169話 勝つための覚悟
人生の転機とは、ある日突然やって来る。
「という訳で、ジョゼ姉さまと婚約するにあたって、父様と決闘して頂くことになりました」
ペイスは、朝からナイリエの領主館に顔を出していた。
最早領主館で仕事をしている従士や侍女たちには顔なじみとなっているペイス。気の早い者の中では、既に身内扱いして接遇するものも出ている、勝手知ったる他人の家。
遠慮や自重という項目が欠落した、歩く欠陥辞書のペイスは、堂々とした立ち居振る舞い。見る人が見れば、流石はモルテールン家の若獅子よと感嘆の念を覚えるが、モルテールン家の家人からすれば、単に面の皮が分厚いだけの問題児である。
まだ早い時間だというのにばっちりと目を覚まし、気合十分でそわそわしていたウランタが、一番上等な応接室にペイスを通すよう指示してから間もなく。
どういった結論がモルテールン家で出たのかと、期待と不安が綺麗に混ざったカクテルがソファに座ったところで、ペイスの口から開口一番、決闘という言葉が飛び出す。
驚いたのはカクテルことボンビーノ家の少年領主ウランタだ。
「は? 今何と?」
思わず聞き返したのも無理は無いだろう。
「ですから、父様と決闘してくださいと申し上げました。決闘で勝ってジョゼ姉さまとの婚約を認めさせてみろというのが、父様の出す最低条件だそうです」
出されたお茶を静かに飲むペイスは、平常その物であるが、言っていることは平常とは程遠い。
モルテールン家は武勲のみで成り上がった純粋な軍家。
勿論、対外交渉の難しさや、内治の功績をないがしろにしているわけでは無いのだが、軍家にとって最重要な要素はやはり軍事力である。
元々はカセロール個人の魔法と剣技によって興った家。栄枯盛衰は、現状カセロール個人の実力によるというのが、専らの見方だ。
代が変わっていけばモルテールン家へ向ける目も色合いが変わっていくかもしれないが、現状では個人の強さがお家の実力そのものと言っても過言ではない。というのが、モルテールン家の御家事情。
ペイスの規格外や、モルテールン領が黒字になって儲かっていることを知らない人間はまだまだ多く、そういう人間からしてみれば、カセロールの価値がイコールでモルテールン家の価値である。
カセロールなどは、王都に住むようになり周りの貴族の見方を知り、尚更そう実感していた。
モルテールン家が婚家に舐められないように、モルテールン家の価値を認めさせる。その為には、カセロールの実力を改めて示すのが一番。
一番価値があるのは息子だとカセロール自身は思っているのだが、周りが男爵自身に価値を認めている以上、それを示してこそ、娘を大事にしてもらえるというものだ。
誰だって、価値がある物は大事にする。モルテールン家の価値が大きければ大きいほど、娘は大切にしてもらえる。
だからこそ、手を抜かず、最高の結果を見せつけてやると、カセロールは気合を入れていた。
しかしそんな気合などは、ウランタからすれば超えるべき壁が急にそそり立ってきたようなものだ。
「む、む、む、無理です。絶対に無理です!!」
「そうですか?」
カセロールに喧嘩を売られたに等しいウランタにしてみれば、突然の申し出には困惑を通り越して狼狽するしかない。
娘を欲しければ自分を倒してからにしろ、と父親が凄むという話は、聞いたことはあった。よくある親馬鹿の暴走として、つまりは笑い話としてだ。
まさか自分の身に、本当に降りかかるとは思ってもみなかった。
「そうです。モルテールン卿といえば、我が国でも一と言って二と下らない豪傑ではないですか!!」
ボンビーノ子爵家も外務官を整備し、他家の情報収集には余念がない。
中でも、モルテールン家はジョゼへの恋慕を抜きにしても情報収集を怠れない相手。当然、現当主であるカセロールについても色々と調べてある。
その中には、過去に積み重ねてきた実績も含まれていて、世間では知られていない活躍などもボンビーノ家は調べ上げていた。何となれば、息子に負けず劣らず父親も無茶をしてきた過去が明らかになる。この親にしてこの子ありと、実感するには十分。
貴族とは、兎角問題ごとを抱えがち。
しかし、本来ならば自分の家の内部で片付けなければならないトラブルでも、時には自力解決困難になってしまうことがある。
