152話 警告
それは、深夜未明のことだった。
突然の部下からの知らせに、カドレチェク家当主は寝所から飛び起きる。既に屋敷の中は騒がしくなっていた。
「侵入してきたのは何処からだ!!」
「東西南北の全てからです。既に外門は破られました。今は内門と庭で対処中です」
「数は?」
「各方面で少なくとも十づつは……」
公爵は状況を把握しようとする。
「応援はどうした」
「既に緊急連絡済みです」
「よし」
王都カドレチェク邸。中心部に近い一等地に立つそれは、日頃から厳重な警備が為されていた。
警備が厳重な理由としては、カドレチェク家が代々軍家であることもその一つ。
軍人は、仕事として人の命を奪うことがある。また、誰かを殺す以上は、殺される覚悟も必要とされる職業。
やむを得ない犠牲の被害者、錯誤や誤解、逆恨みに嫉妬。危害を加えられる心当たりなど、升で量って箒で掃くぐらいにありふれている。
「寝ている連中は全て叩き起こせ!! 総動員だ。私も出る」
「はい」
「スクヮーレ、スクヮーレは居るかっ!!」
カドレチェク公爵は、息子が傍に来ていることを疑っていなかった。有事の際には情報共有と連携が重要と口を酸っぱくして教えてきたからだ。いざというとき、自分のところに集まるよう打ち合わせておくことは、日頃からの備えの一環。
「お呼びですか父上」
「お前は北の指揮を取れ。他は私が指揮を執る。極力被害を減らし、時間を稼ぐことを優先しろ」
「分かりました」
先日公爵位を継いだばかりの父からの指示に、早速とばかりに自分の手勢を集める次期公爵。家人のほとんどが父の指揮下にあるとはいえ、自分が動かせる人間も僅かながらある。対応を急ぐため、駆け足で自分の部屋に戻る。
新婚の彼は屋敷内の離れを自室として与えられていたが、そこで働くものを含め、戦えそうな人間は皆集めるよう指示した。
執事や料理人や庭師や厩舎番と言った男手も、いざとなれば防衛戦力だ。
「スクヮーレさん……いえ、あなた」
慌ただしくなる中で、結婚式を終えたばかりの新妻が夫の元に駆け付ける。新婚初夜ということで、部屋を出るにはいささか人目を憚る格好だった為、出て来るのに時間が掛かったのだ。
「すまないなペトラ。新婚早々に、こんなことになるなんて」
「いえ、それは仕方がないのですが……争い事ですか?」
「そのようだ。私も出る」
騒々しい只中にあれば、ペトラも軍家出身だけに状況を察する。結婚式に託けて騒いでいる酔っ払いではないと分かる程度には。そして、自分たちが襲われているのだと分かる程度には。
「結婚初日で未亡人になるなんて、私は嫌ですよ?」
「私だって嫌だが、そこは夫の背中を押してほしいものだ」
「大丈夫です。信じておりますから」
軍人に対して死ぬなと言うのは無茶な話だ。彼らは、必要とあれば自己犠牲すら厭わない精神を、騎士として求められている。
自分は殺していいが、殺されるのは嫌だ、などというのは勝手な話。自分は殴っても良いが、殴り返されると怒るというのはいじめっ子の論理だ。一方的な力の行使は只の暴力。騎士の力が暴力であってはならない。
高邁な精神を説かれる騎士として、剣を相手に向ける時は、相手からも剣を向けられる覚悟をする。少なくとも神王国ではそれが正しいと考えられていた。
それでも、青年とて新婚早々妻が未亡人になるという悲話を作りたいなどと思っているわけではない。
新婚云々を抜きにしてもまだ若いスクヮーレには、洋々たる前途がある。ここで侵入者如きにくれてやる命ではないと、若き騎士は妻を抱きしめた。そしてそのまま妻の耳元で囁く。
「大丈夫、必ず無事に戻って来る」
「……御父様もいつもそう言っていたわ」
「私は大丈夫さ」
