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おかしな転生  作者: 古流 望
第2章 婚約者には焼き菓子を
15/521

015話 脅しは計画的に

 プラウリッヒ神王国の南部。

 広大な平原と農地の広がる豊かな田園風景が、この地方の一般的な情景。

 この実り多き土地は神王国の穀物庫とも呼ばれる穀倉地帯で、大小数えて三百ほどの貴族家がそれぞれの領地を治めていた。その中の一つが、レーテシュ伯爵領である。


 レーテシュ伯爵領は東方と南方とがそれぞれ海に面した辺境。南部でも南端に位置し、ここより辺境となれば、西に二騎士爵領と二男爵領を残すのみとなる。

 領内には五十を超える村々と、それらの中心となる町が四つほどあり、更には全てを纏める領都がそれぞれと街道で繋がっている。神王国の貴族であれば誰でも知っている、南方でも指折りの大領である。

 おまけに、南方辺境で、海運を利用した物流の中継地ともなっていて、諸外国との交易も活発な商業都市が居並ぶ。無論、領都から海へと伸びる街道の終着点は、港町になっていて、今日も今日とてあちこちの街で荷物の上げ下ろしが行われている。


 王都ボーヴァルディーアから海沿いの街道を南に進むこと馬車で八日。更にそこから魔の森と呼ばれる広大な森を迂回して南東に進むこと馬車で八日。王都から数えれば、馬車でおよそ半月の距離にレーテシュ伯爵領の領都、レーテシュバルがある。

 街の中の運河が東西を分かち、幾つかの支流で南北を細かく分かつこの街は、二平方キロほど大きさがあり、人口は一万人程。

 毎日多くの荷馬車が街道を行き来し、それに比して領都は賑やかな様相を見せていた。


 街の周囲を広大な麦畑と森が取り囲み、農地と街を隔てる様にして石の壁が聳える。そしてその壁の中の街を、更にもう一枚隔てる様にして城壁が建つ。

 そんな街の中で、最も大きな建物を問われれば、誰しもが街のひと際小高い丘を指差して、こう答える。あの城だ、と。


 街の中でも最も目立つ建物がその城であり、街の中に居れば嫌でも目に付く。

 城の壁も勿論石造り。その上、今でこそ冬になる季節柄抜いてあるが、水を張っておく堀が掘ってある。

 街の壁のみならず、城にまで強固で厳重な備えをしているのは辺境ならではだろう。


 街の何処にいても目立つ城であるから、この町に来た人間なら一度は中に入ってみたいと思う。

 だが、普通はそれが適う事はない。

 何故なら、城壁から内側は全て領主とその家族のプライベートスペース扱いになっているからだ。

 

 そんな貴族の権力をまざまざと見せつける城に、一通の手紙が届いたのは先日の事。その手紙の差出人は、とある騎士爵家当主からのものだ。

 それが理由で、今日の城はいつもと違う様子を見せていた。


 「おい、城門が開いているぞ」

 「へえ、何かあんのかな」


 警護の騎士が、珍しく城門が開いているのを見つける。

 普段は警備上の都合で固く閉ざされている門が開き、跳ね橋が掘りに降ろされているのを見れば、何かあると分かる。

 正門が開く時とは、余所の御客が来るときか、祭りの時か、領主が大人数を連れて出かけるときか、でなければ戦いに赴く時だ。

 警邏しつつも、戦いでなければ良いと思うのは、つい先日盗賊退治で同僚が死んだからだろう。


 警護の騎士と言っても、彼らは正確に言うなら上位の従士である。伯爵から安くは無い給料を与えられ、馬への騎乗を認められているが、地位は陪臣。

 彼らとて知らないことは多く、何故橋が降りているのかまでは分からなかった。


 「お前ら、何をだらけているんだ。見回りはどうした」

 「ああ、隊長。今しがた裏手を見て回ってきたところです。異常なしです。しかし、隊長ともあろう人が何でこんな所に居られるんですか?」

 「あれ、もしかして戦争ですか?」


 喋りながら門に近づいた男たちは、そこに見慣れた顔が居るのを見つけた。

 自分達の上司に当たる第一分隊長。従士八百余名を預かる従士長でもある。従士とはいえ、レーテシュ伯爵領ぐらい豊かな領地ともなれば、従士長は下手な貴族よりも金と力がある。そんなレーテシュ伯爵領でも指折りの人間が門に居る。

