139話 ご招待は突然に
モルテールン領ル・ミロッテ。ミロッテ村と呼ばれる場所では、賑やかな朝を迎えていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい。朝採れたばかりの卵。産みたてで新鮮だよ」
「さあ見てってくれ。シュタイムから運んできたニシンの塩漬け。脂がのってて舌までとろける。早い者勝ち、さあさあ!!」
村に一つしかない井戸から伸びる、中央の通り。そこには、ニワカ商人が集まっていた。長い葉を編んで作った敷物を敷いたり、或いは箱を幾つか並べて呼び込みをする人々。
そして、村人である即席商人の間には、時折本職が混じる。
「うん、盛況ですね」
「盛況っていうより、騒動? 何で若様は毎度毎度、厄介事を俺に押し付けるんです」
「厄介事? 何かトラブルでもありましたか?」
「市を開くのは良いですよ。モルテールン領も大きくなりましたし、領内に村が八つもありますから、そこから人を集めればそれ相応に賑わうでしょう。行商人も稼ぎ時と集まりますし、経済効果ってのがあるのは認めます。でもね、何で場所代を取らないんです!!」
ニコロは、自分の常識と戦っていた。
モルテールン領で過ごし始めてこのかた、連戦連敗を続ける戦いではあるが、今日も今日とて不毛な争いが続く。
モルテールン領は旧リプタウアー領を併呑し、更には東部地域として再編。村々には街道を通し、主要なところでは国道まで通っている。
この街道は、本土と東部地域の間に山脈が横たわる以上、ミロッテの村に一旦集約されていた。
本土のザースデン、コッヒェン、キルヒェンの三村と、東部地域の四村を結ぶ街道が全て集まる交通の要所。それが新村ことミロッテ村だ。
ペイスが領主代行の地位について行った政策の一つが、このミロッテ村で定期的な朝市を開催すること。今日がその一回目。
周辺各領や出入りの行商人にも声を事前に掛けており、賑わいは中々の物だ。
こういった定期市の開催権は、治める領主にとっては重要な利権。
迂闊に放置してしまえば闇市が横行し、場所代を稼ぎとするようなヤクザな人々が生まれてしまう為、不法な市や勝手な地代の徴収を取り締まるのは、領主の重要な仕事。
不法な市と地代が取り締まられるとなれば、正式な市では正式に地代を徴収できる。これこそ、多くの領主が市場の開催を認める大きな理由だ。
定期市では権力者が場所代を徴収するもの。それが常識。
だがしかし、常識に後ろ足で砂を掛けるのが得意なペイスは、この手の期間限定の土地利用料、いわゆる地代を無料にするとしたのだ。
物を売る側としては拍手喝采だが、領主側の面々には一部を除いて非難轟轟。
無料であるからと良い場所を取り合う騒動が起きるし、そういった騒動を腕力で収める為に違法な地代を集める馬鹿も出始めるし、袖の下を渡して良い場所を確保したがる悪徳商人の相手もせねばならない。
仕事は普通にやるより多いのに、実入りはゼロという徒労感。
担当に任命された(先輩から押し付けられた)ニコロなども、何でこんなことをするのかと不満顔。それでもペイスのやることだから、何か意味があるのだろうと従っているのが実情だ。
「何故かと聞かれれば、それで当家には十分利益があるからです」
「タダで場所貸して、どんな利益が? 言っときますけど、俺が求めてるのは目先の金ですからね。来年の金貨よりも今日の銅貨。モルテールン家の財政担当として言うべきことは言わないと駄目なもんで。長期的利益だとか戦略的利益だとかは、ヤギの餌にでもしてください」
「その話の持って行き方はシイツの教えでしょうか? シイツも、部下の教育には手を抜きませんね……厄介な」
ペイスは、部下の言葉に溜息をつく。
「短期的利益というなら、直営店を委託しているデココのところからのあがりがありますよ。こうやって市で集まり、懐がぬくぬくとなった村人は、今話題のリコリス印クッキーをこぞってお土産に買っています。行商人だってここまで来ておいて手ぶらでは帰りませんから、何か仕入れて帰るでしょう。仕入れの最有力候補は、やはり王都でも話題のモルテールン家のお菓子です。人が集まるというのはそれだけで我々の懐も潤うのですよ」
