144話 謝罪
「どうしてこうなった……」
フバーレク伯ルーカスは頭を抱えた。
その原因はといえば、彼の義弟にある。
先日、縁遠くなっている母方の実家と関係改善を図りたいので、フバーレク伯名代として社交界に参加したいとの申し出が、モルテールン家よりあったのだ。
フバーレク伯としては、自分と縁戚にある家が他家と関係改善を図ると言うなら協力するべきだと考えた。回り巡って自分たちのプラスにもなりそうな話だったからだ。
ルーカスもいっぱしの貴族として、高位貴族の後ろ盾が如何に“使える”外交カードであるかを知っている。彼の父の頃ならば、フバーレク家の名前を貸してほしいという依頼はひっきりなしだった。
しかし、自分の代になり、その手の依頼はめっきり減った。当然、代価を得る見返りも減っている。久しぶりにまともな“看板代”を取れる依頼だったのだ。妹に頼まれていなければ、相当吹っ掛けていた。
しかし、まさかその看板で、敵対貴族を嵌めて来るとは思ってもいない。
何か思惑があるのだろうとは考えていたが、関係改善を図りたい相手を縛り上げて連れて来るなど前代未聞の話である。
やむなく、縛られていた二人はそれぞれ別室にて監視中だ。
「という訳で、デトモルト男爵とゴーバヒィッフェ準男爵がフバーレク家を下に見るような無礼な態度を取り、それを咎めたところ馬鹿と罵られたわけです。放置しては義兄上の名誉にも関わると思い、厳正に対処していただくべく連行してきた次第です」
「やはり、説明を聞いても何が何だか……」
「ひと声頂ければ、こちらで後腐れないよう処分いたしますが?」
「ま、まて、待たれよ。仮にも他家の当主を処分したとあっては、陛下に対しての申し開きが必要になる。仮にペイストリー殿がおっしゃることが事実であっても、当家としてはことを荒立てるつもりは無い」
「しかし、侮辱を受けたのは事実です。謝罪の一つもしてもらわねば、収まりがつかないのではありませんか?」
「そうかもしれないが、いきなりのことで我々も戸惑っている。デトモルト男爵とゴーバヒィッフェ準男爵には客間を用意しているので、とりあえずどうするかの対応を一旦家中で協議させてほしい」
「分かりました」
フバーレク家も代替わりして間が無い。
若い当主にはまだまだ経験が足りず、先代のように即決というわけにはいかないのだ。
家中の経験豊富な部下と相談し、対応を協議せねばならない。
家の名誉を穢されたというのならば、最悪は他家との戦争も覚悟せねばならないのが貴族社会。家の名誉は何よりも重たい。それだけに、幾らなんでも事情も分からず軽々しくペイスの言うことに頷くわけにはいかないだろう。
かといって、モルテールン家が嘘を言っているとも思えない。調べれば本当かどうかすぐに分かるようなことで、嘘をつく理由が思いつかないからだ。
幸いにも、モルテールン家以外の当事者も居るわけで、手荒な真似をされた彼らに対して事情を聞き、ペイスの言うことが事実だったのならしかるべき対応を取れば良い。
晩餐会で罵られたという程度なら、向こうが頭を下げ、詫びとして多少の金銭でも取ればそれで済む話であり、大げさに騒ぐまでも無いとフバーレク伯は考えた。
何にせよ、こんな突拍子もない真似をしでかすのに、何があったのかを知らねばならない。フバーレク家の情報網はハップホルン子爵家にも伸びているが、調べるのにも数日は掛かるはず。
「おっとその前に、記憶が新鮮な今のうちに、事情の確認をしておきたいですよね。デトモルト男爵に話を聞きたいので、義兄上もご同行願えませんか?」
「承知しました。いきましょう」
フバーレク辺境伯は、ペイスと共にデトモルト男爵の軟禁されている部屋に向かう。
フバーレク家の住む場所は城であり、部屋などはかなり余っている。客間として用意している部屋も何室かあり、いつでも使えるように日々の掃除も怠っていない。
