184話 指輪は何処に消えた?
婚約披露宴も終わり、ひと段落といった雰囲気が漂う夜。昨日一昨日と、二日にわたって行われた披露宴は、盛況の内に終わった。二日も式を行っているのは、万一を考えての予備日が用意されていたからだ。来客はどちらか一日に出ればそれで事足りるが、勿論両日共参加して構わない。ただし、主役は二日共に出ねばならないのだ。
ボンビーノ家の下働きや侍女は今頃片付けでてんやわんやだろうが、主役だったウランタにとっては、ようやく肩の荷が下りて安心しているところである。
披露宴は疲労宴だ、とはよくいったもの。全身から脱力感が溢れて、ぐでっとだらしなくソファーに腰かけていた。
普段ならだらしなさを注意したであろうケラウスも、流石に今は何も言わない。ウランタが、どれほど気持ちを張り詰めて臨んでいたかを知っているので、今ぐらいは大目に見るつもりだ。
だが、そんな気だるい中でも緊急事態とは起きるもの。
事件はウランタの体調など考慮してくれないのだ。もしかすると、トラブルメーカーの伝染病をうつされたのかもしれない。
部屋に飛び込んできたのは、子爵家の若い衆。主家の重鎮たちが揃っているであろう部屋に飛び込むなり、一大事を告げた。
部下の慌てた報告に、驚く面々。
「指輪が盗まれた!?」
ウランタの素っ頓狂な声が響く。
指輪とは、一般的な意味ではない。特定の一つを指す、唯一無二の名詞である。この場合は、モルテールン家に贈った指輪のことだ。
「まだそうだと決まったわけではありません。が、モルテールン家の方から連絡がありました」
「連絡?」
「ジョゼフィーネ嬢に贈っていただいた指輪が、昨晩から見当たらないと」
ただ単に、紛失したという内容。勿論、贈り物を紛失したという場合も無くは無いだろうが、そんなはずはない。ジョゼにしても、嬉しそうに受け取ってくれた、いや、喜んで受け取ってくれたとウランタは確信している。
大事な伝来の品であり、ボンビーノ家の嫁になる女性に渡す、つまりは婚約を破棄してジョゼ以外の誰かを迎え入れる気持ちが無い、ということを明確に示す品。今の時代からすればデザインも古いし、そもそも古びた指輪かもしれないが、お金で代えられない思いの込められた品だ。
「……盗まれた可能性が高いってことだよね」
「左様です」
「犯人は?」
「不明です。現在、モルテールン家と協力しつつ捜査体制を整備しているところです」
「絶対に、犯人を捕まえて、指輪を取り戻さないと!!」
「無論です」
ウランタは、むんすと気合を入れる。疲れはいつの間にか忘れていた。
◇◇◇◇◇
今夜の騒がしさは、一カ所にとどまらない。
「ビター!!」
聖国の使者に宛がわれた部屋に、甲高い声の女性が飛び込んで来た。聖国の魔法使いであるリジィ。彼女は、ついさきほどまで気の向くままに単独行動をとっていたのだ。
異国の地でトラブルがあってはことであると、探しに出ようとしていた矢先のこと。
「何だ?」
「褒めて褒めてっ」
「だから、何をだ」
「あたしの魔法で、すっごい情報を入手した」
頭を撫でろと言わんばかりに、ぐりぐりと押し付けて来る少女。適当にあやしながらも、ビターは彼女が言ったことの続きが気になった。
「ああ、偉い偉い。で、その情報とは?」
「むう、何だか投げやりだけど……あのさ、何かボンビーノ家とモルテールン家の間で、トラブルがあったっぽい。ぽい?」
「ほう」
実に興味をそそられる話だ。
自分たちの目的は、モルテールンとボンビーノの両家を結び付けた上でレーテシュにぶつけ、神王国内で諍いを起こさせることだ。その第一歩として、ボンビーノ家との伝手を持つのが狙い。
ならば、何もない無風より、何かトラブルがあった方が、色々と利用できるはずである。