「気を付けて」
気丈とはいえ、ペトラも実の父親を戦争で亡くして間がない。どうしても、夫と父の姿が被る。
不安を隠せない妻を、安心させるように言葉を掛けて出ていく夫。
軍人の夫婦とは、別れる時は常に今生の別れを覚悟する。
スクヮーレは、振り返らずにその場を後にした。
「こちらの手勢は?」
「六人だな。今しがた集合掛けた」
離れを出て駆けつつ、スクヮーレは合流してきた男に聞いた。
答えたのは、革鎧を着たボサボサ頭の男だ。
この男、傭兵団『コロデュニ義勇隊』に所属する傭兵である。定額予算という名の、親からの小遣いでやりくりするスクヮーレが、自腹で雇っている傭兵であり、現状動かせる中では一番の大駒。
「……少ないな」
「じゃあ訂正しておく。百とんで五人だ」
「どこから百人湧いたんだ?」
「俺が一人で百人力だからだ。良かったな若様、こんな力強い男が味方で」
「自分で言うかな……」
傭兵という職業柄、実力が無ければならない。無ければ死ぬだけ。
逆に言えば、長く傭兵稼業をしている人間は、ほとんど例外なく実力を備えている。最低でも、いざという時逃げられる程度には身を守る術を持っているもの。
男の言葉は、あながち口から出まかせという訳ではない。もっとも、百人の働きが出来るというのはいささか誇張が過ぎるようだったが。
スクヮーレが屋敷の北に着いた時、そこでは既に戦闘が起きていた。
偶々この辺りを見回っていた二人組が、十人以上を相手に戦っている。いや、既に過去形で語るべきだろうか。味方の方は既に戦える状態ではない。
「下がれ。後は任せろ」
「ス、スクヮーレ様……」
スクヮーレの短い命令に、戦っていた二人の家人が倒れ込んだ。うつ伏せに倒れる、危ない倒れ方。
「ひゃっほう!!」
そんな二人を庇うように、或いはただ単に人が集まっているところに飛び込むように、傭兵の男が向かった。人が倒れていることなど気にもしないという無神経さで。
突拍子も無い突然の行動に、顔を隠した賊側が一旦体勢を整える為に下がる。これを予想していた人間は驚くことも無いので、稼ぎ出した貴重な時間に、倒れ込んだ二人を回収した。様子を窺うのはスクヮーレだ。
「大丈夫、気を失っているだけだ」
腐ってもカドレチェク家の家人。夜間の巡回をする人間も、中々に鍛えられていたらしい。体中のいたるところに傷が出来ており、血だらけではあるものの、致命傷だけは何とか躱して守勢に徹していたようだ。すぐに助けが来ると信じられなければ出来ない、まさに精鋭の仕事。
止血と応急手当をするのはその後合流した者たちに任せ、スクヮーレも戦線に加わる。
その頃には、賊が十数人、カドレチェク家側が数人といった具合に、戦線が築かれていた。普段はお茶会などに使われるテーブルや椅子をひっくり返して、盾代わりにした即席のバリケードが出来ている。
人数的に不利な状況ではあるが、彼らが行うのは時間稼ぎ。そして、地の利はスクヮーレ達の方にあった。
「ぎゃっ!!」
「矢? ゴードンか」
飛んできた矢に驚いて、慌てて矢の出どころを探るスクヮーレ。その目線の先は屋敷の屋根の上。夜陰に紛れて一人の男が居た。
見晴らしのいい場所に、軽装で立つ男。カドレチェク家の家中でも名の通った『二の矢要らずのゴードン』ことゴードン=ブフェルトン。風の動きを見ることが出来る魔法使いで、弓の腕とあわせて狙撃の名手として知られている。弓矢の腕前は魔法では無く技能であり、完全な補助として魔法を使う、珍しいタイプの魔法使い。魔法が無くても相応の腕前だが、魔法を使えば、弓を取っては国内随一と称される名人。