いきなり連れてこられた他家の当主に宛がうのには丁度良い。
入口に見張りを立てて部屋の出入りを制限する以外は、普通の客人と変わらない待遇にするよう申し付けてある。
「デトモルト男爵、ご機嫌は如何ですか?」
部屋の中では、老人が渋い顔をして座っていた。
「良いわけ無かろう。モルテールン卿、こんなことをして何が狙いかな」
「狙いなどとは失礼な。男爵が無礼を働いたので、侮辱された当人に直接謝罪するように連行したまでのこと。何かおかしいですか?」
「私はフバーレク伯を侮辱するつもりは無かった。モルテールン卿がフバーレク伯の代理として参加しているのを知らなかっただけだ。モルテールン男爵の代理として来ているものだとばかり思っていた。嘘ではない」
淡々と、自分の事情をフバーレク辺境伯とペイスの前で語るデトモルト男爵。
「なるほど。当家に対して名誉を傷つける行為をしたのは事実だが、意図したものでは無かったとおっしゃるのか」
「そうです、フバーレク伯。そもそも、モルテールン卿が他家の代理で参加する意味は無いはずだ。何故此度のような紛らわしいことをしたのか。あえて誤解させようと意図し、貶める意図があったと思わざるを得ない」
デトモルト男爵も一応は貴族の端くれ。簡単にすいませんでしたと謝るようなことはせず、どうにか自分の行いを正当化しようと足掻く。
この老人からしてみれば、いきなり話しかけてきた相手が無礼な態度をとって嗜めたところ、そのまま難癖を付けられて連行されたとしか思えない。
悪いのは、誤解されるような行動をあえてとっていたモルテールン家にあると言い張る。
「それは違います。フバーレク伯の代理として参加したのは、モルテールン家としては当然のことです。それを、他ならぬデトモルト男爵が分からないはずがありません」
「どういう意味だ?」
「当家は、先代のデトモルト男爵から縁を切ると宣言され、実際に血縁関係を無視されてきました。格式を重んじるハップホルン子爵が主催される晩餐会、成り上がりと蔑まれる我々は、モルテールン男爵家という肩書で参加するのは軋轢を生みます。そんなことは、長い歴史を持つデトモルト家当主であれば理解していて当然ではありませんか。この僕が、モルテールン家嫡子という肩書以外であの場にいるとするなら、妻の家の名で参加していることなど容易に想像できます。余人ならばいざしらず、当家と繋がりを絶った当事者たるデトモルト男爵は、真っ先に気付くべきでしょう」
「むむむ……」
しかしペイスの面の皮は特別製なので、シレっと責任の全てをデトモルト男爵家に被せる。
普段は伝統貴族に嫌われることなど欠片も気にしない癖に、今回は軋轢を気にするのは当然だと主張した。確かに、普通の新興貴族なら既存の権威に遠慮の一つはする。
自分の非常識を棚に上げて、デトモルト男爵が気付いて当然だと言い張るのだから、傍で聞いていたフバーレク伯は、なるほどそうかもしれない等と思い始めた。
フバーレク伯は、経験不足がもろに出た形。
例えば会社で、自社に出入り禁止になった会社の営業が、後日改めて訪ねてきた時。普通は、また来たのなら追い返せと言う。しつこい営業だと呆れるだろう。
まさか会社も代えて自社の親会社の名刺を持って来ているなどと、普通は考えない。
この場合、非常識なのがどちらか。
無論、親会社の人間を門前払いした対応は叱責されるに十分な理由だが、それにしたって紛らわしいじゃないか、という言い訳の一つもしたくなるのは当然だ。
てっきりモルテールン男爵家の人間だと思って対応したら、フバーレク辺境伯家の人間だった。気付けと言うのは無茶である。
しかし、無茶ではあるが無理ではない。例えばレーテシュ伯あたりの目敏く情報通な人間なら気付いた。だから、気付かなかった以上は失点であるのも事実。