「場所代取ればもっと儲かるでしょう」
「いいえ。場所代を取ると、商売のことなんて知らない素人が躊躇してしまうので、人が集まらなくなり、結局は先に挙げたあがりが減ります。場所代とのトレードオフ。どちらかが増えればどちらかが減る二律背反なのです。元々モルテールン領の人間は、月に一度有るか無いかの行商人とのやり取りでしか、商業行為を行っていない。いわば、赤ん坊のようなもの」
「まあ、素人ばっかりってのは分かります」
「トレードオフとなるならば、将来の利益を育てる意味でも、まずは彼らに物を売り買いすることに慣れてもらわねば。いずれ、良い場所なら良く売れると気付く人間も増えて来るでしょうし、そうなってから良い場所に場所代を導入すれば不満が減る。いえ、いっそ不公平を減らしたと感謝されるでしょう。今、短兵急に場所代を徴収すると、商売ベタで売れないことの不満が場所代への不満となり、その不満は結局当家に向く。全ての政策に言えることですが、政策とはタイミングが大事なのですよ。短期利益を取りつつ、長期利益を育てる。その為の楽市ですよ」
「むむ」
「何でニコロが難しい顔をするんです。儲かるのですから、喜ぶべきでしょう」
「ここで若様から短期的な利益について否定的な言質を引き出しておけとシイツさんに言われていたもので。酒造りへの資源配分に利用できるからと」
「あの飲兵衛は、まだ諦めていないのですか」
「だって酒ですよ? 作れば売れると分かってるのに……」
「作れば飲める、の間違いでしょう。諦めなさい」
ペイスが領主代行になって部下たちが一番悲しんだのは、酒造りが縮小されることだ。お菓子作りに熱意を燃やし、その為に必要な砂糖づくりに目の色を変えるペイスが実質のトップになったのだから、割を食うのは酒造り。
「諦めるのは惜しいんですけど……」
「そんなことより、財政担当なら相場をチェックするべきですよ。行商人やナータ商会相手の相場観はニコロも持っているでしょうが、こういった場に不慣れな人間が多く集まると相場も変わります」
「どう変わるんです?」
「大体、極端になりがちです。売れないものは赤字覚悟でたたき売ろうとし出しますし、品薄のものは阿漕に値を上げて青天井になる」
「へえ」
「あまりに目に余るようなら指導するのも、我々の役目ですね」
行商人や、モルテールン領に拠点を置く商会は、腐っても商売のプロだ。仮にニコロが幾ら経験を積もうが、商人はそう容易く赤字を出すような売りはしないし、簡単に儲けさせてくれるような買いもしてこない。プロである行商人相手に赤字を飲ませるほどの交渉が出来るのは、モルテールン家ではシイツかペイスの二人ぐらいだ。
プロ相手に、通常以上に得する取引は難しい。
その点、素人ばかりの市となると勝手が違う。
物が売れない時には、安易に値下げしてでも自分の商品を売ろうとする。その時には売れないよりましだと、赤字だろうが相場破壊だろうがお構いなしだ。他所の市でも、場所代を払って赤字が出てもやむを得ないと考える者すら居る。
逆に売れすぎるようなら、チャンスとばかりに値を吊り上げる。それはもう際限なしに。適正利益などという発想は皆無だ。
祭りの前の布や糸、冬支度の前の塩、秋口の家畜などは、ほぼ確実な需要があり、品薄になり易い。こうなると、相場の数十倍の値段を最初に吹っ掛けて来る者も居て、これまた商取引に不慣れな素人はぼったくられていると気付けないこともある。
安過ぎず、高過ぎず。ここらへんの調整は、市を仕切る者の力量の見せ場でもあるのだ。
「じゃあ俺はちょっと見回ってきます」
「……ニコロ、手を出しなさい」
「はい? ……なんすか、この銀貨。しかも、三枚も」
「経費です。貴方が欲しいものを買ってきなさい。相場を知るのに、冷やかしは市場の熱を冷ましますからね。酒でも構いませんが、買って来たものは一度屋敷に持って帰るように。買ったもの全てをですからね。僕も相場と現物の確認をしたい」
