140話 デトモルト男爵家
ペイスの母アニエスの実家。デトモルト男爵家のパーティーは、それ相応に賑やかだった。親睦を深める晩餐会と銘打たれたパーティー。
旧家の伝統を色濃く感じさせる屋敷の大広間に会場が用意され、縁のある人々が多く招待されている。
デトモルト男爵家はかつて内務閥の重鎮として権勢を誇ったリーンプ家の庶流。デトモルト=リーンプ家が祖となる。嫡流のリーンプ家は既に絶えて久しいが、一時は自家で一派を形成するほどに盛名をはせたこともあった。しかし、代を重ねるごとにその盛名も失われていった経緯がある。
それでも長年培った風格とも呼べる格式は健在である。会場には、百年以上前からある歴代当主の肖像画であったり、過去の国王恩賜の宝剣であったり、何代か前の当主が賜った高位勲章であったりが、これまた緻密で豪奢な飾りと共に飾られていた。
新興貴族では絶対に手に出来ない格の違いという奴だろう。
「さすがはデトモルト男爵家」
「ペイストリー様、俺、何だか場違いな気がしてきました。任務のことも考えれば、緊張します」
そんな伝統息づくデトモルト男爵の晩餐会に、モルテールン家嫡子ペイストリーが、招待を受けて参加していた。より正しく言うならば、モルテールン領の領主宛てに来た招待状だったので、領主代行のペイスが堂々と参加した、という形になる。今までのように子息が名代として参加するのとは違い、代行はより実質的な権限が強い。社長の息子が来るか、副社長が来るかの違いみたいなものだ。
ペイスの後ろには、バッチことバッチレー=モーレットが立つ。
彼は従士家出身だけに貴族の集まる場所での立ち居振る舞いも多少は身に着けており、ペイスの後ろで護衛する分には申し分ないとして、今回の役目を与えられた。
「大丈夫ですよ。今さらうちに何かしてくるとも思えませんから、気楽にしていてください」
「そうは言いましても、ペイストリー様に何かあれば当家は大変なことになります。俺も気を引き締めて任務をこなさないと」
「大げさな」
「事実ですよ」
バッチは初めての対外任務ということで、緊張している。故に、ガチガチに身体が強張っていた。くちびるなどはカサカサに乾いていて、見るからに不慣れと分かる。
モルテールン家はカセロールが軍家の役職を任されたこともあり、最早そこらへんにいるような有象無象の弱小貴族とは見られない。一応は国家でも大事な役職に就くとみられ、何処に行っても尊称で呼ばれることだろう。舐めた態度をとると、下手をすると国軍を敵に回しかねないのだから。
幾らでも代えの効く雑多、得体の知れない新参者ではなく、特別な一族として扱われるようになった存在。“よほどの間抜け”でない限りは、気を遣う。
王家にも顔がきく上に、軍家筆頭の肝いりで出世した家。そんなモルテールン家に無礼を働く人間などは滅多に居ないので、バッチが心配するような危険があるとも思えない。
そもそも、挙動不審なバッチより、物慣れたペイスの方が実力も上である。万が一の時には、ペイスがバッチを守る側になる事だろう。なりふり構わずに手段を問わなければ、会場の中でも三指に入るぐらいには実力者。それがペイス。一体どっちが護衛なのか、分かりやしない。
非常識の塊に、常識的な護衛は無用である。あくまでバッチがいるのは、舐められない為。形式だけの存在だ。
「今ペイストリー様が居なくなったら、誰が当家のかじ取りをするんですか」
「ジョゼ姉さまが居るじゃないですか。姉様も実力は有りますよ?」
「ジョゼフィーネ様が優秀でおられることは否定しませんが、質が違います。既存の産業や今までの領地を守ることはお出来になると思いますが、新しいものを作ることや突飛な発想は無理でしょう。現状維持に必要な優秀さと、新規創造に必要な優秀さは違うと思います。今のモルテールン家に求められるのは後者であって、それが出来るのはペイストリー様だけです」
バッチは、親がボンビーノ家の譜代。モルテールン家のペイストリーが起こしたトラブル、もとい奇跡の数々を聞いている。海賊討伐の際の武勇伝は、子爵家では知らぬものなど居ない。バッチとて噂は何度となく聞いていたし、憧れなかったといえば嘘になる。
モルテールン家に雇われてからも、噂に違わぬ次期領主の英知と実力には心からの尊崇の念を抱いてきた。トラブルメーカーとしての実力の確認と共に。
故に、他家を良く知らないモルテールン領出身の新人従士達と比べて、ペイスに対する思いもより篤く、至極具体的な事実をもって次期領主に忠誠心を抱いている。
今もまた目をキラキラさせてペイスの傍に立っているのだが、ペイスの背中側に立っている為、彼の目の輝きについてはペイスは気付かない。いや、気付けないまま話をしている。
