172話 ラミトの帰還
「久しぶりですね」
ペイスが、執務室のソファに座った目の前の青年に声を掛ける。
男は、髪型をきっちり七三に分けて油で固め、座る姿勢はやや浅め。中肉中背で、年の頃は十代半ば。着ている服は平民の着る服であるが、仕立ては良いものを使っているようにも見える。しかしながら若干サイズが合っておらず、一張羅といった感じが拭えない。
見た目だけで言えば、駆け出しの行商人か、商家の見習いといった感じ。商売人らしくない部分といえば、軽く握り込んでいる手には剣ダコがあることだろうが、相対する者には見えない部分であるし、物騒な世の中、自衛手段の一つも持つ商人というのも珍しくもないわけで、先の印象を覆すほどでもない。
だが、そんな見た目であっても、肩書はモルテールン家従士。れっきとした軍人である。
現状の肩書は外務官の次席となっている、譜代の臣にしてペイスの知己。
その名をラミト=アイドリハッパという。
「その顔を見る限り、大分成長したようですね。とても大人びた顔になっています」
「どうも。しかし、本当に久々ですよ。こっちに帰って来るのは。昨日一晩実家に泊まったんですけど、やっぱり我が家が一番落ち着きます」
柔和な笑顔を見せるラミト。
今の彼の任務は、主に神王国南部、つまりはモルテールン領近郊での情報収集だ。
瞬間移動の魔法を持つモルテールン家は、元々情報収集には強みがある。距離を無視して飛び回れる人間の情報伝達力は凄まじいし、噂話の裏付けも領主自身の目や耳で出来る。情報の伝達速度も、正確性も、そして量も、並みの貴族家ではどうあっても太刀打ちできない。
それ故にモルテールン家が騎士爵位だった頃は、カセロール自身による行動だけで十分だった。
だが、やんちゃ坊主の罪過によってモルテールン家が不必要なほどに他貴族の耳目を集めるようになった現状、またカセロールが王都で身動きのとりづらい中、情報収集を担う人材の必要性は言うまでもない。
ラミトの果たす役割は、モルテールン家にとって大きい。
「グラスも一昨日ぐらいから楽しみにしていたようですし、二週間ほどは休暇で良いですから、ゆっくりとして下さい。親に顔を見せるのも親孝行の内でしょう」
「ありがとうございます」
外務の仕事は、主に情報収集と外交。領地貴族が自領に籠っていては出来ない仕事、或いは、宮廷貴族が王都から離れられない時の外回りを担当するのが基本であり、その任務は多岐にわたる。冠婚葬祭の手配や、諸事の挨拶。他家との折衝や交渉。その為に必要な情報収集と分析。或いは他領での犯罪捜査や情報操作等々の秘密任務まで。
要は、自家の権力の及ぶ範囲外で活動する仕事全般。
主人の目の届かないところで活動することがほとんどである為、この手の仕事をこなすには、知識と経験といった実力だけでなく、極めて高い忠誠心が求められる。
祖父、父、そしてラミトと、三代続けてモルテールン家に仕えるアイドリハッパ家は、新興のモルテールン家にとっては最古参と言える譜代であり、忠誠心という意味では最も信のおける家。
「それにしても、モルテールン領も随分と様変わりしましたね。俺が……私が、少し離れていた間に、もう村とは呼べない規模になっている」
ペイスの前で、ついうっかり言葉遣いを崩しかけ、慌てて取り繕うラミトだったが、その様子をペイスは笑って見逃す。
「僕とラミト兄の仲です。公式の場ならともかく、今は言葉遣いは気にせずとも構いませんよ。具体的にはどの辺が気になりましたか?」
ラミトはモルテールン生まれで、ペイスより年上。ラミトの妹であるルミニートは、ペイスが小さい頃からの遊び仲間。つまり、ラミトもまたペイスにとってみれば幼馴染だ。
ルミには二人の兄が居る為、単に“兄”とだけ呼ぶと紛らわしく、彼女はラミトのことを“ラミト兄”と呼んでいた。ペイスもそれを揶揄いがてら真似することがあり、慣れ親しんだ呼び方だったりする。
小さい頃の和気藹々とした雰囲気を思い出したのだろう。懐かし気に軽く笑い、では言葉遣いを崩します、とラミトは椅子に座り直した。
