164話 不逞な企み
服飾職人達が混乱したままモルテールン家を辞した後。
モルテールン家の中では、内輪の相談が為されていた。
「坊、本当に十日で出来ると思ってるんで? 下手すりゃ布を用意するだけでもそれぐらい掛かりやすぜ?」
シイツが分かりやすく懸念を表明する。
この男の仕事は領主補佐であり、想定される懸念事項や不安要素を出来るだけ事前に洗い出し、政策の見落としを防ぐことも含まれる。
モルテールン家に雇われたばかりの若い人間からすれば、単なる嫌がらせや粗探しにも見えるので勘違いされやすいが、高い見識を持ってより多くの可能性を探るのに、相当な経験と知識が要る仕事だ。そんじょそこらの若手には務まらない仕事であろう。
また、領主家の人間に物おじせず間違いを指摘できるだけの威厳も必要である。経験と威厳を備え、ペイスに堂々と諫言できるシイツは代えの効かない貴重な人財だ。
「分かっています。しかし、元々手元に持っている布だってあるでしょう。職人なのですから」
「そうは言っても、一人の職人が手元に置いてる布なんて、たかが知れてるでしょうよ。一着分は何とかなっても、二着分も最高級品を溜めこんでる職人ってなあ、居ますかね?」
「そうですね。だから言ったでは無いですか。総力を結集しろと。それぞれが持ち寄ったなら相当なものになるでしょう?」
「お? ほう、なるほど、そういうことですかい」
ペイスの言った言葉に、ようやく理解が追いついたシイツ。
領主代行がやろうとしていることに、なるほどと頷いた。
「え? どういうことですか?」
対し、何をやろうとしているのかがさっぱり分かっていないのが若手のジョアンだ。一年ほどの経験を積んだとはいえ、新人に毛が生えたような若者。世が世なら子ども扱いされるような十代の青年である。
何となく、みんなで協力してね、とペイスが言ったらしいことは察せられても、そこにどんな意味があるのかがさっぱり分かっていない。
布を持ち寄ったら二着分ぐらいはあるだろう、と言っているだけのように思えるのだが、従士長の様子を見れば、それだけではない、何か深い意図があるように思えた。
そんなジョアンの様子を見て、シイツは柑橘類の皮を下処理なしに噛み潰したような顔をする。
「ジョアン、お前はまだまだ勉強不足だなあ。もう少し鍛えねえといけねえ。そんなこっちゃ、新しく入って来る奴らに示しがつかねえぞ」
シイツの軽いゲンコツが、コツンとジョアンの頭を小突く。
モルテールン家の腹心は、従士長の仕事として、年明けに採用予定の新人達の二次選考をしていた。それだけに、優秀な若手がどんどん入って来るであろうことと、今いる先輩たちの実力の差が問題だという危機感を持っているのだ。新人の方が優秀であるなら、先輩としては軽んじられることになる。上が軽んじられて、組織が円滑に動いた例はない。
そのまま説教を始めようかとしたシイツを止めたのは、ペイスだった。
「まあまあ。ジョアンだってここ一年で成長してますよ。ジョアン、当領に今どれぐらいの服飾職人が居るか知っていますか?」
「さっきの四人だけじゃないんですか?」
「さっきの四人は組合の親方衆です。彼らの下に、それぞれ三人の徒弟が居ます。弟子の枠もまた組合の規定で決めるのが普通ですからね。つまり、多ければ十六人の職人が居るわけですよ。上限がそれだけとも言えますが」
「はあ」
神王国のみならず、この世界では職人の数は厳しく管理されている。
その理由は幾つもあるが、一つは産業保護の意味があるからだ。
識字率も低く、書籍などというものが超高級品であるこの世界、職人の技術や知識の伝承は、口伝が全て。つまり、技術を持つ職人がごっそり居なくなれば、そのまま技術がロストテクノロジーになるという事でもある。しかし、誰にでも技術を教えていては、教える当人の首を絞める事にもなりかねない。出来ることなら金になる知識や技術は隠しておきたいのが人情。
技術の伝承と、技術の秘匿。この相反する二つを両立させようと思えば、教える人間に制限を設けることになるのは自明のこと。
弟子が多すぎては秘匿に支障があり、少なすぎては伝承に支障をきたす。正、副、予備の三人程度が妥当なところだろうと、弟子は三人までと慣習で決まっている。無論、一子相伝の秘伝などもある為、あくまで参考程度だ。
「普通の服作りなら、親方一人に弟子が三人。針子が居て作業を分担するにしても、この程度です。しかし、僕が十日と期限をきった。数人だけではどうしたって間に合わない。材料も足りないかもしれない。そうなると、彼らは何を考えると思いますか?」
「他所に手伝ってもらう?」
ジョアンが自信なさげに答えた。
