173話 不良と悪の違い
「つまり?」
「ヤントが悪い!!」
若干呂律の回っていない声で、苦情がペイスに届けられた。
神王国のみならず、南大陸の一般的な成人年齢は十代。
人種的な意味で、遺伝的に多少酒に強い人間が居ると仮定しても、現代的な感覚では飲むにはいささか早い年ごろ。
まだまだ体も成長途上にある中で、自分のアルコール許容度を知らないまま、がっつり濃い蒸留酒を飲めばどうなるか。
その答えは、今年の新人たちが身をもって教えてくれた。
全員が全員、揃ってへべれけになり、千鳥足と上戸の量産品が出来上がる。
慌てて介抱し、全員を一旦別室で寝かせることとなったわけだが、そこから真っ先に回復したのは、年の功というべきか、金庫番のニコロだった。
十代も前半の連中からすれば、十代後半のニコロはまだ体も出来ている方だ。十代の時期の数年差はでかい。それだけアルコールの処理能力もあったということ。
そこから事情を聞こうとしての開口一番が、犯人を告発する言葉だった。やけに“ら行“の多い言葉になりつつも、ヤントが主犯であることはしっかりと伝えた。
「ニコロには、研修の終わった今年の新人さんを案内してもらっていたはずですよね?」
「そうれす。ええ、そうれすとも。俺も新人達には是非とも内務の、それも財務への配属希望を出してもらいたくって、必死に案内しましたよ。ところが、今年の新人は揃って可愛げが無い!!」
「筆頭がヤントにアーラッチですからねえ……」
今年モルテールンで聖別した者のうち、目玉ともいえるのが先の二人。
トバイアムの息子で、涼やかな雰囲気のあるアルことアーラッチ。そして、グラサージュの息子で、ルミニートの兄であり、ラミトの弟であるヤント。どちらも親が元々モルテールン家に仕える身とあって、聖別前からモルテールン家に内定が出ていた状態だった。
アルは上背もあって体格に恵まれているし、ヤントは小さい時から親に鍛えられている。文字も読めるし、多少の計算も出来る。礼儀作法だって真似事ぐらいは学んでいた。将来性という意味では、楽しみな二人。
しかし、この両者には共通する問題があった。
モルテールン領において隠然たる勢力を持つ公然の秘密結社『ジョゼフィーネ親衛隊』の隊員なのだ。
要は、非公式ファンクラブの会員という話。
ペイスの姉であるジョゼフィーネがボンビーノ子爵ウランタとの婚約を決めたという話が出た時、この“自称親衛隊”の面々は、荒れに荒れた。しんえいたいではなく、(ウランタ)死ねい隊だとはシイツの弁である。
彼らからすれば、愛すべき皆のアイドルを独占する男などは世界を敵にする大悪党である。死ねだのぶっ殺すだの、とんでもなく物騒な言葉が酒場では飛び交った。それはもう、王都で悪人が収監されている牢屋の方が、お上品に思えたぐらいだ。盗賊団も裸足で逃げ出す。
特にアルとヤントなどは、未成年にも関わらず酒を煽るわ、盗んだ軍馬で走り出すわ、刃引きしていない真剣を持ちだして無節操な森林伐採をやらかすわ、夜中に奇声を発するわと、青春の迸りを如何なく発揮して、親御さんからこっぴどく怒られている。
あの豪放磊落で厚顔無恥なトバイアムが平謝りだったといえば、どれほどだったか分かるというもの。
そんな二人が今年従士として新人採用された。これも反対意見が出たのは確かだ。明らかな素行不良であるが、大丈夫かと。
だが、決め手となったのはモルテールン家の御意見番シイツの意見。
曰く、子どもが悪さをして大人を振り回すから駄目というならば、ペイスはどうなるのか、だそうだ。この意見が特大の説得力を持っていた。誰もが反論の言葉を失った。
世界広しと言えども、ペイスほど大人を虚仮にしまくった子供もそうそういまい。他所の貴族から大金を詐欺まがいでかっぱぐわ、従士達を倒れるまで酷使するわ、戦場で大暴れするわ、お菓子の為に予算をちょろまかすわ。挙げればきりがない。
悪ガキというなら、世界一の悪ガキと言っても過言ではないだろう。あれに比べれば、失恋で一時的にヤンチャするぐらいは可愛いものだ、という意見で一致した。
当のペイスがかなり不貞腐れたのは余談である。
さて、半分ヤサグレて、ある意味で精神的に一回りも二回りも成長した二人。おまけに、モルテールン領のことには細部まで詳しいし、従士の仕事がどういう事かもある程度は承知している。なので、わざわざ先輩から説明を受けるまでもない。
と、本人たちは思っている。
