133話 シイツの葛藤
「相手の女性はターニャスティ=オンサルダン=バッツィエン。貴族号こそ無いものの、バッツィエン子爵家に連なるいいとこのお嬢さん。子爵の側室の娘だそうで、親子仲はほどほど。溺愛するでもなく、疎んじるわけでもなく。モルテールン家の従士に、嫁に来ても良いという立場で、当人の器量もなかなかでした。目つきが細目で睨むような雰囲気がありますが、それがコンプレックスということで社交の場では壁の花になることが多かったとか」
「良く調べましたねダグラッド」
お見合い会が終り、報告をまとめているペイスとダグラッド。
一点を除けば特に問題も大きなものは無く、事前に想定されていた以上のトラブルも起きなかった。
そう、シイツのお相手による問題の、ただ一点を除けば。
「いやなに、おしゃべりと噂話が好きな女性が何人か居ましたから、容易い仕事でした」
「では、シイツのお相手は問題ないと?」
シイツはモルテールン家の重臣。部下の筆頭。重鎮中の重鎮にして、従士長という重責を担うモルテールン家の要石。あとついでに、ペイスのおもり役。
下手に悪い女性に捕まって身代を持ち崩せば、モルテールン家そのものにも影響が出かねない。それだけに、お相手の身上を調べるのは至極当然の行動だ。
「一点問題があるとすれば年齢でしょうか」
「適齢期を越えているとかでしょうか? シイツの年ならそれこそお似合いだと思いますが」
シイツは既にアラフォーのおっさん。カセロールも既に齢四十を越えたが、シイツも大体同い年ぐらいだ。はっきりしないのは、生まれの正確な日時が分からないからであり、傭兵稼業の時には年月の感覚も結構あやふやになっていたからだ。
ただ、少なくともカセロールとは同世代なのは間違いない。
お相手の女性でも、年が同い年ぐらいとなると最早世間ではアニエスのように孫が居て、御婆ちゃん呼ばわりされてもおかしくない人間になり、お家の繁栄という意味では困る。
それだけに、適齢期か、或いは少し超えたぐらいで良い相手がいるならばというのが、家中の総意だった。
「逆です。下過ぎるんです。お相手の年齢が何と十三歳。リコリス様やジョゼフィーネ様より年下ですよ? 若い嫁さんもらうのが男の夢といっても、限度ってものがあるだろうと。犯罪でしょうよ、犯罪」
「……当家は結婚に年齢制限などありません。一般的な聖別に満たない年で結婚したのが身近に居るので」
「お、ここにも犯罪者が居た」
「喧嘩を売ってるのなら高値で買いますよ?」
モルテールン領においては、モルテールン家が法律である。
そこの次期領主が子供と呼べる年で結婚しているので、モルテールン領においては結婚可能年齢に下限は存在していない。子供と結婚しても、問題は無いのだ。
しかし、推奨もされていない。
一般的な常識で言えば、幼すぎる相手を伴侶にするというのは、年長者の方が男女のどちらであろうとも忌避されがちである。
ダグラッドとペイスのやり取りを、いつの間にか部屋に来ていたグラサージュが笑った。彼は、カセロールとペイスの指示でシイツが婚約を決めた経緯について取りまとめていたのだ。纏め終わったところでペイス達のやり取りを目撃し、相変わらずの様子につい笑いが漏れ出た。
「ははは、いやあ、昨今の結婚は低年齢化が進んでますなあ。私も独身でいれば良かったかな」
「グラス、どうでしたか?」
「指示のあった件、確認も終わりました」
「では詳しく聞かせてください」
家中の全員。いや、シイツ以外の全員が、グラスの報告を待っていた。
「結婚を申し込んだのは、相手の女性からです。大勢の女性に囲まれているシイツさんに、堂々とプロポーズしたそうです。若いとは良いものですなあ」
「向こうからの申し込みなのは想像していました。しかし、結婚は人生の墓場だと言って憚らなかったシイツが、どうしてそれを受けたのか」
「決め手があったようですね」
「決め手?」
一体、何が決め手になったのか。歴戦の古強者にして、女性経験も豊富で老獪なシイツに対してクリティカルになるようなもの。まさか好みにどストライクだったという訳でもあるまい。もしそうなら、ロリコンの称号を贈らねばならないと思いつつ、ペイスはグラスの言葉を促す。
グラサージュは、笑いを堪えながら言う。
「胸が大きかったのが決め手です」
「はいぃ?!」
