151話 カドレチェク家の結婚式
夜。
貴族街のとある屋敷で、人目を憚るように集まった者たちが居る。
「忌々しい」
「全くだ。菓子如きで国王の機嫌を取ろうなどというのが浅ましいのだ」
呟くような声。憎々し気に吐き捨てるような囁きは、棘を孕む。
「聞けば、倅の方も王に呼ばれているそうだ」
「我らの子弟は苦杯をなめているというのに、重ね重ね忌々しい奴等だ」
集まっている者は皆、誰か特定の人間に対して不満を持っているようだった。
「どうにか鼻を明かしてやりたいが……」
「ふむ、思うことは皆同じか」
「だが、あの家に手を出すのは容易なことでは無いぞ」
「そうだな。しかし、こういうのはどうだろうか」
他聞を憚る会合は、深夜まで続いた。
◇◇◇◇◇
結婚式というのは、格式ばった形式が多い。
例えば髪型。目出度い席で顔を隠すのは失礼との理由から、髪の毛が顔に掛からないように上げておかねばならないし、抜ける、無くす、減らすと言った意味合いを避けるために、またむやみに肌を露出しないように、ハゲている人間はカツラを被らねばならない。これには男女は問わない。大抵は年配男性が該当するのだが。
同じく、マスクや仮面は論外だが、警備の人間が兜を付けることもアウト。
服装のボタンも、男爵の子は準男爵と同等の扱いとして大きいボタンが三つと、小さいボタンが一つと決められている。ペイストリーがこれに該当する。
前閉じのボタンで着る服が結婚式で必須なのは、二つの家を繋ぐという意味合いで結婚に相応しいとされるからだ。ボタンが結婚を意味するだけに、決まりが細かい。
飾りの付け方、コーディネートの規定、立ち居振る舞い。何かにつけて、決まりごとの多いのが貴族の結婚式というものだ。現代人の感覚ならば、下らないと思えるものは数多い。
「肩が凝りそうです」
「まあそう言うな。お前の年を考えれば、これから幾らでもこういう機会があるんだ。慣れるしかない」
社交の舞踏会も大概ドレスコードに煩いが、結婚式となればそれ以上。まして、国の重鎮の子弟の結婚式となれば尚更である。
無駄にも思える過剰装飾に、溜息をもらしたのはペイス。内心では同感だと相槌を打ちつつも、親として苦言を呈するのはカセロール。誰がどう見ても親子と分かる程度には似ている二人だ。顔立ちというよりも、雰囲気や纏っている空気が似ている。いわゆる背格好というものが、相似形になっていた。
現在ペイス達が居るのは王都のカドレチェク邸。ドッジボールコートなら四面ぐらいは軽く用意出来そうな広い部屋に、大勢の人間が煌びやかに飾り立てて集まっている。
集まった理由は今更だが、カドレチェク公爵嫡孫スクヮーレの結婚披露宴。
主役は勿論スクヮーレ=ミル=カドレチェク。なのだが、実際のところは彼は脇役のようになっている。理由はというならば、彼のすぐ傍に居る女性が極めて社交的で、かつ明るい雰囲気の美人だから。結婚式とあって入念に化粧をして、天使もかくやという美しさで挨拶を受けているものだから、スクヮーレに対して挨拶しに近づいたものが、皆目を奪われてしまうのだ。
そう、リコリスの双子の姉、ペトラに。
今日教会で婚姻の誓いを交わしているので、既にペトラ=ミル=カドレチェクとなり、いずれは公爵夫人と呼ばれることになるであろう女性の姿は、集まった貴婦人たちをしても羨望をもって見るほどに輝いていた。
「ペイスさん、私たちも挨拶に行きませんか?」
「そうしますか」
参加者は、皆全員一回は主役二人に挨拶する。おかげで新郎も新婦も食事には一切手を付けられずにいる。
ペイス達は新婦の身内扱いなので挨拶の順番も早いはずなのだが、ペイスが見る限り、既に主役の二人には疲れが見えた。
会場にセッティングされた、ひと際高い段の上。ペイスなどは内心でお雛様だと思ったが、無論この世界にはそんなものは無い。
