154話 豆菓子は急を告げる
「くっ、殺せ!!」
全身隙無く武装した男数人が、たった一人の子供の前に這いつくばる。
武器は悉く破壊され、嫌らしいことに両足の腱を切られて身動きも取れない有様。
こうなっては致し方なしと、訛りのある言葉で口々に殺せと叫ぶ男達。
「何を馬鹿なことを。折角黒幕を吐かせるために、わざわざ捕まってあげたのですよ? 油断して口を滑らせるのを、根気強く待っていた僕の苦労。台無しにしてしまうじゃないですか」
「何故だ!! 何故こんな目に」
「情報不足です。父様の魔法は、血縁の魔法使いには貸し出せるのですよ。幾ら厳重に縛ろうと、無駄だったわけです。母様を盾にすれば言う事を聞くとでも思いましたか? それとも、父様に対する保険でしょうか。僕と母様を別けておけば、父様も手こずると」
ペイスも、自分の推測が当たっていたらしいことは既に分かっている。か弱い子供を演じ、不安と恐怖で怯えている様を装いながら、必要な情報を集めたのだから、まず間違いない。
ペイスの演技があまりに迫真だったものだから、一緒に居たアニエスが本気でペイスを庇って泣いたのだけは予想外だったようだが。
「しかし、聖国もいよいよ本気になりましたか。これは、手を打たないといけないようです」
少年の独り言。内容が相当に物騒であると、気付くものはこの場には居なかった。
◇◇◇◇◇
王家の結婚祝賀会。これは神王国貴族の全員が参加することになっている。
自分たちが仕えるべき主家の慶事。祝わない者など、不敬として罪に問われても申し開きできないところである。
「くくく、やはりモルテールンの子倅は参加していないようだな。父親の方も気が気でなかろうな」
男が笑う。
真面目な顔を作ろうとして失敗しているこの男こそ、当代のホージッド男爵。外務閥としての職務を代々務めており、かつては伯爵位に叙せられたこともある家。先の大戦で聖国やサイリ王国といった敵対勢力と内通したとされて降格させられている。
外交を主任務とする外務貴族は、国内も含めて他家と他家の間に立つのが仕事。利益の相反する者同士の仲裁や交渉には、出来る限り冷静な第三者が必要だ。
しかし逆に言えば、外務の仕事には必ず他者を必要とするということでもある。
外務を生業とする彼らが最も忌むべきは、交渉や仲裁の余地が一切なくなること。存在意義が失われること。
最近で起きた例でいえば、サイリ王国の大貴族が潰れたことだ。これで幾つか外務貴族が没落ないしは凋落している。ホージッド男爵家もその一つ。
問題の根本が鮮やかに解決されてしまった為、仲裁の必要性も綺麗さっぱり無くなった。
「いい気味だ。何かあればすぐに剣を振り回す馬鹿め。自分に剣を向けられば、我々に泣きついてくるだろう」
貴族の常識として、物を頼むときには見返りが必要。それだけに、人付き合いが主な仕事となる外務閥には余禄が多く、当人の才覚次第でひと財産もふた財産も作れる。
神王国では余っていたり、安かったりするもので、他国で必要とされるもの。こういった物を贈って喜ばせ、代わりに国内で価値の高いものを受け取る。貿易に近いが、贈答品のやり取りや典礼は外務の基本活動であり、センスがある外務貴族は一代で巨万の富を得ることもある。
常日頃から密に諸家と付き合い、問題が起きた時は話しあいで妥協点を探る。交渉の為には信頼が必要で、どれだけ多くの人間と信頼を築いているかが外務貴族としての実力といっても過言ではない。
国境を接する仮想敵国や、過去に因縁のある貴族同士などは、向き合っている当事者同士では喧嘩に向かいやすいわけで、穏便に仲立ちするのは外務の仕事。仲介も又、双方の信頼あって初めて出来ることだ。
つまり、人脈こそが金脈。
社交の場の笑顔は、商売道具の一つだ。
「楽しそうですな、ホージッド男爵」
「これはエーベルト=ヴェツェン卿、久しいですね」
普段よりも二割増しで笑顔になっていたホージッド男爵に、声を掛ける者が居た。まだ若いと言っていいだろうその男は、軍務閥公爵派の重鎮。ヴェツェン子爵家の嫡子エーベルトだった。
