130話 姉&姉
「お前、どうしたんだ? 姉妹で相談事があるんじゃなかったのか?」
「そうだったのだけれど、ペイスが来てると聞いて顔を見に来たの。私たちも同席していいかしら?」
「私は構わないのだが……」
貴族としてはおかしな話だが、何故かハースキヴィ準男爵は妻を追い出そうとはしなかった。
ハンスが妻の同席を断らないのには訳がある。
ハースキヴィ家は弱小騎士爵家だった頃は人手不足が深刻だった。いや、今でもそうだ。
元より代々軍人家系であり、武人としての腕っぷしに自信のある人間ならば何人か家中にも居たのだが、内政や外交に知見のある人材というのが皆無。
当主からしてそんなものを一切学ばずに育った人間だったので、代を重ねるにつれ訳も分からずに困窮の度合いを深めるお家の事情があった。
それを救ったのは、賢女の誉れ高いモルテールン家の娘だったのだ。
ハースキヴィ家と同格の軍寄り騎士爵家の娘としては異例ながら、内務男爵家同等の教育を母から受け、必要とあれば娘の為に骨惜しみも金惜しみもしない父親の元に育ち、本人の地力もあった。それがヴィルヴェ達モルテールン姉妹だ。貴賤男女を問わない能力主義を掲げる家であったことから、少なからず政務の実地経験もあったし、父親の豊富な人脈もある程度受け継いでいた。
それが嫁になる。ハースキヴィ家にとっては干天の慈雨であったことは言うまでもない。
困窮する貴族の中には、金を目当てに娘を差し出すような家もある。羽振りの良い商人の側室に娘を差し出して援助を受けるだとか、高位貴族の愛人や傍仕えとして奉仕させる見返りに支援を受けるだとか。そういう話は珍しくも無い。
だが、モルテールン家の当主はカセロール。愛する娘をそんな目に遭わせてたまるか、という強硬な意思の元、まともな嫁ぎ先を探していたのだ。
その思惑と、優秀な補佐を心から欲し、モルテールン家の武名を貴ぶハースキヴィ家の事情が上手くかみ合ったことで、ヴィルヴェはハースキヴィ家に嫁ぐことになった。数年前の出来事だ
斯様な事情から、ハースキヴィ家では嫁さんが家中の取り纏めをしていた。モルテールン家では従士長が担ってきたような職責。文字通りの女房役。
領地が多少なりともまともに運営できるようになり、近年では陞爵まで果たした功績が誰にあるかというなら、モルテールン家から嫁いだ女性にあるのは明らか。
故にハンスは妻に頭が上がらない。
他家から人が訪ねて来るなど、ハースキヴィ家のような弱小貴族ならばかなり稀なことなのだが、そういう場合には妻が応対を補佐している。お家の事情。
そうは言っても、他家の正式な使節がやってきたというのに、乱入者を許すのはあまり外聞がよろしくない。幾ら親しい間柄とはいえ、妻だけならばまだしもその妹までセットになっている。
ハンスとしては、どうしたものかと相談することにした。何故か目の前の少年に。
「ペイストリー殿、お話の途中ではあったのだが、妻の同席を許してもらえるかな? それで、もしよければ義妹も……」
「はぁ」
ペイスは溜息をついた。
「構いませんよ。姉様たちを拒むようなことはありません。別に聞かれて困る話をしに来たわけでもないので」
「さすがペイス、話が分かるわ」
「久しぶりねペイスちゃん……あら、ちょっと背が伸びた? 髪は相変わらずサラサラね~」
「シビ姉さま、苦しい……」
同席を許可されると早速、元モルテールン家の女性には癖が出た。アニエスから受け継いだ抱き着き癖である。モルテールン家出身の女性には標準装備されているオプション品。
シルヴィエーラなどは、昔の感覚で弟を抱きしめると、頭の位置が前と比べると大分違うことに気付く。大きくなったと実感するのが抱き着いた感触だというのだから、ペイスがこの悪癖だけはやめて欲しいと切に願うのも道理である。
シルヴィエーラもヴィルヴェも、おっとりとした雰囲気自体は母であるアニエスとよく似ている。ペイスも含め、三人共誰が見てもああ姉弟だなあ、と納得する程度にはどこかしらが似ている。