「スクヮーレ=カドレチェク卿並びにペトラ義姉上。この度は真におめでとうございます。今日のこの善き日、新しく一歩を踏み出されたお二人を、心からお祝い申し上げます」
「スクヮーレ=カドレチェク卿、そしてお姉様、御結婚おめでとうございます」
主役二人の眼前に立ち、テーブル越しに挨拶するモルテールン家の若夫婦。共に笑顔だ。
リコリスにとっては自分の実の姉、それも双子の姉と、その伴侶になる相手。今後とも長く親戚付きあいをするであろう相手なので、仲良くしておきたいところだ。
そんな意図をさておいても、仲の良かった姉の結婚である。お祝いを述べた言葉は、心からの祝福の気持ちが込められていた。
「ありがとうございます。モルテールン家のお二人に祝っていただき、嬉しく思います」
公子スクヮーレが、まずペイスに話しかけた。
先日、ついに祖父が引退した為、スクヮーレが公爵家嫡子となっている。
王家の結婚とタイミングを合わせるように結婚したのは、前公爵の政治的意図から。王子の結婚には諸外国からも大勢来賓や招待客が来ることから、それに合わせて結婚式をすることで、普通なら公爵家では呼べないような高位の人間も式に参加していた。
ペイス達がかなり近しい親族であるにも関わらず、挨拶が最初の方で無かった理由がこれだ。
「私たちも晴れて夫婦となりましたが、夫婦としてはお二人の方が先輩です。教えて頂くことも多いと思いますが、今後ともよろしくお付き合いください」
「こちらこそ。若輩の身に何が出来るかは疑問ではございますが、我々の友誼に変わりはないと思っております」
男同士の挨拶は簡単に終わる。
この手の挨拶が長々と続くと疲れることは重々承知なので、ペイスも相手を疲れさせるようなことはしない。
「お姉様、大丈夫ですか? お疲れのご様子ですけど」
「リコに気遣って貰うのも久しぶり。そっちは元気そうね」
「今は王都に居られますが、御義父様も御義母様も良くしてくださいますから。毎日穏やかに過ごしております」
「羨ましいわ。それに旦那さんも頼りがいがありそうで。王都でも時々話題になるの。モルテールン家の英才って。今からでも旦那を交換しない?」
「だ、駄目です!!」
「冗談よ。そんなに焦らなくても、私だって新婚ですからね……それにしても、そんなに焦るほど旦那さんのことが好きなの?」
「お姉様!!」
対し、女性陣二人は放っておけばいつまでも話し込むような雰囲気だ。
姉妹の気安さなのか、姉が妹をからかうのも遠慮が無い。
「ペトラ義姉様、この度はおめでとうございます」
見かねて、ペイスが会話に割り込んだ。
バツが悪かったのだろう。或いは姉妹のはしたないところを見られたという気持ちがあったのか。ペトラもリコリスも、頬を染めて会話を止めた。
姉の方はわざとらしく椅子に座り直し、妹の方は軽く裾を直すふりをして取り繕った。
「こほん、ペイストリー様もお心遣いありがとうございます。縁あってスクヮーレと夫婦になりましたが、妹同様幾久しくご厚誼を賜りますよう願います」
「こちらこそ、妻と共にいつまでも親交を結んでいただければ幸いでございます。つきましてはこの度の慶事に際しまして、つまらないものではございますが祝いの品を持ってまいりました。ご笑納ください」
堅苦しい形式ばった挨拶の中で、ペイスがにこやかに祝いの品について口にした。
色々と情報収集に余念がない公爵家の後継者として、スクヮーレなどは何を持ってきたのか興味津々だ。
王家に近々贈答するという豆菓子かも知れぬと、早速とばかりに身を乗り出した。
「もしかしたらご存知かもしれませんが、ドラジェという糖衣菓子をお持ちしました」
