136話 ハネムーンに浮かされて
モルテールン領は今、再開発を進めていた。
「では、東部地域は全体を六十四の区画に分け、十六区画毎を一つの村の管轄とするとしましょう。森林、畑、放牧地、休耕地、宅地、水源を組み合わせ、村ごとに管理者を置く。また人を雇わなくてはなりませんね」
「区割りはこの試案通りに?」
「ええ。村の生産力と労働力が出来るだけ均等になるように、スラヴォミールとニコロに調査・計算させました。可能な限り農業を効率化し、将来的には更なる先進農業技術の導入を計るとしましょう」
最近はカセロールが諸々の事情から王都に詰めていることが多く、領内の政務は主にペイスが指揮を執っている。現在は領内の土木関連担当のグラサージュと共に、東部地域と呼称する旧リプタウアー領の再開発計画を練っていた。
「計算上、この計画の完遂で農業生産力は今の四倍程度になる見込みです。東部地域のみで、現在のモルテールン領の人口の三倍程度は余裕で養える。開墾と開発が進めば、農業生産力の向上はあと四十年は続くはず。当家の未来は明るいですね」
「本土の開発も併せて行えば、より多くの人口を抱えることが可能ですが」
「本土は乾燥していて農業に不向き。以前なら止む無く農業を行っていましたが、不適格な土地で無理やり行うより、農業に適した土地に資本を集中投下した方が費用対効果が高い。それに、これからはザースデン、コッヒェン、キルヒェン、ミロッテの四つの村は商業と工業を発展させます。製糖産業がその中心となるでしょう。とても新規に農業を行う余裕など出来ないと思いますよ。サトウモロコシを作るだけで精いっぱいでしょう」
「酒造業はどうされます? 気候が安定している本土は、繊細な酒造業には向くと思うのですが」
「理屈はその通りです。無論平均気温が高いことや、極度に乾燥していることで他所とは違う作り方を模索せねばならないでしょうが、酒造りの根本である“発酵の安定”と言う意味では、向いていると言える。雨が春先以外ほとんど降らない一定した気候ですし。まあ、職人がどれだけモルテールン領に適した酒造りの技術を身に着けられるかに掛かっているでしょうね」
神王国で酒と言えばワイン。ワイン造りは、葡萄作りが重要な要素となってくる。
大体が日当たりの良い斜面であったり、或いは平野部に葡萄畑を作る。葡萄はかなり深くまで根を下ろすわけだが、その際の地層の質が葡萄の質に繋がるとされていた。
世の人は地質学などは知らない人間ばかりだが、経験則として良い葡萄の採れる土地というのは決まっていると知っていた。最高品質の葡萄が採れる畑は、戦争してでも奪い取ろうとするぐらいに価値が高い。
そして、葡萄の糖度や収穫量を決めるのが天候。
日照量が不足すれば糖度も不足するし、雨が多ければ水分が多すぎる葡萄になる。逆に日照りでは収穫量が減るし、強風が吹いて葡萄の木を駄目にしてしまうことだってある。
そうして出来上がった葡萄が、職人によってワインにされるわけだ。
しかし、モルテールン産の酒は違う。
何せサトウモロコシから作るわけで、葡萄の栽培ノウハウなどは豚の餌よりも役立たず。更には、元より山に囲まれて気候が安定しており、ほぼ晴れの日しかないモルテールン領では、葡萄を作る他領に比べて天気の心配が少ない。
今までの酒造りの常識は一切通用しないわけで、辛うじて経験則として発酵の概念を知る若い職人が、四苦八苦しながら技術と製造ノウハウの確立に勤しんでいるのが現状。今のところ一番酒造りに詳しいのが、職人では無くペイスというのだから笑える話だ。
酒造りにしろ、砂糖づくりにしろ、まだ始まったばかり。製品の質の向上、生産の安定、販路の確保、需要の喚起等々。やらねばならないことは山積み。産みの苦しみという奴だ。
そして、どうせ新規産業の産みの苦しみを経験するのならば、材料の確保で競合する砂糖づくりと酒造り、どちらか片方に注力すべきだ、というのがペイスの考え。二兎を追っては一兎も取れない羽目になるやもしれず、どっちつかずな中途半端は、結局どちらの新規産業も上手くいかない共倒れとなりかねない。
この点はカセロールも同意しているのだが、家中の総意とまではいかない。根強い抵抗勢力が居るのだ。
「ならば、酒造業も主産業として更なる増産を計っては如何でしょう。酒なら買い手は幾らでもいるでしょうし、当家ならではの技術が確立できれば、独特の酒として特産にもなり得ると考えますが。いっそ砂糖づくりを保留しても構わないのでは?」
