を襲うというのは、モルテールン家創設以来、幾度となく起きたことでもあった。
しかし、今回の件は、過去の類例には合致しないとペイスは言う。
「そりゃ妙ですぜ」
「僕もそう思います」
モルテールン家の知恵者二人が、共に唸る。お互いに、言いたいことは阿吽の呼吸で理解しているようだった。
「あのぉ……何が妙なのか、教えてもらえませんかね?」
おずおずと声を上げたのは、ニコロだ。金庫の鍵を預かる若手であり、将来の幹部候補としてシイツに鍛えられている期待のホープ。
専門が財務だけに、軍事関係には若干疎いところがあり、シイツとペイスのやり取りについていけないと嘆く。
幸い、といって良いのか、ニコロの疑問は、集められたモルテールン家の家人の大半に共通するものだったらしく、場の雰囲気が変わった。よく言ってくれた、という雰囲気だ。
何でこんなことも分からねえんだ、というシイツを宥め、ペイスがニコロに説明する。
「当家が何者かに襲われるということは、今までもあったことです。それは知っていますね?」
「ええ、まあ」
「その場合、襲撃者の目的は大きく二つに分類されるのです」
「二つ?」
「脅威を排除したいか、行動を抑止するための脅迫か、ですよ」
モルテールンと敵対した相手は、必ず対処を求められる。放置は最も愚策となる悪手だ。厄介な駒が自由自在に動ける状況では、勝てるものも勝てなくなる。
まずそこで考えることは、真っ先にモルテールンの脅威を排除すること。これが出来るのが、敵にとって一番いい。カセロールがいなくなる。或いは魔法を使えなくなるだけでも十分。
多少の損害を覚悟してでも、上手くいけば一番厄介な相手が無力になる。
将棋を指す時に、相手の飛車と角を除外させるようなものだ。多少の小駒を使ってでも、狙う価値は十分にあるだろう。
モルテールン家の創設当初、カセロールの魔法の危険性は武勇伝と共に周知された。しかし、当人の剣の腕や周囲の護衛戦力は軽視されていた。大戦で武功を挙げたのも、運が良かっただけだろう、などと甘く見られて、排除も簡単だと思われていた。
そのせいで、一時期は結構な頻度で襲われたものだ。今でこそ多少は減ったが、それでも“魔法使いは直接戦闘に弱い”という常識にとらわれ、襲ってくる輩はいる。
しかし、そこはこの手の輩を何度となく返り討ちにしてきたモルテールン家。そう簡単にやられるカセロールではないと、多くの人間が知るようになった。
そうなると、無理して排除を狙うのではなく、交渉の道具として武力を用いるような者も増える。
如何に有用で強力な魔法があり、剣の腕が確かでも、疲労もすれば睡眠も必要。四六時中襲撃者の相手をするのは不快でしかない。
それを狙い、交渉する。要は、嫌がらせの為に襲い、嫌がらせを止めることを条件に、カセロールと交渉しようとするわけだ。カセロールの周囲を狙うこともある。
襲われることに違いはなくとも、こういう輩は襲撃が失敗しても一向に構わないわけだ。
成功しても良し、失敗してもそれをネタに譲歩を迫る。そういう交渉をしてくる相手。
こういう相手は、えてして油断できない手ごわい相手だったりする。
殺す為か、殺すぞと脅す為か。襲撃とは、大別すればこの二つだとペイスは言う。
「どちらにしても、目的の達成には、我々に危害を加えることを必要とします。ハエが飛び回っていても脅威には感じませんが、ハチが飛び回っていれば脅威に感じる。最低でも、ハチの一刺しぐらいはこちらに危害を与えなければ、意味が無い」
「はあ」
実際にモルテールン家に脅威を与えられると示しておかねば、交渉の道具にすらならない。それはニコロにも分かる。
「今回の件では、意図してハエの真似事をしたという点が不自然、ということです。此方に危害を加える意図が無いのなら、何故わざわざ近づいて来たのか」
