016話 若さゆえの過ち
季節は幾つあるか、と聞かれた時。二つと答える人間が居る。
乾季と雨季の二節季であり、西方の草原地帯などではこの季節別けで十分に事足りるからだ。
或いは四つと答える人間が居る。
春夏秋冬と別けた考え方で、多くの国々でこの使い分けが用いられている。
変わった所では、53と答える国もあるのだ。
とある宗教国家で使われている別け方らしいのだが、詳細はその国の神官ぐらいしか分からないものらしい。
行商人デココは、季節を六つに分けていた。
春先の雨の時、夏前の雨の時、夏の夕立の時、秋の長雨の時、冬の雪の時、そして新年の祭りの時。
行商人にとって、雨と雪は天敵である。故に、それを避けようと暦を睨み付けるうち、自然とそんな別け方になってしまった。
何時か、雨を好きになる暮らしがしてみたい。自分の店を構え、毎日忙しく働き、暇になる雨を好ましく思えるような生活。
夢であるが、もしかしたらそんな生活になるのも、もうすぐかも知れない。彼は、馬車の馭者台でそう考える。
「やあ、デココさん、こんにちは」
「どうも~、豆木刈りですか。精が出ますね」
畑仕事をしていた男が、デココを目ざとく見つけて声を掛ける。
毎日代わり映えのしない田舎の農家にとっては、余所から来る行商人は覚えやすい。時には自分達と物を売り買いすることもあるし、礼を期待して何かれと世話を焼くこともある。
根っこごと豆の木を引き抜き、村の納屋に集めて一冬乾燥させる。ここ数年、毎年やっている作業だが中々に大変な作業だ。これ幸いと、商人に喋りかけて休憩を入れる。
「いやいや、この年になると腰が痛くて敵わんよ。今度は何を売りに来たんだい?」
「釘と麦ですよ。入用だと聞いたものでね」
「そうかい、それはご苦労さんだ」
「それじゃ、ご領主様に呼ばれているので」
デココの馬車に積まれているのは、小麦の袋と鉄釘入りの箱だ。
レーテシュの街で仕入れ、十日以上かけて運んできた。釘はともかく、麦などと言うものは、運ぶ労力ほどに儲かりはしない。大抵何処の領地でも作っているもので、相場もかなり値動きの激しいものだからだ。今の季節であれば、急に播き籾が足りなくなるとかで、冬麦の種もみの方がまだ需要がある。
それでも運んできた理由はただ一つ。
ここの領主。モルテールン騎士爵からの注文があったからだ。
デココは、馬車を領主館に向けて走らせながらも、感慨深く辺りを見回す。
このモルテールン騎士領の開拓初期から行商を行っていた身だ。その発展を文字通り全て見てきた。
いっぱしの行商人となり、それなりにあくせく稼がなくとも余裕の出来てきた最近は、よく昔の事を思い出す。
まだ若い駆け出しの頃。他の行商人が行きたがらない僻地に、馬も無く体一つ、籠を担いで向かい、塩、麦、芋、布等々、何でも運んで日銭を稼いだ。モルテールン領が神王国の新貴族に下賜されたと聞いたのはその頃だった。
自分は運が良く、僻地領主の割に金持ちの領主と縁が出来、後にその御仁が大戦の英雄であったと知って驚いたのも笑い話である。
その頃の苦労を共に知る間柄であるからこそ、今でもこうしてお声が掛かる。
このままこの縁を太くしつつ、モルテールン領が大きくなってくれれば、自分だってその内に念願の商店を構えられるかもしれない。
ここには将来の夢がある。希望がある。
自分だけではなく、農民一人一人が、今日よりも明日がより良い日になることを信じている。
なるほど、名領主と言われるだけの事はあると、デココは勝手に一人で頷いた。
領主館は、前に来た時よりも多少改装されたらしい。
門構えが立派になり、いつの間にか井戸が増えていた。
その井戸の傍に、見知った顔を見つけて声を掛ける。
「シイツさん、お久しぶりです」
「ん? ああ、デココの旦那ですか。よく来てくれました」
軽く手をあげて挨拶したデココに、水汲みをしていたシイツが返事をする。
「ご所望の物を持ってきましたよ。釘と麦。かなりの上物を選んできました」
「そりゃあありがたい。まあ、まずは物を見せてもらいますよ」
馬車の荷台。屋根も付いていないカート型と呼ばれるもの。
雨露除けに覆っていた布を取り、積荷の検分を始める。
行商人にとっては、積荷の検分は真剣勝負。
下手に難癖を付けられたり、或いは小細工をされたりといったことは、日常茶飯事だからだ。
デココがされた一番酷い例は、駆け出しの頃の話だ。よそ見をしている間に、積荷をすり替えられて大損をしたことがある。
「良い感じじゃねえかな。大体注文通りでしょうよ」
「そうですか、それは良かった。ほっとしました」