「父様とも、それを議論したことがありますが、却下です。買い手が幾らでも居るというのは酒も砂糖も同じですが、砂糖の方が単位当たりで高く売れる。つまり、付加価値の多寡で言えば砂糖の方がより高い付加価値が付く。未だ生産量の限られるサトウモロコシを有効に利用するのなら、より利益を生む砂糖づくりに注力するのは当然です。それに、特産というのならば他所でも作っている酒より、うちでしか作っていない砂糖の方がより珍しい特産となる。そうは思いませんか?」
砂糖と酒、どちらに注力すべきかでは家内の意見が割れている。厳密に言うならば、ペイスとそれ以外で別れている。
おっさん連中は是非とも酒を量産し、自分の娯楽にも利用したいと考えているが、ペイスとしてはお菓子作りに必須の砂糖を量産するのは、夢の為にも是が非に実現させたいもの。
議論は常に平行線をたどり、意見が合うということは絶対にない。
「むむ。それはそうでしょうが……しかし、甘いものの大量摂取は年寄りには厳しい。いや、大量に食べるのは誰だって辛い。酒ならば一度に大量に消費するケースも多く、安定した需要というのが見込めるのでは?」
「珍しく柔軟な意見……グラスの考えではない? 誰の入れ知恵か。後でダグラッドかニコロ辺りをとっちめるとして。安定した需要というなら、子供や女性には酒よりも甘いお菓子の方が売れます。購買層が主として成人男性に偏る酒より、老若男女問わずに受け入れられる砂糖の方が、需要が安定するに決まってます」
「外で稼ぐのは男の仕事。稼ぎのある人間に向けて商売をするのは理に適っているでしょう」
「使うことに老若男女の違いはありませんよ。それに、先の料理対決以降、モルテールン家の菓子というだけで高値が付くようになっているのです。このブームが落ち着くまでは、波に乗るべきだと考えています」
この世界では男尊女卑の風潮が根強く、女性には貞淑が求められる。女性も飲酒しないわけではないのだが、酔っぱらって醜態を晒すダメージが大きいのは男性よりも女性。
また、酔って貞操を危機に晒すことへの警戒感は現代日本よりも遥かに高く、必然、お酒を大量に飲むのは男の仕事となってしまう。
酒好きの女性の肩身が狭い世の中なのだ。
「そこを何とか。酒造りに期待する領内の声は大きいのです」
しかしグラサージュもなかなか諦めない。娯楽の少ない世界では、楽しみの一つが酒なのだ。いや、現状のモルテールン領で自給出来る唯一の娯楽と言っても良い。
はあと溜息をついたペイスが、そんなグラスの懇願をバッサリ切り捨てる。
「僕は、この件に関して父様から一任されました。砂糖八、酒二の割合で注力する。酒造りは技術の確立と研究を優先して、商業化は後回し。これは僕が決め、父様も追認した決定事項ですよグラス」
「くっ、せめてシイツさんが居てくれれば……」
口が上手く頭も回るペイスに対して、理路整然と酒造りをするべき理屈を述べ、説得できる人間は少ない。ましてや、次期領主という権威に対して対抗できる上で、となれば該当者は二人しかいない。
カセロールかシイツである。
領主のカセロールがペイスの反対を押し切って強硬に進めるか、シイツがペイスに対抗して論戦でねじ伏せるか。そうでなければ酒の量産はペイスの反対という分厚い壁に阻まれる。
しかし、カセロールには期待薄だ。
カセロールは子供を溺愛しており、更にペイスの意見には一理も二理もあり、サトウモロコシの生産と量産がペイス主導によって行われた経緯から、息子の意見を尊重する姿勢を決めた。
つまり、酒造りを望む人間の希望は、シイツに集中していたのだ。
「シイツは今頃、若い奥さんと一つ屋根の下。ハネムーン中ですよ」
「そのシイツさんから救援要請が来てると聞きましたが?」
「人聞きの悪い。先日、採れたばかりの蜂蜜と、それから作った蜂蜜酒を子爵領に送ったら、子爵の御礼と共に、シイツからの近況報告の手紙もついてきただけです。中々、充実した毎日のようですよ?」
「ほう。詳しく教えてください」
ハネムーンの語源は蜂蜜酒からきている。
それを知るペイスは、シイツを応援する多大なる気持ちと、僅かな揶揄いの気持ちで、モルテールン産の蜂蜜酒を贈った。
子作りに励めと言われたも同然なシイツは、夜には新妻と同じ部屋に閉じ込められるようになったらしい。
などとペイスは語る。
シイツはグラサージュにとっても頼れる先輩。仲の良い兄貴分。それがよりにもよって結婚したというのだ。グラサージュにとっても、野次馬根性と好奇心が疼く。続きをペイスにせがんだ。
「まず、朝は奥さんと同じベッドで目を覚ます。奥さんの方が色々と積極的らしく、早起きの習慣が身に着いたそうです」
「迫られて、ゆっくり寝ていられないだけじゃ……」