両手に銀杯を持ち、片方を差し出していたので、男爵は差し出された方を受け取る。中身はワインだった。
「お久しぶりです。前にお会いしたのは確か……」
「半年前ですかな。舞踏会で娘と一緒に御挨拶させていただきました」
「そうでした。御息女はお元気ですか?」
「それはもう。ヴェツェン卿にもう一度会いたいと、よくせがまれております。良ければまた会ってやっては貰えませんか?」
男爵が、ぐびりと一口酒を飲む。良いワインだったようで、酸味と渋みの調和を楽しむ。
ホージッド男爵は、正側合せて四人の妻を持ち、娘だけでも五人居る。これは、外務貴族としては婚姻による縁故というのが非常に役立ち、お家の繁栄につながるからだ。昔からこの家は子沢山を吉としていた。
もっとも、嫁ぎ先の没落に足を引っ張られるというリスクも抱えるのだが。
そのうちの一人が丁度年ごろで、この場にいるエーベルトに娶ってもらいたいというのが、男爵の希望。
ヴェツェン子爵家と言えば軍家の中でも指折り。中央軍参謀として要職にあるだけに、娘を嫁に押し付けようとするところは多い。ホージッド男爵家もその一つという訳だ。
「他ならぬ男爵の御息女からの希望とあれば、やぶさかではございません」
「おお、嬉しいですな。父親としては、娘の恋路を応援してやりたいと思っていたところです」
にこやかに会話を交わす両者。社交辞令の一つも出来ねば、こんな場には居ないだろう。
しばらくは、お互いの雑談が続く。最近物騒なことになっているであるとか、周辺諸外国が神王国の勢力が増していることに危機感を持っているようだとか。外交官と軍人は、こと対外政策では敵国を脅威と思う点で共通点があるもの。ちょっと挨拶とは言えなくなるぐらいには、話し込んでいた。
「おお、卿ら、話が弾んでいるようだな」
「これは、カドレチェク閣下」
つい最近代替わりしたばかりのカドレチェク家。新たな当主は三十代後半の働き盛りだが、長い間領地に引きこもって領地運営に掛かりきりだった為に中央に顔見知りがまだ少ない。
新カドレチェク公爵にとって数少ない旧知の仲なのがヴェツェン子爵家のエーベルト。年もそう離れていないし、昔から前公爵の腹心として面識があった。
公爵の方から声を掛けてきたのは、そんな理由からだろうとホージッド男爵は推測する。
「二人とも、同じ物を口にしているのか?」
「当たり年の物です。なかなかいけます」
「そうか、白ではなく赤にしておけばよかったか……ところで卿ら、王子殿下に挨拶はされたかな?」
「いえ、まだです」
今回のパーティーの主賓だ。まずは諸外国の大使であったり、聖教会のトップであったりといった、来賓が優先して挨拶をする。
如何に子爵、男爵と言えど、部下が挨拶するのは来賓の挨拶が済んでからというのが常識だ。
ふとみれば、丁度今しがた来賓達の挨拶が一通り終わったようだった。
「そうか。今から挨拶に行くのだが、一緒にどうだ」
「光栄です。ではお言葉に甘えましてご一緒させていただきます」
社交の場で下の身分の者から声を掛けるのはマナーがなっていないと言われるが、祝いの場での主賓への挨拶は別だ。それに公爵から王子に挨拶する分には何の問題も無い。むしろ、挨拶もせずに居た方が、不仲と疑われて要らぬ謀略や風聞が付け入る隙となるだろう。
次期国王と、それを支える者たちが蜜月であることを、諸外国の大使らが居る前で見せつける。これもまた政治の一環だ。
「殿下」
「ん? ああカドレチェク公、それにヴェツェン卿とホージッド卿だな」
「はっ、この度のご成婚に際しまして、我ら一同心よりお祝い申し上げます」
「ありがとう。他ならぬ公爵に祝って貰えて嬉しく思う」
「王子も美しき伴侶を娶られたのです。今後は、王太子妃共々、我らが御支え申し上げます」
「頼んだぞ。しかし公爵、そのように我が妻を褒めると、卿の奥方が妬くぞ?」
「これはこれは。殿下も御人が悪い」