「その後はどうするんです?」
何となく先を予想し、嬉しそうにしているニコロ。
ペイスもまた、管理職としては色々と気苦労もあるらしい。従士長の十分の一ぐらいは。
「僕が大酒を飲むわけにもいきません。相場の確認やらが一通り報告出来たら、後は貴方達で好きにすればいい」
「うひょう!! 若様のそういうところ大好きっすよ!!」
あまりのニコロの喜びっぷりに、先輩たちが手ぐすね引いて待ち構えていることは黙っておくことにした領主代行。
特に、ニコロの上司はタダ酒が飲める機会を見逃さない程度には鼻が利く。
幾ら容赦のない先輩達でも、青年の取り分がゼロになることは無いだろうし、全くの無駄足にはならないだろうと、ペイスは、喜び勇んで市の見回りに行ったニコロを見送る。
市といえばある意味で祭りの縁日のようなものであるから、金があればかなり楽しい。
「さて、僕は屋敷に戻って仕事ですね」
とりあえずの仕事を部下に割り振った管理職は、一足先に執務室に戻る。
出迎えたのは、来年には子持ちになりそうなシイツだ。
「お、坊、市のほうはどうでした?」
「落ち着いては居るようでした。塩と魚に人気が偏っている印象でしたが、まずまずでしょう。逆に、豆やハーブを売ろうとしていた村人は苦戦していますね。うちではどこの家でも作っているものですから、買い手が極めて限定的ですし」
「ここぞとばかりに買い叩く連中が居るでしょうから、赤字にはなっても実入りがゼロってことにはならんでしょうぜ」
執務室の椅子に腰かけるペイスに対し、シイツは斜め後ろに立つ。補佐役としてのシイツの定位置だ。
父親が座っていた椅子に座ると、少年では机の位置が相当高いため、座布団風クッションを急遽あつらえて段重ねのお重のようになっている。別に笑いを取って運んでもらったわけでも無く、十枚重ねて賞品が出ることも無いのだが、ジョゼの刺繍の練習品でもある為粗雑に扱うと後が怖い代物。
ペイスやジョゼにはその気も無いのに、ユーモラスな情景を笑われているのは公然の秘密。
「それでっと、坊、戻って早速なんですが、仕事ですぜ」
「分かっていますよ」
「まずは……今年の麦の売却に関して、報告あがりましたんで確認して下せえ」
早速とばかりに差し出された木板には、ざっと取引の記録がまとめてあった。モルテールン家は今でこそ新産業の収益があるが、元々は麦が特産。毎年の売却益の確保が、一年間の収入に直結するような貧しい時期も長かった。
今でも重要な収入源で有る事は変わらず、確認等々も領主の仕事。今は、領主代行のペイスの仕事だ。
「随分と相場が荒れましたね。売り時が数日違うだけでもかなり差がある」
「今年はうちの麦が大量に出回ることも相場に織り込まれていた地域があるらしいんで。レーテシュ領の商人なんぞはご丁寧にも青い時期に確認しに来ていやした。その手の情報を手に入れていた商人と、そうでない商人とで、相場の見込みが違っていたらしい」
「つまり、時期やタイミングの問題ではないと?」
「そうなるかね。詳しく調べますかい?」
シイツの報告に、ペイスが反応した。
麦相場が短期間に急変動した理由が、シイツの言う通り俗人的な情報偏在が理由ならばいい。それも、モルテールン家産麦の出来不出来ぐらいの情報の差異で起きているなら。
ペイスが気にしたのは、別の理由があった場合について。麦相場は戦争の前に大きく動くとしたもの。相場変動の理由が、仮に俗人的であるにせよ、人によって相場が違う理由は、何か隠された動きのせいかもしれない。
どんな些細なことでも、手を抜けばどこに落とし穴があるか分からないのが貴族社会。
シイツも、ペイスに言われて即座に察するあたり、阿吽の呼吸。
「そうですね。デココのところで金を握らせて聞き出すか、いっそ市場での様子をニコロに聞いてみますか」
