159話 聖国の謀議
神王国と聖国の戦端が開かれる前のこと。
「どうするの?」
「何がだ?」
「この戦いよ。どう計算してもうちの方が不利よ?」
「数の上では、な」
甲板の上に立ち、じっと北を見つめる男に、小柄な女性が声を掛ける。
男は聖国一の実力者と名高いビターテイスト=エスト=ハイエンシャン。そして、女性の方は序列十位のリジィ=ロレンティ。共に聖国では十指に入る魔法使いであり、とりわけビターことビターテイストは数々の困難な命令をこなしてきた実績を持つ。
どちらも戦いの場に幾度となく狩り出された経験があり、背中を預け合った戦友という奴だ。
二人とも経験からくる戦術眼はそれなりに確かであり、味方からは戦場で頼れる指揮官としても信頼を集める。
その両人が揃って、今回の戦いは厳しいと見ていた。
「船の数も、兵士の数も、水兵の質も、うちが劣っている。真正面から戦えば、まず八割がた負けよね」
「八割とはずいぶん楽観的だが、おおむねその通りだ」
「一応、魔法使いの数と質なら私たちが上かしら?」
一般論として、神王国が騎士の国であるなら、聖国は聖職者の国だ。国の起こりからしてそうなっている。
魔法を得る儀式をどの国でも宗教権力が囲い込んでいる以上、宗教権力がより強い聖国の方が、魔法使いについても優位性を持つ。魔法のアドバンテージは常に聖国。今まではそうだった。
神王国では本聖別と呼ばれている儀式も、聖国の方が受ける人数も多い。教会や宗教儀式が身近にある文化が根付いている為、より格式の高い儀式を庶民が自ら欲する。宗教儀式を面倒くさがる人間も少ない。
つまり、魔法使い予備軍の数が違う。裾野が広ければ、数と質で有利になるのが道理。
兵力と国力に勝る神王国に対して、聖国が対抗出来ていたのは、この優位性を活かしてきたからだ。
それをリジィは言っているのだが、国際事情に通じたビターは首を横に振る。
「一概にそうとも言えん。諜報員の情報では、神王国とサイリ王国の戦いの後、勝利した神王国が、残党をかなり吸収したという話だった。能力のある魔法使いは争奪戦になったことだろうし、幾人かは神王国に囲われたはずだ」
「それが今回の戦いと関係ある?」
「新参者が手柄を欲しがるのは良くあることだし、強力な力を手に入れた人間が力を試したがるのも当然だ。今回の戦いでは、神王国東部の貴族も参加すると見込まれる。これらはサイリ王国の戦いでも主力だったと聞く。残党も相当囲っただろうな。仮に魔法使いを取り込めたのなら、今回の戦いには、まず間違いなく投入してくる」
東部の戦争の後、ビターが推測した様に幾人かの魔法使いが神王国貴族に雇われている。魔法使いが必ずしも戦いに有用だとは限らないが、それでも一般人よりは遥かに戦局を左右する力を持つだろう。
新しく雇われた彼ら、彼女らは、自分の実力をアピールする場を必要とする。外様が立場を確立したがるのは、魔法使いも一般人も変わらない。新参が家中で早急に足場を固めようとするのなら、分かりやすい功績が要る。
聖国と神王国の戦争という、絶好のチャンスがあったとするなら、張り切らないわけが無いのだ。
そして、そんな張り切る魔法使いを雇った側にも、逸る気持ちがある。
新しく雇い入れた魔法使いの実力を知りたいと考えるのは至極当然で、それを最も分かりやすく知ろうと思えば、実戦で実際に使ってみればいい。仮に口先だけで大したことの無い魔法使いだったなら、それで化けの皮が剥がれる。
また、自分の家がより強力な外交カードを手にしたのだとアピールする為にも、目に見える成果が要るだろう。そういう意味では、実戦の場でお披露目というのは効果的に思える。
雇う方も、雇われる方も、どちらも今回の戦いに出向く意義があるということ。
魔法使いというものは切り札として隠されることも多いが、こと今回に限って、隠匿の為に出し惜しみする確率は低い。
「なるほどね。今までよりも敵に魔法使いが揃ってる可能性が高いと」
「端的に言えばな。魔法使いの質は劣っていると思わんが、数というなら今までよりも不利になることは否めない。それに何より、神王国にはモルテールンの脅威がある」
「あの悪魔か……ビターは面識があるの?」