「何でも、ボンビーノの坊ちゃんが婚約者に贈ったものを、盗まれたらすぃ~」
「……詳しく聞かせてくれ」
「おーけー」
リジィは、勝手に部屋のベッドに腰かけると、斜め上を見ながら“聞いた”内容を思い出そうとする。
「ボンビーノ家から贈られたものとは、具体的には何だ? 単に金を贈ったというわけではないだろう?」
「えっとね、指輪、らしい」
「指輪? どんな指輪だ」
「先祖代々……ってか、母親の形見? とかそんな感じの指輪」
「素材は?」
「銀の指輪を磨いたってことらしい」
「……そうか」
じっと考え込むビター。何がしかの考えがまとまって来たのか、質問が具体的なものになる。
「盗まれた状況は分かるか?」
「えっと、貰った指輪のサイズが合わなかったらしくてさ。一度サイズを調整するってことで箱に仕舞って、部屋に置いてたらしい。で、朝になって箱を空けたら、空っぽだったって」
ビターの目つきが鋭くなる。
こういう時の顔は実に精悍で、リジィにしてもドキっとさせられる顔なのだが、本人はそれに気付くことも無い。
「部屋をあけていたタイミングがあったのか?」
「夕食の時とかは、部屋をあけてたらしいよ。その間に子爵家の侍女がベッドメイキングしてて、これが怪しいかもってボンビーノは調査してるって。よくある話っぽい?」
ついでながら、リジィも多分侍女が盗んだんだろうと考えている。
雇った侍女の手癖が悪く、金品や貴重品がなくなる、などということは、聖国でも珍しいことではないからだ。だからこそ、身元のしっかりとした女性を雇うために、縁故で採用を決めたりもするのだが。
「……違うな。侍女は犯人じゃない」
だが、ビターは首を横に振る。
侍女が盗んだ。そんなことはあり得ないと。
「え? 何で分かるの?」
「物が指輪なのに、入れ物が残っていたからだ」
「どういうこと?」
「モルテールン家への畏敬の念は、子爵家全体から感じる。モルテールン家のものを盗む真似が出来るとは思えないことが一点。指輪の箱を盗んでいない点が一点。ピンポイントで指輪を盗んでいることが一点。指輪その物にはさほど価値が無い点が一点。どう見ても、侍女は犯人じゃない」
何故侍女が犯人でないかという理由。それを逐一あげたつもりのビターだったが、リジィにはビターの言っていることがよく分からなかった。
「ごめん。詳しく教えて」
「……はあ」
ビターは溜息をつく。リジィも馬鹿ではないのだが、こういう類のことはビターには到底及ばない。
「まず、モルテールン家に対する感情だ。ボンビーノ家の指導者たちが、モルテールン家に失礼の無いように、と指示を出していた可能性は高い」
「うん」
ウランタがジョゼに御執心であったという情報は、調べるまでもなく手に入ったもの。ならば、失礼が無いように徹底させるのは、むしろ当然だろう。
婚約の披露宴まで開いておいて、失礼かまして婚約が流れた、などとなれば恥晒しもいいところ。そんな馬鹿な真似をするような家には思えない。
「特に、モルテールンの娘は最重要人物だ。世話に手抜きを許すはずもない。つまり、子爵家の人間なら、娘の部屋がかなり強固に監視されていると知っていた。侍女も一番信頼できる者を付けたはず」
「なるほど」
「そして、大抵の窃盗犯は、出来るだけ素早く物を盗もうとする。態々箱を開け、指輪だけを取り、箱を閉じ、元の場所に置く、などという面倒なことをするより、箱ごとさっと盗んでしまう方が、泥棒の心理としては自然なはずだ。それをしなかったということは何か意図がある。指輪を盗んだことを気付かれたく無かったのか、或いはアリバイ工作の一環なのか。いずれにしても、咄嗟の衝動で盗んだ出来心、ということは考えづらい状況だ。そして、指輪のみを盗み、部屋にあったであろう他の物品や金銭に被害が無いなら、犯人の目的は最初から指輪だった、ということになる」
