166話 事件は会場で起きてるんじゃない
「何だ、あれは」
カセロールが呟いた。
視線の先には、様々な年齢層の女性たち。総じてみれば、奥様と呼ばれるであろう女性たちが多い。時折チラリと見えるのが彼の妻や娘であろうことは分かるのだが、如何せん全容がつかめない。
「父様、あそこにいるのは淑女というのです」
「私には、獲物に群がる野犬の群れのように見えるが?」
「それは幾らなんでも失礼でしょう」
ペイス達がモルテールン家の女性たちと合流しようとした際、どこにいるかはすぐに見つかったのだが、合流するのが難しくなっていたという点で頭を痛める状況だった。
元々、モルテールン家の人気は高い。社交の場となれば、話しかけて来る人間は普通の男爵家と比べれば圧倒的に多かった。
モルテールン家男爵夫人と娘たちが揃って居る場、目ざとい人間ならば声を掛けて来る。
そして彼ら、彼女らは気付くのだ。ジョゼとリコリスの衣装が、見慣れないデザインであることに。
これが、ただ単に物珍しいだけならば「素敵な衣装ね」ぐらいの話で終わる。ジョゼやリコにしても、笑顔で礼の一つも言っておけばそれで最低限の社交にはなる。
しかし、着ている服が一言二言で終わる程度の服ではないのだ。足を止めて話し込むぐらいには興味を引く。軽い挨拶で終わらないとなると、人気のあるモルテールン家の周りには挨拶待ちで自然と人だまりが出来、それがまた野次馬を呼ぶという循環。
全ては、ペイスの用意したドレスが、非常に洗練されたデザインであったことが問題だった。
どこが洗練されているのか。
例えば、袖口の細さが違う。
女性の美しさを評価するポイントは、時代や国によって違う。ふくよかな女性が美人と言われることもあるし、しもぶくれのおかめ顔が美人とされていることもある。盛りに盛った髪型で美人と評価することもあれば、首が長いほど美人という場合だってあるだろう。
では神王国ではどうか。この国は軍人が貴ばれる騎士の国。価値観の基本はどうしても騎士の影響を受けやすい。
つまり、余分な脂肪はそれだけで運動不足、鍛錬不足と蔑まれる。男の場合は特にそうだ。馬にも乗れない肥満体など、騎士の風上にも置けないと、軍人には受けが悪い。剣も使えない脂肪の塊など、燃えるゴミだという極論さえあった。
この風潮は女性にも影響があり、やはり引き締まった身体は好印象を与えるとされている。ブクブクの三段腹などは、下着で締め付けてでも隠してメリハリのあるボディラインを作ろうとするし、服もそれに合わせて作られるもの。腰がキュッと締まって見えるデザインが貴ばれる。
服の袖についても、可能な限り細く見える方が、神王国人の美的感覚にあう。ぶかぶかではみっともない、というのがこの国の女性のセンスだ。
だが、仮に袖を腕にぴったり合うようにして縫製してしまうとどうなるか。
この場合、袖に腕が通せなくなる。伸縮性のある化学繊維など無い世界、手首と同じ円周の袖に手を通そうとすると、手のひらがつっかえて通らない。特に手首の細い、いわゆる“美人”であればあるほど、そうなる。
だから、神王国のパーティードレスというのは、袖口のところは切れ込みが入っている服が多い。フリルなどをあしらって袖の太さを誤魔化すことも多い。
では、モルテールン家の新作はどうか。
これは、手首までぴったりと合わせてある縫製で、ジョゼやリコリスの細い腕のシルエットが肩口から手首まで綺麗に出ている。
何故このようなことが可能かといえば、手首のあたりに秘密があり、袖口にボタンが付いているのだ。
ヨーロッパの中世から近代にかけて生まれた技術を、ペイスはついうっかり先取りしてしまったことになる。
デザインについてあれこれ職人たちが話し込み、袖口の絞りをどの程度にするか討議していた際、ペイスがボタンをつけてはどうかと口を挟んだことからこうなった。コロンブスの卵的な発想だろう。
他にも色々と、リコやジョゼの体形と容姿に合わせた工夫が施されており、誰が見ても新しいファッションであると分かる。
