163話 ギルドと話しあい
年の瀬も押し迫る黒上月初頭。
めっきり寒くなり、吐く息白く凍えるような日の朝。
モルテールン領ザースデン、領主館の執務室に中年男が入って来た。鍛えられた体をしているが、この男はこう見えても新婚である。
「う~寒い寒い。坊、お茶くだせえ」
「普通ここは部下が上司にお茶を入れるところでしょう。何で僕に言うんです」
「手が悴んでんでさあ。ずっと部屋に居た坊なら、んなことはねえでしょう?」
「好きで引きこもってたわけじゃないんですが」
暖炉の火がパチパチと音をさせながら部屋を暖房する中。
執務室ではペイスが仕事に邁進していた。
シイツの無遠慮な要求に対し、椅子に座りっぱなしで固まっていた筋肉をほぐしながら応えるペイス。火にかけていた熱々のお湯を、冷めた紅茶と出涸らしの残っているティーポットに入れた。紅茶好きなら眉を吊り上げるような暴挙であるが、幸いにしてシイツはお茶の味や香りに煩い人間ではない。
「ずず……うめえ。温まる」
「見回りご苦労様」
「坊が動けない代わりですからね。仕方ねえこって」
「僕が行こうとすると、全員で寄ってたかって止めるんです。そろそろ身体が鈍ってきそうですよ」
先の“余計な”援軍騒動のお陰もあって、仕事と言う名の児童虐待が溜まりに溜まった。カセロールが領主として居た頃にはそうでもなかったが、現状は決裁の出来る人間が一人の少年しかいない。つまり、溜めた仕事を片付けられる人間には遊ぶ余裕など許されない。
この世界、借金や売掛買掛の期限等々を、年末で区切る商人が多い。今の時期は、それに合わせて各所でお金の清算が続く。
いい加減、年の瀬も迫り、とりわけ金銭関連の決済の期限が差し迫ってきたところで、我慢強さには定評のあるモルテールン家従士達も流石に一致団結。
ペイスを監禁、もとい厳重に監視した上で、仕事をするよう懇願していた。こうなっては、ペイスと言えども大人しく仕事をするしかない。
「それで、水路の方はどうなりやした?」
「グラスの方で水路整備案を整理して、三つに絞ってきました。一案は、本村のみの整備案。二案はコッヒェン、キルヒェン、ザースデン、ミロッテの本領四村のみを整備する案。三案は、東部地域の四村も含めて、モルテールン領全てを整備する案です」
「ほう」
「僕としては、二案で行こうと思います。問題は無いですよね?」
シイツはモルテールン領でも重鎮中の重鎮。領主権限による最終決定を補佐する立場。
それだけに、軽々しく意見を言うわけでは無く、じっくりと考えて話をする。
「二案に決めた理由ってのは何ですかい?」
「メリットとデメリットのバランスを考えました。本村のみの整備であれば予算も少なくて済み、対策も早く終わります。しかし、元々水量に制限のある場合、これからしばらくはともかく、将来を見据えると不満がある。ならばいっそ、本領四村で水路を一括管理してしまえば、水量の融通や調整にメリットがあると判断します」
「それなら三案の方も一緒でしょうよ。東部地域を整備しねえのは?」
「山越えになるからです。工事をするとき、あの山脈にわざわざ水路だけ作るというのも大変ですし、費用が馬鹿にならない。掛ける金額と、得られるメリットのバランスが悪すぎると思います」
「なるほどね。それなら納得だ」
領主の仕事は色々あるが、トップしか出来ない仕事というのは決断せねばならないことも多い。
土木関連の報告と、情報収集。それに決済という一区切りがつけば、次は新たな新人の募集についてだ。
モルテールン領は慢性的な人手不足。優秀な新人は、幾ら居ても良いという立場なので、伝手のある貴族や、王都の各所で募集を掛け、経験問わず、意欲重視で募集を掛けていた。
その一次選考も終わり、二次選考の判断をシイツとペイスが相談していた時だった。
部屋にノックの音が響いた。やって来たのはジョアンだ。
「若様、服飾の組合の方が、来られてますが」
「ああ、例の件ですね、今どこに居ますか?」
「応接室です」