 すわ戦争か、などと早とちりしてしまったのも当たり前であり、咎められもせずに苦笑いが返されるのみ。


 「違うさ。実は今日、お客さんが来るらしくてな。ちょっとばかり後手に回りそうなことがあるから、脅しも兼ねて兵を並べておけ、と閣下が仰せなのだ」

 「へえ、それで城門が開いていたわけですか。じゃあ俺らは見回りに戻りますんで」

 「そうか。いや、丁度良い、第二と第三小隊は全員武装の上で門に並ぶよう伝えてくれ。急ぎでな」

 「はっ、了解です。第二小隊、第三小隊は全員武装の上で門に並ぶようにお伝えしてまいります」

 「うむ」


 命令の復唱と、その時の姿勢を見れば、やはり訓練が行き届いていると分かるのだろう。

 背筋に芯が入ったような直立不動で復唱し、そのまま小走りに駆けていく。


 冬も近いとなれば、風も冷たくなってくる。

 開け放たれた門は、通用口から出入りするよりもより多くの寒さを運ぶ。従士長は、眼下に街並みを見回しながら、ぶるりと身震いをした。


 鍛え上げられた従士長が寒さに耐える小一時間の間に、ぞろぞろと人が集まってくる。全部で百人近く居るだろうか。何故か五十人づつぐらいで集団が別れているが、全員が皆同じような姿をしていた。

 綺麗に磨かれた甲冑を身に纏い、腰には装飾の付けられた鞘を差す。兜まではまだ身に着けておらず、めいめいが腰の辺りに見事な兜を抱えている。


 見るからに強そうな武装集団。

 彼らはレーテシュ伯爵領の歩兵団である。


 レーテシュ伯爵旗下の従士は、十二の小隊で運用されている。常から騎兵として運用され、近習も務める第一小隊を筆頭に、第十二小隊までが各五十人づつの構成だ。

 今、門前に集められたのは第二小隊と第三小隊。レーテシュ伯爵自慢の精鋭部隊である。


 「全員整列!!」


 従士長の大声が響く。

 その声に、きびきびとした動きで応える兵士たち。それぞれの隊長を先頭にし、僅かな時間で七列縦隊となった各小隊を見る従士長の目は厳しいものだった。


 「点呼っ」


 班員の声が一斉に唱和され、不在者の確認が行われる。


 「第二隊総員よし!!」

 「第三隊総員よし!!」

 「うむ」


 全員が揃っていることを確認し、軽く頷いた所で従士長は喋りはじめる。


 「本日、これよりお客人をお迎えする。事前の連絡では二名。うち一名は、かのモルテールン卿である」


 おおと、どよめきが走る。


 「静かに。もう一名は、モルテールン卿のご子息とのことだ。このお二人を本日、お迎えする。くれぐれも、閣下の旗に泥を塗る様な真似はするな。いいか、我が軍の威容を、見せつけてやるのだ」

 「「はい」」

 「よし、それではそのまま。休め」


 ざっと音がするとともに、居並ぶ兵士たちは足を肩幅ほどに開く。

 胸を張ったままではあるが、手は後ろ手に組む。直立不動であった時よりかは幾分楽な姿勢になった。


 綺麗に並んでいるとは言っても、並ぶ順序は年功序列に近くなる。

 実力順に並ぶとはいえ、やはり年季の差は大きい。必然、後ろの方に並ぶのは若い連中と言うことになる。

 若い連中が後方に並んで居れば、お偉い連中から離れる分、若手同士ヒソヒソ話が飛び交うのは何処にでもある光景だ。


 「なあ、モルテールン卿っていやあ、あの首狩り騎士の事だよな」

 「ああ。かの有名な幽霊(ファントム)だろ? どんな人なんだろうな」

 「きっと目がギョロついていて、ヒョロっとしているに違いないぞ。顔が青白ければそれっぽいだろ」

 「いやいや。王都防衛戦では首を三百以上狩ったらしいじゃないか。案外身長が人の倍ぐらいある大男かもしれん」


 実際は、鍛えて引き締まっているとはいえ中肉中背に近しい体型だし、王都を防衛した戦いで彼が狩った首は五つである。しかも、宿舎に突然乗り込んだとはいえ、正式な決闘の作法の上で倒しているので、首は戦果証明の為に後から別の人間が切ったものだ。