挨拶を交わす王子と公爵。言葉を交わすのはこの二人だ。位階の低い者からの直言は、許されるまでは出来ない。或いは王子の方から話しかけるか。
ひとしきり公爵と会話した後は、王子は気をきかせてヴェツェン子爵に声を掛けた。
「そういえばヴェツェン卿、卿は最近珍しい菓子を客に振る舞っているそうだな」
「はっ」
「ならば一つ、良いものを見せてやろう」
そう言って、王子は侍女に指示を出した。あれを持ってこい、と。
しばらくして持ってこられたのは、茶色いお菓子だった。大粒の豆のような形をしていて、甘い匂いが漂う。不思議なのは、ただ甘いだけではなく別の不思議な香りのする点。蜂蜜でもなく、只のカラメルでも無い。香ばしさの中にも身体が熱くなるような香り。
これは何だろうと、男たちは首を捻る。
「子爵のところでは、アマンドカラメリゼと呼んでいる菓子を出しているのだったな」
「はっ、左様です」
「ならば食してみるといい。アマンドカラメリゼ・ショコラ。卿の菓子とはまた一味違うぞ」
王子から勧められて、食べないで遠慮するのも拙い。子爵は一粒手に取って、笑顔のままで口に入れる。
カドレチェク公爵、ホージッド男爵もまたそれに倣う。
「ほう」
「むう」
一様に、唸った。
食した時に、さっと広がる苦み。そして、即座にそれを打ち消す甘味。この調和が、炒ったアーモンドの香りと共に口いっぱいに充満するのだ。
ただの糖衣菓子とはまた違う、高位貴族にして初めて食す味。菓子と言えばとにかく甘いというイメージしか持っていない者にとっては、驚きと新鮮さが味わえる一品だった。
「旨いですな、殿下」
「公爵の舌には合ったようだな。子爵はどうか」
「大変美味しく思います。流石は殿下。当家の菓子では足元にも及びません」
「ははは、他ならぬ卿に言われると嬉しいな。……それで、男爵はどう思ったか?」
ピリっとした空気が流れた。
敏感にそれを感じた男爵は、居住まいを正して答える。
「殿下の菓子の美味なること、天上の精霊が舞い降りたかと思う程にございます」
「そうか」
「はい。臣も舌が肥えていると自負する者ですが、この菓子は生まれて初めて食しました。斯様に素晴らしき菓子を口に出来ましたことは、末代までの誉れと為すところにございます」
男爵も口八丁が商売のタネ。褒め言葉に遠慮や躊躇など無い。これでもかとばかりに大げさに褒めまくる。
それを黙って聞いていた王子は、軽く頷いた。
「ふむふむ……それで、実は男爵に紹介したい者がおってな」
「は?」
「この菓子を考案した者が、是非とも男爵に挨拶したいと言っておるのだ。構わんだろう?」
「え、ええ、はい」
王子の顔には、笑みが浮かぶ。ただし、明らかな造り笑顔だ。
雲行きが段々と怪しくなってきたことを、男爵は察する。
王子に呼ばれやってきたのは、少年が一人と壮年の男性。
その両者を見て、男爵は顔を真っ青にした。
「ホージッド男爵、元気そうだな」
壮年の男から掛けられた言葉は、皮肉がタップリ含まれていた。
男爵たる者に自分から声を掛けられる男。いや、ここの会場に居る全員に対して、遠慮が一切必要ない、只一人。
国王カリソンその人だった。
「へ、陛下!!」
「お前が居ると聞いてな、是非とも紹介しておこうと思ったのだ。お前が食べた菓子を考案した者はこいつだ。……名前は言わずとも分かるだろう?」
少年と男爵の目が合う。
勝気そうで、意思の強そうな少年の目つきには、男爵が気圧されるだけの力がある。
「な、何故……」
「ホージッド男爵閣下におかれましては初めてお目にかかります。モルテールン男爵カセロールが一子、ペイストリーと申します。どうやら“母ともども“ご丁寧な招待を受けましたので、是非とも御礼を申し上げようと思っておりました」
「馬鹿な、何故ここに居るのだ……」
ホージッド男爵は見事に狼狽した。
絵描きの魔法を使う息子は、母親と共に隔離したはずだった。上手くいったとの連絡もあったはずだった。にもかかわらず、この場に居る。おまけに、国王と親し気にしているのだ。