デトモルト男爵は、常々高位貴族の人間がモルテールン家を敵にするなと言っていた理由を理解した。
過程に情状酌量の余地があるとはいえ、過ちがあったことは間違いない。
不利な立場のデトモルト男爵は、失態が事実である以上、言い返せば言い返すほど言い訳に聞こえ、フバーレク伯の心証が悪くなることに気付く。
こうなると、黙るしかない。
デトモルト男爵が大人しくなったのを見て取ったペイス。
先ほどまでの険しい顔から、急に優し気な顔になった。
「しかし、よくよく考えてみれば、そもそも父と母のことを粗雑に扱った二十年前のことが原因のような気がします。いや、そうに違いないと思えてきました」
「何?」
「僕も話には聞いていましたが、まさかここまでデトモルト男爵が当家に敵意を抱いていたとは思いませんでした。もし両家が友好関係にあったなら、いきなり喧嘩腰になることも無かったでしょうし、今回の件だって事前にお伝えできていたかもしれない。いや、そうなっていた。間違いないです。不幸なすれ違いも生まれるはずがない。つまり、全ては父と母を絶縁した前デトモルト男爵が悪い。そうは思いませんか?」
「……そうかも知れぬ」
外交としての落としどころを探っているのだろうか。
デトモルト男爵はペイスの猫なで声を聞いてそう感じた。
外交の世界で、既に神の下に召された人間に全ての責任をおっ被せてお互いの落としどころにするというのは良くある話だ。死人に口なしというのは便利なことである。
互いの感情の落としどころに、共通の敵を作って和解。責任を追及するのにも、あの世に居ては仕方ない。などとお互いに家中で説明するのだ。
全てここに居ない誰それが悪いのです、という責任転嫁は、政治家の常套手段。
「ここは一つ、前男爵が両親を絶縁した点に非と責任があったと謝罪文を頂ければ、今回の件を水に流すというのは如何でしょう。証人はフバーレク伯です。これ以上ない解決法だと思うのですが」
「止むを得まい」
デトモルト男爵も、実際に自分がやらかしてしまった失態の責任を、転嫁できるのならばそれで妥協出来た。
前デトモルト男爵は既に死にかけなのだから、今後の責任を追及したところで、その頃には精霊の招きに応じているだろう。
老人は、そう考えた。
「これで良いかな」
早速とばかりに、さらさらと謝罪文を認めたデトモルト男爵。羊皮紙に直筆でサイン入り。フバーレク伯も証人としてサインしたのだから、正式な書類だ。
しめしめとほくそ笑むのが誰で有るのか。上手く責任回避が出来たデトモルト男爵なのか。はたまたニコニコ顔の少年であるのか。
「それではフバーレク伯。デトモルト男爵はこのまま一件落着としてよろしいと思います。少なくとも当家との諍いは、これで全て解決いたしました」
「そうですか。当家としては諍いの原因が除かれた以上、更なる追及も致しますまい。まずは一つ。次はゴーバヒィッフェ準男爵の方ですが……」
「そちらは明らかに当人の失態なので、対応は閣下にお任せ致します。幸いにしてその場を見ていた証言者も居られます。事実確認にもさほど時間も掛からないでしょう」
「え?」
先ほどまでは親の敵とばかりに怒っていたはずだが、デトモルト男爵家と和解した後は好きにしろと言い出した。
思わず、フバーレク伯も間抜けな声で聴き返してしまった。
「その場の詳しい事情は、デトモルト男爵が話してくださるでしょう。あの痴れ者が、調子に乗って余計なことを言い出したために、ことが大きくなったのです。何たることか。デトモルト男爵もいい迷惑だったことでしょう。ここは一つ、フバーレク伯と共に、二度とこのようなことが起きないよう厳しく対応するとよろしいでしょう」
「は、はあ。え? ええ?!」