「なら、僕がそっちに行きましょう。姉様とリコリスも呼んでください。プライベートエリアへの立ち入りを許可しますので」
「分かりました。ぐふふ」
「ジョアン、姉様やリコリスに変なことをしたら許しませんよ」
「分かってますって。でも、女性の部屋……うっかり薄着の姿が見えたり。ふへへへ。どぅへへ」
スケベな妄想を隠しもしない若者に、シイツなどはあきれるばかり。
「このクソ寒い時期に、薄着で過ごす奴が居るわけねえだろう。馬鹿かお前は」
「はぁ、とりあえず、応接室に行きましょうか。ジョアン、リコと姉様のことは頼みますよ」
応接室は、最近特に力を入れて整備されている部屋。モルテールン家が社交界で注目されるようになってきた上に、カセロールが中央で一軍を預かるようになってきて以降、辺境だというのにわざわざやって来るもの好きな客が増えたからだ。中には、爵位を持つ貴族本人がわざわざやって来ることもあった。こうなると、粗雑に扱うわけにもいかず、更には貧乏と思われるような真似も出来ず。
幸いにしてここ数年臨時収入に事欠かなかったモルテールン家では、ペイスの「絵描き」の二つ名を利用する意味もあって、応接室に有名画家の絵を沢山揃えた。
主に風景画を集め、応接室に居ながら湖畔のリゾート、を統一概念にしている。おまけに、季節ごとに絵を変えるという念の入れよう。
唯一の人物画にして最も目立つのが、家族全員が揃って撮った集合写真だ。悲しいかな、【転写】しているペイス当人だけが写っていないという写真もどきの絵だが、どんな画家が描くよりも写実的で色鮮やかなそれは、大きさもあってかなり目立つ。目敏い商人が金貨を三百枚積んで買おうとしたぐらいには人の気を惹く。
「どうも、お待たせしたようで」
「お、あ、あ、き」
「き?」
「今日はお時間をち、頂戴しましあくぁせ」
そんな部屋だからだろう。
或いは、貴族と相対することなど滅多にないからか。服飾職人と思しき男達が四人ほど、一様に体をこわ張らせて緊張していた。
ソファーに一応座ってはいるものの、ペイスがドアを開けた瞬間、バネでも仕掛けてあるかの如く飛び上がって立ち上がり、直立不動のまま訳の分からない言葉を口にしていた。
「そう緊張なさらず。この部屋の中に限っては、誰であっても当家の客人として遇するのが決まりです。肩の力を抜いて、自分の親戚の子どもに話すぐらいのつもりで喋ってもらって構いませんよ。まあお掛けください」
「は、ご、ご配慮に感謝いたしくとろいは」
全く駄目であった。
何せ、カセロール本人が来ると思っていたところに、子どもが来たのだから。
意表を突かれた人間は、思考が停止する。
ペイスが何か喋るたびに緊張し、軽い質問で会話を繋げようとしても、しどろもどろになるという有様。
何とも、双方にとって居心地の悪い雰囲気を変えたのは、ノックと同時に入って来た女性だった。
「ペイス、何か用事?」
「姉様、お客様です」
「失礼いたしました。お客様、ようこそお越しくださいました。歓迎いたしますわ。おほほ」
部屋に入ってすぐに分厚い猫の皮を被ったジョゼフィーネであったが、ペイスからすれば溜息ものである。ここまで自由奔放な姉を持つ弟の苦労。やれやれという気持ちを、客人の前だけに心の中に仕舞い込む。
「リコも入ってください」
「失礼します」
ジョゼと一緒に、リコリスも部屋に入って来た。こちらは生来おとなしい性格であり、礼儀作法もきっちり仕込まれている為そつがない。
しずしずと進み、ペイスの横に極自然な振る舞いで座る。勿論、股を広げて座るようなことはせず、投げ出すこともせずにきちんと両足を揃えて、ソファーには浅く腰掛ける。誰かさんと違って。
「さて、今回皆さんをお呼びしたのは、ここに居る二人。僕の妻であるリコリスと、ついでに姉のジョゼフィーネ。この二人の衣装を作って欲しかったからです」
「ペイス、いまついでって言ったでしょう!!」
「姉様、客人の前です」
「あら、おほほほ」
お行儀悪く立ち上がろうとしたジョゼを、ペイスが嗜める。