ペイスが贈り物として差し出したのは、豆を糖衣で包んだ菓子。カラフルな色合いが美しく、おまけに絵画のような風景が【転写】されていた。紛うことなく世界に一品の最高級品である。
勿論、カドレチェク家の二人はそれが何かを知っていた。そして、意味するところも。
ドラジェという糖衣菓子自体は、婚礼や出産の祝い事に贈られる。少なくとも、ペイスがレーテシュ家に贈った際の説明はそうなっている。この世界で初めて披露された菓子の曰くを、世に出した当人が語るのだ。
例え他の意味があろうとも、言ってしまった者勝ち。誰が何と言おうとも、祝いの菓子である。
南方でも一二を争う、あえて言うならトップのレーテシュ家。その“当主“が結婚するときに贈られた菓子を、今回贈るという。スクヮーレは祖父が引退したとはいえ”次期当主“であるにも関わらずだ。
これは、モルテールン家がカドレチェク家を最上位に見ているという証になる。少なくとも、レーテシュ家と同等程度には見ているということ。
モルテールン家とカドレチェク家の関係性が親密であることを示すには、丁度良い菓子である。
また、カドレチェク家は自派閥のことも当然知っている。例えばヴェツェン子爵家などが、この菓子を再現しようとして失敗したこと等をだ。
他にも幾つかの家がこのドラジェを再現しようと試み、ことごとくが失敗している。これはカドレチェク派には限らないが。
スクヮーレには知る由も無いが、ドラジェの作成には世に流通している砂糖では粗悪すぎて使えない事情があるのだ。
砂糖の質にとことんこだわるモルテールン家でも無ければ、そして上白糖や粉砂糖の存在を“知っている”ペイスでもなければ、砂糖と言えばごつごつとした黒っぽい黒砂糖しか知らない。
不純物やミネラル分の多いそれを更に試行錯誤しながら、雑な手順で模倣しようというのだ。失敗して当たり前。
おまけに、小さな、文字通りの豆粒のところに、緻密で正確な風景の絵や微細な幾何学模様があるとなれば、ペイス以外に作れるはずがない。
最高の贈り物。
そう感じた新郎新婦は、一切含むところの無い笑顔で義理の弟に礼を言った。
「疲れた時には甘いものが一番です。どうぞ召し上がってください」
「そうですか? では一つ」
ペイスに勧められ、またお腹がすいていることもあり、スクヮーレは早速とばかりに貰ったばかりの菓子を食べる。毒見もせずに食べるのは、ペイスを信用しているというアピールだ。というよりも、ここまで緻密な菓子はモルテールン家にしか用意できず、偽物にすり替えたりも出来ない以上、する必要性が薄い。
ちなみに、神王国の技術水準では、あまり大きく口を開けると結婚式用の化粧が崩れる。その為、ペトラは自分が食べられない菓子を美味しそうに食べる夫を恨めしそうに見ていた。
自分にも寄越せと言わないだけ、慎みがある方だろう。
「はい」
その妻の目線に耐え切れなかったのだろうが、スクヮーレが一粒摘まんでペトラの口元まで運ぶ。
どこかで見たような光景であるが、夫婦仲が良好であり、決して政略のみで行われた婚姻でないことを周りに簡潔にアピールすることになった。
見ている人間は皆、笑顔になる。
羨ましそうに姉を見て、その後ペイスに何事かを訴えるような表情を向けたリコリスを除いて。
「それでは他の方の御挨拶も有るでしょうから、この辺で席に着かせて頂きます」
「丁寧な御挨拶ありがとうございました」
一通りの挨拶が終わり、自分の席に戻って来たペイスとリコリス。
主催者への挨拶が終われば、他への挨拶回りがある。これは毎回、カセロールとアニエスのペアとの分担。
もっとも、モルテールン家は最近人気があるので、相手の方からやって来るのだが。
「ペイストリー=モルテールン卿、ご夫婦でいらしていたのね」
「これは、レーテシュ伯爵。それにセルジャン殿も。ご無沙汰を致しております」
