161話 壊血病の教え
聖国と神王国の間で戦火が飛び交っている最中のこと。
今回ばかりは自分の出番は無かろうと、モルテールン領ザースデンではペイストリーが執務に追われていた。
ここ最近、右肩上がりという言葉さえ不相応なほどに景気のいいモルテールン領では、それに比例するように領主の仕事も増えていた。
つまり、領主代行であるペイストリーは、お菓子の製作に時間を割けないほどに忙しくなっており、かなりフラストレーションが溜まっている状況に居る。
つい先ほども、新たに染色業を始めたという人間の問題が持ち上がり、ペイスがシイツ達と相談していたところ。
布を染める染色業は、服飾は勿論のこと、建築業の内装等々、裾野がかなり広い為に経済効果も大きい。どの領主も割と大事にする類の職人集団なのだが、問題も多い。
まず、水を汚す。染色業は布を染める為に綺麗な水を必要とするが、使った後の水は飲み水にも不適格で、洗い物や農業用水としても使えない汚染水になる。鉱物や薬品を使うのだから当然である。
仮に飲めると言われても、見るからに真っ赤だったり、明らかに不自然な原色の緑色をしている水を飲みたがる奴は居ない。青色に染まった芋を喜んで食う輩も居まい。
そうなると、河川の上流。モルテールン領では用水路の上流に、この手の職場を置くのはちょっと待てとなる。至極当然の感覚だろう。
だが、だからと言って染色の職人を下流に置くわけにもいかない。生活排水や家畜の糞尿で汚れた水を使い、糸を洗えるかという話だ。仮に職人がやるといっても、それはそれで問題は大きい。
河川や水利の使用権という問題は、いつでも為政者には頭が痛くなる問題を孕む。
そこでペイスは、いっそのこと染色業の為に新たな用水路を設けようという決断をした。
小さいものでも良いので、綺麗な水をという染色職人達の要望に応え、街区を整理し、新たに専用の用水路を設ける案が可決。
決めたら即行動という迅速果断がモルテールン家。さあ早速用水路を引きましょうか、となった時、源流である貯水池の担当者から、またぞろ問題が発生したとの報告が来た。
「ボンビーノ子爵から連絡が来た?」
「そうっす。なんか、鳥が飛んで来たんで、またハチクイかと身構えて居たっす。そしたら、鳥が手紙っぽいのを抱えてるのが見えて。面白い鳥がいるなって手を振ったら、これを落として行ったっす。多分ボンビーノ子爵の紋章だったと思うんすけど」
報告をしてきたのはガラガン。
二十歳そこそこながら森林管理を任されている青年であり、目下幹部候補として色々と鍛えられているところだ。モルテールン領の生殺与奪を握る水利権の管理者でもあり、ここがモルテールン領で無ければ住民の賄賂攻勢で一財産作れるほどの重責にある。
その青年が差し出したのは、くるりと巻かれた羊皮紙。紐で括られていて、結び目のところにも赤い蝋封がしてあった。
蝋封には紋章を象った押印もあり、紋様を窺えばどうやらボンビーノ子爵家のもののようだった。
「……確かにウランタ殿の手紙ですね。なるほど、あの鳥使いはボンビーノ家に囲われたわけですか。これは侮れませんね」
鳥が運んできた手紙、という点で、ペイスには心当たりがあった。
かつて自分が争った魔法使いの中に、鳥を操る魔法使いが居たという点で。敵方に居た魔法使いであり、仕えていた家が没落してしまったであろうことは推測できたわけで、いずれどこかの家が囲い込むだろうとは思っていた。没落させた張本人が推測するのだから間違いない。
だが、まさかボンビーノ子爵家に雇われていたというのは想像できずにいた。どのような方法で口説いたのかは分からないが、経済力を伸ばしつつある子爵家が、戦時に使えることが折り紙付きの魔法使いを囲うのだ。経済力に支えられた軍事力の伸長。影響はかなり長期に渡って続くはず。
これだけでも、相当に重要な情報だと、ペイスも一瞬考え込んだ。
「鳥を操る魔法っすか。メチャクチャ便利な魔法っすね。こうやって手紙を運べるなんて」
「そうですね。使い方次第では幾らでも応用の効く魔法で……ほう?」
「何が書いてあったんすか?」
「どうやら、船の中で病気が起きているようです」
ガラガンも一応は教育を受けており、貴族家同士のやり取りの手紙を盗み見するようなことは絶対にしない。だが、好奇心を捨てるような年ごろでもない。
書いてあった中身が気になっていたわけだが、病気というのはどういう事だろうかと首を傾げた。
「病気?」
「体のあちこちから出血したり、古傷が開いたり、痣が出来たりと、色々と症状が書いてあります。既に船員の多くに症状が出始めているとか」
「一人二人でなく? 流行り病の類っすかね?」
「ウランタ殿の手紙にはそう書かれていますね。航海について詳しい船員が居るので話を聞いたところ、陸から離れると発生する航海病の一種と症状が同じだそうです」
