174話 鬼教官
神王国で最も重要な場所は何処か。
王都に住まう人間がこう問われれば、十中八九、王様の居る城だと答える。国政の中心であり、最重要人物が住まうという意味で、正解と言えるだろう。
王城とは、それ自体が一つの街ともいえるほどに広大な敷地で、様々な施設が集約されている場所を総称する呼び名。純粋な国王一家の住まいのみを指す場合もあるが、大抵の人間が王城と呼べば、遠目からでも見える巨大な建造物群を指すことだろう。
神王国は、かつて国家滅亡の寸前まで経験している国だけに、王城の中だけで様々な活動が完結するように出来ている。万が一の最終防衛のために。
武器や防具を用意する為の活動や、食料や消耗品を作る為の活動。いわゆる生産活動はその最たるもの。布を作る場所、木材を加工する場所は勿論、畑や果樹園、果ては礼拝する場所まである。
そして、軍事活動の為の施設も、重要施設として用意されていた。
騎士たちが寝泊まりする兵舎、機密性の高い軍議を行うための防諜対策済み会議室。或いは、訓練用施設。
王城の軍事施設の利用者は、大半が軍人。それも、王家に仕える騎士たちであることがほとんどだ。
曲がりなりにも城の中。ここで訓練できる人間というのは、極々限られた人間、選ばれし者である。
「つまり、諸君らは泣き言をいう権利など無い!!」
「はい」
「声が小さい!! 貴様らはそれでもモルテールン家の人間か!! 栄えある国軍大隊長たる男爵閣下の英名に泥を塗るつもりなら容赦せんぞ!!」
「はいっ!!」
千五百メートルトラックが一つならず作れそうな広さの訓練場の端、居並ぶモルテールン家の新人達に対し、腹の裏側まで響きそうな大声を出すのはセミヒオ=タピア。中央軍第二大隊で副隊長を務める、エリート軍人。三十路の働き盛りで、体つきはかなりがっしりとしている。
というよりも、中央軍を始めとする国軍に配属されている軍人で、半年もそこに所属しているのなら、例外なく鍛えられた体格をしている。
それは何故か。
中央軍といえども政治としがらみは無縁ではなく、高位貴族からのごり押しや、或いはそのコネクションなどで入隊してくるものもいる。いや、そもそも貴族社会の神王国では、人脈こそ全てと言えるほどに縁故がはびこっており、新規入隊者は必ず誰かしら有力者の推薦があるもの。完全に実力のみで採用されるケースの方が極めて稀。
当然、入って来るものには出来の良い者も居れば、縁故に胡坐をかいた不出来な者も居る。玉石混交は社会の常だ。
しかし、そういった者たちも、軍に入って最初にすることは雑用と訓練。出来が良い悪いに関わらず、一律で下働きから始めることになる。
これは、上からの命令はたとえ理不尽でも従わねばならないという軍隊の特異性を、手っ取り早く叩きこむために行われる伝統。今は偉そうにしている隊長達とて、かつては先輩の鎧を磨くことから始めたものだ。
海のものとも山のものとも知れない内に、大仕事を任すことなどあり得ない。
そして、同じ目的。つまりは、徹底的に上意下達のヒエラルキーを叩きこむために、訓練を徹底的に行う。
朝日が昇る前に無理やり叩き起こされ、朝食前から訓練場でのランニング。それも、ただのランニングではない。鎧や荷物の重さを模した、砂や土の入った麻袋を背負って走る。
もうこの時点で、縁故だけで入って来たような温い連中は音を上げるが、それを許さないのが軍隊というもの。敵というものは、自分たちが疲れ切っている時に限ってやって来るものだと説教しながら、無理やり訓練を続けさせる。
実際、戦争では敵の疲労に付け込む作戦などは常套手段であり、心身壮健で準備万端戦いが出来る方が珍しい。疲れたところに更に鞭打ち、その上で肉体的にしごき上げるという、拷問のような訓練。
根性ナシなら、これだけでも三日で音をあげる。
ランニングが終われば、朝食だ。ただし、味に期待してはいけない。量だけはたっぷりとあるのだが、如何せん大量一括生産が基本の大なべ料理。毎日毎日、同じようなメニューばかり。多少根性のある人間でも、一週間で間違いなく飽きる。外出を許可されるようになるまでは、必ずこの食事である。因みに、朝食と夕食が殆ど同じメニューであることも飽きを加速させている。
食事が終わっても、訓練漬けだ。
個人技能の訓練、連携の訓練、基礎体力の訓練、等々。昼も過ぎれば、生まれたての小鹿のようにプルプルと足を震わせている人間が、ダース単位で出来上がる。
これで終わりか。
否。