これが身内のお家騒動のような問題ならば、他家が口を出せば問題が余計にややこしくなるわけだが、例えば魔獣の災害であったり、複数同時の騒乱であったりと、他家に介入してもらってでも、早期に解決したい事象もあった。
ここで出て来るのがカセロール。対価次第で援軍を請け負うことで知られていた。
対価が利権や権力でなくお金で構わないというお家の事情や、一人でも一軍に匹敵する魔法と武力。覗き屋と組んで活躍する万能性などなど。
困っている貴族からすれば、実に都合の良い便利屋だったのだ。
大体が手遅れとも思えるほど状況が悪化してから依頼するわけで、カセロールが出張るころには、どう考えても多少の対価では割に合わないというほど酷くなっていることが多かった。
失敗すればモルテールン家のせいにされるという圧力を受けながら、これを解決してきた実績。
時には正規軍を出し抜いて近隣を荒らしまわる、百人規模の海賊を一人で潰し、時には千を超す魔獣の群れを、僅かな手勢で全滅させた。
同じ真似が出来る人間など、神王国広しと言えどほとんど居まい。居たとしても、金銭で命がけの仕事を請け負う人間など、最早カセロールのみといっても過言ではない。
一人で一軍に匹敵すると言われる実力は、飾りではない。ボンビーノ家の人間は、それを知っている。
「ははは、それはまた過分なご評価を。父様とて無敗ではない。上には上は居るでしょう」
「敵には首狩り騎士と恐れられ、味方には救国の剣とも崇められる英雄。積み上げた武勇伝は数知れず、何よりも魔法を使える騎士としては一つの完成形と言われている御仁です」
「いやあ、照れますねえ。父をそうまで評価して頂けると」
あくまで飄々としているペイスに対し、ウランタはかなり必死だ。
戦って勝てるなら良い。だが、どう考えてもウランタがカセロールに勝てるわけが無い。
現状で勝てないのなら、勝てるだけの条件を整備するのが戦略というものだが、それにしたってウランタに出来る事には限度がある。
「笑わないでください。私は真剣なのです。ペイストリー殿に骨折りいただき、ジョゼと婚約出来るかもしれないというのは嬉しいです。最上級の喜びです。しかし、その為の条件がモルテールン男爵との決闘で勝つことなど……私など、寸時も持たずに敗れるしかない!!」
ついには、叫ぶように感情をむき出しにしてしまったウランタ。
ジョゼと一緒になれるかもしれないという希望が目の前にあり、しかしその為にはカセロールという壁を越えなければならない。
希望を知ってから見せられる絶望程、落ち込むことは無い。それならばいっそ、最初から無理ですと突っぱねてもらう方が気持ちは楽だっただろう。
「決闘ですから、別にウランタ殿が出る必要も無いでしょう。要はボンビーノ家の力がモルテールン家を上回り、父よりもより強力にジョゼ姉さまを守れると証明すればいいのです。代理人を立てればそれでいい。良い代理人を用意できるのも、お家の力なのですから」
そんなウランタを見かねてか、ペイスが助け舟を出す。
尤も、それすらも助けと言えるものかどうか。
決闘に際し、代理人を立てるというのはありふれている。自分たちの間のトラブルを解決する一つの手段として決闘という制度があるわけで、双方が納得するのなら、本人以外が代わりに決闘をしても、恥じるべきものは何も無い。
ペイスの言った通り、強い人間を決闘の場に用意できることもまた、家の力なのだから。権力にしろ、財力にしろ、情報力にしろ、人徳にしろ。何かに秀でていなければ、相手に勝る人材は用意出来まい。
強い人材を用意する。この、準備の段階から、戦いとは始まっているものだ。
「モルテールン卿に勝てる代理など、そう容易く見つかるわけが無い!!」
ウランタが声を大にして主張していた。
ペイスの意見は、確かに道理だ。代理人を立てて、カセロールに勝てることを示せば、世間体として第三者にも納得させやすい。
今回は他所の家がちょっかいを掛けてきた上でのことだから、尚更他家に対するアナウンス効果が要る。カセロールに勝ったという事実をもって、ジョゼとの婚約。そしてその先の結婚まで既成事実化してしまえば、有象無象の噂などは自然と根も葉も失い枯れていく。
カセロールにしても、決闘で負けても尚グダグダするような人間ではない。負けは負けと潔く認め、嫁ぐ娘を祝福するぐらいの度量は有る。
決闘で勝ちさえすれば、万事丸く収まる。
しかし、あくまで理想論。