手紙には、船上での病気に詳しい女性に話を聞いたとあった。それだけで、ペイスは誰に聞いたかを大よそ察した。
ボンビーノ子爵が頼りにし、知恵を借りるほどの相手で、かつ女性。おまけに、戦場であるはずの場所に付いて行っているとなれば、心当たりは一人だ。かつてペイスの下で海賊討伐に奮戦した女傑。元「水龍の牙」の頭目。海蛇の異名を持つ操船のスペシャリスト。下手な男よりも逞しさ溢れるニルダ女史だ。
「病気について詳しい船員? 医者でも居たんすか?」
「代々船乗りをやっていた、元傭兵ですよ。僕も面識がありますが、船に関する知識なら相当の物を持っている女性でしたね」
ペイスはニルダ女史の顔を思い出す。蓮っ葉な感じがしたが、仕事は確かで部下への思いやりもあった。ウランタに従士として雇われたとは聞いていたが、どうやら相談事をされるほどには信頼を重ねているらしいと、軽く頷く。推薦した甲斐があったものだと。
この調子でボンビーノ家での立場を強固にしていってもらえれば、ニルダに直接な伝手を持つペイスとしても、何かと良い人脈になる。
「女性? 若様、浮気っすか。隅に置けないっすね」
だが、ニルダを直接知らないガラガンが、他所の女性を気にするペイスを茶化す。こういう上下関係の緩さは、モルテールン家の家風である。従士長の率先垂範と、許容する領主家の懐の大きさで産まれた伝統ともいえる。
「海賊討伐の時に、水兵集団の頭目だったのがその女性なのですよ。仕事上の付き合いですから浮気なんて事実無根です。ですが、リコリスや姉様には黙っておくように」
「何でです?」
ガラガンのニヤニヤが止まらない。
言うなと言われれば言われるほど、ポロっと零してしまうのがこの手の風聞というものである。
「こちらには疚しいところはありませんが、あえて波風をたたせる必要も無いからです。特にジョゼ姉様は、人の色恋沙汰にはしきりに首を突っ込みたがる好奇心を持っています。それがどれだけ根拠のないものでも、周りが騒げばリコリスだって疑心暗鬼になるでしょう。父様も母様も王都に居る今、出来るだけお家の騒動は避けねばなりません」
あの姉は、もう少し好奇心を抑えて大人しく出来ないのかと、溜息をつくペイス。自分のことは盛大に棚に上げていることはさておいて、モルテールン家にとってジョゼがお転婆なのは悩みの種だし、色々と他家からの目が集まっている現況下、ボヤのつもりの些細な讒言でも大火事になりかねないのは事実だ。
特に怪しい動きをしているのはレーテシュ伯爵家ではあるが、他も侮ってよいところではない。
男女の仲を裂こうと思うなら、男の浮気の噂を流すのは初歩中の初歩の工作。その材料をわざわざ与えるような真似はするなと、ペイスはガラガンに釘を刺した。
「げっ、意外としっかりした理由があったんすね。てっきり茶化されるのが嫌なだけかと思ってたっす」
「勿論、新婚で冷やかされたシイツや貴方が、ここぞとばかりに結託して仕返ししてきそうだからということは有りません」
「なんすかそれ」
ガラガンは笑った。やっぱりそういう意図があったんじゃないかと。
特にシイツであれば、仕返し出来る時には精いっぱい仕返しする程度の稚気がある。
半笑のまま、青年は分りましたと答えた。
「それで、ボンビーノ子爵は若様にどうしろと言ってんすか?」
「対策の知恵を持っていないかとのことです。癒しの飴を作ったモルテールン家であれば、何か対策を持っていないかと期待してのことだそうですが」
「うはは、そりゃまた。よっぽど切羽詰まっているんすかね」
「かも知れません。溺れた者が藁にも縋る思いなのでしょう」
モルテールン家がのど飴を大々的に売り出したことは古い話ではない。また、最近はペイス主導によるブランド戦略も進んでいる。
この世界、ブランド戦略どころか、評判が金になるという発想すら無い人間が圧倒的多数。一歩も二歩も先進的なペイスの施策により、モルテールン産のど飴は、ほとんど薬と変わらない扱いで高級品として出回っている。主要顧客は大声を出すのが仕事である聖職者や軍人だが、変わったところでは役者や歌手といった人間にも売れていた。贈答品としての需要も高まる一方。
おかげで、歯医者まで儲かるようになったというのは王都の笑い話である。
飴が儲かるようだと他所が参入しようにも、砂糖の購入権は現状モルテールン家がほぼ独占していた。また、製糖産業がまともにあるのはモルテールン領だけ。
材料がないので、儲かるのが分かっていながら作るに作れず。寡占市場どころの話ではない。膨大な初期投資を僅かここ二、三年で回収出来そうなほどに儲かっている。
癒しの飴を作り出した成功者。そんなモルテールン家であれば、もしかすれば病気を癒す方法も何か知っているのではないか、と思うのは間違っていない。