 それでも噂は尾ひれや背ひれが付く。実際に負けた側などでは、生き血を啜る悪魔のように噂されることもあるのだから、まだましな方だろうか。


 「そこっ、何を無駄口叩いているか」

 「「はっ、申し訳ありません!!」」


 全く最近の若い者は教育がなっていない。自分が若い頃は、もう少し節度があった。

 小隊長二人は揃ってそう考えたわけだが、彼らが若かりし頃を知る先代の従士長などが居れば鼻で笑っていたに違いない。


 「ん?」


 全員の気持ちが、図らずも引き締まったあたりで、隊員の一人が異変に気付く。

 それはさほど間をおかず全員が気付くことになる変化であった。

 僅かに空気が揺らぐ動き。夏の暑い日によく見る陽炎のような、遠くの景色が歪むような変化。

 しかし、今は季節が真反対。晩秋ともなれば、残暑というのもあり得ない。であれば、この陽炎の正体は何なのか。


 ややあって、その歪みに影が差す。

 人よりも遥かに大きい影に、伯爵領軍一同に緊張が走った。


 ぱかり、ぱかりと音がする。

 蹄鉄を噛ませた馬の足音であると気付いた人間は、音の主を探す。無論、というべきか、意外というべきか。音がしたのは歪みの方からだった。

 いつの間にか無くなっていた陽炎のようなものの代わりに、そこにあったもの。いや、そこに居たものは、馬に跨った騎士であった。

 ここにいる誰もが、噂では知っていた【瞬間移動】の魔法騎士(マジックナイト)。その魔法を初めて目にする者には、驚きあるのみである。


 現れた馬は二頭。

 一頭は立派な軍服を着こなした美丈夫が乗る。背は平均よりもやや高い程度であるが、体つきは鍛え抜かれているのか引き締まり、きりっとした顔立ちと相まってどこか人を魅了する雰囲気がある。

 恐らくこの人物こそ、かの有名なモルテールン騎士爵であろうと、居並ぶ全員が考えた。


 何故なら、もう一頭の馬に乗っていたのが、明らかに子供であったからだ。その子供もまた騎士とは違った意味合いで目を惹く。


 少女に思える顔立ち。しかし、服装自体は丁寧に仕立てられた男物の礼服。青みがかった服装は、幼さゆえの細身に沿うようにして立体感を持たせてある。丈もきっちり揃えてある様は、上流階級と言っても不思議はないほどにさまになっている。

 綺麗で癖のない、青みがかった銀髪を軽く流し、前髪は軽く切り揃えられている点が幼さを際立たせていた。

 利発そうな顔に、無邪気そうな笑みを貼り付けて馬を操る。この子供こそ、騎士爵の息子なのだろうと誰しもが納得するのは、馬上の二人の鼻筋の感じが、誰がどう見てもそっくりであるからだ。

 騎士爵本人とはまた違った意味で、可愛らしげに人を惹きつける魅力を醸し出している。


 人目を惹く二人が、揃って動く。

 訓練されていると分かる流麗な動きで下馬し、少年の方がやや男の方に並んだところで男が口を開く。


 「モルテールン家当主、カセロール=ミル=モルテールン。ブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュ閣下にお会いしたくまかり越しました。門前お通し願いたい」