言葉遣いだけでなく、態度まで崩すところに、お互いの気安い関係性が見て取れる。
「そうだなあ、新しく水路が増えていたこと、農地が三倍ぐらいになってたこと、見知らぬ人間が大半になってたこと、村の周りに壁が出来つつあること、森の広さが想像以上に広くなってること、うちの商会だけじゃなくなってること、ぐらいかな」
町と村の区別をするとき、定義は色々あるが、一つの目安として“防衛設備の有無”があげられる。
日本で言えば、“お城がある人口密集地帯”を城下町と呼んだりもするが、重要な場所には外敵から守るための設備があるのは当然で、より安心が出来る場所というのは人も集まる。
現在モルテールン家が行っている公共工事の一つが、ザースデンの周囲に壁を建造すること。盗賊に襲われたこともあるザースデンには、一応は木柵や堀があったのだが、人口が増加するにしたがって手狭になってしまい、去年の時点で村の面積が四倍ほどになっている。
元々あった柵もあまり意味を為さなくなってきたことから、第一次整備として現状ではより大きく囲うようにして石壁を建造中だ。ちなみに、整備案は人口増加に合わせて三次整備まで行う予定である。現状で六百人程度、最大で五千人程度までの人口ならばこの整備計画で間に合うが、それ以上となると真剣に“遷都”を考えねばならなくなる。
そして、人口流入は今後加速していくだろうというラミトの私見には、ペイスも頷くものがあった。
「なるほど。外に居た人間から見た当領の様子、という訳ですね。貴重な意見です」
「うちの商会もうかうかしてられません」
ラミトがうちの商会と言ったのは、元行商人だったデココの運営する、モルテールン家お抱えのナータ商会のことだ。
この世界、商人が商売するときに貴族の後ろ盾がない状況というのは極めて不安定になる。例えば荷物を貴族に適当な名目で接収されたようなとき、抗議するためには対抗できる政治権力が必要。
どんな商会であっても、必ずと言っていいほど貴族の後ろ盾がある。
言葉は悪いが、闇金の後ろ盾に必ずヤクザが居るようなものだ。トラブルが起きた時の対処手段、不当な暴力や権力への対抗手段は、絶対に必要。デココの商会では、それがモルテールン家ということだ。かなり強力な厄除けである。
このナータ商会は、現状では恐ろしい勢いで勢力を拡大している。
例えば、宿屋は既にモルテールン領の七つの村全てで運営し、本村や新村では複数の宿屋がある。全部で十二、建設中の物を含めると十五軒の宿屋を運営していた。総部屋数は二〇〇室に届き、稼働率は脅威の八〇%台。毎日金貨をザクザクと産みだすドル箱であり、大お見合い会が開催された時などは、稼働率が百%を超えたりもしていた。本来一人部屋のところに二人押し込んだり、備え付けの厩舎に泊まる輩も居たからこそ叩き出した異常値だが、それだけモルテールン領には何もかもが足りていない。
ちなみにこの宿屋は、ほとんどが食事処や酒場を兼用している為、モルテールン領の外食産業は殆どナータ商会の、ひいてはモルテールン家の息がかかっていると言っていい。
モルテールン産のお菓子もかなりの利益を産んでいる。
専売となっているシュトレンやのど飴、リコリス印のクッキーは、お菓子の最高級ブランドとしての地位を確立しつつあり、予約だけで三か月待ちになるほど。
王家でさえも顧客に抱え込んでいて、クッキー一枚に金貨が飛び交う程のプレミアがついていたりする。
最早、とても小規模商会とは呼べない規模になっているナータ商会。
だが最近、ここにきて他の商会もモルテールン領に進出してきた。
本村に支店を出した商会が二つ。出店に際してはモルテールン家やナータ商会と色々とすったもんだがあったのだが、それはそれ。
それぞれメインに取り扱う物が、服飾関係と建築関係である。
ナータ商会はメインで扱うものがモルテールン領の食料全般。お互いの領分を犯さずとも、得意分野で協力関係を作れるだろうという思惑から進出してきた。
これらの商会も、モルテールン領の活況の恩恵に浴している。