カドレチェク家に戦場でスカウトされ、従士として仕えるようになって二十余年。主家からの信頼も篤く、実力も確か。彼が弓を取り、上に陣取った時点で一個小隊は軽く相手取る。
「よし、これでいける」
ゴードンに軽く手を振って意思疎通が出来たスクヮーレ。
前衛が何とか形になり、後衛に不安が無くなった時点で、時間稼ぎだけなら十分可能と判断した。
基本に忠実で手堅い用兵は、スクヮーレが得意とするものだ。周りを見渡す余裕も生まれる。
「怪我人の具合は?」
「危険な状態ですが、止血は終わりました。止めるまでに血を流しすぎていなければいいのですが」
返された返答に、皆は顔を顰める。今も人が集まりつつあるが、怪我人が居ることは士気を下げかねない。
かといって、邪魔だからどけとも言えない。そもそもそんな発想が出来るスクヮーレでもない。
膠着状態。
押し返すでもなく、押されるでもなく。そんな精神的に張り詰めた状況は、のほほんとした声によって破られる。
「あらら、十分持ちこたえていますね。流石はスクヮーレ殿。慌ててくる必要は有りませんでしたか」
「坊、重傷者も出てるようですぜ。むしろ駆け付けるのが遅かったんじゃねえですかい?」
誰あろう、カドレチェク家の頼れる友軍。モルテールン家の精鋭たちである。
今まで誰も居なかったはずの場所に、突如として数人の武装した集団が現れたのだ。カドレチェク家の面々は一様に警戒し、中には飛びかかろうとした者も居たが、スクヮーレの言葉で警戒心は霧散した。
「ペイストリー殿!!」
「父様の命令で援軍に駆け付けました。助太刀します」
「助かります」
言うが早いか、ペイストリー、シイツ、コアントロー、トバイアムと言った面々が、バリケードを飛び越えるようにして戦場になだれ込んだ。
剣と血しぶき飛び交う中であっても、誰一人として臆することが無い。
新たな邪魔ものに気付いた賊たちが、同じ人数でもって迎え撃とうとする。黒づくめの男たちが剣を振るったところまでは、非戦闘員でも見えた。いや、彼らが見えたのはそこまでだった。
瞬きをするほどのわずかな時間。賊たちは、剣を全て折られていた。
一体何が起きたのか。分かったのは、事情を知るものだけ。
「折れた剣が一本あれば便利ですね。皆が同じ剣を使ってくれているので折るのも楽です」
剣を折ったのはペイスの魔法。傷を【転写】するのはペイスの十八番である。
突然素手になった、いや、柄だけで武器未満のゴミとなり下がり、両手を塞がれた男たちが、武器を持って猛る歴戦の勇士の猛攻を、防げるはずがない。
一騎当千を文字通り体現したようなモルテールン家である。あっという間に形勢はカドレチェク家優勢に傾く。圧倒的優勢。瞬く間に、侵入者たちは取り押さえられる。
死者なく現場を制圧できたことに対して、カドレチェク家次期当主がペイス達に頭を下げた。
「ご助力ありがとうございます」
「いえいえ。スクヮーレ殿の結婚の為に偶々王都に来ておりましたし、王都の治安維持は父の仕事でもありますのでお気遣いなく。おや、怪我人も居ますね。少し見せてください」
最初に重傷を負った二人組は、熱も出ていた。応急処置は終わったが、あちらこちらが化膿し始めており、助かるかどうかは怪しい。良くて四分六分。無論、助からない方が六分だ。
そこでペイスは、懐から数粒の飴を取り出した。
「これを食べてください」
怪我人の口に押し込むようにして入れ、飴を舐めさせる。喉につめないよう注意しながら。
「何ですか、それは?」
「ただののど飴ですよ。気付けと栄養補給の足しぐらいにはなるはずです」
無論、ペイスの飴はカモフラージュ。こっそり癒しの魔法を使っているのだが、今回の場合ならば魔法がバレる心配はない。治ったのは分の悪い賭けに勝ったからだ、程度に思われるだろう。実際、何もしなくても助かるかもしれないのだから、運が良かったで済む。
