135話 シイツ逃亡!
「逃げたぞ!! そっちだ!!」
「周りこめ!!」
逃げる者が居れば、追う者が居る。
「クソったれが、あっちもこっちも手が回ってやがる。普段は雑な仕事をしやがるくせに、何でこんな時だけ連携が良いんだよ」
逃げる男、シイツは憎々しげに言葉を吐き捨てた。
彼は【遠見】の魔法使い。追いかけてくる連中が何処にどう居るかは文字通り見て取れる。逃走には最も向いている魔法。しかし、追ってくる相手もそれを承知で包囲網を構築しているらしい。
「慌てず、落ち着いて行動してください。シイツは父様と違って【瞬間移動】は出来ません。確実に包囲網を狭めていけば、必ず捕まえられます。シイツを相手にするなら、隙を作らないことが一番大事。拙速より巧遅を尊びましょう」
追っているのは、ペイストリー。従士達を手足のように使いシイツを着実に追い詰めていく。
「あっちだ!!」
「待ちなさい。今のは音だけです。一旦留まって様子を見ます。シイツのことですから、投石やトラップで音を出し、注意を逸らすぐらいのことはしてきます。鹿や熊とは違って手強い相手です。気を抜かないように」
ペイスの指示に、内心シイツは舌打ちをした。何せ、ペイスの言う通りだったからだ。物陰に隠れたまま石を遠くに投げ、気を逸らしてその間に包囲網から逃げる算段だったのだが、そう上手くはいかない。
昔から、イタズラをして逃げる少年を追うのは自分の役目だった。今日は丸きり逆の立場になっている。分かっては居たつもりだったが、こうして敵に回すとペイスの手強さは歴戦と呼べるもの。厄介極まりない。
「駄目だな。坊は小手先で騙せる相手じゃねえ。一か八かの勝負が要るな。今日ばかりは坊の出来の良さを恨みたくなるぜ。やってらんねえよ全く。もう少し普通の子供らしい可愛げを見せろってんだ」
一呼吸だけ息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
気を落ち着け、集中、集中、集中。狙うのは、敵前中央突破。あえて敵の只中に切り込み、一番手厚いと思われる部分を強行に突破する。そうすれば、包囲網の再構築には時間が掛かるはずで、逃げ切る可能性も出て来る。
皆の注意がばらけたのを感じ、今だ、とばかりにシイツは一気に駆け出す。
「居たぞ!! うわぁあ!!」
「たすけ……ぼげりゃば」
シイツは、追手のうちの二人を瞬く間に叩きのめす。
奇襲の見込みは当たったか、と安堵した矢先。
「そう来ると思っていました。シイツ、観念して大人しく捕まりなさい」
シイツの前に立ちふさがったのは、ペイスだった。
「坊!! ……そうはいかねえんですよ。押し通るぜ!!」
「させませんっ」
本気だった。両人ともが本気で相手を倒そうとする。数手の攻防をお互いに交わし、共に相手を倒そうと狙い合う。
どちらも思ったことは同じだった。強い、と。
「手強い……流石シイツ」
「坊、強くなりやしたね」
お互いに手強い相手であると、心から実感した。分かっては居たはずだが、どこかでお互いに甘く見ていた部分も有ったのだろう。それが完全に吹き飛ぶ。
シイツは長年積み重ねてきた経験と、それによる深い読みと洞察力。ペイスは、魔法を織り交ぜつつの総合力。容易に勝てる相手でないのは、二人とも同じである。
一進一退の攻防。このまま千日手で引き分けか。
否。
シイツは逃亡者であり、ペイスは捕獲者である。その点が勝負の分かれ目。
逃げるのは一人でも、捕まえる側は一人ではない。膠着状態に陥った時点で、シイツの勝ち目が消えているのだ。
「よし、さすがっす若様。そのままで頼むっす」
「あ~頭がガンガンするっち。従士長も酷いで。何も頭ぁ狙うことは無いち思うだ」
ペイスに援軍が来た。勝負あり。
シイツは、諦めと共に天を仰いだ。
「……ちっ、ここまでか」
「ようやく、降参ですか。皆、最後の最後まで気を抜かずに捕縛してください。シイツは性格が悪いですから、降参したふりをして油断を誘い、反撃してくることもあり得ます」
「坊だけには性格のことを言われたくねえですぜ」
「従士長も若様も、どっちもどっちじゃないっすか? 夕焼けと朝焼けのどっちが赤いか比べるようなものっしょ」
皆が皆軽口を叩きつつ、シイツが同僚たちの手によって縛られる。隙あらば逃げ出そうとしていた男も、縛られてしまった時点で諦めがつく。
「さて、観念したところで、連れて行きましょうか」
「行くって何処へかね? 俺ぁ捕まえろとだけしか聞いとらんだで」
スラヴォミールの問いに、ペイスは笑顔で応える。
「勿論、シイツの新婚旅行ですよ」
ペイスの言葉に、シイツの顔が歪んだ。
◇◇◇◇◇
モルテールン領本村の屋敷に、領主と息子が向かい合っていた。
いつもならば居るはずの従士長は不在の状態で。
「バッツィエン子爵の懸念は分かる。つまりは、娘がないがしろにされないかということだな」