「問題があるとすれば、進出してきた商会の後ろ盾がアレなことでしょうか? ラミト、調べてくれましたか?」
「ええ。服飾関連を主に商うブランジ商会。ここの後ろ盾はカドレチェク公爵家だな。本店が王都にあるんで、公爵家というよりは軍が後ろ盾になってる感じ。羊毛関連の権益では、ここを外して話をするのが難しいらしい。軍服の六割ほどがここを通して調達されているとか。典型的な政商だ」
「もう片方は?」
「建築関係に強いアスール商会。革新と新進の気鋭に富む商会って噂で、北部に強い地盤がある感じ。後ろ盾は、確証が取れてないけどエンツェンスベルガー家だ」
「辺境伯家がバックについているわけですか」
「元々は砦だったか何だったかの石運びを請け負った人足が興した商会らしい。戦争の真っただ中まで建築資材を届ける命知らずって話」
「北は国土防衛の要ですから、その手の需要には事欠かなかったんでしょうね。戦地で資材調達する苦労を思えば、危険を冒してでも届けてくれるところを贔屓にする事情は理解できます」
カドレチェク公爵家は言わずとしれた国家の重鎮。軍務閥のトップに君臨し、その権勢は王家に並ぶほどと言われている。カセロールの上司でもあり、モルテールン家にとっては機嫌を損ねるわけにはいかない相手。リコリスの姉が嫁いでいることもあり、縁戚でもある。
エンツェンスベルガー家はどちらかといえば保守的であり、政治的な冒険はあまりしないが、護国の盾とも呼ばれる軍人である。カドレチェク公爵とは別に派閥を率いており、地縁によって結ばれる北部閥は結束が固いことでも知られていた。
王太子妃を輩出したことで、近年最も注目される家だ。
両家ともモルテールン家にとって友好関係にあるが、同時に力関係で言えば相手の方が上。モルテールン領に、彼らの息のかかった商会が出来るということは、メリットもあればデメリットもある。
モルテールン領内の情報は、ある程度流れ出てしまうことは確実。経済的繁栄と引き換えなら、許容できるだろうとペイスは頷く。
「ホーウェン商会は誘致に頷きませんでしたか?」
「あそこは服飾にも強いけど、本業は宝飾品。幾ら景気が良いとはいえ、金持ちの少ないうちにはこないとおもう」
「そうですか。せめて競合他店があれば、頭を抑えやすいのですが。仕方ない、これからも気を付けて目を配るようにするしかないですか」
「そうだな」
外回りの多い部下とは、情報連携と密にする。
そんな意図からの情報交換。
ただ、そんな仕事ばかりでも肩が凝る。いつの間にか話は逸れて脱線し、お互いの近況報告になっていく。
「これからのことはこれから考えるとして、ラミトの方は最近どうですか? 身の回りで怪しい動きはありませんか?」
「怪しい動きってのは無いかな。デココさんには色んな所からの誘惑があるっぽいけど」
「誘惑? 色仕掛けか、或いは金銭でしょうか?」
「どっちも。商人だからお金には厳しいけど、問題は女性関係かも。あの人独身だし。シイツさんのことがあったせいか、聖別早々の女の子が寝所に潜り込んできたことがあったらしい。モルテールン家では力づくで男をものにするのが推奨されてる、と勘違いされたとか。いい迷惑だって言ってた」
人間を都合よく操ろうとしたときには、欲望に訴えかけるもの。昔からある古典的手法だが、それは効果的な上にコストパフォーマンスが極めて高いからだ。だからこそ、何百年経っても廃れずに残っている。
特に商人というものは、欲望に忠実なもの。三方よしの精神を経験的に持つような商人もゼロでは無いが、基本的には自分の利益の最大化を目的として、権謀術数を尽くすもの。
金、利権、女など、相手の欲しがるものを与えて篭絡するであるとか、暴力や権力に物を言わせて脅すといった交渉は、行商人ならいざ知らず、商会の主ともなれば日常的に行われる。
しかし、デココとてそんなことはとっくの昔に分かっていること。ガードを固めて、交渉に当たるぐらいはやってのける。
だが、幾ら守りを固めようと、味方からの誤爆は酷く邪魔だ。モルテールン家の家人が脳筋と思われていれば、風評被害はモルテールン家を後ろ盾に持つナータ商会にも及ぶ。