 両足を揃え、背筋を伸ばして立ち、右手を一度剣の柄に当ててから胸の前に置く。

 右掌は握りこみ、親指側を左胸に軽く当てるその姿勢は、貴族階級の騎士が目上の者に行う敬礼である。

 貴族の礼としては、王に対する最敬礼に次いで、敬意を表す作法。


 この礼をされて、返礼しなければ失礼にあたる。


 レーテシュ伯爵軍一団の最前に居た男は従士長である。

 即座に、同じような作法で胸に手を当てた後、片膝を折って膝をつく。非貴族階級の従士が、貴族に対して取る作法としては一般的な礼になる。


 「モルテールン閣下、お待ち申し上げておりました。主の命により、これより私がご案内仕ります」


 口上を述べた後、立ち上がった従士長の動きに合わせるようにして、兵団が左右に割れる。

 一糸乱れぬ、というのはこういうことだろうと感じるほどに揃った動き。


 兵士が作った道。先導するように歩く男の後ろに、カセロールとペイストリーは続いて歩く。

 左右に立つ、物言わぬ兵士たちから感じる重圧は、並みの男であれば足が竦む。


 例えば異性に抱き付かれて平然としていられるのは、相当に恋愛遍歴を重ねて異性慣れしていなければ難しいように、人を殺した経験者達の気迫を受けて平然としていられるのは、かなりの修羅場慣れした人間に限られる。

 幾ら鎖でつないであると分かっていても、噛みつかれれば死にかねない猛獣の目の前を歩くのは、不慣れな人間には辛い。


 従士長は気付いた。


 騎士であるモルテールン卿が平然としていられるのは理解できる。勇名を馳せた猛者であるのだから、そこに不思議はない。

 だが、息子もまた同じように平然としているのだ。

 まだ年端もいかない少年としては、明らかに不自然である。


 従士長は、どこか違和感を覚えつつ、城の中まで二人を案内する。

 脅しのつもりで並べてあった兵団も、どうやら効果が薄かったらしいと少々落胆していたのだが、そこは経験の賜物か、表に出すことは無かった。


 「こちらです」


 親子が案内されたのは、城の中の一室。

 正面玄関を入ったホールから右手に進んだ大広間の先。それなりに大きな扉には、雄牛を模した飾りがついていた。ペイストリーは、その飾りがドアノッカーであることに、ドアをノックする段になってようやく気付いた。

 コンコンと、良く響く音で雄牛が啼く。


 「お館様、モルテールン閣下をお連れしました」

 「すぐにここへお通しする様に」


 中からの返答を受け、やや軋む音をさせながら、扉が開く。

 どうぞと言われて来客二人が中に入れば、二人分の笑顔が待ち受けていた。


 モルテールン領の領主館にあるソファーとは比べ物にならないほど高級そうなソファー。礼を見せた後に座るよう促され、腰掛けたカセロールとペイストリーの親子は、落ち着いて目の前の男“たち”を観察する。


 眼前には三人。一人は、案内してくれた男であり、従士長であると分かっている。

 であれば、残る二人のどちらかが伯爵位を持つ貴族様ということになる。


 一人は、壮年をやや過ぎ、中年になろうかといった感じの男。見るからに仕事の出来そうな雰囲気がする。かなりの風格を持っていることから、それなりに場数を踏んできたであろう事が伺える。

 そして、もう一人は二十代後半から三十代前半と思しき女性である。

 どちらが領主かなど、分かり切っている。


 「良くお越しくださいました。名高きモルテールン卿にお会いでき、光栄ですわ」


 無論、女性の方が領主である。

 ペイスは事前に聞いていた事なので驚きはしないが、女性領主が極めて珍しい存在であることは常識である。下手をすれば(いくさ)の最前線で剣を持つのが貴族。女性がその地位につくのは、相当に珍しい。


 ブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュは、先代レーテシュ領主の長女。先代と後継が戦乱で早逝(そうせい)し、先代の孫にあたる男児が乳飲み子であった為に、その子が成人するまで、ということで領主の地位に就いた女性であった。