要は、先輩たちを舐め切っていた。流石にシイツやグラス、コアンといった親世代にあたる古参の重鎮達には一応の敬意を見せるが、若手たちに対してはそれも無い。
口が達者という訳でもないニコロの説明など、聞き流すような態度。そんなことは知ってるって、と言いたげな感じで行動するわけだ。
素直さが足りていない、とニコロが憤慨するのも分かるというもの。
「特にヤント。厨房の見学に、酒を持ち込んれたんれすよ。俺が他の新人に目を向けている間に、お茶のポットになみなみと酒を入れやがりまして」
「ほう」
ニコロは、ペイスが用意してくれたコップの水を煽る。
酔いを醒ますに丁度いいとばかり、一気飲みだ。
「『菓子なんてのは女子供の食うもんで、酒でも無けりゃやってらんねえ』ってのがあいつの言い分でしたね」
何とも、ヤントも若い。
一通り暴れ終わったら、次は妙にアウトローっぽく気取りだす。これを反抗期と呼ぶのか、思春期と呼ぶのかはともかくとして、変にワルぶっているのが恰好良いと思いたがる精神状況。十代の男性の一定数が罹患する、青春の麻疹みたいなものだろう。
実に典型的な不良といったところだが、原因が失恋というのは笑い話だ。
「それで自分も酔っぱらっていれば世話はありませんね」
ペイスは、ニコロのコップに水を足してやりながら会話を続ける。
幾らヤントが悪ぶっているといっても、実際に身体が成長するわけでもない。アウトローを気取るには十年早い。十代の青少年が考えもなしに酒を飲めば、酔っぱらうのは当たり前のことだ。
本物の無頼漢になりたければ、経験者あたりにでも聞けば早いかもしれない。今でこそ定職に就き、結婚までして落ち着いてはいるが、昔は本物の自由人だった。金なんてのは有るだけ使い、博打もやれば酒もやる。規則や法律なんて、破る為にあると言わんばかりの傭兵だった。
だが、案外聞かれた方は羞恥に悶えるかもしれない。過去の黒歴史が掘り返されたときには、熟成されてとんでもない臭気を発するものと相場は決まっている。特に本人の鼻には効きすぎて、涙の一つも出てくだろう。
「おまけに焼き菓子を焦がして、貴重な砂糖を炭にしてしまったんですよ。焦げた菓子なんて食えたもんじゃないでしょう?」
モルテールン家の現在の収入は、農作物からが三割、カセロールの職務給等々が一割、商人からの上納等々が二割。そして、お菓子関連が三割。その他が一割弱だ。
普通の貴族家と比べて、誰が見ても明らかに変わった特徴として、スイーツ関連収益がある。それも三割を占める金脈だ。現状のモルテールン家の大きな特徴。
元々砂糖は超がつく高級品であるし、更にはその加工品で、おまけにブランド化に成功しているとあって、モルテールン家のお菓子は、利幅がとんでもなくでかい。モルテールン家が最近羽振りがいいのは、全てここに由来する。
必然、モルテールン家の従士としては、お菓子作りについても基礎教養となる。
新人にクッキー作りを体験させていたのも基礎教養を身に着ける一環なので、失敗はそもそも織り込み済み。予算計上を作業したのは当のニコロとペイスなので、誰よりも詳しい。念入りに費用は計算済み。
しかし、だからといってわざと失敗を繰り返せるほどに潤沢な予算を取っているわけでも無い。
酒を持ち込み、いい加減なお菓子作りで食い物を粗末にする輩がいるなど、計算外だ。
「……そうですね。普通なら焦げたお菓子なんて食べません」
「だから、俺はビシっと言ってやったんですよ。そこに並べってね。それで説教してたら……」
「していたら?」
「他の連中のものまで焦げてしまいまして」
「ニコロも新人に説教出来ませんね、それでは」
やれやれ、とペイスは溜息をついた。
どのタイミングで酔っぱらったかは知らないが、一人の失敗に全員を巻き込んで、強制的に失敗させてしまったというなら指導者の責任だろう。
最初の馬鹿野郎はともかく、後の面々には普通に作業させるべきだった。明確な、ニコロのミスである。
「そうなんですよ、それであいつら益々図に乗って生意気になりやがって!! 何が『ニコロさんのせいで焦げちまった』だ!! 元はといえばあいつらが勝手放題やるから!!」
「はいはい。僕に怒っても仕方がないでしょう」
グチグチと、更に新人たちの生意気さについて愚痴りだすニコロ。彼には、酔いもあって気付けなかった。
いつの間にか、ペイスの目が据わっていることに。
◇◇◇◇◇
トラブルが起きてから、翌々日のこと。
「さて諸君、良く集まってくれました。お酒は抜けましたか?」