「相手の女性のバストが年の割に大きかったのが決め手です。いや、決め手というよりは、敗因と言う方が正しいような気もしますが」
「どういうことです。あのシイツが、単に胸の大きさで相手を選ぶわけないでしょう」
「実は……」
◇◇◇◇◇
お見合い会は盛況である。
数百人規模の独身男女が一堂に会するという、国内でも類を見ない大イベント。興行主はモルテールン家であり、参加費自体は無料。領内の産業振興等々の特需でペイできるからと、モルテールン家の奢り。
しかも、行きだけとは言えカセロールの無料送迎付き。参加者も有名どころがこぞって集まるわけで、人が人を呼ぶ状況だった。
こうして集まった人たちの目的の一つは、モルテールン家とのコネクションづくり。あの手この手、手練手管でもってモルテールン家の男を落とすと張り切る女性は多い。
そしてその中の一人が、人生最大の決意をもって、一大決心を告白しようとしていた。
告白の相手はモルテールン家の大支柱。功臣筆頭のシイツ=ビートウィン。
「ビートウィン様」
「はいよ」
「ターニャスティ=オンサルダン=バッツィエンと申します」
「こりゃどうも。シイツといいます。家名よりも名前で呼んでもらえるほうが嬉しいですがね」
あと、“二つ名”で呼ぶ奴はぶっ潰す、という物騒な言葉を飲み込んだ。
会が始まって以来、やんごとなき身分の御令嬢たちに捕まって相手をさせられることに辟易としていたのだ。ストレスが溜まっている。飲み屋のお姉ちゃんの相手ならば、向こうが接待してくれるわけで、気楽に会話もできるだろう。しかし今はシイツが接待する側である。
モルテールン家従士長という立場が、モルテールン家主催の企画を台無しにすることを許さない。何とも因果な話だ。
こんなことに巻き込みくさったペイスに対して、或いは嬉々として許可しくさったカセロールに対して、或いは面白がって煽りやがった同僚たちに対して、いつかどこかで倍返しにしてやると思いつつ、今もまた新しい女性のお相手だ。
朝から始まって昼も近い。もう既に、シイツの顔面は笑顔を作り過ぎて筋肉痛になりかけている。
「実は、貴方にお願いがございます」
「ほう、何でしょうね。一緒に食事にってんなら、もっといい男を紹介しますぜ?」
ご一緒に食事でもどうですか、お茶でもいかがでしょう、演劇に興味はございませんか。同じような誘い文句を何十回と聞かされて、いい加減疲れてきた。
シイツのやや投げやりな言葉に、ターニャスティは笑顔のまま答える。
「貴方に決闘を申し込みます」
「はい?」
何を言っているのか。
目の前の、見れば聖別もしてるかどうか怪しい年ごろの少女が、よりにもよって俺に決闘だとはどういうつもりか。
そう考えたシイツは、思わず聞き返してしまった。
「なんだって? もう一度言って欲しい」
「どうか私と決闘してください」
シイツは、目の前の女性が本気で自分に決闘を申し込んでいると理解し、そして呆れた。
自分ももうそこそこいい年だ。体力も若い時に比べるなら落ちてきていると自覚しているし、自分の魔法は直接戦闘には向かない分カセロールほどに脅威は無いだろう。
しかし、何度となく戦場に立ち、死線を潜り抜けてきた自負と実績がある。まだ産毛の生えてそうな年のガキの、それも女に負けるつもりは欠片も無かった。
恐らく気を引く為の手練手管の一環だろうとは思うが、そういう手で来るなら乗ってやるのも一興と、シイツは思った。
「良いだろう。決闘の条件は」
普段なら、こんなガキンチョの児戯に付き合ったりはしない。それでも受諾したのは、当人が思った以上にストレスが溜まっていたせいかもしれない。
ここらで憂さを晴らすためにも、或いは堂々とお見合いをサボる口実の為にも、わざわざ申し出てくれたものを利用しない手は無いだろうと考えた。
シイツは、目の前の少女を多少小突き回す程度にあしらって、お見合いから逃げるつもりだった。
「騎士の決闘で。お互いに致命傷を与えず、一撃を先に入れた方が勝ち。いかがでしょう」
騎士の決闘とは、正々堂々と一対一で、武器を使って戦うというもの。神王国ではごく一般的な決闘のやり方であり、法にも定めがある。
かつてペイスも、当時はまだ婿入り前のセルジャン=レーテシュ卿と、このルールで戦った。
「ふむ、良いだろう。何か賭けるのか?」
「私が勝ったら結婚してください」
分かりやすいチップだ。シイツとしては、これを賭けられると絶対に負けたくないという気持ちになる。