万病に効くというイメージさえ持たれるほどに噂が独り歩きしている昨今。実際の噂話などは眉唾だと思いながらも、もしかしたらという思いでモルテールン家に連絡してきたわけだ。
噂を馬鹿らしいと切って捨てるのではなく、僅かでも可能性があるならと手を打ってくるのは、したたかさを感じさせる。ウランタも成長しているのだろう。
そんな思惑を感じ取ったのだろう。ガラガンは深刻に考えるのをやめた。
のど飴の実態を知るガラガンにしてみれば、なんとも間抜けな話に思えたからだ。たかだか飴の一つや二つで、医者も治せないような病気が治るわけないだろうと。のど飴の効能を正しく知るだけに、より具体的に呆れる。
「幾ら若様でも、そんな初めて聞くような流行り病を治せるわけ無いじゃないですか。ねえ?」
読み終わった手紙を巻き直すペイスに対して、ガラガンが同意を求めた。
勿論です。そんな言葉を期待していたのだが。
「まあ、治せますけどね」
「うえぇ!!」
シレっとペイスは答えた。
「この手紙に書かれた症状と、長期間の遠征航海という条件。更には寒くなった今の季節や、諸家連合軍という性質を鑑みれば、思い当たることがあります」
「それは?」
「これは間違いなく、『壊血病』でしょう」
「カイケツ病? ケツが痒くなるんすか?」
熱が出れば全て風邪で済ませるぐらいの知識しかないのが一般人。
病状を聞いてこの世界では知る人が居ないはずの知識を思い出すのがペイスである。
「ビタミンCが不足することで、体内で必要なコラーゲンなどが欠乏する病気だったはずです。ビタミン欠乏症の代表的なものだったはず」
「は? ビタミ……なんとかって?」
「ビタミン欠乏症ですよ。体に必要な栄養が足りていないことで、病気になっているということです」
食うものが食えず、病気になるという程度のことはガラガンも理解できた。
「おお、んじゃあ良い物食えば治りそうっすね」
「ええ」
「あれ? でも、補給はしっかりしてるはずっすよね。腹を減らすようなこともないはずっすけど、どういうことっすかね?」
欠乏症と聞いて食事を摂れば治ると判断できるだけガラガンは優秀なのだが、そこから先が想像できない。準備万端整えた進軍であるならば、肉もパンもしっかり食べて居そうなものだ。少なくとも、飢えて戦えない状況にさせる指揮官ではないはずである。そこに疑問を持った。きちんと食事を摂っているはずだと。欠乏症とやらになる前提がおかしいのではないかと。
「食事の内容が大事なのですよ。野菜や果物と言った、新鮮なものが必要でしてね。特に今回は、長期間の作戦行動を計算した遠征というのが問題でしょう。恐らく、食料を出来る限り多く積むために、干したパンや肉が大半を占めている。まして今の時期、新鮮な野菜も手に入りづらい。肉さえも、冬に備えて加工肉ばかり。決定的に偏った食事になるしかない」
「それで、かいけつ病ってのになったと。若様がそれを教えてあげれば解決っすね。ふはは」
手紙が届いて即解決。流石は若様と、無邪気に笑う青年。
「笑うところですか? その手の下らないことを言うのは、トバイアムあたりの仕事でしょう」
「あはは、偶にはいいじゃないっすか。あれ、でも野菜ってうちでもあまり新鮮なのは残っていないんじゃ? 軍隊全員分を賄うって、大変ですよね」
「良いところに気付きましたね。今の時期で手に入るとするなら、ベリーの類が良いでしょう。今が旬なものもありますから。後は、芋やカボチャです。デンプンを多く含み、加熱に強いという意味でも優秀です。じゃが芋ならば完璧ですが、代用も可能。そうですね、カボチャとベリーのタルトなんてのが良いでしょう。甘く焼き上げたタルトに、新鮮なベリーを飾る。いやいや、いっそベリーも糖蜜掛けにしてみるのはどうでしょう。ビタミンを壊さないでいながら、保存性も高められる」
話の途中から、段々と目が輝きだした少年。
横で立っていたガラガンは、とても嫌な雰囲気がしてきたと焦りだす。
「若様、おぉい、ペイス様ってば、お~い」
「これは作り甲斐のある課題ですよ。ビタミンを壊さないフレッシュなスイーツ!! 早速試作です!! ガラガン、何をしてるんです、さっさと行きますよ!! キビキビ動きなさい」
ダっと勢いよく動き出したペイス。傍に居たガラガンは当然置き去りだ。
「あれ? 俺が悪いの? え?! 原因を教えてあげればいいだけで、あれ、ちょっと、目的忘れてないっすか? ペイス様ってばぁ!!」
その日のうちから厨房に籠ったペイスが、神王国軍のトラブルを防ぐ為という当初の目的を思い出したのは、結局翌日になってのことだった。
予約投稿したのが上手く投稿出来ていなかったようで。
さっきメール頂いて気付きました。ふにゃさんありがとうございます。