「朝ごはんもたっぷりと用意してくれているそうです。蜂蜜酒も勿論ですが、活力の湧く伝統料理でもてなしてくれるとか。子爵自身も新婚時代に食べていた料理の数々は、おもてなしの心ですよ」
「無理やりでも精を付けさせて、って目的に聞こえますけど」
「朝ごはんも終われば、腕に覚えがあり、シイツの武名を知る家中の者から指導を頼まれるとか。シイツも一流の腕がありますから、かなり慕われているらしいです。毎日みっちりと模擬戦をこなしているらしいですね。時には、奇襲を想定した不正規戦の訓練までするらしいとか。運動不足に悩む必要も無く、爽やかな生活。健康的ですよね」
「それは襲われてると言うんじゃないかと」
「午後からは子爵領の政務を手伝っているそうです。子爵閣下たっての願いということで、報酬も出るらしいですよ。結構な額の報酬だとか。娘婿に対しても公私のけじめをつけるところは素晴らしいですね」
「良いようにこき使われてると聞こえましたけど」
「見解の相違ですね。優秀な人間が欲しくなるのは当たり前。まして、人の物というのは余計に欲しくなるものです。折角の機会に色々とやらせてみる。優秀と分かれば色々とやらせたくなる。人間の心理として、必然でしょう」
色々とシイツの受難を聞く中、聞き逃せないのは子爵領の政務を手伝っているという点だ。
シイツが優秀な人材であることは、グラスも良く分かっている。それだけに、向こうに取り込まれてしまわないかという危惧があったのは事実。
「あちらに取り込まれてしまうようなことはありませんか?」
「さっきまでの僕の話を聞いて、その懸念があるとでも?」
「まさか……わざと取り込ませようとしてるんですか? 失敗させるのが目的で」
「……いずれ、娘婿という縁故でシイツを引き抜こうとするのは目に見えていました。父様や僕でも、立場が子爵と同じなら狙う事でしょう。早いか遅いかの違いです。ならば、シイツが奥方に情が移り、慣れから同居を苦痛と思わなくなる前に……そう、一緒に居るのが不慣れな時期に一度子爵領に預け、向こうに居るのが心底嫌だという苦手意識をシイツが持つように仕向けるのも必要なことです」
あえてトラウマを植え付ける非道。
ピーマン嫌いの子供が大きくなってピーマンも食べられるようになる前に、ピーマンをこれでもかと食わせて、ピーマン嫌いを確立してしまおうという外道である。
シイツを盗られる危険は避けたい事情は同じでも、カセロールでは親友にここまでのことは出来ないだろう。
「ペイス様も酷いことしますね」
「子爵家がシイツを労り、快適な新婚旅行をプレゼントしてくれれば、それはそれで良かったんですよ。そちらの方が望ましかった」
だが、ペイスは今回の状況は不本意だと言う。
シイツが心からくつろげる、素敵な新婚旅行であった方が良かったと。その意図を、グラスは考えてみた。
「そうなると、ふむなるほど、旅行が快適なら、それを与えた当家に従士長は感謝する?」
「ええ。良い奥さんとの快適な新婚旅行が得られるなら、プレゼントした当家にもシイツは感謝してくれる。旅行が苦痛なものなら、子爵家に行くことは拒否するようになる。どちらに転んでも良い。ただし、後者の場合は、当家も恨まれるわけですから、次善の策であることは言うまでもありません」
「はあ、なるほど」
「戻って来たとき、恨みを当家に抱えたままというのは拙い。シイツには、戻って来た時に本当に休める休暇を与えるべきでしょうね」
シイツがバッツィエン子爵家になびかないようにする手だったとはいえ、それでモルテールン家と反目されては意味が無い。
戻って来た時に、十分なケアが要るとペイスは言う。
「具体的にはどうされるのです?」
「仕事を理由に独りの時間を用意し、奥さんとはゆっくりと仲を深めるよう配慮する。完全に自由な時間をたっぷりと与える。そして……」
「そして?」
じっと考え込んでいたペイスだが、急に笑顔が輝きだした。
「お酒をたっぷりとプレゼントしてあげましょう。サトウモロコシ酒だけでなく、蜂蜜酒も出来るだけ沢山。ふふふ、そうなると、やはり僕が現場で指揮をとらなくては」
「あの~ペイス様?」
「グラス、後は任せました。僕は早速砂糖づくり……じゃない、お酒造りとハチミツ作りの監督に行ってきます。シイツの為にも、これは仕方ないのです!!」
言うが早いか、ペイスは執務をグラスに押し付け何処かに【瞬間移動】していった。
残された男には、悲哀と溜息が良く似合う。
「……シイツさんが居なくて、一番浮かれてるのは若様だよな」
グラサージュの言葉は、むなしく執務室に響くのだった。
これにて14章結
これまでのお付き合いに感謝です。
では次章
「幸せを呼ぶスイーツ」
お楽しみに