「……俺が勝ったら?」
「我が家の名誉にかけて、望みを可能な限り叶えます」
「そりゃいい。当分酒代には困らずに済む」
いっそ破産させてやるかなどと、悪辣な考えが浮かんできている辺り、シイツのイライラもかなり沸点に近いところまで来ていたのかもしれない。
「表へ出な。誰に挑んだのか、分かりやすく教育的指導をくれてやる」
野次馬の中から騎士の心得がありそうな貴族子弟を一人捕まえ、立ち合いの審判役に任じる。
庭に出て、シイツ対ターニャスティの決闘だ。
こんな面白い余興を見過ごすわけも無い。野次馬がわらわらと集まる。何故か警備の人間まで野次馬に居る。
「はいはい、シイツ従士長に賭けるなら俺が受ける。あの娘に賭けるならそっちねぇ。ちょっと、お兄さんもう少し離れて。邪魔になるからねぇ」
しかも、いつの間にかニコロが場を仕切りだした。人が集まったことでようやく気付き、何があったのかを知りたがった先輩もこき使っている。
周りも、モルテールン家の仕切りに苦情も言えない。余興扱いとなったわけだが、案外ペイスの影響を最も強く受けて図太い肝を育てているのは彼かも知れない。
決して、お見合い会でシイツが美女に囲まれてちやほやされていたのが羨ましく、見世物にして揶揄ってやれという意図があるわけではない。これは興行を混乱させないために止む無くやっていることだ。
と、ニコロは言い訳を考えておいた。完璧だと自画自賛しているが、やってることがこの場に居ない銀髪の少年とそっくりであることに、当人は気付いていない。
「それでは」
「いつでもいいぜ」
審判役の男が、開始の合図をした瞬間だった。
事件は起きた。
「な、何してんだ!?」
ターニャスティが、おもむろに服を脱ぎだした。
しかも、体を締め付けていたコルセットのような下着も脱ぎ、上半身真っ裸。乳房がもろ出し。
若い女性が、である。
野次馬たちからは様々な悲鳴や歓声が上がった。
「いざ、御覚悟!!」
しかも、そのままシイツに対して突っ込んでいく。
彼女の手には、短剣が握られていた。
◇◇◇◇◇
「とまあ、斯様な経緯があり、さしものシイツさんも、いきなり上半身素っ裸の上で胸を揺らしながら向かってくる相手に隙を作ってしまい、怪我を防ぐだけで手一杯。一本取られてしまったわけです」
「なんという下らない勝負……」
「シイツさん本人の証言では、揺れる胸につい目がいってしまったと。年相応の胸であればもう少し違った動きも出来たはずだと悔しがっていましたが、負けは負け。立会人だけでなく、証人となる観客も大勢いたので反故にも出来ず、結婚が確定したという次第です」
ペイスは、自分が少し席を外していたことで起きた事件に、呆れるほかなかった。
まさか二十分程度目を離した隙に、そんな問題が起きていたとは想像も出来ない。どこの世界に、服を脱ぎ捨てて結婚を申し込む女性が居るというのか。
「シイツも災難ですね」
「若様のトラブル体質と女難の気質が伝染したのでは?」
「ダグラッド、今は冗談を言っている場合ではありませんよ?」
「半分ぐらい本気です」
シイツに嫁が見つかったということ自体は、慶事である。モルテールン家を支える譜代の従士家が一つ増えるということなので、本来ならば諸手をあげて歓迎すべき事象。
今回の経緯も、相手の女性が衆目の中トップレスになったという点を除けば、何の問題も無い。決闘は当人同士の問題だし、話し合いの延長線上にある交渉の一手段だ。武力的な部分も含めた総合的な、お話し合いの結果、婚姻がまとまったという話でしかない。
「しかし、何でまた公衆の面前でそんなことをしたんでしょうね?」
「それだけシイツさんを落としたかったということではないですかね。どんな手でも使ってという狡猾さなら、侮れない」
「いえ、それがどうも少し違っているようです」
ダグラッドの予想には、グラスが首を振った。
「というと?」
「バッツィエン家は御存じの通り軍家です。それも、最前線で武勲を重ねた武家。かの少女も幼少の時分から剣と拳に親しみ、暑苦しい男たちに囲まれて育ったとか」
「それは分かります。あそこの家は筋肉至上主義ですし」
バッツィエン家とモルテールン家には、昔からほどほどに付き合いがある。カセロールとは戦友であるとして、何かとペイスにも親し気に接してくれる家ではあるのだが、ペイス自身は苦手意識のある家だ。