「本当にご無沙汰ね。もっと頻繁に遊びに来てくださっても構わないのよ? お互い新婚ですし、共通する話も多いでしょうから」
「お気遣い頂き嬉しく思いますが、何分父より領地を任されておりますので、中々まとまった時間がとれません。ご容赦ください」
「うちの娘たちも貴方に会いたがっているのに」
「閣下の御息女は皆、まだ喋れないのでは?」
レーテシュ伯の子供はまだ生まれて間が無い。二歳にもならずに自分の意思を流暢に伝えられるなら、それは異常な天才か、或いは菓子狂いかのどちらかだ。
「親には子供の気持ちが分かるものなのよ」
「そうでしたか。まだ親になったことが無いので分かりませんでした」
「あら、そうだったわね。大人びていらっしゃるから、つい。そうよね、子供はお二人にはまだ少し早いかもしれないわ」
実力者でもある女傑にじっと見られたリコリスは、露骨に子作りを匂わせる会話に赤面することしきりだ。さりげなくペイスが半身で庇っているのが状況を如実に物語る。
「でも、気を付けた方が良いわね」
「……何に、でしょうか」
分かっていてやっているのだろうが、ペイスの顔の横まで口元を近づけて、内緒話を始めた。遠目にみれば、二人の仲を疑ってしまいそうな距離感。
「このところ、聖国からの船の数が増えてるの。貿易の量や額にさほど変化はないのだけれど。貴方なら、この意味が分かるでしょう」
船の数が増えているのに、表向きの貿易に変化が無い。ならば、何かしら表に出てこないものが運ばれている可能性が高い。ペイスは咄嗟にそう判断した。
「工作員、でしょうかね」
「多分ね。うちの領地での好き勝手は絶対にさせないから、そこは安心してほしいのだけれど、問題はうち以外に用があった場合よ」
「なるほど、もしも良からぬことを考えている他国のスパイが居るとするなら。目的はここか……でなければ、殿下の結婚」
あくまで仮定に仮定を重ねた推測でしかないが、仮にスパイが居て、神王国内で何かしようと企むのなら、王家の結婚披露宴や公爵家の結婚披露宴は、絶好の機会に映るはず。
「可能性の問題ね。国内に変化があったからと、ただ単に情報を集めたがっているのなら良いのだけれど、そうでないなら、貴方の言っている可能性もあると思うの」
「確かに……で、閣下は僕にそれを伝えることで、何を企んでおられるのですか?」
「あら、人聞きの悪い。私はそんな性悪女では無くてよ。おほほほほ。でも、そういう聡いところは好きよ」
「利用できるから、ですか?」
「うふふ、どうかしら」
一旦姿勢を戻した女性を、ペイスはジト目で見た。
大方、モルテールン家経由でどの程度情報が広がるかを測っているのだろうと察する。
敵国の工作員が暗躍していると聞いたなら、どんな家でもまず警戒するだろう。ピリピリした雰囲気というのは、黙っていても伝わる。
つまり、情報が伝わったことが外部から察しやすいということだ。大した手間を掛けずとも、例えば浮浪者を雇って家に近づけるだけでも、情報が伝わったことは確認できる。レーテシュ家なら楽勝だろう。
この情報を聞いて、警戒の度合いが強まればモルテールン家と親しい家。そうでなければ疎遠な家だ。モルテールン家との親疎を測っておけば、いざという時に敵味方をより分けるのに役立つ。
レーテシュ伯が企んでいることがその辺りにありそうだと、ペイスは考えた。
「それこそ、我が国の柱石たるレーテシュ閣下ともあろう御人が、何の企みも無く情報をタダで流すとも思えませんでしたので」
「貴方に恩を売っておくのも、将来への投資ですもの。精々恩にきて頂戴ね」
「心に留めておきます」
レーテシュ伯の忠告。或いは思惑。
それらは、結局無駄に終わった。
披露宴も終わったその晩。カドレチェク家に賊が侵入したとの報せが、ペイスの下に届いたからだ。