「ああ。戦ったことがある。油断ならない相手だ。親も、子もな」
モルテールンの名は、魔法使いとしては南大陸でも五指に入るほど有名な名だ。当代を代表する魔法使いと言えば誰か、と聞かれれば、十人に二~三人はモルテールンと答える。回答者を神王国人だけに限るならば、もっと割合は多い。
経済対策、軍事行動、諜報活動、政治運動、どんな場面でも活かせる汎用性の高い【瞬間移動】という魔法は、首狩りの名と共に広く知られている。また、そうでなくては国境の抑止力としては意味が無い。敵対する大国との国境を、たかだか騎士爵の人間が守っていたのは、伊達ではないのだ。
「モルテールンが出張るとしたら、どういう手で来る?」
「ふむ」
ビターはしばらく考え込んだ。手ごわい敵が出てきた時の対策は必須だが、神出鬼没の相手に対して打てる手は限られる。
自分達のリーダーが何を考えているのか。リジィには見当もつかない。
「それには敵の動きを予測しておく必要があるな」
男は考えがまとまったらしく、海図を取り出して説明し始めた。
「直接我が国に単身、ないしは少数で乗り込んでくるなら、俺やリジィで対処できる。如何にモルテールンと言えど魔力が無限にあるわけでも無いし、魔法に制限だってあるだろう。重要な場所を精鋭で守りつつ、数で押せば対処可能だ」
「ふ~ん、まあビターがそう言うなら、間違いないわね」
モルテールンは有名。だからこそ、対応策は何処の国でも一応は検討されていた。
モルテールンに匹敵する魔法使いを防衛に回す手や、奇襲をとにかく防ぐ拠点防衛策などが良くある対策。
奇襲を得意とするのは、何もモルテールンだけの専売特許ではない。【瞬間移動】程でなくても便利な魔法使いは居るわけで、来ると分かっている奇襲ならば対応も出来るし罠もはれる。
「うむ。船団と別行動ならそれは好都合。問題は、船団に合流していた場合だな」
「戦場であれと戦うの? やだわぁ」
リジィは顔を顰めた。
常に後ろを気にしながら、おまけに安眠出来ない夜を過ごしながら戦うなど、厄介過ぎるからだ。いっそ病気でさっさと死なないかな、などと物騒な考えが浮かぶ当たり、モルテールンの名は聖国では相当に嫌われている。
実際は聖国の切り札の一枚を盗んだ、もとい学んだペイスが居る限り、死ぬとしても即死か老衰かの二択になりそうなことを、彼女は知らない。
「嫌でも考えておかねばな。まず、敵の船団がどう動くかだが、大きく三つの選択肢がある」
「結構絞れるのね」
「他の選択肢は明らかな悪手だからな。一つは、ひと塊になって力押しを狙ってきた時」
「一番ありがちなケースね」
「これは特に策も無い。力と力のぶつかり合いだし、小細工も無いだろう。モルテールンが仮に出てきたとしても、乱戦の中であれば対処も出来る」
「奇襲を防ぐってことよね」
「そうだ。勝ち目は良くて三分。神に祈りが届かねばまず勝てまい。我らの信仰心が試されることになる」
戦場でカセロールの相手をする場合、指揮官を直接奇襲されるのが最も厄介だ。
しかし、敵味方が入り混じる乱戦であれば、指揮官も何が起きるか分からないと気を張っている分、効果的な奇襲はそもそも出来ないし、護衛を侍らす指揮官に奇襲をするのは攻め込んだ側が囲まれる危険性がある。一か八かに賭けるような場面でも無ければリスクが高いわけで、現状のモルテールンの立場ならばそんな危うい博打はしないはず。最低でも、不利になったら引くぐらいの賢明さを期待できる。
また、ビターとリジィの二人の間では共通認識がある為口にしないが、ビターの魔法であれば目の前の魔法発動なら容易く対処可能。ある意味モルテールンの天敵と呼べる存在がビターだ。
或いは、聖国の誇る十三傑の中には、【俊足】のイサル=リィヴェートや【睡眠】のジョサン=マルシェンなど、乱戦や多対多でこそ光る魔法使いも居るわけで、やり様によっては【瞬間移動】のモルテールンに十分対抗できる。
つまり乱戦に持ち込んでしまえば、モルテールン相手でも多少の勝ち目がは有るのだ。そうビターは確信し、またそれは正しい判断だ。
だが、それは対モルテールンに限っての話。