姉二人のうち、鼻筋が若干父親似なのがビビの方だが、モルテールン家の姉弟が並べば一番母に似たのはペイスだ。
「三人共仲が良いんだな」
弟を交互におもちゃにする姉妹という、応接室の中とは思えない状況に困惑するハンス。モルテールン家の非常識を、ハースキヴィ家の彼に求めては酷というものだ。
しかし彼とて貴族家当主。深呼吸一つで平常心を取り戻す。
「そろそろ普通に話をしたいんだが?」
「ごめんなさいあなた。久しぶりだったものだからつい」
「姉弟の仲が良いことは、当家としても心強いことだから構いはしないが、時と場所を弁えては欲しい。それで、ペイストリー殿。ご用向きの件、どこまで話をしただろうか」
何故かペイスの両脇に姉二人が陣取るという不思議な光景ながら、最早諦観の域に居るペイスは気にせずに話をし出す。
「用心棒を雇わないか、という話でした」
「そうだった。しかし、改めて考えれば、どうも虫が良すぎる話に思える」
「そうでしょうね。しかし、よく考えて頂きたい。今のハースキヴィ家には足りない物が多すぎる」
「ほう」
ハンスとて、自分の家が弱小であることは人に言われずとも分かっている。しかし、それはどうしようもないことでは無いかとも思っている。
人から言われると、あまり気分のいいものではない。
それをあえて口にするのだから、ペイスが何を考えているのか。男には分からなかった。
「まず、単純に手が足りない。騎士爵家から準男爵家に陞爵したなら、必要とされる人材は倍以上。当家でさえも多くの伝手を使って集めたわけです。あの父様の人脈を使ってです。失礼ながら、ハースキヴィ家に頼れる人脈がおありですか? 当家以外に、という意味ですが」
「それを言われると辛いな……今までは何処に行っても木っ端のしがない騎士爵家だったからな。とりあえず目ぼしい部下の子弟を雇い入れてはいるが、足りていないのが現状だ」
モルテールン家のようにあちこち飛び回れるのならば人脈も作れるが、そうでない家が人脈を作ると言っても限度がある。交通手段がほとんどないわけで、いわば引きこもり状態で友達を作れというようなもの。それが出来るのは、わざわざ友達になりたがる人間の方から訪ねて来る場合であり、家柄、血筋、財産、能力など、何か魅力がある場合に限る。でなければ無視される。
ハースキヴィ家は断然無視される側だったので、碌な人脈が無い。最も強い繋がりなのがモルテールン家という時点で御察しだろう。かつてのモルテールン家はカセロールの魔法以外に見るべきものが皆無の貧乏貴族だったのだから。
普通ならば、高位貴族の開く社交会に参加して人脈を広げるものだが、ハースキヴィ家は当主が重要な防衛戦力であった事情から、そう頻繁に領外に出向くことも出来なかった。最底辺貴族が社交会を開くことも無いので、自家で開催もしない。開く金もないし、開いたところで来てくれる人間も居ないのだ。
故に人脈など、血縁か派閥を頼るぐらいの物。
だが、領地替えで地縁派閥は切れた。南部閥からは物理的に離された。東部閥にはまだ縁もゆかりも無い。故にここはアテにならない。
一応は軍家に属すハースキヴィ家としては軍務閥から人材の紹介を受けられるだろうが、下っ端の家にはそれ相応の人間しか送られないのが通例。優秀な人材を優先的に引っこ抜けたモルテールン家が異常な手腕なのだ。
酷いところになると、アル中で碌に軍務も出来ない人間を紹介されたり、病弱で家から出られないような人間を紹介されたりする。名前と家柄ぐらいしか派閥の上も情報を持っていないからだ。
実際は王都などでは就職希望者はいっぱいいるのだが、情報の偏差が酷い社会の為にこういうことが起きる。
就職したい人間は人の集まる王都や大都市に行って活動するが、実際に人手が不足しているのはど田舎の僻地か弱小貴族というわけだ。
例えるなら、大企業には新卒も沢山応募するが、地方の中小企業は優秀な人間を採用するのに苦労するようなものだろうか。就職する側も就職活動となれば都会の大企業から応募していくし、目ぼしい企業や情報提供の多い企業を受ける。地方の農家の求人などは、有る事すらしらないだろう。情報も無ければ得体の知れない会社でしかない。