親方一人では手に負えないならば、他の親方に手伝って貰えばいいのではないか。親方同士の縄張り意識や、手伝い仕事を嫌がるプライドなどを考慮さえしなければ正解のはずだ。
しかし、先の通り単に手伝うとしても、可能なのかどうか。ジョアンには確信が持てなかった。
青年の不安そうな答えに、領主代行の少年は鷹揚に頷く。どっちが年上か分かったものではない。
「その通りです。少人数では終わらない。ならば人数を増やす、という形は、珍しいものではありません。どこの職人だってやっていることですし、そうやって多少の仕事を融通し合う互助の習慣が、組合のそもそも発端です」
一カ所に任せ、そこの親方と徒弟が八時間働いて一ヶ月掛かる仕事があるとしよう。複数人の親方衆が交代で働き、二十四時間をフルに使いきれるなら、三分の一の日数でも可能というのは、理論上の計算だ。
一人が三倍働くのは物理的に不可能だが、三人で協力しろというのならやり様は有るはず。
実際には四人の親方が居るのだ。キツくはあっても、無理ではない。ペイスが言いたいのはそういう事だろうと、ジョアンは理解した。
「はあ。でも、そうなると今回は仕方ないにしても、仕事の取り合いとかになるんじゃ?」
「段々見えてきましたね。その通り。だから、組合は基本的に新規参入に対して厳しい。しかし、需要がうなぎ上りのモルテールン領にあっては、そういった参入障壁は供給能力を向上させる際の邪魔になる」
「え?」
「他領では、基本的に貴族お抱えの職人は親方衆の一人。多くて二人です。発注も彼らを通して行われ、組合内部でも完全なピラミッド構造で仕事が割り振られる。しかし今回、僕はあえて四人の誰かを決めて仕事を発注するようなことをしませんでした。組合という組織に対して、まとめて仕事を依頼したのです。おまけに期限が、常識的に考えて厳しい。さて、この場合に起きる組合内の動きとは何か」
「何か……喧嘩?」
今度も又、ジョアンは不安そうだった。
他領の、例えば王都などであれば、一つの職種に対して一つの組合が作られる。結束することで、色々なメリットがあるからだ。
こうして出来上がる組織というものは、必ず主導権争いや意見の対立が生まれる。治めるには、強力なリーダーシップやカリスマを持った人物が居るか、でなければ何がしかの権威を背景にして結集のコアとしなければならない。
多くの組合では、このコアになる権威とは、領主家の後ろ盾である。お抱えの御用達という金看板で、組合内部でも一目置かれるようになり、意見の集約はそこを中心にして行われることになる。
しかし今回の場合、モルテールン家はお抱えを作らないと明言したようなものだ。
そうなってくれば、それぞれがバラバラになってしまうのではないかとジョアンは危惧した。
「惜しい、競合と協力ですよ。我儘な貴族からの要求ですし、かなり無茶な要求。モルテールン家をよく知らない彼らは、自分一人で責任を被るなんてリスクのある真似はやらない。時間が有り余っていれば責任の押し付け合いになるでしょうが、時間も迫るなら彼らが採るべき選択肢は二つしかない。組合からの脱退による責任回避か、或いは大勢による責任分散です。モルテールン領を出ると苦しい暮らしになることが分かっている彼らは、脱退という選択肢を避けるでしょう。そうなると、多分全員が責任者という形に落ち着くでしょうね」
普通ならば、お抱えの職人を作って保護した方が安定する。だが、ペイスの狙いは別にある。
王都などの職人と、モルテールン領の職人の違いがあるとすれば、歴史も力関係も資本力も、全ての親方がほぼ横並びであるという点だ。ここに、モルテールン領独自のやり方が必要とされる理由がある。
「そうなるとどうなるんです?」
「ようは、実力者一人がトップに立って序列が付くような組織ではなく、フラットな組織になる。多分、合議制でしょう。そうなれば、自然と平等な競合と競争も生まれますし、お互いが協力することで相乗効果が生まれる」
「つまり若様の狙いは、彼らに無理やり協力させること?」
「ええ。それも、可能な限り全員が対等な立場で。今はまだ彼らも移住してきたばかりですから余裕は無いようですが、生活にゆとりが出てくれば、欲を出す者もでてくる。そうなれば、組合という既得権が考えるのは排除の論理と利益の過剰な独占でしょう。それでなくとも、文化もやり方も違う、バラバラな職人達が集まっているのです。自分のやり方を変えたくないと、主導権争いまで起きるかもしれませんね。これでは、折角神王国各地から職人を集めたのに、意味がない」
「はあ」
組合というものは、元々は弱者が強者に対抗するための組織としての意味合いがある。
一人一人では立場の弱い職人たちも、集団で足並みを揃えれば、多くの強みが生まれる。
