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おかしな転生  作者: 古流 望
第16章 豆菓子は急を告げる
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147話 案内役はイタズラ坊主

 藍上月も終わりに近づき、秋の足音が残暑の中にも忍び寄って来る時期。

 モルテールン領内を闊歩する馬が居た。ぽっかりぽっかりと、実に呑気な足音で歩く。

 馬の背には老人が腰かけ、馬の手綱を握るのは少年。行っているのは、領内の視察だ。


 「一昨年の麦の収入は大袋換算で千八百、去年が二千四百、今年は天候にも恵まれたので、三千強を見込んでいます。これに、東部地域の見込みが五千弱ありますので、合計で八千程度になるでしょう。無論、これは税収としての数字です」

 「ほほう。それは相当な量じゃな」


 麦の大袋といえば、大体三袋~四袋で一般家庭一ヶ月の消費量に該当する。諸々込みで月に五袋分ぐらいの収入があれば、つつましく一ヶ月を暮らしていける計算。それを思えば、モルテールン領の収入は百人位を非農業従事者として雇える程度の収入ということになる。無論、他のことを考えなければ、ということだが。

 農政改革が着実に進み、収入が上向いていることもプラス材料。ペイストリーは、祖父に対して胸を張って説明していた。


 「豆も一昨年は三百弱でしたが、今年は九百から千程度を見込んでいます。うち半分は家畜用に回し、残りの半分は軍事費に当てる為に売却する予定ですね」

 「売却か。具体的な金額は?」

 「十五レットから十六レット。相場次第ですが、それぐらいが見込みです。ちなみに、当家の軍事費は現在百レットで予算を組んでいますから、軍事費の十六%ほどが豆の売却益になりますかね」


 前デトモルト男爵であるクライエスは、自分が領主であった経験を持つ。それだけに、数字を聞けばそれが多いか少ないか、具体的に判断できる。

 同じ男爵家の参考数字を知ると言うだけでも、陞爵して間が無いモルテールン家としてはありがたい話で、相談役として助言してほしいと依頼したところ、恩のある孫の頼みならばと快諾してくれたのだ。本来ならば貴族家の内情を他家にバラすわけだから、立派な機密漏洩だ。


 「かなりの金額ではないか。デトモルト家よりもかなり多い。それで、軍事費の内訳はどうなっておるのかな?」

 「装備修繕費、軍馬維持費、訓練費、備蓄費などが固定費。変動費としては装備更新費や遠征費用などです。人件費は軍事費には含まれていません」

 「人件費を含めない? 珍しいな」

 「軍人としてのみ雇っているわけではないので、基本的に人件費は別枠です。戦いだけに専念させられるような余裕は、当家には有りませんので」


 軍備のあり方は各家でそれぞれ違っているし、抱えている事情もそれぞれに違う。

 防衛施設として砦を構えているところなどはその維持費用が掛かるし、兵士として人を雇用すればそれを軍事費として計算するところも多い。

 しかし、モルテールン家は元々はドが付くぐらいの貧乏所帯だった家。他所のように軍事に専念する人材。平時には訓練して戦い専門、というような従士を雇う余裕が無かった。従士は全員が軍人であると同時に官僚だったわけで、モルテールン家では全員が万事屋(オールラウンダー)である必要があったのだ。

 規模の多少大きなところであれば、内政家と軍人はきっちり分業出来る。つまり、人件費についても軍事費とそれ以外に明確に分けられるので、軍事費に人件費を含めることができるのだ。

 モルテールン家が人件費を軍事費と別けているのは、それ相応に理由がある。

 クライエスは、説明を聞いてなるほどと頷いた。


 「なるほど。となると実際の軍備は更に割り増して見るべきか……」

 「軍事については予算を据え置いたまま人員を増やそうとしています。実質的には軍備縮小ですね」

 「それは何故か?」

 「隣国の脅威が減ったことと、御爺様を迎え入れたことです。当家は山脈を隔てて他国と接していますが、最近はお隣さんも金銭トラブルを頻発させているようで、脅威はめっきり減りました。また、東部地域編入で当領と境を接するブールバック領の領主は、名門の旧家。御爺様が居れば、ある程度の緩衝材になってもらえると期待しています。何かしらの外交摩擦が起きても、即軍事衝突という可能性は相当に減るでしょう」