身体を酷使した後は、座学だ。寄宿士官学校などで基礎的なことを教わった者も多いわけだが、名高い国軍の新兵が、その程度で済むはずも無く。実際に起きた戦いのロールプレイングであったり、実際に指揮官役と参謀役と分隊指揮官を分けて行う机上演習などなど。体の後は頭脳を限界まで酷使する訓練が待っているのだ。
個人の武芸のみを頼って国軍に入隊した連中は、これについていけず泣きだすものまで出る。出来ない人間は、出来るまでやらされる。
単に突っ込むだけの能無しに、騎士が務まるか、という怒声を、先輩から後輩に受け継いでいくのも伝統だ。
このように、濃密かつ徹底的な訓練。パワハラなどという言葉が可愛らしく思える地獄のような扱きを、全員が経験する。
勿論、辞めていくものも居る。厳しすぎるからと自分から辞職を申し出て、去っていく者。彼らに待ち受けるのは、紹介者の顔を潰したという結果と、軍から逃げ出した卑怯で惰弱な敗残者、という評価である。再就職など絶望的であり、これを恐れる者は歯を食いしばって付いていくしかない。
訓練に耐え、半年間の新人期間を過ぎた者達。
それはもう、一人の例外もなく精鋭である。
過酷な試練を耐え抜く精神力、鍛え上げられた屈強な肉体、研磨された個々の武芸、一糸乱れぬ互いの連携、経験と実践で磨かれた確かな知識、お互いがお互いを励まし合った強固な連帯。
これこそ、神王国が誇る精鋭中の精鋭。国軍の誉れある騎士たちだ。
貧弱な人間が皆無な理由がこれである。
「はっ、俺には訓練なんて軽い軽い」
そんな精鋭部隊の副隊長に、適当そうな軽口を叩くものがいる。モルテールン家従士のヤント。新人だ。
何をどう間違ってしまったのか、思春期を悪い方にこじらせてしまった不良少年。
生意気にも思えるヤントに対し、副隊長セミヒオは、わざとらしく笑顔を見せる。ごついおっさんがニヤつくように笑うのだ。かなりの威圧感がある。
「ほほう。この場でその軽口を叩ける勇気は認めてやろう。だが、これから十日間。そのセリフを忘れてくれるなよ」
そう言って、セミヒオは居並ぶ面々を見渡す。
モルテールン家の新人が八人。皆若い。幼いと言えるほどに。
彼ら、彼女らを鍛えて欲しいとの依頼があったのがつい先日。本来であれば、国軍を私的に使うことは褒められたことでは無く、また隊員たちも日常の業務があるわけで、最初は拒絶していた。カセロールも、勿論公私のケジメという意味で反対している。
しかし、モルテールン家の麒麟児が交渉に現れ、王都でも話題のお菓子や、或いは金銭の提供、回数制限があるものの【瞬間移動】の無償使用権などを条件に出してきたことで、何と国軍の上層部が許可を出してしまった。具体的にはカドレチェク公爵だ。
こうなると正式な命令となるわけで、理不尽な命令であっても従うのが軍人というもの。
ちなみに、命令が出た後は、任務であるにも関わらずお菓子や金が貰えるとあって、教師役に大勢が手をあげて争奪戦になり、強権を発動して副隊長がその座を勝ち取ったというのは余談である。
そして、八人の中央に、ひと際小柄な人間が一人。総計九名。
「タピア卿。これから十日間、どうぞご指導をお願いします」
中央に居たチビ助が一歩前に進み出て口上を述べる。無論、従士達より一段上の代表的立場にある年少者といえば一人しかいない。ペイストリーだ。
「ペイストリー=モルテールン卿。卿まで訓練に参加する必要は無いと聞いているのだが?」
セミヒオが上層部から大隊長経由で受けた命令は、モルテールン家の若手を十日間しごいてやって欲しいというもの。
若い時から国軍に所属していた彼は、他の軍隊の訓練など知らず、必然的に新兵訓練を踏襲することとなる。
この新兵訓練は過酷で知られており、どんなひ弱な者も屈強な戦士に変えるという地獄の錬金術。
モルテールン家からの客人たる九名のうち、女性陣よりも尚体力の無さそうな子供が、大の大人でも泣き出すような訓練についていけるのだろうか。セミヒオにしてみれば、大いに疑問である。
勿論、セミヒオの上司はあのカセロールだ。国一番の親馬鹿とも言われる人間の息子自慢は、耳にタコが出来るほど聞かされている。それによれば、父親以上に腕が立つという話だった。
あり得ない話である為、大半は話半分、いや、話一割程度に差っ引いて聞いていたのだが、実際に当人を目にすると、思っていた以上に幼い。一割どころか五分で良かったかとさえ思う。
これはやはり、親馬鹿の誇張の度が過ぎていたのだろうと、納得した。だからこそ、本当に訓練に参加して大丈夫なのだろうかと不安は増す。