「はい、そうです」
子爵からペイスが受けた相談とは、シイツの結婚に対する態度についてだった。より正しく言うならば、シイツが結婚することについて消極的であり、娘の扱いに不安があるという事だった。
「シイツは結婚について、完全に納得して受諾したわけではありませんし、お相手のターニャ嬢に愛情があって結婚するわけでもありません。そうなると、結婚自体には渋々従ったとしても、円満な夫婦生活を営むことが出来ないかもしれないと、子爵は不安を持っておられました。父様に直接話をしようとすればシイツに感づかれるので、僕を介して内々に相談したかったそうです」
「懸念は理解しよう。あいつは幾ら政略結婚だとはいえ、自分を慕ってくれる女性を無下にするような男ではない。しかし、それは長い付き合いの我々だから分かることだ。付き合いの浅い子爵からすれば、いい年して遊びを止めないシイツには不安を持つだろう。娘の一生が掛かっているとなれば、為人を知りたがるはずだな」
シイツの武名や能力については、多くの人間が耳にしている。神王国西部では名の通った傭兵団に拾われて戦場を歩き、先の大戦でカセロールと出会い、縁あってモルテールン家に仕えるようになってからは当主の右腕として陰日向に支えてきた。何度となく他家からの引き抜きの話があったが、その全てを断ってモルテールン家の興隆発展に尽力。
政治的な知識、軍事的な能力、外交的な識見、全てにおいて一定水準を越えた優秀な人材。魔法使いであることも含め、何でモルテールン家のようなド田舎に居るのかと不思議がられたことは一度や二度ではない。高位貴族でも重役待遇で雇いたがる家は多かった。
能力的には相当にハイスペックな逸材。
しかし、人格的には典型的な駄目人間。
まず、博打が大好きだ。生来の勘の良さもあって博打には滅法強く、それだけにギャンブルに対しては積極的な姿勢を崩さない。当人曰く、人生一番の大博打はモルテールン家に仕えると決めたことだそうだ。博打が嫌いな堅実な人間であったなら、モルテールン領のような貧相で貧乏な土地には来なかったと公言する。一晩で金貨を何枚も稼いだ経験もあれば、一晩で同じぐらいスッてオケラになったこともあった。今でこそ、そこそこ貯金も貯まっているが、これは仕事の忙しさが理由だ。賭場に行けなくなってから、ようやく貯まるようになったもの。明日をも知れない傭兵暮らしが長かったせいで、お金を貯めておくという習慣が中々身に着かなかったのだ。今でも身についているかは相当に怪しい。
更には酒好きだ。モルテールン領は貧しかったのだが、給料は昔からしっかり貰っている。その稼ぎの多くがアルコールに等価交換された。カセロールの御供で王都に行ったときなどは、酒場に寄らないことの方が稀だったのだから推して知るべし。酒こそ人生の宝と公言して憚らない。モルテールン領で酒造りをし出した時、一番喜んだのは他ならぬシイツだ。
おまけに女好き。色町の常連客として顔が売れているし、金払いの良さと共に女性の扱いが上手いことで有名。彼が戦場で挙げた手柄は知らなくとも、女性相手に重ねた武勲は耳にしている“その道の女“は数多くいる。自分もその武勲の中に居るという女性も両手の指では足りないぐらい多い。
飲む、打つ、買うと三拍子そろった、不道徳人間のお手本がシイツだ。子供の教育に悪い要素を詰め込んだ、不真面目が服を着て歩いているような人間。これと結婚する女性が居たことに、驚いた人間が居たぐらいだ。バッツィエン子爵の懸念は、親として当たり前のもの。
「普通なら、結婚前に見極めるものだが」
「今回は事情が事情ですから」
「確かに、婚約期間や親交期間を置かずに、いきなり結婚だったからな。今回は特別か」
「普通でないことは確かです」
当人の性格であったり、結婚生活に対する適性であったりというものは、普通は結婚前に調べられる。それが親の義務でもある。
十代も前半で結婚する女性が当たり前の世界。中学生と変わらない年の女の子に、男を見る目を期待してはいけない。貴族女性とは、ほぼ全て世間知らずのお嬢様。口だけは上手い男や、下心を隠して優し気に接する男に、騙される話は珍しくない。親がしっかりと相手の男を見極めてあげるのも、ある意味ではお家と子供を守るために必要なこと。
興信所など無いわけで、素行についての調査もまたお家の力量に掛かっている。結婚詐欺師に騙されても取り締まる警察などは無いのだから、自己防衛には過剰なぐらいで丁度良い。碌に調べもせずに結婚に至ったケースが異常なのだ。
「今子爵は何処に居る?」
「披露宴の後、新たに用意したシイツの新居に逗留されています。家の外観や敷地の広さよりも、家を一軒貸し与える好待遇の方に驚いていたようですが」
「待遇の良さはうちの売りだ」
「子爵の周りでも、大分評判が良いようです」