つまりは、自分の為したことが完全にバレているということ。
「どうした男爵、顔色が悪いではないか」
「は? いえ、あの、少々疲れが出たのかもしれません。最近風邪気味でして」
国王の言葉に、何とかその場を取り繕うとする。しかし男爵は気付けない。
いや、気付いたが遅い。
自分の周りにいるのが、カドレチェク公爵、ヴェツェン子爵だと言う事に。国内の“治安維持”を担う最高責任者達だ。
何故軍家筆頭格の二人がわざわざ自分を連れて挨拶したのか。今更ながら、これが自分を油断させて嵌める罠であったと気付く。
「風邪か。それはいかんな。卿にはこれからもやってもらわねばならぬ仕事が山積みだ。おい」
国王の短い言葉に、いつの間にか武装した近衛兵が集まっていた。彼らの目つきは鷹のように鋭く、ちらりとでも不審な動きを見せればぶっ殺すとでも言いそうなほど危険な雰囲気があった。
「ホージッド男爵を“特別な客室”に連れて行け」
「ははっ」
王の命で、近衛兵二人が男爵の両脇を抱える。そのまま引きずるようにして連れていく様は、明らかな連行であった。
特別な客室というのが鉄格子のある部屋であることは、今更言うまでもない。
「全く、人の足を引っ張りたがる連中は、幾らでも湧いて出るな」
国王は、溜息をついた。
自分が優秀だと自負しながら、周囲の環境の変化に適応できない時。自省出来ない者は、環境を変化させた要因が悪いと責任を転嫁しがちだ。
農家であれば雨が降らないのが悪いと言い、商人であれば相場が荒れたのが悪いと言い、振られた者は相手に見る目が無いと言う。そして、金脈を失った者は余計なことをした奴が悪いと言う。
こういう手あいは、決して自分が不作為であったり、適切な行動を怠ったとは考えない。雨が降ってさえいれば全て上手くいっていたと考え、余計な邪魔が無ければ金脈は未来永劫続いたと考える。
こういう手あいは存外に多い。仮に今は上手く環境に適応できていたとしても、環境が変わればこの手の人間は何時だって湧く。そう嫌悪した故の溜息だ。
「陛下、害虫は一匹見かけると三十匹は居ると思えと申します」
「ははは、お前は年の割に辛辣だな。それに、どうやら俺の思惑も見抜いたか」
カリソンとペイスのやり取り。少年は、物おじもせずに国王と会話していた。
その様子に、公爵と子爵などは驚くこと頻りだ。
「陛下の御深慮を、僕如きが見抜くなどとは畏れ多いことです。しかし、御思慮の一端には、今回の件がお役に立てたかと存じます」
「ふむ、ならばここで宣言するか」
何かしら思惑のありそうな国王は、貴族たちの目を集めながら部屋の一段高い場所に進んだ。近衛を従えての堂々たる姿勢に、何事かと辺りは騒めきだす。
「静まれ」
短くも低い、良く通る言葉だった。
威風をもって周囲を睥睨する様は、一国の王として過不足が無い。
「皆に知らせる。モルテールン男爵家の嫡子と夫人が、聖国の人間によって攫われた」
貴族たちの目が、一斉にカセロールに向く。或いは、聖国の大使が居る方に目を向ける。
憮然とした態度で注目を集めているが、カセロールとて事情はさっき聞いたばかりなのだ。
「幸いにして、夫人も子も無事に逃げ出した。無論、聖国の人間を捕まえた上でだ」
周りの声がざわついた。聖国の人間が王国の貴族を攫うというのも一大事であるが、それほどのことをしでかすのだ。さぞ準備は入念に行われたはずである。にもかかわらず逃げおおせたというのだ。何があったのか、という興味で騒いでも当然である。
「これは、我が国に対する明らかな敵対行為。余はここに宣言する。非道なる行いには相応の酬いを受けさせようと」
王が拳を振り上げた。
そしてそのまま気合を込めて振り下ろした。
「聖国に対し、宣戦を布告する」
秋の始まり。
それは、争いの始まりを告げるものであった。
此れにて16章結。
こんな終わり方は初めてですが……
次章「戦いはフルーツに合わせて」(仮称)
戦いは、これから始まる。