 ヴォルトゥザラ王国レイング伯領とは、モルテールン領は山脈を境に隣り合う。

 険しい山越えは軍事行動に不向きということもあり、他所の防衛線ほどには頻繁な軍事行動は無かった。しかし、だからと言って備えをしないわけにもいかない。何泊かを山で野宿するような定期巡察を行ってきたし、その際には人を雇ってでも頭数を揃えていた。

 これが中々に重たい負担ではあったのだが、近年になって当のレイング伯爵家が内紛で揉めている。とても山を幾つも超えて遠征する余裕が無くなったとの確かな情報があり、巡察回数を大分減らした。

 その分だけ他所に回す金が増えたわけで、軍事費据え置きでも人を増やせると判断した経緯がある。


 また、旧リプタウアー領はブールバック領やサルグレット領と接する。新興貴族として割と親しいサルグレット家はまだしも、モルテールン家を敵視しているブールバック家は、本当ならば仮想敵だ。侮っていれば、何時襲い掛かって来るか分からない。

 ただし、それもクライエスが居れば緩和できる脅威。伝統派として面識のある人間が居るだけで、相手もいきなり強硬手段を取るのは躊躇するはず。


 つまり、現状ではモルテールン家に深刻な外的脅威は無いと言えるのだ。


 「こんな老いぼれでも役に立つか」

 「役に立てて使いこなすのが僕の役目と自負しています」


 クライエスも六十年以上、七十年近くを貴族として過ごしてきた。ペイスほどの年で家を継いだり、親の仕事を手伝うようになった人間も数多く見て来た。だが、そのいずれとも違う。勿論、優秀な方でだ。

 何気ないペイスの言葉だったが、今までごく普通の子供しか見てきたことが無い老人にとっては、驚きでしかない。少年の言葉は、まさに上に立つ人間として正しいことだったからだ。


 「……複雑な気分だ」

 「何がでしょうか」

 「自分の孫が優秀で嬉しい気持ちと、何故デトモルト家に生まれてこなかったのかという悔しさと。未練だな」


 もしもアニエスと絶縁していなければ。カセロールが婿に来てくれていれば。ひょっとしたら、ペイスはデトモルト家の人間として生まれてきたかもしれない。

 スタート地点が最下層のモルテールン家でも頭角を現したペイスだ。デトモルト家を差配していたなら、今頃は伯爵ぐらいにはなっていたかもしれない。

 モルテールン家に引き取られたとはいえ、デトモルト男爵家にひとかたならぬ想いのあるクライエスとしては、悔しくて仕方が無かった。改めて、自分が逃した魚の大きさに歯噛みすることしきりだ。


 「僕は僕です。僕の今の目標は、まずモルテールン領を豊かにすることですから」

 「なるほどな。いや助かった。後はゆっくり自分の足で回る」

 「大丈夫ですか?」

 「動かんと余計に衰える。誰か案内役を付けてくれると嬉しいが」


 病で寝ている間に、大分筋力が衰えた。クライエスはそう自覚している。無理してでも体を動かさねば、すぐにも寝たきりになってしまいそうだとも感じていた。


 「ならば、僕の幼馴染を付けましょう。ただ、礼儀がなっていないので、間違いなく失礼なことを言うと思います。心根は優しいので、病み上がりの御爺様ならば少しは遠慮してくれるかと思いますが……是非そのあたりも鍛えてやってください」

 「ははは、人使いが荒いな」


 そう言ってペイスが案内役として連れてきたのは、マルカルロだった。ここ最近でニョキニョキと背が伸びて、既にクライエスよりも背が高くなっている。

 クライエスは、紹介された男が筋肉の付いていない子供の体つきなので、年は聖別前だろうとあたりを付けた。伸び盛りの時期は運動するほど上に伸びるので、幅が出てくるのは伸びが止まってからになるもの。