姉弟の仲のいいやり取りに、多少は緊張も解れたらしく、職人たちは何とか普通にしゃべれる程度にはなっていた。或いは、ジョゼはこれを狙っていたのかもしれない。いや、偶然だろうか。
「お二人の衣装ですか?」
「ええ。それも飛び切り贅沢な服を、十日以内に」
「十日!!」
普通、どんな服でも一カ月程度は時間を見るものだ。一からオーダーメイドで作るのだから、時間が掛かっても当然だろう。
しかし、ペイスは笑顔のまま十日という条件を崩さない。
「……どうしても、ですか?」
「どうしてもです。皆さんは、当領で染色ギルドが立ち上がったのをご存知ですよね?」
ペイスの、いきなり話題が変わったような質問に、ギルドの代表者らしき中年の男が頷いて答えた。
「ええ。我々服屋の組合とも関係が深いところですから、聞いています」
「モルテールン領には、まだまだ産業が足りない。僕の目的の為にも、領地は何処よりも豊かにせねばならないのです。当然、我が領にわざわざ移住してきてくれたのです。職人達には最大限の支援をする用意が、当家にはある」
「支援ですか? 補助金を頂けるとか?」
「そんなしょぼい、チンケな支援をしてどうなります。魚を与えるよりも魚の採り方を教えるのが本当の支援というもの。我がモルテールン家の支援とは、モルテールン領の服を、世界一有名にするチャンスを差し上げるというものです」
「世界一?」
モルテールン領に移り住んできた職人たちは、ラミトを始めとしたモルテールン家の対外工作員もどき達に誘われてやってきた者達だ。
職人の技術を囲い込む見返りに、排他的な特権を与えるのがこの世界の常識。他領で既得権に縛られ、不遇を託っていた非主流派の職人達を、好待遇を条件に引き抜き、文句をつけて来た貴族達の圧力を跳ね除け、モルテールン領に移住させた。
彼ら職人たちに共通するのは、自分たちの境遇に対するかつての不満と、モルテールン領でののびのびとした解放感。そして、自分たちも一端の職人としてやれるんだという、今までにない自信。
「先日、聖国と講和が成立したと知らせがありました。形としては、我が国の勝利という形になります。この戦争の勝利を祝い、盛大な祝勝式典が行われます。場所は王都。王子殿下や、国王陛下も参列される式典で、当家も呼ばれている。ここに、モルテールン領で作った、モルテールン製のドレスを持ち込みます。世界中から来賓が集まる機会。上手くすれば、世界一の名を得る機会ともなるでしょう。何せ、着ていくのが世界一の女性ですから」
「あら、うふふ、ペイスも上手いこと言うじゃない」
「姉様、僕が言っているのは、勿論リコリスのことです」
「じゃああたしは世界二位?」
「母様や、ビビ姉様達を差し置いてですか? 同率二位で手を打ちませんか?」
ペイスの横で顔を赤らめるリコリスと、ペイスの言葉に反論もし辛いまま不貞腐れるジョゼ。
そんな様子を見ていた職人たちは、話のスケールの大きさに、未だに戸惑っている。
「モルテールン領に集まった皆さんは、それぞれ別の場所で腕を磨いてきた。違いますか?」
「え、ええ。はい。そうです」
「つまり、モルテールン領には神王国中の技術が集まっているという事なのです。少なくとも僕は、皆さんを片田舎で細々と商いするだけの存在にしたくて呼んだわけでは無い」
「う、え? え?」
碌に仕事もさせてもらえず、貧しい境遇を脱し、普通に商売が出来るようになっただけでも素晴らしいことだと、満足していた職人達。彼らの目の前には、世界一を貪欲に欲するスイーツモンスターが居るのだ。
ペイスとて職人。それも世界一に王手を掛けていた前世を持つのだ。彼が見ている目線の高さは、モルテールン領だけを見るものではない。
「皆さんに、モルテールン領の領主代行として命じます。モルテールンに居る職人の総力を結集し、世界一のドレスを二着、作ってください。金に糸目は付けません」
にこやかなペイスの顔。
その瞳には、まごうことなく本気の色が浮かんでいた。