三人寄れば文殊の知恵という。多くの知識を持ちながら、別々の場所で培った経験を持つ一端の職人集団が四つも集まったのだから、かなりいいものが出来たとペイスも自信を持っていた。しかしそれ以上に目の肥えた淑女の食いつきは予想外だった。
これはどうやって作っているのか、何処の店で作ったのか、生地には何を使っているのか、自分にも作ってもらえないだろうかと、少女二人が質問攻めにあっている。
そんな一団の周りに、ジョゼ狙いやその他の女性狙いの男どもがうろうろ周回するという、なんとも怪しげな集団が出来ていた。
「いい加減、助けないと拙いですね」
「そうだな。……アニエス!!」
軍人の声は良く通る。夫の声が聞こえたのだろうが、アニエスは声のした方に目をやり、カセロールを見つけた。ほっとした部分も有ったのだろうが、いつもよりも若干緊張気味に振り返り、その後目を見開いた。
「ペイスも居たのね!! 丁度良かったわ。こっちにいらっしゃい」
カセロールを見つけたアニエスは、一瞬で傍に居るペイスの方に目線を移した。そして息子には、自分の傍まで来るように言う。
普通に考えれば、親子が仲良くしている様を見せつけるのは意味がある。親子不仲となれば仲違いを煽る輩も出て来る油断ならない貴族社会で、付け入る隙を与えない為にも大事なことだろう。
しかし、ペイスにしてみれば困ったものだ。来いと言われても、碌なことにならない雰囲気がプンプンする。
アニエスや、その周りにいる女性たちから、剣呑なオーラが漂っているのだから。お上品に取り繕ってはいるが、逃がさない、という決意がにじみ出るようにジリジリと包囲網を作り始めた。包囲殲滅から逃げるには、一点突破しかない。
では逃げるべきなのか。勿論、そんな選択肢は愚策中の愚策であろう。
妻であるリコリスもがっちり抑えられてしまっているのだ。ペイスに逃げるという選択肢はない。
たとえそれが虎口と分かっていながらも、飛び込むしかないのだ。
「母様、どうかされましたか」
「どうかしたも何も、聞きましたよ。ジョゼやリコちゃんの服を用意したのは貴方だそうですね」
「はい。妻に衣食住で苦労させないのは夫の務め、モルテールン家の令嬢に恥をかかせないようにするのは、留守居を守る領主代行の務めです。二人の服は、僕が手配して用意したものです」
「どうして二人の服のことを、私に黙っていたのかしら」
「黙っていたわけでは無いです。どうせ今日会うのですから、言う必要が無いと思っていただけです」
事前に言っておいて欲しかった、という意味で言っていることぐらいはペイスも分かる。
何故事前に言っておいて欲しかったのか。その意図が問題だ。
問題ごとが起きる前に手を打っておきたかったから、事前相談を欲したというならば、男爵夫人としての話。ペイスとしても、以後気を付けます、という話になる。
だが、どうやら様子が違う。
「私も、二人みたいな服が欲しかったわ。素敵な衣装ですものね」
「……時間が無かったのです。モルテールン領には職人も少なく、二人分ならともかく、三人分を用意するのは難しいと判断しました」
「え!? じゃあ本当にうちで用意したものだったのね!!」
ぱあっと明るくなったアニエスと、より一層騒がしくなった周囲の女性たち。
「この服を作った職人は、今もザースデンに居るのかしら」
「はい。当領に移住してきた職人たちの合作でして、彼らは今後も当家の庇護下にあります」
一人の女性がペイスに質問してきた。ペイスの記憶が確かなら、内務系の高位貴族の奥方であったはずの女性。
暗に職人の引き抜きは許さない、というペイスの言葉の意図。正確に読み取ったのであろうが、ならばどうするかと更に思案顔になっている。
「私にも同じ服を作っていただけるでしょうか」
「勿論です。体に合わせた服を作る為、今までよりも入念に寸法を測る必要もありますし、裁断や針入れには特別な工夫がされておりますので、機密を守る為にも当領まで足をお運びいただくことになりますが、事前にご連絡を頂けるのであれば、不肖ながら僕が仲介の労を厭わず、手配させていただきます」
今度は、外務系の子爵夫人が声を掛けて来た。ややふくよかな感じのご婦人であり、体のラインが浮き出る服は止めておいた方が良いようにも思えた。服の良し悪しではなく、単純に似合う似合わないの話として。