しかし、スクヮーレは別の見方をした。
ただでさえ常識外れで突拍子も無いことをしでかすペイスのやることだから、“飴を食べさせていること”に何か特別な意味があるのだと思ったのだ。その点で観察力は優れている。だが、その先が決定的に経験不足。
きっとあれは噂に聞く「癒しの飴」に違いないと、勝手に納得した。
北が片付けば、他の助力に向かわねばならない。
ペイス達を含めたカドレチェク家スクヮーレ部隊が、手始めとばかりに東に向かう。モルテールン家の異端児や、二つ名でもって知られるシイツなどの猛者。また、結婚式の為にカドレチェク家に逗留していた貴族を護衛する、魔法使いや手練れの人間も加われば、時が経つごとに守勢側が有利になっていく。
やがて、空が白むよりも早く、賊は全て討伐されることになった。
守勢側は完璧に屋敷を守り切ったのだから、軍家筆頭の面目躍如といったところだろうか。
「改めて、助かりました」
ひと段落つき、カドレチェク公爵がペイスに挨拶をしに来た。後ろには息子スクヮーレも付き従う。
「微力ながらお役に立てましたこと、何よりと存じます」
「若いのに頼もしいことです。おや? そういえば、御父君はどうされました」
「父は、役目柄も有りますので、町中を飛び回っていることと思います。今更なことではあるのですが、貴族街の治安維持は軍の仕事。各屋敷の中は各々の貴族家の領分。僕は押しかけで参りましたが、父がやれば、公務を放り出して私事を優先させたことになってしまいますので」
「なるほど。中央の隊を率いておられるのでしたな。ならば、町中で逃げた者が居れば御父君が捕縛されていることでしょう。出来ればこちらが片付いたと連絡を入れたいものですが」
「ならば、人をやりましょう」
ペイスは、今更とばかりに転移の魔法でシイツを父の下に送った。カドレチェク家には“カセロールが魔法を息子に貸せること”がバレているので、隠すまでも無いわけだ。
従士長の戻りを待つ間は、戦後処理が待っている。
捕まえた黒づくめの連中の尋問が特に大事だ。何故カドレチェク家を襲ったのかの理由と、背後関係を洗い出さねばならない。
こういう時、カドレチェク家にはプロフェッショナルが居る。尋問と拷問のプロフェッショナル。こう聞くと恐ろしい人物のように思えるが、実際のところは経験豊富な老人である。
長年某所の牢屋番と取り調べを担当していたことで、犯罪者の嘘や隠し事を見破ることが特技の域まで昇華された人間。魔法的技能は一切持ち合わせていないが、だからこそ逆にその能力は貴重である。
そんな尋問で、担当官が妙なことを言い出す。
「聖国訛りがある?」
「ええ、自分にはそう思えます。ただ、若干違和感のある訛りでして、どうも自分たちの世代の訛り方に思えますんで」
確かに妙だった。
侵入者に老人は居ない。皆若かった。
偶々尋問官がその手の言葉に精通していたから良いようなものを、生半可な人間が尋問すれば、単に聖国訛りがあるとだけしか分かるまい。
シイツが、カセロールの魔法で戻って来たのはそんな時だった。
「坊、ちょっと……」
「シイツ、何かありましたか?」
何やら他人の耳を憚る要件の用だった。
「大将の方でも何人か捕まえたらしいんですが、そいつらが妙な伝言を口々に。坊にも伝えておけと大将に言われたもんでして」
「伝言?」
「これは警告。次はあいつだ、ってことでして」
「次は……ですか。まだ他に狙いがあると言うことですかね?」
カドレチェク家婚儀の夜を襲った襲撃犯。次と聞いて思いつくのは、と皆が目線を一カ所に向ける。
その先には、ひと際大きな王城がそびえ立っていた。