「そうですね。目的は新人たちの訓練です。どうやら従士になるということを甘く見ている人間が居るようなので、手っ取り早く甘えを抜いてもらいたい」
「ふむ」
セミヒオの目が、何人かに向けられる。一番最初に向いたのがヤントであったのは自然なことだったが、彼の目から見れば他の人間も皆どこか温さを感じる。
モルテールン家といえば名高い英雄の家であり、戦いの場となれば最も過酷な場所を任されることも多い。そこの従士となれば、半端な力量ではあっけなく精霊の招きを受けるに違いない。副隊長は、経験則からそう予測した。
「しかし、自分達だけ苦しい思いをして、仕えるべき相手が楽をしているなどと思われては困ります。新人達にだけ苦しい訓練をさせて、主人たちは高みの見物か、と思われるのは甚だ心外です」
「モルテールン卿は大丈夫だと思うが……そうか、ご子息ならば確かに、軽んじられるかもしれんな」
モルテールン領でモルテールン家の男達を舐めるような馬鹿は居ないが、何事にも例外はあるもの。幼い時のペイスをよく知り、その頃のイメージを未だに持っている人間が、自分たちが厳しい訓練を潜り抜けた時に、ペイスはそんな経験をしていないと“思い込んで”しまうかもしれない。
そうなったとき、ペイスの言うことを聞かない。或いは軽んじるような精神状態になるかもしれず。
舐められない為にも、そして率先垂範の家風もあり、ペイスは今回の訓練に参加すると決めていた。
尚、その為に政務で割を食ったのは従士長である。今頃は仕事を押し付けられて盛大に愚痴を零していることだろう。
「よし、ならば諸君ら全員を、平等に扱う。構わんね?」
「勿論です」
「では早速、皆にこれを背負って貰おう」
モルテールン家の面々の前に、でんと置かれたのは土嚢のようなもの。ごわごわしているが丈夫な布袋に、たっぷりと土が詰められている。何をするのかは言うまでもない。
流石に成人したての未成熟な若者を潰す気も無いので、国軍の新兵が背負うよりも大分軽めにしてあるが、それでも五キロは軽くあるだろう。
皆が皆、袋を背負ったところで、ズシリとかかる負荷を感じていた。
「それでは、走るぞ。俺についてこい。遅れた奴は追加で三周の罰があるから離れるなよ」
「はいっ」
そう言って、たったったと走り出した副隊長。慌てて全員が付いていこうと走り出したのだが、体にかかる負担は想像以上だった。おまけに、普通に走っていても早いと思えるペースでのランニング。
「ひいひい、はあはあ」
走り出して五分もすれば、特に今まで体を訓練したことなど無かった数名から苦し気な息がもれだした。
女性二人やリースといった、平民出身の人間は真っ先に顎が上がりだす。
「ぜいはあ、これ、死ぬ!!」
誰が零した言葉であったのか。誰が言ってもおかしくない状況を見れば、一人を除いた全員の共通意見だったのかもしれない。
「そう言って居られるうちは絶対に死なん!! とにかく走れ走れ!!」
一番体力に余裕のありそうなのはアーラッチだったりするのだが、そんな彼でも既に息も絶え絶え。ほとんどの人間の足が、既に上がらなくなってきている。実際、走るペースは著しく遅くなっていた。今なら五歳児にも抜かれるだろう。
「よ~し、一旦止まれ!!」
セミヒオの号令。助かった、とばかりに止まり、一気に地面に座り込む一同。座り込むというより、倒れ込むという方が正解といえる勢いだった。
休憩かと誰もが期待した時。無情の声が降ってわく。
「準備運動もこの辺でいいだろう。これからは、更に速度を上げて走る。絶対に遅れるなよ!!」
ひぇえ、と情けない声がした。誰が出した声なのかはさっぱり不明だが、気持ち自体は共有できるもの。
今の今まででも死ぬかもしれないと思う程厳しいのだ。それがウォーミングアップだったなどと言われれば、心が折れそうになる。
「全く、情けない連中だ。子供並みだな。見ろ、ペイストリー殿……いや、ペイストリーを」
セミヒオの声に、全員の目がペイスに向いた。
日頃から鍛えていたはずのヤントやアーラッチでさえぜいぜいと喘いでいるにもかかわらず、ペイスに至っては汗すらかいていない。
体力を“治せる”裏技があるというのも勿論だが、伊達に毎日走り込んでいるわけでは無いのだ。
「嘘だろ」
「バケモンだ……何で平気なんだよ」
情けない連中の声には、ペイスもしっかりと答える。
「鍛え方が違うのです。全員、さっさと立ちなさい!!」
新人たちは理解する。
先輩たちが、何故モルテールン親子に尊敬の念を向けるのかを。
そして十日間、若者たちは地獄を見るのだった。