「あいつじゃまだそこまで気付けんでしょう。タダで市を開く裏の理由も分かってねえですから。これは若い連中みんなそうですがね」
「領内で市場を開催することの隠れた利点、ですよね? 僕もニコロには説明しませんでした。自分で気づいてこそですし。シイツは勿論分かっていますね?」
「当然でさあ。バラモンドの爺さんには仕込まれましたんで。無料で市場調査出来るってなあ無視できん利点でしょう?」
ペイスはニコロに言わなかったが、場所代をフリーにしてでも市に人を集めたのは、金銭以外の利点があるからだ。ニコロに言ったように、人が集まれば確かに金が集まる。短期的利益というなら、間違ってはいない。
だが、同時に情報も集まるのだ。
今までであればわざわざ他領に出向かねば得られなかった情報が、領内でも手に入る。相場の情報であったり、物品の過不足の情報であったり、仕入れ先や交易ルートのトラブルであったり。これらは馬鹿にならない価値がある。市が大きくなるほどにそれらの精度も量も格段に向上する。
ニコロはモルテールン家では金庫番であり、専門は出納管理。それ以外の部分に目を向けるには、まだまだ経験不足。いや、言わずとも気付くペイスやシイツがおかしいのだ。
「そういえば、ニコロに何か吹き込んだらしいですねシイツ」
「なんのことですかい?」
「僕に、短期利益について言質を取るよう言ったと聞きました」
「あのおしゃべりが」
「シイツ、僕を試すようなことはせずとも大丈夫です。領主代行の力量を測ったんでしょう?」
裏の意図、というのは、何も市場についてだけではないだろう。目でそうシイツに問うペイス。
「確かに、それもありますぜ。けど、俺が必要としてるんじゃねえです。俺は坊の実力を疑ったりはしねえですから。若い連中には、まだ坊が幼いってんで代行を不安視するのが居るもんで、そっちに要るんでさあ。確かに連中の不安ももっともでね、大将の下で一部を担当するのと、自分で全部決めるのとじゃ意味が違う。早急に分かりやすい実績ってのを幾つか作ってもらいたいんですよ」
「その一つが、従士長の試験をクリアしたこと、ですか。気遣いに礼を言うべきでしょうか?」
「要らねえです。坊が失敗してたら酒が飲めるし、成功すりゃ酒が飲める。どっちでも構わねえですからね」
「……ニコロに市場調査の費用を渡しています。経費で落としますからね」
「今の帳簿係は俺じゃねえですから、坊の好きにすりゃいいでしょうよ。何にせよ人の金で飲める酒ってのは旨いってもんで。楽しみでさあ」
シイツも伊達に二十年も困難な土地の運営を補佐してきたわけではない。あの手この手で領地運営を補佐する手腕。決してお飾りではない。
「麦の方はそれでいいでしょう。他には何かありますか?」
「招待状の整理を頼みます。大将宛てのまであるんで」
カセロールは、現在王都で働いている。給金を貰って王家に仕える、いわゆる宮廷貴族となったのだ。新しい肩書ともなれば、挨拶回りも必要。挨拶回りをすれば、社交の招待も増えるのは道理。
王都に家を買ったことをまだ知らない人間は、わざわざモルテールン領までカセロール宛ての招待状を送って来るのだ。
領地を貰って王家に仕える領地貴族でもあるので、既存の付き合いも切れてはいない。つまり単純に人付き合いは倍になる。幾らかは領地側で担当するにしても、どうしたって代行のペイスで扱いきれない物も含まれる。宮廷貴族に宛てたものは、領主代行のペイスには権限が無いのだ。
「父様宛てなら、基本的には父様に送ることになるでしょう?」
「そうは言っても、王都に大将が居る事を知らずに送って来る物もあるんで」
お茶会、舞踏会、狩猟、晩餐会、観劇、結婚式、葬儀などなど。ペイスが代行として手紙を書けば十分なことから、どうしてもカセロールに繋ぎを取らねばならないものまで。
招待にも色々と種類があった。
そんな中の一つに、ふとペイスの目が留まる。
「シイツ、これって……」
「デトモルト男爵家。坊の母方の実家ですぜ」
縁を切っていたはずの実家からの招待。領主代行ペイスにとって、最初の難関であった。