 その甥御にあたる男児も病で亡くなり、現在に至っている。


 「こちらこそ、お時間を頂き感謝いたします」

 「いえいえ。ああ、お茶は当家で商っております最上級の物をご用意いたしました。ご遠慮なさらず、お召し上がりくださいまし」

 「ほほう、これは恐縮です。うん、旨い。レーテシュの茶と言えば王都でも名が通っているとか。噂にたがわぬものですな」

 「お褒め頂いて嬉しいですわ。卿が来られると伺って、準備させた甲斐がありますもの」


 ホホホと上品に笑うレーテシュ伯爵ではあったが、流石は上位貴族。交渉の場では些細なことが大きな成果に結びつくことを熟知している。立ち居振る舞いに隙を作らないだけでなく、その目は来訪者二人を入念に観察していた。


 鍛え抜かれた観察眼。その目が、一つ不審な点に目をとめた。

 最高のお茶を用意したはずなのに、何故かモルテールン騎士爵の息子が不思議そうな顔をしているのだ。

 お茶が口に合わなければ渋そうな顔だろうし、初めて飲んだというなら驚きの顔だろう。不思議そうな顔をしていることが不思議だった。

 が、今回の交渉相手は少年では無く、親の方であるとその疑問に蓋をした。


 「モルテールン領と言えば、あの荒野を豊かにされた手腕は有名ですわね。卿は武名だけではなく統治にも長けた方と伺っておりますのよ。農政にもお詳しいとなれば、是非ともご教授頂きたいほどです。ほほほ」

 「ありがとうございます。しかし、そのご評価は過分ですな。我が領地が多少は人を養えるようになったのも、全てここに居ります息子の手腕によるもの。私などは大したものではありませんよ」

 「あら、ご謙遜を。(わたくし)などは領地を維持するだけでも精一杯ですのに、御領地を豊かにされた手腕を誇られないとは、よほど御謙虚なのでしょうね。ご子息も、卿のような父親であれば誇らしいでしょう。ねぇ?」


 普通の人間であれば、未だ十歳にもなっていない子供が、領内改革の先導をしているなどとは信じないだろう、とカセロールは苦笑する。

 自分だって、相手の立場なら笑い話の冗談だと思うに決まっている。


 ようやく、息子に話が振られたことで、ここからが本番だと、彼は身を固くする。


 「はい、僕も父を誇りに思っています。当家の発展は、ひとえに父のおかげであります」

 「ええ、そうでしょうとも」


 父が誇り、の辺りで、カセロールの鼻が僅かに膨らむ。

 レーテシュ伯爵やその傍に立つ従士長などはそれに気づき、やはり親馬鹿であるとの思いを強くする。

 しかし、彼女たちは忘れていた。

 自分達が話している相手は、モルテールン騎士爵では無く、その子であることを。

 そして、相手もまた自分たちを観察していることを。


 「しかし、先日、父が苦労して育てた領地に、不逞の輩が押しかけてきました。数百人からなる盗賊の集団で、何とか追い返しましたが、私も剣をとって戦うほどでございました」

 「え? あ、ああ、そうでしたの。それは素晴らしいですわ。その年で既に貴族の義務を果たされているのですから、当家の者にも見習わせたいですわね」


 狼狽(ろうばい)

 本来、交渉の場では狼狽(うろた)えてはならない。

 (やま)しい事がありますと自白するような行為であるため、絶対にしてはならない事に挙げられる。

 全く無警戒であった子供の方に本題を切り出され、狼狽えてしまったレーテシュ伯爵とその腹心たちは、しまった、という思いを隠すのに必死だった。


 第一、賊の数の間違いを訂正するまでも無く、話を受け入れてしまった。

 証拠もない交渉の場で、相手の話を前提にして交渉してしまえば、不利になるのは目に見えていた。


 「捕まえた賊のうち、目ぼしいものから少々強引に話を聞いたのですが……どうやら、この賊は元々、ここレーテシュバルに居た者だったそうなのですよ」

 「あら、それは初耳だわ。それは本当かしら」


 それでも僅かな時間で動揺を立て直したのは、レーテシュ伯爵が交渉の場数を踏んでいるが故だろう。

 ハッタリである可能性を即座に考慮し、初耳であるとすっとぼけて見せた。


 「お疑いであれば、当家には賊の何人かをお渡しする用意があります。王家への報告もありますので、担当の係官が取り調べることにもなりましょう」


 とぼけるのはよしましょうよ、と言外に語るペイスの口ぶりに、嫌な気配を感じ取る伯爵。

 証拠があるぞと言われてしまえば、すっとぼけるのも難しい。


 「そう、それならその話は正しいとしてお話をしましょう。先だって、当家の領内を荒らしまわっている賊を壊滅させたのですが、その生き残りが逃げたのかもしれませんし」

 「伯爵閣下、それはおかしな話です。賊は『自分達は伯爵領での討伐を退けた後で移動した』と言っています。貴家が賊を壊滅させたというのなら、賊は一体何と戦ったのでしょうか」