モルテールン家では部下を非常に大事にする。厚遇しなければ人が寄り付かなかったころの名残であり、その時に発生したまま常識となってしまった伝統。一度与えた権利を削るのは、政治的に難しいのだ。
望めばお屋敷の一室をタダで借りられ、洗濯掃除炊事をモルテールン家の下働きが全てやってくれるというホテルのような仕様。シイツもこれは気に入っていたらしく、モルテールン家の屋敷の上等な部屋を、新築早々から確保してマイルーム扱いで住み着いていた。
だが、さすがに新妻との新婚生活にそれは拙かろうと、従士用に幾つも用意されている真新しい一軒家を貸し与えられ、新生活の場とするよう命じられている。
片付けの出来ないシイツの為に、新屋敷で働く下働きの人間も新たに雇い入れており、村民の雇用確保には貢献しているのだ。
当然、こんな待遇は他所ではあり得ないわけで、シイツが如何にモルテールン家で大事にされているかを分かりやすくアピールすることにもなっていた。
新妻であるターニャスティにとっても、新築の新生活は嬉しいもの。子爵家の家中でも、評判になっている。誰もが喜ぶ状況。
シイツの犠牲を除けば。
「子爵はこのまま長逗留するのか? シイツの為人を知るというのなら、それが一番手っ取り早い」
「それが、そうもいかないようです」
その人の性格や考え方、いわゆる為人を知ろうと思えば、一緒に寝起きして同じ釜の飯を食べる共同生活ほど確実なものは無い。四六時中緊張しっぱなしというのも難しいもので、家に居てリラックスしている時などは素の表情が出るもの。取り繕って居ないありのままの人間性を知る為には、同じ屋根の下に居るのが一番という、カセロールの意見には一理ある。
勿論ペイスもその点は同感だと頷く。
だがしかし、そうと分かっていても子爵も貴族家当主。長逗留には問題も多い。
「仕事があるからか?」
「ええ。どうも子爵家の家中は武断的な色合いが強いらしく、他家との折衝や交渉ができるのが子爵ぐらいしか居ないとか。シイツと娘を縁付かせるのも、その点で信頼できる味方が欲しかったからだそうで、あまり長い間領地を留守にするわけにもいかないそうです」
「確かに、主が留守にしている武家の領地など、空き巣には狙い頃だからな。外務に疎い代理の人間から言質を取れれば、外交的に美味しい」
神王国のみならず、この世界では軍人はアホが多い。いや、阿呆とまで言わずとも、知能労働よりも肉体労働を推奨する家風の家が圧倒的多数。学問や芸術に秀でた子よりは、武芸や体格の優れた子の方が軍家当主に向くのだから、そうなるのも当たり前。
面倒くさい交渉で妥協点を探るぐらいなら、男らしく拳で語れや、という脳筋がごろごろ居る。
騎士爵や準男爵の爵位であれば、有事に期待される動員兵力も数十人以下。一般的な騎士爵位持ちの一軍のような、十人規模の軍集団となれば、個人の武力が戦力の重要な要素となる。一人で十人を相手にする事だって条件次第では可能。
軍家ならば、腕力だけで爵位を得られることが、往々にしてある。珍しい話ではない。こういう家は個人の武力をあてにされがちなので、例えば文字が読めなくとも十分に務まる。部下を集めるにしても、戦場で活躍出来る逞しさが優先されるだろうし、そんな人間が集まれば価値観は偏る。
そこから武勲を重ねて陞爵したところで、一度根付いた家風は中々消えない。モルテールン家のように知的な軍家というのは相当に希少なのだ。
バッツィエン子爵家はそれでもマシな方なのだが、武断的な色合いが強いのは仕方がない。
「長逗留は、こちらとしても不本意ですね。見られたくない物が多すぎますし、秘密にしておきたいことも色々あります。さっさと帰ってくれる方が望ましい」
「ならばどうする? お前のことだから考えがあるのだろう?」
「同じ家である程度生活した方が子爵もシイツもお互いに理解が深まる。この点は間違いないですし、当家も望むところ。しかし、うちに子爵を長期間居させるわけにはいかない。となれば、シイツが子爵のところに出向くしかないでしょう」
「……ふむ。名目はどうする? 従士長を他領に派遣するとなれば、それなりの理由付けが居るが。下手に勘繰られてもつまらん」
従士を他家に送り込む。名目が無ければ、スパイや軍事行動と見られる可能性がある。
ましてやシイツは世に聞こえた魔法使い。一人で何十人分も役に立つのだから、相応の理由が要るだろう。
「丁度良い名目があるじゃないですか。シイツは結婚したばかりなのですよ?」
「うん? 妻の実家に挨拶とでも名目を立てるか? 長期滞在させる理由には弱い気もするが……」
「いえいえ父様、もっといい名目です。長い間当家に尽くしてくれたシイツに、新婚旅行をプレゼントしてあげましょう。一ヶ月のバッツィエン旅行。仕事を忘れて、思う存分楽しんでもらいます。きっと向こうでも大歓迎してくれるでしょう」
その晩、話を聞いたシイツが逃げ出そうとしたのは言うまでもない。