ガチの殴り合いになってしまえば、モルテールンの脅威は防げても、他が防げない。兵の質も数も劣る聖国側としては、避けたい選択肢だ。
「もう一つは、別動隊を組織し、本隊で足止めをしつつ別動隊で側面や背後を狙う場合。或いはその逆か」
「うわあそれも厄介ね。どっちが本命か、二者択一ってわけよね」
「ああ。数が倍するならば挟みこんで攻める。常道の戦術だ。向こうが数を当てにして押してくるなら、こちらは質で対抗するしかない。その場合のこちらの欠点は、数を頼む場合と違って補充や替えが利かないことだ。選択を間違えれば、雑魚に精鋭を当てて無駄を産む。精鋭と精鋭で戦うなら、此方に勝ち目が生まれる。正解を見極めるのが難しいだろうが、ここら辺は駆け引きになるな」
「それはあたし達の仕事じゃないわね。総軍指揮官の仕事かしら」
「指揮官殿も分かっておられるだろうから、偵察や欺瞞情報が飛び交う戦いになるだろう。こうなると、アレェンやバセットが得意分野だ。敵の出方次第だが、勝ち目は五分五分だろう」
一般の兵力で劣る聖国としては、魔法を活かせる戦いにならなければ勝ち目が無い。
雑魚を相手に魔力を浪費しては、結局地力に勝る敵の思惑に嵌る事となる。
逆に、敵の精鋭を聖国の魔法使いが迅速に撃破ないし無力化出来るなら、兵の量はともかく魔法使いの質で凌駕することも可能。後は采配次第で戦局は如何様にでも動く。五分五分という見方は若干贔屓目が入るにしても、そう見当外れでも無い。
二分の一の正解を引き、かつ切り札争いで勝利できるなら、という条件であるから五分より分が悪いはずなのだが、切り札争いなら勝てるという前提があれば確かに五分。ビターたちは自分たちが神王国の魔法使いに負けるとは思っていないらしい。
「で、最後の一つは?」
「我々全体の足を止めた上で、半包囲を狙う」
「半包囲?」
「海戦では、風上を取った方が有利だ。そこを抑えた上で、船団を幾つかに分けてこちらを囲むように動く」
「小分けにしちゃったら兵力分散ってことにならない?」
「なる。兵力はまとめて運用すべきという兵法の常道からは外れるが、敵の指揮官が陸戦の常識を持っていれば、可能性が出て来る」
陸戦の常識という言葉に、陸戦に疎いリジィは首を傾げた。
「陸戦の常識?」
「神王国は騎士の国だ。学ぶ戦術も騎兵戦術ばかりと聞く。騎兵は機動力が優れる為、野戦で仮に小集団に分けて運用したとしても、足を止めさえしなければ囲まれることはまず無いし、もしも囲まれてもそもそも突破力なら騎兵が一番だ。騎兵の機動力をもって敵を半包囲しつつ足を止めさせ、固めた上で突進して砕く叩石戦術は、神王国での騎兵戦術の教科書だ。特に数において勝る場合は必勝戦術とされている。船は騎兵ほどに小回りの利かぬものなのだが、その辺を甘く見てくれれば、向こうが騎兵の常識に嵌る可能性はある」
「ビターの見込みとしてはどの程度可能性がありそう?」
「敵の指揮官次第だ。陸戦指揮官として優秀な人間ほど、海戦の常識に足を取られやすい。俺が敵の総司令官なら、例え位階は低くとも海戦に慣れた人間を上に置くが……可能性はまず、一割ほどか」
「一割かあ。その場合は勝てそう?」
「敵の船団の分け方にもよるが……捨て駒で精鋭を足止めして、各個撃破を狙う。勝ち目は高いな。小舟の多い我々の方が、小回りが利く」
「んじゃあその辺をまとめて、枢機卿猊下にご報告してくるわ」
「ああ」
軽く手を振ってビターと別れるリジィ。
去り際にウィンクをかます余裕まであったが、ビターの鉄面皮は崩れない。
リジィは、船の中の貴賓室に着く。部屋の中には今回の戦いにおいて最重要の指揮官が要るのだから、多少の厚顔さを常備しているリジィと言えども緊張はする。
今回の聖国側の総責任者はアドビヨン枢機卿。神王国レーテシュ伯爵領と向かい合う管区を担当し、荒事担当の向きもある聖職者。
三十代に見える体躯を維持しているが、実年齢は四十代。
本来ならば祭服で着飾るような立場だが簡素な司祭平服を好み、帯剣までしている様は宗教家というより冒険家や武闘家と言った方が近しい気もする。
そんな宗教家らしくない聖職者が、リジィの話を聞いて少しばかり考えた。
「なるほど。首狩りの悪魔を必要以上に恐れる必要は無いか」