ましてや神王国にはインターネットも求人サイトもハローワークも学生用就職斡旋窓口も無い。個人的な伝手を使ってマッチングするか、でなければ都会の限られた求人を奪い合うという状況になる。
この世界、ハローワークの代わりは派閥領袖や大貴族というわけだ。
「それに、他国の脅威もあります。今でこそサイリ王国は大人しいですが、数年以内には領地奪還を謀ること疑いようもありません。そうなった時、一番恨みをかっているのはフバーレク家か、でなければモルテールン家でしょう。遺憾ながら、モルテールン家と繋がるハースキヴィ家は、真っ先に狙われるでしょうね」
「ふむ」
「軍事力と外交力の強化は急務のはず。それとも、ビビ姉様を離縁して当家と縁を切りますか?」
「まさか!! そんなことは考えたことも無い」
確かにモルテールン家はサイリ王国の諸貴族からは不倶戴天の敵として憎まれている。目の敵にされているモルテールン家と縁があれば、不要な恨みも買いやすい。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというのは道理。
しかし、だからといってモルテールン家と縁切りするとは考えない。味方にすればこれ以上ないほど心強いのもモルテールン家なのだ。
ありえない、とハンスは反射的に否定する。
そしてペイスも、横に座っているのが誰なのか忘れていたらしい。
「痛い、姉様いひゃいです。頬をつねひゃないで……」
交渉の過程と分かってはいても、勝手に離婚云々を言われるのは不愉快だと、姉は弟に抗議する。親指と人差し指を使って、ぷにぷにの頬っぺたに対して。
ピッと引っ張るようにして離されたせいで、少し赤くなった頬を片手でさすりながら、ペイスは話を続ける。
「いてて、しかし、実際問題としてビビ姉様が居る限り狙われる可能性は高いです。まして新任の成り上がりとなれば舐められて当然」
「そうだな。残念ながら私には義父やペイストリー殿のような魔法も無い。舐められることで産まれる小競り合いは覚悟しているが……出来ればそんなもの無い方が良い」
サイリ王国と国境を接する貴族は、ハースキヴィ家以外にもある。他の家は例えば大戦の功績であったり、確かな後ろ盾であったりという“舐められない要素”を持っている。ハースキヴィ家はモルテールン家の縁故というのがそれだが、対サイリ王国という意味ではそれが裏目に出るとペイスは言う。
舐められるというのは、より攻められやすくなるということだ。
例えば肉食獣が獲物を襲う時、大きくて強そうな象やカバを襲うのは稀。大抵は子供の鹿であるとか、群れからはぐれた仔馬を狙う。弱そうだし簡単に食えそうだからだ。
或いは、筋肉ムキムキで身長が2メートルぐらいある男と、身長150センチぐらいのガリガリの男。絶対にどちらかと喧嘩しろと言われれば、大抵は弱そうな後者を選ぶ。
舐められるとは、この“弱そうに見える”ということだ。実際に武術をしていて物凄く強かろうが、それを知らない相手からすれば、ガリガリに見える時点で弱いと決めつけられる。
弱肉強食の世界、弱そうに見えるとそのまま噛みつく猛獣がうようよ居るのだ。
何度となく敵を返り討ちにすればそれが箔となって舐められなくなるだろうが、新任となればそんな箔付けは存在しない。
「でしょう。そこでお勧めするわけです。ご紹介する用心棒を雇えば、まず舐められることは無くなります。そこは父様も認める太鼓判ですよ」
「ほう、そんな人材が……」
「これを逃せば次はいつこんなチャンスがあるか分かりません」
「なるほど。うむ、前向きに検討したい。その人物の詳しい話を聞きたいが……」
「出来ません」
むにむにと頬っぺたを弄られながらも、はっきりと口にしたペイスの言葉。ハンスはきょとんとする。
「なんと?」