「はは。まあ、それじゃあ中で話をしましょうか。おい、ここの荷物を裏手に運んでおいてくれ」
シイツが声を掛けると、二人ほどの子供が出てきた。
腕白そうな子どもではあったが、それなりの重量があるはずの釘束や麦袋を運んでいる所から見て、かなり鍛えているのだろう。
デココが館の中に入ると、中も随分と前とは変わっていた。
一番変わったのは、執務室のソファーが一つ増えている事だろう。
座ったところで、かなり質の良いものだと察し、やや腰を戻しつつ話をする気持ちを整えた。
「いやあ、御家にお世話になりだしてからそれなりになりますが、ここ数年は来るたびに御領地が豊かになっておられる様が見られて嬉しい限りです」
「お前さんが世辞を言うようになったとは、俺も年を取るわけだよなあ」
成人になりたて。丁稚空けの時からデココを知るシイツは、他人の目の無い所だと遠慮が無い。
「いやいや、本心ですとも。それで、今日は売りと買いのどちらが本題で?」
「お前も相変わらず飾りが無えな。世間話の一つもしてから切り出せよ。まあ、両方だな。買いの方がさっきの荷以外にある。売りについてはその後でいいだろ」
「余所で話すときは飾りもしますよ。シイツさんには無用でしょう。さっきの荷というと、釘と麦ですか。麦は相場通りで構いませんが、釘は今回、多少値が張りましてね」
「知ってるよ。最近は物騒で、武具のうち直しやら防具の修繕やらに鉄が入用らしいな。相場が上がっているのは聞いているよ。それも踏まえてだ、麦の大袋が六十でボーブ銀貨十枚。釘が長いのが二千本と短いのが三千本でプラウ金貨十枚ってところか。合わせてレーテシュ金貨二十枚でどうだ?」
ニヤリと笑うシイツ。
商人とのやり取りは、慣れが要る。物には相場があるが、ある程度は幅があるもので、お互いの妥協点を探るのに売り材料と買い材料をぶつけ合って値が決まる。
どれだけお互いの売り材料や買い材料を潰せるかで押し引きや駆け引きの有るところだ。
「そりゃ叩きすぎですよ。麦は冬越しの蓄えで値も上がる時期ですし、釘だってやっとこさ仕入れた上物です。プラウ金貨十二枚、十二クラウンが良い所です」
「そう言うなって。今までの付き合いだってあるんだし、プラウ金貨十枚と四分の一」
「今までだって持ちつ持たれつだったでしょう。十一クラウンです」
「っけ。昔は可愛げもあったのによ。それでいい」
「流石シイツさん。支払いは現金で?」
本来、初見の取引相手同士であれば、売り買いの材料をもっとぶつけ合う。
だが、何度も取引をしていれば、お互いにお互いの手を十二分に読みあうために、最初から何十手と相殺されているから話が早い。
「ああ、支払は何が良い? レーテシュ金貨で良いと言ってくれれば、二十三レット。全部プラウ金貨なら言い値の通りだ」
「うちはレーテシュの取引が多いですから、レーテシュ金貨二十三枚の方が有りがたいです」
「そいじゃあこれだ」
「食えない人ですね。既にその値段で用意しているとは」
「わはは、お前がもう少し若い時なら、ここから俺の飲み代が出てた」
お互いに笑みがこぼれるのは、知悉しているが故。
デココも取引がまずは一つ無事片付き、ひとまず赤字にはならずに済んだことに安堵した。
ただ、単にお使いで小遣い銭を稼ぐことで満足するようなのは見習いぐらい。更に何か儲け話が有りそうな状況では、ここからが商談の本番だろう。
「それで、もう一つの買いってのは何です?」
「木材と石材。それにレンガと漆喰もだ。家を建て直すのに、大量に要るから手配してもらいたい」
「それはまた大口のご注文で」
一瞬、デココは顔が引きつりそうになった。それは、内容があまりにでかすぎたから。
木材や石材の建築資材は、扱いに専門性が要る。
良し悪しを見極めるのに建築知識が要るし、大きく重たいものばかりなので、今デココが持っているような一頭牽きの馬車では力不足だ。
一介の行商人に注文する内容とは思えない。だが、それだけに大商いとなる。この機会を逃すようでは商人失格だろう。
何とか自分の力不足を隠しつつ、それでいて負担を減らして利益を可能な限り確保する手段を考えねばならない。
「大量というのは、どれぐらいの量で?」
「そうさなぁ、家を十五~十六軒新築できるぐらいか。いや、多目に見て二十軒分を仕入れてもらいたい」
「それは……」
家一軒だけでも、行商人としては持てあます商い。煉瓦だけでも大量の馬車が何度も往復することになりかねない。
流石に手に余る、と言おうとしたところで、デココは目の前の男が熟達の交渉人であることを思い出した。