何せ当主からしてゴツイ。事あるごとに大胸筋やら上腕二頭筋やらの素晴らしさをアピールしてくる。平和を愛し、お菓子作りの為の豊かで落ち着いた領地作りを夢見るペイスとしては、出来るだけ距離を置きたいむさ苦しさである。甘いお菓子が一番似合わない連中。
「側室の子であり、好きにさせていた親の意向もあったとかで、小さい時には訓練に混じっていたこともあるそうです。上半身裸になることなんて、男所帯の訓練なら珍しくも無い。今のような夏の時期、動きまくって暑くなれば、脱ぐ奴も普通でしょう。男女の別も無いような年ごろには、彼女もそれを見よう見まねで真似していたとか。これはさすがに親が止めるようになったらしいのですが、その時に理由をあまり深く説明せずに止めたとか」
「まあ、子供に裸になってはならない理由を説明するのも難しいでしょうね」
「そしてそのまま適齢期になって、シイツさんとご対面。久しぶりに戦うということで、昔やっていた訓練の記憶通りに立ち向かったと。裸になるのは戦う時には普通だと思っていたそうです」
「……常識の違いとは恐ろしいものですね」
確かに、特に憚ることなく上半身裸になるような筋肉が周囲に大勢いるとなれば、それが普通のことだと思っても仕方がない。領地ごとに常識は違うのだ。決闘する時には裸が普通という、古代オリンピアの如き領地があったとしても不思議は無い。
「上半身裸になった経緯は何となく分かりました。お相手の女性が、常識に疎いというだけなら特に問題ないでしょう」
「ですね。脱ぐのが好きな露出狂なんてことなら、断る羽目になってました。常識が違うというのなら、我々のマナーを教えれば済む話でしょう」
「分からないのは、決闘した理由です。服を脱ぐのが作戦で無かったとしたら、何故決闘を申し込んだんです? 勝ち目が無いとは思わなかったんでしょうか」
「実はその点で、シイツさんに心当たりがありました。数年前、件の家にカセロール様と共にシイツさんが出向いたことがあるそうです。その時、子供に少々剣の手ほどきをした覚えがあると」
「子供の面倒見が良いのはシイツらしいですね」
子供に限らず、シイツは意外と下の人間に対しての面倒見が良い。おせっかい焼きの性分ともいうが、口は悪いながらも何かと世話を焼いてくれるため、昔からシイツは兄貴分として慕われている。
「その時は男の子だと思っていたらしいです。剣に興味深々だったし、てっきり少年だと思い、剣の持ち方ぐらいは教えたと。それで適当に相手をしてあげたとかで、また機会があれば手ほどきしてやると言った覚えがあるような無いような、だそうです」
「その時の少年が、実は女の子だったと。ルミみたいな子ですね」
「娘のことは言わんでください。親としては頭が痛いのです」
「とにかく、過去に何らかの因縁があって決闘を申し込んできたと推察される。当人の資質にも致命的な欠陥は無さそうに思われる。ならば、あとは両家の問題ですね。シイツは本人が当主ですから、バッツィエン子爵が許可を出せば、何の問題も無く結婚できる」
「バッツィエン子爵は既に許可済みだそうです。相手がシイツさんなら異存はない。むしろよくやったと娘を褒めたおす勢いでした」
シイツの相手については、モルテールン家にとっては問題ないと判断される。公衆の面前で裸になった点で噂の的にはなるだろうが、本人が気にしないのであれば決闘の際の非常手段と認知されることだろう。むしろ、あのシイツから一本取って結婚を認めさせたというのなら、武勇伝とさえ言われるに違いない。
「では、次のステップに行くとしましょうか」
「次のステップ?」
一連の報告を聞き、大人しかったペイスがくすりと笑った。
嫌な予感がしたダグラッドは、半分腰を浮かしかける。その勘は正しい。
「ええ。折角ですから、結婚式まで面倒をみてあげましょう。それも、大々的に」
騒動はまだまだ終わらなかった。
(補足)
女性の決闘について、トップレスでの決闘は珍しいものではありませんでした。
資料に基づいた創作です。
正直、R15の兼ね合いで書くかどうか迷ったものですが、単純な、作者のウケ狙い・お色気要素の創作でない事はご理解ください。
ブログに資料の一部を載せています(トップレスの画像なのでご注意を)
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