一人で軍を相手にしても引けを取らず、一対一では無類の強さを誇る魔法使い。正統派の剣術だけでもかなりの腕前であるが、瞬間移動の魔法を駆使し、どんな相手であっても意表をついて戦えるという絶対的なアドバンテージを持つ騎士。
天下無双。世界に二人と並ぶことなき生きた英雄。勇名に偽りなし。
戦場であれば、複数人で対応するであるとか、罠に嵌めるであるとか、対応策は色々あるだろう。しかし今回は一対一が大前提の騎士の決闘。卑怯な真似をせずに、正面からぶつかってカセロールに勝てる相手。
そんな人物が居るなら、王家のみならず世界中の権力者が争奪戦をやらかすことだろう。
代理人を立てて勝てばよい。理屈ではそうだ。
絵に描いた餅。畳の上の水練。傘でのゴルフ練習。つまりは机上の空論だ。
「なるほど……そこで、僕から一つ提案なのですが」
「はあ」
ところがペイスは、ウランタの勢いも右から左に流し、笑顔で話しかける。
むしろ、ここからが本題だと言わんばかり。
「そちらでは色々と作物の品種改良を行っているとか。果樹園を早速整備されたそうですね」
「……ええ。それが何か?」
突然の話題の変化。
一応はボンビーノ家の機密となっているはずのことなのだが、モルテールン家であれば知っていても不思議は無いかとウランタは気にしない。
隠しているとはいえ屋外だ。情報封鎖にも限度があるし、それに今のところは大したことはしていない。精々、よくあるフルーツを、ボンビーノ領でも作れるか試す、という程度の段階だ。
それが一体何の関係があるのかと、訝しんだウランタに対し、ペイスはずいっと顔を近づけた。
「僕に、その成果を定期的に教えて貰えると言うのであれば……父に勝てる代理人を紹介いたします」
「本当ですか!!」
ペイスのニヤリと笑った顔。
どう見ても悪だくみをしていそうな顔なのだが、ウランタにとってみればまさに福音。救いの天使の笑顔である。
思わずウランタも立ち上がって喜んだ。
「どうですか。僕にボンビーノ家の秘密を渡す覚悟は有りますか?」
「勿論です。ジョゼと結婚できるというなら、何を犠牲にしても成し遂げる覚悟です」
「その覚悟や見事。契約成立ですね」
ウランタは知っている。世の中には、パン屋の娘と一緒になる為に、貴族の地位を捨てた男が居ると。
ウランタは知っている。モルテールン家が好む男とは、高い地位にある男ではなく、高い実力と覚悟を持った男なのだと。
ウランタは知っている。自分の実力はペイスに比べれば大したことが無いと。それでも、ジョゼを大切に思う気持ちは、目の前の“義弟”にも負けないのだと。
覚悟を決めたウランタは、にこやかにほほ笑む天使の手を取って握手した。
交渉妥結の合図だ。
「では早速、その代理人という方をご紹介下さい」
鼻息も荒く、早速とばかりにウランタはペイスに代理人の紹介を求めた。
あのペイスが自信満々に紹介する相手だ。きっと勝算はあるはず。
レーテシュ家のセルジャンはどうだろうか。剣の腕は高いと聞いているが、ペイスとも決闘したと聞く。その時に実力を測り、勝ち目があると見込んだのかもしれない。
外国の魔法使いかもしれない。聖国と戦ったばかりの今、抜け目の無いペイストリーが、聖国の魔法使いと個人的な伝手を確保した可能性はある。ならば、その伝手で名高い聖国の十三傑でも連れて来るのかもしれない。散々モルテールン家に痛い目を見せられただけに、モルテールン対策は恐らく万全だろう。これなら勝ち目はありそうだ。
或いは、王家の人脈かもしれない。カセロールが忠臣と呼ばれるのは有名だが、王家としても万が一モルテールン家が翻意した時の準備ぐらいは有るはず。抱える人材の質で言えばこれ以上ない人材の宝庫。一人や二人、カセロールに対抗できる人材が居ても驚くには値しない。ペイスであれば個人的に伝手を得て、今回助力を乞うことも可能では無いだろうか。
などと、色々と考えていたウランタだったが、ペイスの続く言葉は意外なものだった。
「その必要はありません」
「は?」
「その代理人とは、今この場に居ります」
今この場には、三人しか居ない。
ウランタと、その護衛。そしてペイス。
ウランタと護衛の男は論外だとするなら、残る答えは一人しかいない。
「つまり……もしかして?」
「ええ。僕が、ウランタ殿の代理として、父様をぶっ倒します!!」
ペイスによる、大胆な下剋上宣言だった。