「最初から指輪だった、ねえ」
「見た目が古臭い指輪。これの価値は、子爵の母の形見である、という無形の部分にある。金目の物、と認識するのではなく、指輪の持つ価値を正確に知っている人間が犯人だろうな」
「その言い方、ビターには犯人が分かってるの?」
ビターが、犯人像を推理する。しかし、幾らなんでも今の段階で犯人が分かるはずもない。
「犯人が誰かまでは流石に分からん。だが、絞り込むことは出来る」
「聞かせて、聞かせて!!」
ベッドからぴょんと飛び降りたリジィ。お菓子をねだる子供の様に、年甲斐もなく子供っぽい雰囲気で続きを教えて欲しがった。
「まず、この件が本当に盗みなら、犯人は間違いなく内部犯行。モルテールン家か、ボンビーノ家の家人。或いは、それに近い人物。少なくとも、指輪のことを事前に知ることが出来た人物だ」
「うんうん」
金目のものでなく、指輪が狙いだったと仮定するのならば、指輪のことを知っていた人間が犯人なのは間違いない。そして、指輪をモルテールン家が受け取ったと知るのは、最低限、今回の式典に参加していたもの。つまりは、モルテールンか、ボンビーノと縁のある立場の人間という話になる。
「犯人は、盗みの素人。玄人らしさがない。今も何食わぬ顔で居るとするなら、指輪はすでに遺棄か隠匿してしまっているだろうな」
「おお~」
リジィは、ビターの話に感心した。自分の下らない噂話から、よくそこまで推測できるなという驚きだ。
ビターは聖国で序列一位の魔法使い。だが、この地位は魔法が凄かったからではない。魔法“も”凄かったからだ。自分との違いはそこにあるなと、リジィは一人で勝手に納得して、勝手に頷いていた。一人芝居は実に気持ち悪い。
「じゃあ、それを教えてあげれば、恩を売れるんじゃない? 今回の目的でいうなら、売りつけられる恩は、遠慮なく売りつけた方がいいでしょう?」
「止めておけ。恐らく無駄になる」
「何で?」
「これぐらいのことを、あのモルテールンの倅が気づかないはずがないからだ」
ビターは、ペイスのことをよく知っていた。
モルテールン家は対神王国という意味で、無視できない相手であり、情報収集は入念に行われている。そしてビターは気付いた。近年の急伸長の陰に、ペイスが居ることに。
数年前から突然、人が変わったように革新的な政策を施行しだしたモルテールン家の情報と、ペイスの年齢、そして実際にペイスと対面して得た感触を総合してみれば、答えは明らかだった。
だからこそ、ビターはペイスを侮ることは無い。あの男なら、自分が推理した内容ぐらいならとっくに気付いている。そう確信する。
敵としてはいっそ早く死んでくれた方が良いと思えるぐらいの相手だが、悔しいことに実力自体は本物だ。
そして、ペイスが居るのなら、情報は両家で共有されている可能性が高い。モルテールン家としても、情報隠匿よりも協力するメリットの方が遥かに高いのだから、隠すはずもないだろう。
つまり、ビターの推理した内容で恩を売ろうと出向いたならば、大恥をかくということだ。
「じゃあ何? このまま傍観しておく?」
「……いや、それも惜しいな。折角なら、我々も動こう」
「そう来なくっちゃ。早速、犯人を捕まえよう!!」
リジィが、勢いよく立ち上がる。捕り物となれば、どちらかといえばカウンター型の魔法を持つビターより、直接的な戦闘に向いた自分の方が活躍するはず。どんな相手でもどんと来いとばかりに、張り切る魔法少女。
「犯人の捕縛か……ふっ、それよりも、もっといい方法がある。リジィ、お前の魔法には活躍してもらうぞ」
リジィの頭に手を置いたビターは、そのまま不敵に笑うのだった。
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