 「さあ、それは分からないわ。そもそも、当家の壊滅させた賊と、そちらのいう賊が、同じ賊であるという根拠もないわけですし」

 「賊の頭目は、伯爵家の紋章が入った剣を使っておりました」


 握りこぶしに、思わず力が入ってしまったのは、伯爵家の従士長だ。本来、交渉相手に対して不利になるため避けるべき行動ではあるが、これは仕方の無い面もある。

 盗賊が、貴族紋の入った剣を使っていた。それは即ち、先の討伐の折に奪われたと言う事。もし奪われた剣であれば、殺された部下のものである可能性が極めて高い。

 殺された部下の顔が浮かんでしまい、つい手に力が入った。

 それを察して、カセロールは従士長に向けて軽く頷く。

 気にするな、という意味だ。その意味は、後で分かったのだが。


 「これらのことから、当家としては、貴家の討伐は失敗したと考えています。そしてその結果、当領が盗賊に襲われたものである、というのが我が方の立場であります」

 「それは……それは承知しかねるわね」


 やられたと、レーテシュ伯爵は歯噛みする思いだった。

 威圧の為に兵を並べ、交渉の先手を取るために幾つかカードも用意していたにもかかわらず、使う間もなく流れを相手に持って行かれてしまった。


 盗賊の討伐は、三分の成功と七分の失敗だったと言うのが冷静な評価であると、内密には結論が出ている。

 三分の部分を押し立てて体面を保つつもりが、先に七分の方の非を鳴らされてしまった。今から言い張った所で、分の悪い方は言い訳にしか聞こえないだろう。


 「無論、伯爵閣下の御立場も理解致します。当家としては、あえてここで失敗だと騒ぐつもりはありません」

 「あら、それはありがたいわ」


 意外な言葉に、今度は素で驚きの言葉を述べる妙齢の女性貴族。

 てっきり、自分たちの非を材料に、何かれと要求してくるものだと思っていたからだ。

 この場合、自分たちの非とは討伐失敗という体面だ。貴族は、いざというときに戦えるからこそ貴族として領地を所有し、税を取っている。賊にすら敵わない役立たずなど、良い恥さらしだ。最悪、爵位の取り上げだって有り得る。

 その危機感は、女性であるレーテシュ伯爵はより強い。やはり女性当主は頼りない、と言われかねないからだ。


 盗賊の討伐を、誰が成功させたのか。

 伯爵家が討伐して、残党が他領に逃げたのか。それとも伯爵家が失敗し、他領で討伐されたのか。体面的な意味合いでは、まるで違ってくる。

 それを失敗だとは騒がない。即ち、伯爵家が討伐したと認めると言う事だ。

 伯爵家の立場からすれば、最上の結果になる。


 「当家は賊に荒らされております。“残党”といえど、かなり手強い相手でした」

 「お察ししますわ。それでも御領地を守られたのですから、貴族の本懐を果たされた。ご立派です」

 「ありがとうございます。しかし、残党とはいえ、元は伯爵領の賊。そこら辺をご配慮いただき、閣下のご温情を賜われれば、当家としても殊更に事を荒立てることも無かろうと考えているのです」

 「ご温情、ね。賊の身柄を然るべき対価でこちらが引き取る、というのは如何かしら?」

 「彼らは既に犯罪者で、奴隷身分に落ちた身。無論、然るべき値であればお譲り致しますし、王家の調査官には私どもの話のみを伝えることになるかも知れません。その準備も出来ております」