「なるほど……確かに変ですね」
まだ若干名、分かっていない者が居そうだったが、少なくとも質問者は不自然さに気付いたようだ。
襲ってきておいて、一目散に逃げだす。玄関のチャイムを鳴らしておきながら逃げるピンポンダッシュのような気持ち悪さを、ペイスやシイツは感じていた。
脅威は一切感じられないのに、鬱陶しさだけが残る。
「一体、何が目的なのでしょう?」
「さあ。可能性としては幾つか挙げられますが、推測の域を出ませんね」
「その幾つかの候補ってのも分からないんですけど」
ニコロ以下、若手は皆首をかしげる。
剣を抜いておいて即座に逃げ出す。これに一体何の意味があるのかと。
「例えば、当家の武名を利用しようとしている可能性」
「武名の利用?」
「よくあるでしょう。強そうな相手に、聞こえるか聞こえないか分からないような遠くからかかってこいと挑発してみるとか。言ってやったぜ、みたいな度胸試しです。当家が武名を高めていることを利用して、それに一矢報いた態を作って、箔付けに利用する」
「おお、なるほど、分かりやすい」
酒場に行けば、その手の連中は良く居ると、若手たちも頷いた。自分もそうであったという経験者もチラホラ。掛かってこいやと挑発しておきながら、相手が手を挙げるとは欠片も思っていないタイプ。
つまり、カセロールが本気で相手をしないと分かっていて、襲ってみたという箔付け。モルテールン家と戦ったという虚飾が目的ということだ。
「或いは、本気で襲撃を掛けていたのかもしれません。全力で噛みつこうとしたが、ハエの羽ばたき程度にしか出来なかった」
「そんな馬鹿な」
「世の中には、想像以上の天才も居れば、予想を遥かに超える馬鹿も居るということです。可能性はゼロではない」
尚、想像以上の天災には、ペイスも含まれているというのがモルテールン家の総意である。
世の中には間抜けも居れば阿呆も居るわけで、本気でカセロールに危害を加えようと襲ったものの、子どもの遊びにしか思えない有様だったという可能性。
この可能性も、ゼロというわけでは無かった。
「シイツ、他にもありますかね?」
「アリバイ作りってなあどうです。俺も昔、上の命令で『攻撃しろ』って言われて、あくび交じりに戦ったことがありますぜ」
「なるほど。それもあり得る」
過去の傭兵経験を語るシイツ。
一時的に金で雇われる傭兵には、忠誠心など期待できない。不本意な命令には、形だけ従っている振りをするというのもよくあるという。
「向こうも雇われで、こっちも雇われの傭兵。指揮官が経験不足なお坊ちゃんの上にケチなら、命かけるのも馬鹿らしい。適当に戦ってるフリだけするってのも、よくあった。今回も、そんな感じじゃねえですかい?」
「あり得ることですね」
ペイスはシイツの意見に頷く。
「何にせよ、僕らが推測を重ねても意味がありません。父様と意見をすり合わせておきましょうか」
実際の被害は皆無で、相手の動きが不自然だとしても、カセロールの乗る馬車が襲われたことは事実だ。無視してはおけない。
また、実際にカセロールやアニエスに危害を加えることが目的で、単に相手がショボすぎただけというなら、第二第三の襲撃があり得る。更に脅威を増した形でだ。
詳しい状況を、カセロールと打ち合わせて、必要ならば領内から護衛を送ることも検討せねばならない。
打ち合わせは必須。その為には、父親を呼びつけるよりは、息子が出向く方が自然だろう。
「坊、くれぐれも、さっさと戻って来て下せえ」
「シイツも心配性ですね。少し話をしてくるだけですよ」
「そう言って、仕事を俺に押し付けるとかは無しですぜ」
「分かってます」
それじゃあ早速と、コアントローを送還がてらペイスが王都に向かう。勿論、ペイスの魔法でだ。
久々の王都に付いたペイス。彼を待っていたのは、父親の難しそうな顔だった。