ペイスは、庭先に新人達を集めた。
そこに居るのは八人。皆、十代前半から十代半ば。男性六名、女性二名。
女性はどちらも平民出身で、モルテールン領ザースデンの新成人。見込みがあるとして雇われた友人同士。名はそれぞれヴラスチカとカトカという。カトカの方がややぽっちゃりとしていて、ヴラスチカは目つきと態度がキツめ。成人前の子どもの時分からペイスを知っているので、あまり緊張することも無く自然体で立っていた。
男性陣の内、三名は他領出身。ジャスパー=モールは黒髪の青年で、モール騎士爵家の次男坊。軍家閥のつながりで紹介されて雇い入れた。生真面目な性格なのか、モルテールン領の権力者を前に緊張している。
クロノーブ=トロンはボンビーノ子爵家の内務系従士の四男坊。既にモルテールン家に雇われているジョアンこと、ジョアノーブ=トロンの弟にあたる。風貌は兄貴とよく似ているが、緊張することもなく、時折女性陣の方に目をやってはニヤけていた。
ポポラン=ヨードリーはヨードリー子爵家の非嫡出子。出自の後ろめたさから少し影のある雰囲気をした青年であるが、才能を見込んで、王都でカセロールがスカウトした経緯がある。武芸には多少なりとも心得があるらしく、一定水準まで教育が出来れば、王都でカセロールやコアントローの下について護衛の訓練をすることになっている。
残る三人のうち、一人はモルテールン領ミロッテ出身のリース。平民出身だが、実に爽やかな美男子である。光の加減によっては金髪にも見える、癖の無い茶髪であり、鼻筋も高く肌も白い。が、当人は自分の容姿が男らしくないことを気にしており、尚武の気風高いモルテールン家に、自分から売り込みに来た熱意をかって採用した人材。腕っぷしも今一つで、知識や知能というのも物足りないのだが、気合だけはみなぎっている様子で立っている。
さて、問題は他の二人。
ヤント=アイドリハッパと、アーラッチ=アフーノフ。
どちらも父親がモルテールン家の従士であり、いわば譜代のエリートというやつだ。
この二人が、今年の次席問題児。
尚、筆頭問題児が常に毎年同じなのは余談である。
全員が健康状態に問題ないと答えたところで、ペイスは満足そうに頷いた。
「結構。新人研修を終えた諸君は、これから各部署に配属されることとなります。一つ忠告しておくならば、どの部署に配属されたとしても、苦労すると覚悟してください。ここに居る全員が、新人です。分からないことがあって当たり前です。しかし、給金を貰って仕事をする以上、任務がこなせないということは許されません。分からないこと、出来ないと思ったことは素直に先輩に相談し、可能な限り速やかに、分かるように、或いは出来るようになってください。その為の努力の課程であれば、寛容をもって対応する用意があります」
「はい」
モルテールン家は元々貧乏だった。それも超がつくほどに。
だからこそ人材は数を揃えることが難しく、必然、質を磨く方向に家風が染まっていった。
今もそんな二十年来の家風を色濃く残し、モルテールン家は精鋭主義を標榜する。
新人が失敗をする点については、先輩がフォロー出来る程度なら教育の範疇。とやかくは言わない。だが、同じ失敗を複数回繰り返したり、失敗から学ばない人間には精鋭になる道はありえない。
だからこそ、ペイスも新人達には“成果と努力”を求めた。
「さて、それでは皆さん。早速ですがこれから連れて行く場所があります」
「なあペイス、何処に連れてくんだ?」
若干斜め気味に立ち、明らかにわざと姿勢を崩しているヤントが、ペイスに対して馴れ馴れしい口をきく。
元々幼馴染なわけで、年上のヤントとペイスが一緒に遊んでいた時期もある。その頃ならば、馴れ馴れしい行動も許せただろう。子供が礼儀作法を知らないのは当然で、教えるのは大人の役目なのだから。
だが、今は違う。成人したヤントには、TPOを弁えた礼節も、大人としての常識程度は求められる。
ペイスの横に立っていたニコロなんぞは目を吊り上げ、ペイスが居なければ怒鳴りつけていたであろう態度を隠さない。
だが、ペイス自身はにこにことした笑顔を崩さないまま。
そして、おもむろに行き先を告げる。
「王都です。父様の部下の方々の訓練に、無理を言って混ぜてもらうことになりました。どこまでついていけるのか、楽しみですね」
ペイスの含みのある言葉。
ニコロはどうにも嫌な予感を覚えて、そっと怒気を収めるのだった。