 白々しいやり取りではある。

 掻い摘んで要約するなら、モルテールン家は実を取り、レーテシュ家は名を取るようにしないかという提案である。

 伯爵家の失敗を、他の連中には黙っておいてやる。その代り、盗賊討伐失敗の証拠となる賊の身柄や物品は、高目の値段で引き取れ、というやり取りだ。


 「分かりました。当伯爵家は、レーテシュ金貨で……百枚の対価で、そちらの賊などを引き取りましょう。その代わりに、当家としては残党の行為に対して遺憾の意を表明します。如何ですか?」

 「閣下、ご温情におすがりする様で恐縮ですが、当家の被害をもう少しご配慮願えませんか?」

 「子供とは思えませんね……良いでしょう。では、百三十枚では?」

 「もう一声頂きたい」

 「百五十」

 「結構かと。父上も、それで構いませんか?」

 「ああ、それで良い」


 ここで、レーテシュ伯爵は自分の中の違和感をはっきりと自覚した。

 本来、交渉相手は大人であるモルテールン騎士爵であったはず。しかし、いつの間にか子供の方を交渉の主体と見なしていたという事実を、だ。


 この子供は、只者ではない。

 相手の正体を、この機会に知っておくべきだろう。


 契約内容が書かれた二通の羊皮紙にサインしながら、レーテシュ伯爵はその思いを新たにする。

 内容を双方で確認したあと、従士長は金を取りに部屋を出ていく。


 「さて、これで契約を終えたのですけど……ああ、そういえばまだご子息のお名前も伺っていませんでしたね」

 「これは、申し遅れました閣下。カセロール=ミル=モルテールンが息子。ペイストリーと申します。今後とも是非お見知りおき下さい」

 「勿論、今後とも良い関係でありたいですわ。ところで、先ほどお茶を飲んだ時に首を傾げておいででしたわね。当家のお茶に何か不思議な事でもあったかしら?」

 「いえいえ。非常に美味しいお茶でした。ただ、添えてあったお菓子の甘さ加減がやや過剰な感じで。こういう焼き菓子は、もう少し甘さを抑えるのが普通かと思っていましたから。あぁ、勿論これも非常に美味しいものでしたが」

 「まあ、御口が肥えていらっしゃるのね」


 モルテールン領は、田舎領であり、小領であり、かつ貧地だった。

 そこの跡取り程度では、幾ら貴族の子と言え、甘いものを頻繁に摂れるはずが無い。レーテシュ伯爵は、この目の前の少年の正体がつかめてきた気がした。

 いや、正しくは、普通でないことが分かってきた、と言うべきだ。

 この少年が、焼き菓子の繊細な味を理解できるほどに食べなれている。それは酷く不自然だ。


 もしかしたら、モルテールン領は隠している事があるのではないだろうか。金山の一つでも隠してあるようなことであれば、この少年の口が肥えている点も理解できる。隠し財産で贅沢をしているのならば、だが。

 いずれ、この騎士爵領は詳しく調べる必要がある。それが分かっただけでも、払った金貨以上の価値があるではないか。

 レーテシュ伯爵は、口元の笑みの裏にそんな思いを抱くのだった。


 しばらくして、従士長が皮袋を手に戻ってきた。

 膨らんでいる様子から、明らかに大金が入っていると分かる。


 「それでは、確認を」

 「十、二十……百五十、確かに。それでは十日以内に、賊とその持ち物をこちらにお届けに上がります」

 「ええ、良い取引でしたわ」


 伯爵は、騎士爵と握手をする。そのまま、少年とも握手を交わす。

 どちらが今後キーマンになるか。勇名を馳せ魔法を使う領主と、才気あるその息子。どちらとも仲良くしておきたいのが本音だ。


 握手を終え、そろそろ騎士爵親子も退室しようかという時だった。


 「ああ、そういえば手土産も持ってきていませんでした。美味しいお茶とお菓子の御礼に、これをどうぞ……【転写】」


 契約の時に使った羊皮紙の余りを差し出す。

 そこには、鏡に映ったようなレーテシュ伯爵の顔が描かれていた。


 少年が、さも今思いついたような風で行った行動に、彼女は何度目になるか分からない驚愕を覚えるのだった。


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