「ふむ、中々面白いことを考えますね。バッチはそれを自分で考えたんですか?」
「いえ。先輩たちからも話を聞きましたし、同期とも話をしました。俺だけじゃなくてみんな感じていることです。特に先輩たちは俺達以上にそう感じているようですよ」
「なら、先輩たちが間違っていますね。僕だって既存の物をなぞるのは出来ても、新しいことをゼロから作り出すなんて苦手ですよ。姉様と同じです」
「そうなんですか?」
「そうですよ。特にオリジナルスイーツなんて考えるのはとても大変で、相当に難しい」
「俺、お菓子の話なんてしてないんですけど……」
ペイスの思考の半分ぐらいが常にお菓子であることはともかく、雑談をしているうちに、会は賑やかになっていく。
そして、周りが賑やかになれば、子供のペイスは嫌でも目立つ。
「ペイストリー=モルテールン卿。卿が居られるとは思わなかった」
「えっと……これはゴーバヒィッフェ準男爵、ご無沙汰しております」
声を掛けてきたのはディルーノ=ミル=ゴーバヒィッフェ。ゴーバヒィッフェ準男爵家の当主で、オカッパ頭をした二十代前半の男。父親譲りの神経質そうな細い目をしていて、身長差もあってペイスを見下すような姿勢を崩さない。
アニエスの実家とは遠い親戚にあたり、従ってペイスとも遠い遠い親戚になる。もっとも、モルテールン家夫妻がお互いの実家と縁を切って以降は疎遠となっている家であり、ペイスも誰だったかを思い出すのに少々苦労したぐらい。
男爵家嫡男のペイスは社交の場では準男爵位に準じる扱いになる為、向こうから話しかけてくるならば下手に遜る必要も無いと、ペイスは意識して胸を張った。
「今日はカセロール殿やアニエス殿は来られていないのかな? お二方ともここしばらく見る機会が無かったので挨拶をしておきたかったのだが」
「両親は今、王都に居ります」
ゴーバヒィッフェ準男爵の口元は半笑いだ。
アニエスやカセロール本人は、縁を切られたところに出向けるはずも無いので、息子を送り込んできたのだろうという、嘲笑含みの笑い。
デトモルト男爵家に近しいものにとっては、アニエスが実家から放逐されて縁を切られたことになっているのだ。モルテールン家に近しい人間からすれば、自分たちから縁を切ったという話なので、主体性の部分で見方が違う。
縁を切っていることに違いは無いのだが、家出したとみるか家から追い出されたと見るかで、意味がまるで変わる。
「王都に?」
「はい、少々仕事がありまして、父と母は王都に出向いております」
「いやはや、モルテールン家ほどにもなると、色々とお忙しいようですなあ。我々と顔を合わせる暇も無いようだ」
どうせ大した仕事でもないのだろう。やはりバツが悪くて顔を出せないだけではないのか。
そんな侮蔑の意味をチラホラ覗かせるような言葉。
ペイスなどは社交にも慣れており、この手の挑発行為は今まで幾らでも有ったので平気な顔をしている。
平静で居られなかったのはバッチだ。カセロールもペイスも、尊敬出来る上司であり、モルテールン家の面々は自分の大切な仲間。貶されるいわれは無いと感情を荒立たせた。ペイスに止められていなければ、剣に手を掛けていたかもしれない。
そんな護衛の姿を見て、ゴーバヒィッフェ準男爵などは尚更に気分がよくなる。半笑いのまま、抜けるものなら剣を抜いてみろと言わんばかりの目線。
「おっしゃる通り、さほどの仕事では無いかもしれません。何せ父は武骨な人間でして、ゴーバヒィッフェ家のように優雅な仕事は向かないですし」
「そうだろう、そうだろう。しかし、どんな小さく些細な仕事でも、誰かがこなさねばならぬもの。立派なことであるに、違いは無い。それで、どのような仕事をされているのかな? まさかカセロール=モルテールン卿ほどの方をドブのゴミ掃除に使うわけもあるまい?」
人に言える仕事なのか、と問いたげな準男爵の顔。
得意そうな顔を殴ってやりたい、などとバッチは思っているが、何故かペイスはそれを押しとどめる。にこやかな笑顔のまま。
「いえいえ、おっしゃる通りの掃除係のようなものです。王都には多くの人間が居りまして、比例して生ゴミもそれなりに多いようです。それを掃除する係を拝命したそうです。なんともささやかな仕事ではありませんか」
「なんとっ」
真顔で父親の仕事はゴミ掃除だと言ってのけるペイスに、ゴーバヒィッフェ準男爵の顔からは笑いが消える。代わりに、どうしようもなく汚らしいものを見るような目になった。
まさか本当にどぶ攫いのような仕事をしているはずも無かろうと、真意を探りつつの目だ。
「……モルテールン家であれば十分務まる仕事でしょうな。実にお似合いの仕事だ」