「それでは、事実確認が終わるであろう、五~六日後にまた来ます。それまでには、詳細も分かっていることと思いますので」
「えっと、はい。承知しました」
行動が身軽なのはモルテールン家の家風。
では、とばかりにペイスはその場から去っていった。
嵐がやって来たと思えば、去っていくのは風の如く。残されるのは困惑のみである。
「え~では、ゴーバヒィッフェ準男爵から話を聞きましょうか」
僅かな時間で気を取り直したフバーレク伯は、流石というべきだった。
◇◇◇◇◇
モルテールン家の王都別邸。
建物自体が真新しい中にあって、働く者も総じて若い。
訪れたペイスを迎えたのも、かなり年若い侍女。いわゆるメイドさん。王都には職を求める人間が大勢いるので、然るべき身元調査の上で雇われていた。
手を身体の前で組み、深々と頭を下げてモルテールン家の若頭、もとい次期領主に挨拶する。
「坊ちゃま、おかえりなさいませ」
「坊ちゃまは止めてください。これでも妻帯者ですから。父様は在宅ですか?」
「まだお戻りではありません。男爵様は編成の為の会議とのことで、遅くなると伺っています」
「なら、母様を呼んできてもらえますか。応接室で話をします」
「畏まりました」
これもまた真新しい応接室の、新品のソファーに腰かけて母を待つペイス。
椅子に座っておくのは、防御の為だ。
「ペイスちゃん、久しぶりね~元気にしてた?」
息子が訪ねて来たと知り、喜び勇んで応接室にやって来たのはモルテールン男爵夫人のアニエス。部屋に入ってペイスを見つけると、そのまま両手を広げて抱きしめる体勢に入った。
慌ててペイスは思いっきりソファーの方に体重を掛けて母のハグを阻止する。
「母様も相変わらずですね」
「そうね……最近少し落ち込んでいたけれど、ペイスちゃんの顔を見たら元気が出た気がするわ」
息子にハグを躱された為、止む無く向かい合わせに座るアニエス。
目敏いペイスは、母の目の下に化粧で隠した隈があり、頬が少しこけていることに気付いた。
先だって話した祖父の病床の様子や、既に亡くなっていたと知った祖母のことで気を病んでいたのだろうと察する。
「もしかして、お疲れではないですか?」
「疲れてはいないわ。ただ、最近少しだけ寝不足なの。ほんの少しだけだから、心配しなくても大丈夫よ」
気丈な性格のアニエスが寝不足。それを聞いただけで、ペイスには母の心労が分かった。
やはり、自分が動いたのは間違いなかったと確信する。
母親の心の重荷を、少しでも軽くしてあげたい。そう思い、ペイスはアニエスに今日来た理由を話し出した。
「母様、実はさきほど、デトモルト男爵と会ってきました」
「……そう」
ペイスの言葉に、若干の戸惑いを見せたアニエス。
「その際、息子としては差し出がましいかとは思いましたが、二十数年前の絶縁について、謝罪をして頂きました。これです」
スッと羊皮紙を手渡すペイス。
渡されたアニエスも、受け取ったものの内容をじっくり読み始める。
その眼はとても真剣で、困惑しているように思えた。
「母様や父様と、デトモルト男爵家の間に色々あったとは聞いています。ですが、親の死に目に会えないというのは不幸です。向こうからの謝罪という形で、体面は整えました。会うのにも問題はありませんし、何かあっても僕が対処しましょう。出向かれるのに必要ならば僕がお送りします。ですから最後に一度、御爺様に会ってみませんか」
少年の、真摯な訴えだった。
母親の、見てわかるほどの憔悴。放置することなど、出来ようはずもないのだ。
自分のことを一生懸命に愛し、慈しんでくれた母の、心に刺さったトゲ。抜いてやりたいと願う気持ちは本物だった。
そんな息子の想いを受け、母は口を開いた。
「……出来ないわ。ごめんなさい」
出てきた言葉は、悲しい言葉だった。