 実際その通りであり、マルカルロは来年早々にも聖別する予定の未成年だ。


 「マルク、こちらは僕の御爺様で、前のデトモルト男爵閣下です。くれぐれも、くれっぐれも失礼の無いように、領内を案内してあげてください」


 ペイスとマルカルロは幼馴染だ。お互いにお互いの性格はよく知っている。ペイスにしても、マルクが目上に敬意を払うという気持ちが薄いことなど重々承知であり、それだけに将来を思えばこの点を是正しなければならないとも考えていた。

 昔からモルテールンに居る大人たちならば説教も聞き流すだろうが、他所から来た、それもペイスの身内というならば、少しは聞く耳を持ってくれるだろうという期待を込めて、案内役を任せることにしたのだ。

 クライエスがそれ相応に大人の度量を見せて、マルクを指導してくれることも期待の内だが。


 「任せろペイス。爺さん一人案内するぐらい簡単だって」

 「だから、そういう言葉遣いを直しなさいと言っています。良いですか、今日一日は丁寧な言葉遣いを御爺様から習うつもりで付き従って下さい」

 「うへえ」

 「良いですね。マルクの将来の為の修行と思って下さい」

 「へいへい」


 マルクもいずれはペイスの側近となると目されている。近年拡大するモルテールン家の中では稀有な譜代の従士家出身。生まれも育ちもモルテールンという、一切他家の色が付いていない人材なので、代わりを探すのはかなり難しい人材なのだ。


 「じゃあ、僕はこのまま仕事に戻りますので。御爺様も無理はなさらずに」

 「ああ」

 「マルクも、御爺様のこと頼みましたよ」

 「大丈夫だって。任せておけ」


 ペイスが執務に戻った後。まだ未成年のマルクと、既に老年のクライエスが二人になる。


 「儂の孫はお前さんとはどういう関係じゃ?」

 「幼馴染だな。昔はここら辺も荒れててさ。岩もゴロゴロ、ちょっと風が出れば砂埃のひでえ所だった。みんな貧乏だったから、腹すかせた奴らがペイスのところに集まってよ。あいつはなんだかんだで面倒見が良いから、こっそりパンをくれたりな」

 「昔は? 今はそうでは無いのか」

 「見ての通りさ。畑は大分広がったし、水に悩むことも無くなった。ペイスがパンを配る必要も無くなったな」

 「カセロール殿の施策か?」

 「いんにゃ。全部ペイスがやったことだ。豆作りで飢えを無くして、輪作ってのを始めて、盗賊を追っ払って、貯水池を作り、道路を作った。全部あいつが主導してる。ぶっちゃけて言えば、カセロール様は内政が得意じゃないっぽいな。シイツのおっさんもそうだけど、誰かがやったことを真似するのは出来ても、新しいことをやるのは苦手だと思う。年とると頭が固くなって駄目だよなあ」


 マルクの意見は乱暴だが、全く出鱈目という訳でもない。物心ついた時からペイスの傍に居た為、人物評価の基準もペイスが標準になっているだけだ。比較対象がアレ過ぎる。

 実際のところカセロールやシイツは極めて優秀であり、もしモルテールン領以外であれば良好な運営が出来るだけの能力はある。だが、モルテールン領のようにないない尽くしの貧領を豊かにするだけの、非常識さが無いだけである。飛び抜けた優秀さを持つ方が異常なのだ。