彼の男が、明らかに無理なことを言うはずがない。自分がただの行商人であることは熟知した上で、今回の無茶振りをしている。
そう思い当った所で、一つ思いつくことがあった。
辺境の小領主には不可能なはずの条件ではあるが、それ以外に考え付くものがなかった。デココは意を決して言う。
「では、一つ条件が。金額を全て先払いにしていただきたい」
あり得ない条件、と普通は思う。
大口の取引では、動く金額がデカいだけに、トラブルが必ず付いて回る。
手配した商品が届かないことや、金を持ち逃げされるような失敗は商人なら誰しも一度は経験する。そして、動く金額が大きい時にトラブルを起こすと、それを補うことも出来ずに破産する。
これは、売り手と買い手の双方に起きうるリスクだ。それ故、普通は売り買い双方がリスクを折半する為に、大口取引は半金で行うのが常識だ。
半金、つまりは先に半分金を受け取り、後の代金は商品が無事に納められてから貰うのだ。
これなら、売り手側が、買い手に注文を取り消されて手配分を丸損したり、或いは逆に買い手側が思った商品が届かずに丸損したり、というリスクをどちらも軽減できる。
今回のデココの要望は異常。
自分を百%信用しろ、と言うに等しいことであり、普通の商人であれば万が一の信用失墜とリスクを避ける為にも半金で事を済ませる。
半金分で商品を手配出来ないような大口は、出資者を付けるか、小口に分けて同業に振るか、或いは綺麗さっぱり諦めるべきだ。決して自己資本で被るような真似はしてはならないと、行商人なら丁稚の頃から常識として習う。
しかしデココは、自分の勘と経験を信じた。
「よく言った。それを言うのを待っていたんだよ」
そしてその言葉は、シイツが最も聞きたかった言葉でもあった。
どこに隠していたのか、ドンと置かれた皮袋。
少なく見積もって、硬貨三~四百枚はある。全て金貨だとすれば、これだけで一生豪遊できる大金だ。
家二十軒分の材料費、運搬費、人件費等を考えれば当然これぐらいは要るだろうが、それにしてもまさか本当に一括で出てくるとは思わなかった。
言った当人が一番驚いている。
「これはまた……どうやってこんなに稼いだんです。領民の納税はまだ先でしょうし、何処か戦争でもありましたか」
「いや、うちの大将と坊が、あちこちの社交界と貴族領を出稼ぎで飛び回って溜めたもんだよ。この半月ほどでな」
人は、驚きを通り越すと呆れが来るらしい。
デココも十年以上商人として経験を積んできたが、半月ほどでこれだけの金額を稼ぐのは、自分では不可能だ。
大商いを専門とするような大貴族旗下の大商会でも年に一度あるかないかぐらいのはず。取引の額面で金貨四百枚が飛び交う商いならともかく、純粋な利益がそれだけとなる商売など、一行商人には気が遠くなりそうな話だった。
皮袋を幾つか受け取り、中身を全て確認してみたが、間違いなく全て金貨。それも純正のプラウ金貨だ。一枚でも一般家庭が二年は慎ましく暮らせる。
行商人の手が、冬なのに汗ばんだのは仕方のないことだろう。
「この金の差配を任せる。注文はさっき言った通り家を二十軒建てられる材料と職人の手配。人手はうちの領民からも出すから、それで家を作れ。領民の方の給金はうち持ちで良い。最高の物にしろとは言わんが、手抜きは許さん。仲介の手数料は、その金から余った分を全てやる。代わりに足が出てもそれ以上は出さん。建てる場所とかの細かい話はこれから大将と決めるがな」
「っ……私で良いんですね?」
ゴクリと唾をのみ込む音が聞こえる。
行商人デココ。生涯で最も大商いになる予感に緊張を隠せないでいる。不安もある。自分で全て出来るのかという不安。それ以上に、これが上手くいけば大儲けが出来るという期待もある。
「無論だ。お前さんは若い時から知っているが、信頼できる。腕の方も今日確認した。お前なら出来ると踏んで、決めた」
「やりましょう」
「流石だデココ」
お互いに立ち上がり、握手を交わす。交渉妥結の挨拶だ。
シイツは、握手した時に相手の手が相当に汗ばんでいるのに気付いたが、それも仕方がないことかと苦笑を隠す。
だが、これで終わったと思ってもらっては困るのだ
「それで、売りの方なんだがな」
「えっ? ああ、そうでしたね」
行商人の素っ頓狂な声。
今回の取引は売り買い両方。初めにそう言っていたはずなのに、あまりの取引の大きさに、すっかり我を失っていたらしい。
こういう所は、経験を積み、自分の器を大きくすることで慣れるしかない。
自分はまだまだ経験不足だ、とデココは反省することしきりだ。