ロリコン疑惑を疑われて、年端もいかない少女を寝所に忍び込まされるなど、いい迷惑だ。
「それはシイツが悪いですね。しかし、独身のデココがその手の守りに強くなってくると、相手方は多分、矛先を変えて来るでしょう」
「矛先?」
「当人に効果が無くても、周囲には効果があるかもしれない。狙われるとすれば……ラミトですね」
「俺!?」
「デココの弟子、ということになっていますから。そちらから攻めていって、足掛かりを作ろうと考える者が……そろそろ出始める頃合いでしょう。気張ってくださいよ。貴方が篭絡されると、ナータ商会からうちの機密情報が駄々洩れになりかねない」
「うわあ」
「これから当分の間は、仮に偶然のように見えても、近づいてくる女性は全て罠だと思うことですね」
ラミトは、ペイスの言葉に天を仰いだ。
今後近づいてくる女性は全てハニートラップだと思え、と言われたからだ。
彼とて、まだまだ青春真っただ中の若者。可愛い女の子、美人の女性からちやほやされてみたいという気持ちはあるわけで、女の子にモテたいという、十代の男性では極々当然の欲求を自制することがことが求められる。
これは、かなり酷な話だろう。
「そうなると、俺は恋人も出来ないってことか」
「嵐が過ぎるまでは、ですよ。二年も頑張って、効果が無いと見込まれれば、普通の出会いもあるでしょう。同じ問題は今年の新人にも言えますが……」
突然、ペイスが何かを考え込み始めた。
長い付き合いのラミトは、こういう時には何を言っても意味がないと知っている。ただ待つしか、効果的な対処法が無い。ペイスの集中力は半端ではないのだ。
「ふむ、ラミト、これから少し良いですか?」
「はあ、別に構わないけど」
ペイスへの報告が終われば、しばらく長期休暇の予定だったのだ。恋人も居ないので暇です、とは言わなかった。
喉まで出かかったが、口にしてしまうと不幸な気分になりそうだったからだ。ラミトは、別に恋人が出来ないわけじゃなく、作らないだけだし、と心中で盛大に言い訳した。
同じ言い訳を、世の中の男性がどれだけ口にしているかを、知る由もなく。
「今年入った新人たちに、少し訓示をお願いします。特に、外部に出て見聞を広めた先輩の意見は貴重でしょう。今までデココや貴方が経験した女性トラブル、ハニートラップ、賄賂、脅迫等々の……ようは体験談を語って欲しい。仲良くおしゃべりするのはここまでにしましょう」
「分かった……いえ、分かりました、若様。それで、その新人たちは今どこに?」
「ニコロが引率して、今頃は当家の“お菓子作り”を学んでいるはずですが……行ってみますか」
ひょいっと腰をあげて動き出すペイス。即断即決、行動が早く腰が軽いのはモルテールン家トップの癖のようなもの。父親譲りのフットワークの軽さ。
厨房までの道のりを、ペイスが先導するような並びで進む。
「そういえば、ヤントも従士になりましたよ」
「へえ、あの馬鹿が? 見込みはありそうですか?」
「多少はあります。兄貴には負けないと、張り切っていると聞いていますよ」
「兄の面子ってのがありますから、俺も早々に負けませんよ」
ラミトの弟、そしてルミニートの兄にあたるのがヤント。
本村で、過去には『ジョゼフィーネ親衛隊』を組織したこともあるほどモルテールン家の人間とは(特に極一部とは)親しい。年子の兄弟として喧嘩の多い間柄のラミトとしては、複雑な心境になる。
「多分、今頃はジンジャークッキー作りの講習を……って、何ですか、このありさまは!!」
厨房に入った瞬間、ペイスにしては珍しく大声で驚いた。
彼が目にしたのは、テーブルに突っ伏す新人達。死屍累々と言った有様。
「一体何があったんです!?」
ペイスは、手近なところに転がっていたニコロを叩き起こす。
どうやら生きてはいるようだったが、顔色が赤い。
「ぺ、ペイス様……」
「ニコロ、一体何が……ん? この匂い」
ふっと薫った匂いの先に目を向けると、そこには試作中の蒸留酒の陶器瓶。
そして大量の焦げたクッキー。のようなものがあった。