 マルクやルミが大人を軽んじる節があるのは、すぐ身近に非常識の塊がいるからというのも理由の一つだろう。


 クライエスは、改めて自分の孫の規格外っぷりに恐れすら抱いた。

 カセロールが親馬鹿であり、社交の場ではことあるごとに息子のことを針小棒大に自慢していると思っていたが、どうやら違ったらしいと気付く。

 決して親の贔屓目が過ぎて過大評価しているわけでは無く、むしろ謙遜して尚そう聞こえてしまうというのが真実らしい。

 自分も爺馬鹿と言われるようになると、老人は確信した。


 「それで、爺さんは何処に行きたい? ザースデンやミロッテのことなら任せとけよ。俺メチャクチャ詳しいから」

 「なら、先ほど言っていた貯水池というのに案内してほしい」

 「良いぜ。でもよ、ちょっと遠いけど、大丈夫か?」

 「倒れるにしてもその時はその時じゃ」

 「倒れられると俺が人を呼びに行くことになんじゃん。倒れないでくれよ。面倒くさいから」

 「善処しよう」


 村の中を走る用水路を逆に辿るようにして進めば、貯水池に行きあたる。

 何時間も馬に揺られるのは老人には大層な運動だったが、それでも辿りついただけ素晴らしいことだ。


 「おい爺さん、大丈夫か? まだ生きてるか」

 「少し休めば大丈夫だ」


 結構息が上がっているクライエスだったが、貯水池の周りが思っていた以上に整備されていることに驚く。

 そして、実際の貯水池そのものをみて、更にその大きさにも驚いた。


 「凄いのう。一体どれほどの時間と労力を掛けたのか」

 「一ヶ月も掛けて無えんじゃね?」


 シレっと答えたマルクの言葉に、老人はまたも驚いた。村一つが丸ごと入りそうな巨大な貯水池を、一月も掛けずに作れるわけが無い。もしそれを為したとするなら、何か秘密があるはず。


 「何と、どうやればそんなことが可能になるのか?」

 「俺は知らねえ。ペイスに聞きゃ良いじゃん」

 「む、そうだな」


 実際はマルクもペイスが魔法でやらかしたことを知っているが、入念に口止めされている為口は堅い。これでもペイスに対しての忠誠心とモルテールンに対する愛着だけは人一倍あるのだ。


 「おっちゃん。気になるんなら、ペイスのところに戻ろうか」

 「そうしよう。今日は色々と疲れた」


 驚きすぎると、人とは疲れるものらしい。クライエスは、ン十年生きてきて今日初めてそれを知った。


 「おや、おかえりなさい」


 屋敷に戻ると、ペイスが祖父と親友を迎えた。


 「ペイス、俺、ちゃんと仕事してきたぜ」

 「ご苦労様です。御爺様、マルクの仕事ぶりはどうでしたか?」

 「及第点と言ったところか。最低限の気遣いは出来ていたが、やはり礼儀に問題がありそうだ」

 「んだよ、ちゃんと案内してやったじゃねえか」

 「ほら、そういうところです。今後はその辺を入念に鍛えますよ。覚悟しておいてください」

 「うげぇ、マジか」

 「ついでにルミも矯正しなければ。良い機会です。二人は、御爺様に礼儀作法を習うように。課題は御爺様と相談して決めるとして……定期的に僕もチェックしますから、課題をこなしていればご褒美、サボっていれば罰を与えることにしましょうか」


 伝統貴族として礼儀作法には煩い家に育ったクライエス。宮廷作法にも詳しい為、教師役としては申し分ない。


 「ああそうそう、それと御爺様、礼服はお持ちですか? 正式な典礼服です」

 「うむ、持って来ておる。部屋にあるはずだ」

 「なら、一応着られるか確認しておいてください」

 「……何かあったのか?」


 典礼服を着るのは、何かしらの行事に参加するか、上位貴族の冠婚葬祭に呼ばれた時と決まっている。

 葬式に典礼服を着ることは無いので、大抵はお目出度い席。或いは畏まった席。

 典礼服が必要だと匂わせる時点で、何かあったと教えるようなものだ。


 「ええ」


 ペイスは軽く頷く。


 「王家とカドレチェク公爵家のそれぞれで、婚儀がありそうです」


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[一言] 閑話で、孫自慢のの話が欲しいですw 微笑ましいくて、良いと思います。
[良い点] 若い女の新登場で幅を出すストーリーは多いが、 祖父の登場で面白くなるとは、面白い。
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