「少しばかり特殊な事情もあり、事前に話すと忌避されがちな点もあって詳しく話せないのです。雇うと決断して頂けたのなら、詳しく話をします。重ねて言いますが、武力においては人外の強さであることは保証しますし、最低限の衣食住を保障するだけで良い点も確約いたします。他家に対する箔付けにも使えるという意味で、ハースキヴィ家には利点も多いというのも間違いない。欠点を挙げるならこの国の言葉が通じにくいということですかね」
「むむむ……」
商品を見ずに買い物をしろという決断。
こういう交渉が、ハンスは苦手なのだ。根っからの武人で、搦め手の腹の探り合いはとにかく不得手。
そこで、妻の出番となるわけだ。
「ペイス、あなた何か都合の悪いこと隠してない?」
「ひょんなこひょは……シビ姉様、いい加減僕で遊ぶのは止めてください」
「ズバリ聞くけど、それって人間?」
「……雇用を決めて頂けるならお答えします」
やはりペイスの姉だけあって、弟のやり口に慣れている。ほぼ正解に近いところまで推察していた。
どうも聞いている限りだと、本当にそんな人材がいるのか疑わしい話のオンパレード。しかし、人でないと考えれば、別段不思議は無いではないか、と。
じっと見つめ合う姉と弟。とその後ろで弟の髪を三つ編みにする女性。
やがて、ビビは一つの結論に達する。
「良いんじゃないかしら。あなた、お受けしたら?」
「良いのか?」
「本気でうちの利益になると考えているっぽいから。その点は嘘じゃなさそう」
「何故わかる」
「ペイスの目を見れば分かるわよ」
正しくは、じっと見てやましさから顔を背けようとするかどうかで判断する。
母アニエス直伝の、ペイス&カセロール向け嘘発見法だ。身内に甘いモルテールン家の人間は、他所の人間になら幾らでも鉄仮面を被れるが、身内に付ける仮面は綻びも多い。
ちなみに、何故かハンスにも使える。
「ふむ、ならば雇用を決める。詳しいことを聞かせてもらえるか?」
「では。用心棒の名前は、ジョゼ姉さまが名付けました。くーちゃんと言うそうです。性別はメス。年齢は生後数か月。ビビ姉様が察した様に人間ではなく、熊です」
「熊ぁ?!」
「猛獣を飼いならして威を高め、手に負えなくなれば国境沿いの森。出来ればサイリ王国側に放流すれば、それが防人になると、父様は考えたそうです。モルテールン家には不要な威でも、今のハースキヴィ家には必要だろうと。そして、森の猛獣についての扱いならば、ハースキヴィ家は熟達のノウハウがあるだろうからという話でした」
「……な……るほど。なるほど、義父の言い分ももっともだ。さすが英雄だ」
ペイスの言わんとすることを理解したハンスは、熊の育て方について記憶を辿る。
ハースキヴィ家ならば、確かに熊を育てることも可能だろうし、メリットもあるだろう。
「うむ、問題ないな」
「ならば、後日熊をお届けに上がります。早ければ明日にでも。よろしいですか?」
「ああ、構わない。義父によろしく言っておいて欲しい。感謝していたと」
「ええ、伝えます」
世の中持ちつ持たれつ。モルテールン家では厄介な熊も、ハースキヴィ家には有りがたい。
ある面では男勝りなお転婆娘も、嫁になれば行動的と評価されるようなものだろうか、とペイスは考えた。その頃には三つ編みの束が五つぐらいになっていたが。
「ペイス、話は終わった?」
「ええ、無事」
「じゃあついでに少し相談していいかしら」
「……髪型を元に戻してからにしてくださるならば」
酷く不思議なオブジェと化していたペイスの頭が、何とか普通の髪型に戻る。
シルヴィエーラの話とは何なのかと、ビビもハンスもその場に居残っているが、気にせずに話をするようだった。
「さて改めて、さっきもビビ姉様に相談していたのだけれど、ペイスにも相談したくてね」
「何でしょう。シビ姉様の相談というなら、凄く嫌な予感がするんですけど」
「大したことじゃないわよ」
「ほう?」
ペイスとシビの会話の様子を見ながら、ハンスはお茶を口に含んだ。
「“妹の結婚相手”を決めちゃおうと思うの」
そしてものの見事に咳き込むのだった。