「売りもちとデカい」
「もう驚きはしませんよ。買いの方で散々驚かされましたから」
「まあ、こっちはさっきほどじゃないから大丈夫だよ」
「それで、何をお売りになるのでしょうか」
改めてデココはソファーに座りなおした。
自分の経験不足を露わにしてしまったばかりだ。これ以上の醜態をさらすわけにはいかない。
何でも来い、と気合を入れなおしたのだが、それはやや空振りに終わる。
「売りたいものってのは、実はまだここに無いんだよ」
「はい?」
「だから、今はまだない」
「よく分かりませんが、何時ならご用意出来るので?」
「それはお前さん次第だな」
「えぇっと?……ああ、そういうことですか」
そこでようやく、デココは気付く。
シイツが何を売りたいと言っているのか。
「俺たちが売りたいのは、お前さんが建てることになる家だよ。具体的には、家と畑を貸すから、その権利を買わないかという話だ」
「領民の募集を行うと?」
「早い話がそうなる。二十軒のうち最低五軒ほどは新規に募集しようと思っていてな。人を増やすのには丁度良い機会だろうって大将たちが決めたんだよ」
行商人は、そこにある領主の意図を図る。代理人である従士長シイツが言う、丁度良い機会とは何だろうかと。
この場合の“丁度良い”とは、一つの意味しかない。
「何か、領民募集にあてがあるのですか? いや、有るのですね」
「ご明察だな。先だって、ここらが盗賊に襲われたってのは知っているか?」
「無論です」
商人たるもの、耳聡くなくては話にならない。
幾ら安く物を仕入れ、或いは高価な積荷を持っていた所で、盗賊に襲われて奪われれば一晩で素寒貧になる。盗賊の噂などは、どんな些細なことであれ耳に入れておくのが商人の常識である。
「なら、向こう隣のサルグレット男爵領や、更にその向こうのブールバック男爵領が賊に襲われたのも知っているな」
「はい」
「かなり手酷くやられた村が幾つもあるらしくてな。ある程度は領都に保護したって話だが、蓄えも乏しかろうに、支えきれずに放出したがると見ている。男手の無くなった家なんぞ、悲惨だろうさ」
「なるほど。それを私に仲介しろとおっしゃるわけですか」
神王国を含め、南大陸の国々は王制を取る国が多い。故に、一般的には領民は領主の財産であり、土地に縛られる。領地で自然増以外に人を増やそうとすれば、奴隷を仕入れるか、戦争で逃げた難民を匿うか、或いは当該領主に交渉して流民を引き取るかだ。
領主同士で交渉して解決するのに、最も手っ取り早いのは金になる。
「裸で放り出すほど酷な領主じゃないはずだが、何時までもただ飯で養ってやるほど甘くもないだろう。かといって、刈り働きで焼かれて血を撒かれたような畑がすぐに直るわけでも無い。となれば、養いきれない領民に対して『何処へでも行け。後は知らん』と言いだすのも時間の問題ってわけだ。追い出された方は、レーテシュバルかボーヴァルディーアあたりのスラムで野垂れ死ぬか、盗賊稼業で討たれるか……」
「そこへ、私が家付き畑付の高待遇を売りますと言って近づけば、喜んで集まってくる。貴方方は労働力が手に入り、領地は一層豊かになる」
「お前も手数料が入って、不本意に流民となるものも減る。良いことずくめだろ?」
建前だけを見れば実に美しい。
盗賊に襲われて困窮にあえぐ隣領の領民が流民となるのを見るに偲びず、生活手段と住む場所を用意して迎えの手を差し伸べる。僅かな手間賃で。
当面の生活さえ何とかすれば、今後も安定して生活ができる。ああ美しい。
実利を見ても別段不思議な所は無い。
賊が隣を荒らした。それに便乗して土地を追われた領民を引き取り、自領の生産力向上の為の労働力を確保する。
畑を焼かれて職にあぶれた農民も、そしてモルテールン家も、おまけに仲介する行商人にもそれぞれ利のあるWinWinの関係。
だが、ここに隠された意図がある。
シイツは言わなかったが、自分で作ったものを自分で売らせることに意味があるのだ。
自分が仕入れる商品で、粗悪品を掴みたいと思う人間は居ない。売る商品は、可能な限り良い品であって欲しいのが商人だ。
そこで、売る商品を自分で作らせる。なんとなれば、粗悪品を作りたいとは欠片も思わなくなる。
黙っていても良い家が出来ること受けあいである以上、モルテールン領にとっては相当に美味しい話になる。四百枚を超える金貨を払う以上、質の良い物を“自発的”に用意してもらう為の策なのだ。
「それじゃあ、後は頼んだぜ」
「ええ。お任せください」
まだまだ若いな、という思いを隠しつつ、シイツはデココと握手を交わすのだった。