しかし、そんなことは一切感じさせず、セールストークをするペイス。さりげなく立体裁断や特殊な縫製について匂わせているところも抜け目の無さである。
外務の仕事は、人付き合いとその仲介がほとんど。贈り物を贈る機会も、貰う機会も多い。それだけに目は人一倍肥えているはずであり、そんな夫人が興味を示したというだけでもペイスとしては収穫である。
いつの間にかご婦人方に囲まれるようになっていたペイスは、さりげなくモルテールン親子のハンドサインで、父親に娘たちの救出を依頼していた。
質問の矛先がペイスに集中し、リコリスとジョゼが囲いの中から救出された時だった。
「きゃああああ!!」
女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
それも、パーティー会場とは違ったところからだ。
暴漢に襲われた時のような悲鳴に、辺りがざわめきだした。
「父様!!」
「私はここで皆を守る。お前は状況を見てこい。何かあればすぐに知らせろ!!」
「はい」
ペイスがダっと駆け出した。
親子の連携を心配する必要は無い。そんなものは今更な話だ。
モルテールン家の二人がまず懸念したのは、敵対集団が襲撃してきた可能性。命のやり取りが日常茶飯事な物騒な世界である。油断していて命を取られてから、卑怯だと罵っても意味がないわけで、テロリズムへの警戒は当然するべきことだ。ただでさえ、戦勝祝賀の場とは、負けた方にとっては目障り極まりない場なのだから。
テロリズムの標的にされやすい会場。特にモルテールン家は勇名も馳せた分、悪名も轟いている。神王国の英雄は、敵国からすれば極悪人だ。
そして、仮にテロリストの襲撃のようなことが王城で起きたとしたなら。まずカセロールとしてやるべきは王族を含む来賓の安全確保。次いで身内の安全確保だ。仮に王族を置いて我先にと逃げれば、不敬罪ものである。それ以前に、戦いを本分とする騎士として失格だろう。
身内の安全と、守るべき主君筋の安全を同時に守るにはどうするか。幸いにしてここは王城であり、パーティー会場には護衛が大勢いるわけだから、動かないのが最良の選択肢となるだろう。
神王国の場合は、貴族とは必ず騎士である。貴族が集まった場。ここより戦力が集まっている場もそうそう無いだろう。
しかし、何時までもじっとしていては状況が何も変わらず、何もわからないまま。
誰かが斥候役として状況を確認しに行かねばならないのは自明のことであるが、この人選は一人しかいない。
モルテールン家で戦える男手は、パーティー会場には二人。一人が残らねばならないとするなら、片方が状況確認に動かざるをえない。
ペイスとカセロールの二人だ。何も言わずとも即座に両方が両方とも斯様に判断し、さっさとペイスが斥候に走った。
息子であれば、仮に手強い武装集団がまとめて居たとしても、逃げて帰ってくるぐらいはやる。そんな信頼があるからこそできる連係プレー。
「ペイスは大丈夫かしら?」
「心配いらんさ。大方、酔っ払いが悪さでもしたんだろう」
「そうだと良いけど」
カセロールとしては、ほぼ状況を見切っていた。護衛の動きであるとか、全員が驚いている来賓の様子であるとか、総じて“戦場の雰囲気”が無いのだ。
案の定、ペイスが様子を見て戻って来た時には、のんびり歩いて戻って来た。
「父様」
「それで?」
何がどうした、とは聞かない。いちいち細かいことを指示せずとも、要点を掻い摘んで話すぐらいには機転の利く息子だ。
「襲撃ではありません。ただ、困ったことが起きていたようです」
「困ったこと?」
「はい」
ペイスが困ったというのだから、本当に厄介なことだろう。親馬鹿はそう判断する。
カセロールに耳元を寄せるように言うペイス。そっと内緒話の体勢になると、ペイスがそっとささやいた。
「ボンビーノ子爵が、女性を暴行した容疑を掛けられています」
…昨晩更新しようとしていて、ベッドに軽く横になったら、いつの間にか寝ていた件…
今日、夜にも更新する予定。