「今回の場合は、悪魔が活躍するようならば此方の勝ちだと思います」
「それはビターテイストが言ったのか?」
「はい」
ビターテイスト=エスト=ハイエンシャン。聖国の魔法使いの序列一位。年若く二十歳ほどの若輩ながら、実力と実績を見込まれてハイエンシャン家が囲い込んだ逸材。
アドビヨン枢機卿としても是非とも欲しかった人材だったのだが、癒しの聖女を囲い込んでいたことから、政治的なバランスを考慮して諦めたという経緯がある。今でもあきらめたわけでは無いので、常々気にかけていた。
政治的な謀略もあって達成困難な任務を与えられたこともあったが、それさえも成し遂げて実績として来たビターの実力を、アドビヨン枢機卿は誰よりも高く買っている。
そんな男が言った言葉だ。まず信用しても良かろうと、男は頷いた。
「ならば、まずそうなのだろうな。その上で、敵の採り得る戦術は三つか。なるほどな」
「他にもあるようでしたが、そっちは楽勝だとビターも言ってました」
「あの堅物がそんな軽口を言ったのか?」
「えっと、多分そんな感じの雰囲気で。今の備えで十分対応できるから心配いらないとか。そんな感じのことを」
「報告は正確にするように。しかし、既に対応済みとは用意周到なことだ」
「元々、ある程度の不測の事態には対応できるように、カーターやアレクが本土防衛にあたっております。聖都にはアディも居ますし、後方支援もバッチリ……ってビターが言ってました」
ジロっと枢機卿に睨まれ、慌ててリジィは言葉遣いを直す。
「後方に憂いなしか。それで、敵の手の内を三つまで絞り込めたは良いが、どれも必勝を期するには不確定要素がありそうだな」
「相手次第ってことなら、仕方ないんじゃないですか?」
「……そうも言えないのが私の立場だ。確認しておくが、敵が半包囲を狙ってくれるのが一番ありがたいのだな?」
「はい。そうすれば、敵の弱いところを確実に潰して見せるとのことです」
「なるほど……そういう事か。ビターも食えない奴だな」
「はい?」
「奴は、私に働けと暗にけしかけているのだよ。戦場のことはなんとかしてやるから、それまでの準備に手を抜くなと言っているのだ。準備次第で、勝てるかどうかが違ってくる。勝敗は戦場でなく、私の事前工作に掛かっている、という脅しだな、これは」
中年の男は、少し口元を歪めた。自分を試しているような無礼を不快に思いつつも、それをどこかで喜んでいる自分も居ることに、自嘲したのだ。
「なるほど」
「ますますあいつが欲しくなったが……」
「ビターは世話になってるハイエンシャン枢機卿に不義理をするような人間じゃないですよ?」
「分かっている。だからこそ尚更欲しいのだ」
「あたしは要りませんか?」
「要らんな。全く欲しいと思わん」
「ひどっ!!」
一応は聖国でも名高い魔法使いのはずだが、性格に難ありとされるリジィは、規律を好む枢機卿としては食指が伸びない相手。
下がってよいとの言葉に、憮然としてリジィは立ち去った。
その後、聖国上層部はビターとリジィの提言を受け入れ、更に敵に包囲戦術をとるよう誘いをかける案が採択された。
必要なのは、そうなるよう仕向ける情報工作。
神王国へ工作員を大量に送り込み、あらゆる手と欺瞞工作を駆使し、神王国の実戦指揮官を海戦の素人にさせるように誘導する。
また、伝手のある神王国貴族への働きかけや、裏からの根回しも全力で行い、神王国側のトップを王子に据えるようにした。これには、神王国側にも王子の実力を不安視する声があったことから極めて上手くことが運ぶ。不慣れな王子がトップとなれば、尚更戦術は硬直化して教科書通りの動きとなる。
神王国の戦術の基本は、騎馬を使った機動包囲戦術。一国を起こした常勝戦術である。王子が常識人で優秀であるならば、より一層そこに付け込める。
これが、聖国に宣戦布告が為された直後のことである。
斯様な経緯を経て、神王国軍が聖国に襲い掛かって来たという知らせと共に、船団を三つに分けて侵攻という情報が届けられた時。
聖国の上層部は勝ちを確信し、神への感謝と信仰を改めて捧げるのだった。
間が空いて申し訳ないです。
事情はいずれご説明できると思います。