例えば、大商人相手でも価格交渉や値引き交渉が出来るようになるし、貴族に対してもある程度の無茶を断れるようになる。
しかし、こういった団体による交渉力というのは、行き過ぎれば権力機構や他者への圧力としても働きだす。
弱い職人が自分たちを守るために集まるのであれば素晴らしいのだが、強者がより一層の富や権力を求める為の道具として使うようになれば、害になる。
ペイスとしても、モルテールン領を治める人間としては出来得る限り、職人達と良い関係を築きたいと思っているのだ。
そのために必要なことは一つ。
「僕は、今のうちから、職人達がお互いに協力する体制を作っておきたいのですよ。そうすることで、各地に散らばっている色々な技術や知識が、一つの集合知としてモルテールン領の財産になる。世界一というのも、絵空事ではなくなる」
「そう、上手くいきますか?」
「上手くいかせるのが僕らの仕事ですよ。ジョアン、本来なら反目しそうな人間を纏めるのに、最も手っ取り早い方法を知っていますか?」
「……分かりません」
他領で腕を磨いた職人達。喧嘩の種はそこら中に散らばっていそうなものである。
それを一つに纏める方法。そんなお手頃なものが、都合よくあるのだろうか。
ジョアンは首を傾げたが、何故かシイツがニヤニヤとしていた。
「共通の敵を作ることですよ。それも、手強ければ手強いほど、一致団結して立ち向かう。予め逃げ道を塞いでおけばベストでしょうね」
ペイスの言葉に、ああなるほどと、ジョアンは手を叩いた。
しかしそうなると、敵というのはこの場合一人しかいない。
「若様が敵ですか?」
「ええ。どうです、手強い感じがしますか? 自分では力不足かもしれないと思っているのですが」
「いえ、大丈夫です。最強の敵です。勝てません。敵にすると最悪です。これ以上ないぐらいぴったりの悪役です。あ、ニコロさんがこのあいだ悪魔って言ってました」
「そこまで言わなくても良いでしょう」
憮然としたペイスに、ジョアンとシイツが笑った。
「大きなプロジェクトを成功させるという経験と、共通の敵に立ち向かう連帯感は、これからモルテールン領の職人が世界一になる為に必要なことです。一応余裕を見て二十日は見積もっていますが……十日と期限を切った上に、世界一とプレッシャーをかけたことで、在庫の共有化、技術の開示、議論の活発化、領内分業体制の確立が狙えます。つまり、組合組織が、独立した親方衆の寄せ集めではなく、一つの技術集団となる。そうなれば、本当に世界一の職人が生まれるも時間の問題。ジョアン」
「はい?」
「貴方とコローナを、このプロジェクトの責任者に抜擢します。二人で責任者になるという意味。もう分かりますね?」
「……競争と協力?」
ジョアンの答えはペイスにとっても満足のいくものだったのだろう。頷くことで正解だと示した。
「それでは、姉様とリコの採寸の手配をしますか」
服を作るには採寸から。
貴族女性の採寸である以上、一定の配慮が必要になる。
どこか一カ所の店に出向いて採寸すれば、要らぬ揉め事の種になりかねない。一回の採寸で全部終わらせるためにも、館に呼びつけてやらせるのが正しい。
女性のプライベートエリアへの立ち入りも要る。男性は制限がある為、女性従業員の確認や、手伝いの侍女の手配をせねばならないだろうし、監視や護衛も必要になる。
女性であり、腕の立つコローナを加えるのも、その手のことに役に立つからなのだが、ここで何故かジョアンが元気いっぱい動き出した。
「俺の出番ですね!!」
任せてくださいと言わんばかりのジョアンの張り切りよう。
目の色を見れば、不純な動機がみえみえである。
「……メインはコロちゃんにやらせるに決まってるでしょう」
「そんなあ。折角のチャンスが。あ、俺も採寸に立ち会っていいですよね?」
常識的に考えて、ジョアンの申し出は却下である。
しかし、今回ばかりは冗談で済まない相手が居た。誰あろうペイスである。リコリスの薄着姿を覗きたいと言いたげなジョアンに対し、旦那であるペイスが採るべき行動は決まっている。
傍に居たシイツは全てを察し、さっと動き出した。
「シイツ」
「あいよ。ジョアン、お前はちょっとばかり顔貸せや。いい機会だからちょっと揉んでやろう」
「え?」
「ほれ行くぞ。俺は防寒着着るが、お前はそのままでいいよな。何遠慮するな。単に剣術の稽古を特別につけてやろうってだけだ。それで不埒な考えをする頭も冷えるってもんよ。俺が相手してやるのは久しぶりだからな。運がいいぞお前。喜べ」
「あ、従士長、外は氷張ってます。寒いです。え? ぎゃあああ!!」
その日、ジョアンの悲痛な叫びは、暗くなるまで続いたという。