「お褒めいただき感謝いたします。ちなみにこの仕事はカドレチェク軍務尚書から拝命したそうで、公爵閣下直々に頭を下げて父に頼んで来たらしいですね」
「たかがゴミ掃除にかな?」
「ええ。父が掃除するのは、王都に巣食う害虫や生ごみだそうです。人の財を荒らす盗人や、王家に仇なす悪人を掃除するのが通常業務と聞き及んでいます。しかし、今日は父がここに居ないのは僥倖でしょう。居ればここにもゴミがあると、仕事熱心な父は忙しかったことでしょうから」
ゴーバヒィッフェ準男爵も大概嫌味な性格をしているが、やられっぱなし、言われっぱなしで済ますペイスでは無かった。
相手の嫌味を倍ぐらいにして言い返すのだからたまらない。
暗に、お前はゴミだと言わんばかりだ。準男爵はおかっぱ頭を逆立てる勢いで顔を赤くした。
ここでようやくバッチも留飲を下げる。もっと言ってやってください、などと内心ではペイスを煽りつつ。
「ふん、カドレチェク公爵はよほど苦労されておられるようだな。人手が足りておらん様子だ」
「その通り。人材不足は如何ともしがたいようです。家柄を誇るだけで中身が空っぽの無能が多いそうで、止む無く父が大隊を預かることになったとか。軍務尚書閣下も嘆いておられました。当家としては力不足も甚だしいと感じているのですが、閣下から他に人が居らぬので是非にと頼まれては仕方ありません。軍令に従い、微力を尽くすのみでしょう。いやはや、役にも立たない骨董品ばかりでは、上はさぞ困っておいででしょう。少しでもマシな者には、国軍再編に先立って盛んに声を掛けているとか。ゴーバヒィッフェ卿にはお声がけは有りませんでしたか? ああ失礼、愚問でしたね」
「ッ……!!」
世間話を装った、舌戦である。こうなるとペイスは外見に似合わず強い。
中央軍の再編に際して、実力のある人間にはカドレチェク公爵は声を掛けている。特に、指揮官格のポストがほぼ皆無となる南軍の人間は、再編に当たって優秀な人間から優先して中央に引っ張ってきていた。
お前は無能だろうと言われたも同然のゴーバヒィッフェ準男爵は、さすがに声を荒げて抗議しようとする。
しかし、それは乱入者によって阻まれる。
「その辺にしておいてもらえませんか」
割入ってきたのは会の主催者であるデトモルト男爵家の家人。領主を補佐するノヨルエス=ミル=デトモルト。
思わぬ邪魔が入ったと、舌打ちしながらゴーバヒィッフェ準男爵はその場を離れた。
「不快な思いをさせてしまったようで、申し訳ない。本当はこうなる前に挨拶するつもりだったのだが、向こうで足止めされていたのでね。気を悪くしないでほしい」
「もう少しで、招待を頂いたのは何かの手違いだったと思うところでした」
「そう嫌味を言わんで欲しい。ああ、御礼もまだだったかな。招待に応じてくれてありがとう。正直、断られるか無視されると思っていたから驚いた。改めて初めまして。ノヨルエス=ミル=デトモルトだ。卿にはアニエスの兄と自己紹介した方が良いだろうか。お家の事情で伯父とは名乗れないが、甥に会えて嬉しいよ」
「ペイストリー=ミル=モルテールンです。ご招待いただき光栄です」
お互いに社交辞令の挨拶を交わす。どうやら、人柄は兄妹で似ているところも多いらしいと、ペイスは母の顔を思い浮かべた。
「それで、この度のご招待はどういった意図があるのでしょう」
今まで疎遠どころか一切の連絡を絶っていた相手からの招待。どういう意図があるにせよ、相当に大きな意味があるはず。
そもそも、ペイスが今回の招待に応じたのは、招待がデトモルト家からではなく伯父の個人名で来ていたからだ。モルテールン家とデトモルト家は互いに縁を切っていて不仲ではあるが、アニエスとノヨルエスの兄妹には別に遺恨は無い。少なくともペイスはそう聞いている。
もっとも、この兄妹の縁は、モルテールン家とデトモルト家の間に残る最後の縁だ。これが切れれば、本当に一切の縁が無い、他人よりも疎遠な相手になる。デトモルト家からすれば最後の切り札ともいえるだろう。
ノヨルエスからの招待が無視されてしまえば、最後の切り札も無くなるのが分かっていて、送られた招待。意味深と考えたペイスの判断は間違っていない。
少年の言葉に、血縁上は伯父に当たる男が渋い顔をした。
「実は、父が病になったのだ。うわ言で、妹……いや、モルテールン夫人の名前を呼ぶこともあった。両家の遺恨は承知しているし、そちらの想いも重々分かっているつもりだが、息子としては心苦しい気持ちになる。無理なお願いとも分かっているし、礼もしよう。どうか、この後会ってやってもらえないか」
「それが招待の理由。納得です。病気は、かなり悪いのですか?」
「ああ。正直、先は長くない。もってあと半年だろう」
血縁上の祖父の容体を聞いたペイス。
会うだけならばと、頷いた。